魔王?
次は勇者側になります。
「魔王様のご復活、心よりお祝い申し上げます」
銀髪の少女がまるで神様に跪くかのように礼をする。
誰だ、こいつ? とハヤは思った。
可愛いというより、どちらかというと綺麗な悪女のような顔付の少女だ。歳は自分より少し上で20歳前後ぐらいだろうか? 銀髪の長い髪に、紅い瞳が似合っている。どうみても日本人の顔付じゃない。でも日本語喋っている。
あたりを見渡すと、まるで黒魔術師のような恰好をしたやつら沢山いる。そいつらも銀髪の少女と同じように跪いている。
背後を見る。瓦礫があっただけだった。オレの後ろに誰かいるんかと思ったがそうではないらしい。
というより、何処だここは?
石造りの神殿を連想させる建物のようだ。もっとも半分瓦礫となっているが、何となく日本の空気じゃないような気がする。
さっきまで家でバイクの雑誌を見ていたはずなのに、どういうことだ? とハヤは混乱した。
頭の中で疑問が次々と浮かんでくる。もちろん答えはない。
「あの……魔王様?」
ハヤが無言で考えていたため心配になったのか銀髪少女が恐る恐る問いかけてくる。
「魔王様ってオレのことか?」
ハヤが反応したことに安心したのか銀髪少女は明らかにほっとした顔をした。
「はい、魔王様。我等魔族一同は魔王様の復活を心待ちにしておりました」
ばっと銀髪少女を始め、全員で頭を垂れる自称魔族。
ハヤは頭を抱えた。
なんだ、こいつらは? 魔族? 魔王様? まさか昨日の喧嘩で頭を殴られたことが原因でオレは変な夢でも見ているのか?
ほっぺたを抓る。痛い。夢ではないらしい。
なら、誘拐か?
海外では誘拐が多く、今でも生贄の儀式をする民族もあるらしい。
ハヤは震えた。
多少喧嘩はできるが、この人数に頭のおかしい連中だ。勝てる見込みはどこにもない。
それともどっきりだろうか?
ハヤは周囲をもう一度見渡した。カメラを探すのだ。
そうして、何気なく視線を上にやって……絶句した。
「お、おい。お前名前は?」
「申し訳ございません、名乗りが遅れました。わたしの名前はアナスタシア・バイレント・ラミア。アナスタシアとお呼びください」
「よし、アナスタシア。少し聞きたいんだが、空に浮かんでる月なんだが……」
「? 月がどうかしましたでしょうか?」
少女は空に浮かぶ月を見て、不思議そうに首を傾げる。
今は昼だ、とても明るい。でも月が浮かんでいる。それは、まあたまにあるからそれはいい。おかしいのは……。
「いや、なんだよ、あの黒い月!」
空に見慣れた白い月以外に黒い月が浮かんでいるのだ。しかも見慣れた月より異常にでかい。
「黒月と白月ですが、なにかおかしいところが?」
「いや、おかしすぎるだろう!?」
どうも何がおかしいのかアナスタシアと名乗った少女はわからいようだ。
……やばい。
非常にやばい、とハヤは今更ながらに思った。
もしかして、ここって日本どころか地球ですらないのでは?
「なあ日本は何処だ? ここは地球の何処なんだ?」
「にほん? ちきゅう? 申し訳ございません、魔王様。無知のわたしではにほん、ちきゅうとは何なのかお答えすることができません」
非常い悲しそうなアナスタシア。その表情から嘘をついてる様子はない。
「……なら、ここはどこだ?」
「ここは、魔王様が千年前に建国されました魔族の国、魔国王都ラッフルエンズから北東に三日馬車で走ったところにございます神殿跡地でございます」
「魔族の国? 魔国の王都ラッフルエンズ?」
もちろんハキの知っている国に魔国って国はない。
「敵襲だ!」
「人族が出たぞ!」
突如聞こえてくる悲鳴と叫び声。そして叫び声の方向から鎧姿の男達が黒魔術師の恰好をした人達を剣で襲っていた。
飛び散る鮮血に悲鳴。どうみても作り物にはみえない。
「あいつだ! あいつがきっと魔王だ!」
「魔王覚悟!」
「おのれ、人族!」
アナスタシアはハヤを守るように立ち上がると自分の身に黒い霧のようなものをまとわせ始めた。黒い霧はまるで蛇のように姿を変えると鎧姿の男達を次々と絞め殺し、飲み込んでいくが、黒い霧でできた蛇はよほど強い力を持っていたのだろう。絞め殺された一人の男が上半身と下半身に別れてしまった。飛び散る血と内臓。その生暖かい血と臓物がハヤにかかった。
「はは、なにこれ?」
ハヤはその言葉を最後に気を失った。
黒い力――魔力。
それは魔族にのみ与えられた力。
千年前、魔族は人間との戦争に疲れ果てていた。このまま永遠に戦争が続くかと思われたとき、一人の魔族が立ち上がった。彼は瞬く間に、魔族を束ね魔族の国、魔国を建国した。そして魔国を建国した彼は魔王と呼ばれるようになった。魔王は人族と戦い後一歩ところまで人族を追い詰めた。しかし、人族の勇者の手によって、それは阻まれる。魔王の魔剣が勇者を貫き、勇者の聖剣が魔王を貫いたからだ。
死体の丘で彼等は、血を吐きながらお互いに呪詛の言葉を紡ぐ。
「勇者よ……今回は引き分けだな。しかし、余は蘇る!千年後余は再びこの地に舞い戻り人族を滅ぼしてやろう!!」
「魔王よ……そんなことはさせない!お前が千年後に蘇るというなら、俺もまた千年後に蘇り今度こそお前を断つ!」
そうして、魔王と勇者はお互いに息を引き取った。
その後、二人の魂は空へと昇り、月へと姿を変えた。
魔王の魂は魔力の象徴である黒い黒い色へと染まり、そのまま黒い月へとなった。
勇者の魂は聖力の象徴である白い白い色へと染まり、そのまま白い月へとなった。
そうして、その二つの月は蘇る日を待ち続けながら、千年の時を過ごしてきたのだ。
「そして、宮廷占星術師達が占った結果、あの朽ちた神殿に魔王様が蘇ることが分かり、わたし達は魔王様を迎えするべく、はせ参じたのです」
「……まじか」
ガラガラガラ、とハヤとアナスタシアは豪華な馬車の中。
ハヤは目が覚めたら、自分の部屋であることを祈っていたが、現実は厳しいものだ。目が覚めたハヤは知らない豪華な馬車の中でした。
目を覚ましたハヤにアナスタシアは土下座しながら、お身体を下賤な人間の血で汚してしまい、申し訳ございません、と謝ってきたが、とりあえず赦すから魔王ってなに? で今の状況を教えてほしいんだが。と言ったところ先ほどの説明が始まったのだ。
「あのさ、家に帰りたいんだが……」
「はい、今魔王様の居城である魔王城に向かっています。馬車で三日ほどの距離ですので、もうしばらくお待ちください」
魔王城の周りには千年前と違い、街ができ、王都ラッフルエンズか……うんたらかんたら、と嬉しそうに説明するが、ハヤが聞きたいことはそんなことではない。
「違う、オレが帰りたいのは日本にある自分の家だ。帰りたいんだ。帰してくれ」
「申し訳ございません、先ほども仰られていましたが、にほん、とは黒い月にあるのでしょうか?」
「――違う」
ハヤは説明した。自分は月が一つしかない世界に住んでいたこと。自分は17歳の高校生で、ただの一般人であること。魔王や勇者なんてものは御伽噺でしか知らないこと。アナスタシアから聞いた説明に自分はまったく身に覚えはないことを。そして、自分は魔王なんてものに身に覚えはないことを。
「なるほど、永い眠りから覚めたばかりで、混乱しているのですね」
「いや、違うから」
どうやらアナスタシアは頭が固いようだ。
「とりあえず魔王、魔王じゃないはおいといて、オレは別の世界から来たんだ。だから悪いんだけど、オレを元の世界に帰してくれないか?」
「元の世界でございますか? ……申し訳ございません。よくわからないのですが、世界を超える方法なんて、わたしは聞いたこともありません」
アナスタシアの話では、魔王は自ら蘇ったのであって、魔族がなにかをしたわけではないらしい。やったことと言えば、魔王がどこに蘇るのか宮廷占星術師が占って場所を特定したことぐらいだそうだ。
また、ハヤが神殿跡に現れる寸前、黒月から光が差し込み、その光の中でハヤが現れたらしい。
もっともその光が派手で人族にも場所を特定され、奇襲を受ける結果になってしまったとのことだ。
「それに魔王様が蘇ったのです。いずれ勇者も蘇る可能性があります」
「……まじかよ」
蘇った勇者は本当に勇者なんだろうか? それとも自分と同じ境遇なんだろうか?
一度会ってみたい、と思った。
しかし、すぐに魔王として殺されるかも、と思うと、やっぱやめとこと、と思った。
「それで、魔王様、今後のことなんですが……」
「だから、オレは魔王じゃないって……」
「いえ、あの黒月から降臨された、あの姿。あの神々しさは間違いなく魔王様です」
魔王なのに神々しいって変じゃない?
「はあ~、ちなみにオレが魔王だったら、どーしてほしいわけ?」
「それは簡単です。魔王様のお力で人間を滅ぼしてほしいのです」
「っへ?」
ハヤはアナスタシアに出されたお茶を驚いて、こぼしてしまった。
「え、えーと人間ってさっき襲ってきた奴等のことだよな」
「はい、そうです」
「オレも人間なんだけど……」
「魔王様は魔王様です。人間ではなく魔族です」
「でも見かけは同じじゃない!」
「同じではありません。魔族は魔力を、人族は聖力を使います。人族は下等な生物です。一刻も早く滅ぼさなければ……」
よほど憎いのか人族の話をするときアナスタシアは、ものすごく冷たい目をしていた。
「つまり魔王として生きていけば、人族と戦争に駆り出されるってこと!?」
「はい、魔王様のお力で人族を皆殺しにしていただきます」
「い、いやだ。いやだ。いやだ。人を殺すってことは殺される可能性もあるってことだろ! 喧嘩ならともかく殺し合いなんてしたくねぇよ」
「でしたら魔王様は今後どうなされるおつもりですか?」
「っう」
ハヤは、この世界の通貨もない。住む場所も着る服も食べる物も身を守る術もない。一人では生きていけないのだ。
「それに王都王都ラッフルエンズに着けば、宮廷占星術師がいます。彼女に占わせれば、もしかすると別の世界に渡る方法もわかるかもしれません」
確かにその通りだ、ハヤは思った。
しかし、魔王として生きていくのは嫌だった。
「とにかく魔王様、今は復活したばかりで混乱しているのでしょう。魔王城に帰ればきっといろいろ思い出しまから、一緒に帰りましょう」
結局ハヤは、うん、と頷く以外選択肢がなかったのであった。
「ご覧ください、あれが魔王城がある魔国の王都ラッフルエンズです」
ハヤがこの世界にやってきて三日目、ようやく馬車は王都ラッフルエンズに辿り着いた。
ついにこの日が来てしまった、とハヤは思った。
魔王として招かれるということは、人族の戦争に巻き込まれることを意味する。そう考えると、怖くて何度も逃げだしたくなったが、道中魔物もいたので逃げることもできず、結局ハヤはここまで来てしまった。
王都ラッフルエンズは大きな城壁に囲まれていた。
ハヤは魔族の国って考えると、どろどろしたイメージを思い浮かべていたが、意外なことに中世ヨーロッパを連想させる建物であったので、ほっと安心していた。
石造り、木、レンガ形式の建物に出店。人々は笑顔で、子供の姿も見える。
「これが魔族の国か……あんまり人と変わらないんだな」
ところどころに獣人や背中に羽根や頭に角が生えている人がいるが、生活スタイルは自分のいた世界とあまりかわらないように見れる。
「さあ、ようやく着きました。ご覧ください、あれが貴方様の居城――魔王城です」
「あれが魔王城」
アナスタシアが指し示す方向に、黒い黒い建物が見えた。
それは、周りの建物とまったく違った。巨大で高く重々しい城なのだが、何だか朽ちたというより枯れたイメージを持たせる建物だった。魔王城というわりには少し貧相である。
アナスタシアが、いくつかの手続きを終えてからハヤは馬車を降りて、ようやく城内へと入る。
城内はさすが魔王城といったところだろうか。天井は無駄に高く、すごい解放感が感じられた。しかし、城内は黒で統一され、また老朽化で朽ちた場所が多々あり、魔王城なのに修繕しないのだろうか? とハキは少し残念に思った。
「まず、魔王様にふさわしい身支度をしていただきます。このメイドが今後魔王様のお世話をします」
「メイドのマリーです。どうぞ、よろしくお願いします」
「ああ、よろしくマリーさん」
「マリーで結構です。では魔王様どうぞ、こちらへ」
アナスタシアと別れ、マリーに連れられてハキは風呂に入れられた。風呂も五十人は入れそうな巨大な風呂だった。この建物老朽化はしているが、何もかもがとにかく巨大だな、とハキは思いながら久しぶりの風呂を満喫した。風呂から上がったハキは爪切りや肌のケア、そして豪勢な黒い服に着替えさせられ、髪型をセットされた。鏡で見た自分の姿は正直微妙であったが、迎えに来たアナスタシアの言葉が、
「よくお似合いです、魔王様」
社交辞令なのか、本気でいっているのか、たぶん彼女の表情から本気なんだろうな、とハキは思った。
「さあ皆に紹介しますので、どうぞこちらへ」
「紹介?」
これまた黒で統一された廊下を歩きながらハキは問う。
「はい、現在魔国は七つの貴族、七黒貴族によって統治されておりますが、その頭首が魔王様の御帰還を祝うべくお待ちしております」
「七つか……」
多いのか少ないのかわからんハキはとりあえず、ほほう、と物知り気に頷いておく。
「はい、この七黒貴族は千年前に魔王様と共に人類に最後まで戦い続けた者の子孫でございます。かくゆうわたしも七黒貴族の一つバイレント・ラミア家の一員でございます」
「え、じゃあアナスタシアってもしかしてえらい人?」
「まさか、魔王様よりえらい人などおりませんよ、さあ着きました。どうぞ、こちらへ。皆魔王様の御帰還をお待ちしております 」
両開きの重々しい扉が見えてくる。ハキ達の姿に気づいた二人の騎士が、その扉をゆっくりと開いていった。
ハキはえらい人が苦手である。学校の教師と一対一で会うのもできればごめんこうむりたいのに、国を統治する人なんてどんだけなんだよ、と想いながら、ごくり、と喉を鳴らして部屋に踏み込んだ。
中は円卓会議に出てきそうな丸い豪勢なテーブルに三人の魔族が座っていた。はて? 七人いると思っていたが三人しかいない。トイレだろうか?
「これは、どういうことです!?」
と、突然アナスタシアが怒り始めた。その怒りに我無関心といった姿勢を貫く三人の魔族。その怒りの波動にびびったのは、アナスタシアの後ろにいるハキだけだったりする。
ギロリ、と白い髭を生やした映画俳優のような40歳前後の男が睨んできた。
「それが魔王か?」
「ファルコン卿。魔王様に向かって、その言い方は不敬では?」
「控えよ、ラミア嬢。もともと魔王が蘇るなどわたしは信じておらん。今回もラミア嬢が魔王を迎えに行きたいとただをこねるから任せたにすぎん。だいたいそこの小僧が魔王だと? 魔力も感じぬのにか?」
っぐ、とアナスタシアが下唇をかむ。
魔力、魔力ね……感じることができるものなんだ、とハヤは見当違いのことを考えていた。
というより考えたこともなかったが、やはり自分は魔力がないのだろうか。やっぱり異世界人だからだろうか?
「さて時間を無駄にした。こちらは忙しいのだ。さっさと自分の領地に戻るとしよう」
その言葉に、他の二人の魔族ま席を立ち、部屋を出ていこうとする。
「お父様!」
「アナスタシア、なんども言っているだろう。こういう公の場ではラミア卿と呼ぶように、と」
どうやらアナスタシアの父親もいたらしい。身体が大きくどころどころに蛇の鱗のようなものが生えている。
「ラミア卿、こんなことが赦されると!?」
「お前は魔王の物語が好きで、妄信しているところがある。少しは頭を冷やしなさい」
「わたしの頭は冷えています!」
いや完全ホットだろう、とハヤは他人事にように思った。
そんな娘に対して、父親はちらり、と視線を娘からハヤへと変える。
「お前のために、ファルコン卿とドライアド卿に魔王様の御尊顔を拝見いただいてから決めていただくよう頼んだが、魔力を持たない者を魔王と認められるはずがないだろう」
話は以上だ、とラミア卿は先に出ていったファルコン卿を追いかけるように部屋を出ていく。
「ドライアド卿!」
「なんですか?」
ドライアド卿は占い師のような服を着た緑色の髪をした小柄な女性だ。年齢はアナスタシアと外見上は同じか、それより下に見える。この年齢で統治者なんだろうか、それとも年齢と外見は一致しないのだろうか?
「あなたは、魔王様復活に対して予言した人……なのに魔王様に不敬を働くのですか?」
どうやら彼女が以前言っていた宮廷占星術師らしい。ハヤは帰る方法について問いかけたかったが、そんな雰囲気ではなかったので我慢することにした。
「はあ~、わたしが予言したのは黒月から人が現れるといった予言ですよ。魔王だなんて一言も申していません。だいたい魔王様は千年以上前に亡くなっています。死んだ者が蘇るわけないでしょう。魔王様が千年後に蘇るなんて話は魔王様を神格化させるための方言ですよ」
「そんなことはない。わたしは見ました。魔王様が黒月から降臨される瞬間を!」
「なのねぇ、そんなこと伝説を知っている者なら誰でもできるでしょ。わたしとしては、その者が魔王を語る偽物にしかみえないわ。だって魔力もないもの。魔力のない魔王様なんて聞いたこともないもの」
じゃあねー、って手を振りながら去っていく。そんな後ろ姿をアナスタシアは親の仇のように睨みながら、ぼそり、と呟いた。
「……こんのロリババア」
「なんですって!!」
小さな呟きだったにも関わらず聞こえたらしい。ドライアド卿が物凄い形相で振り返って戻ってくる。
「あら、ドライアド卿。ご機嫌麗しゅう。どうかされましたか?」
「いま、あんた言ったわよね、言ってはいけないことを言ったわよね」
「さあーなんの話でしょうか。さあ、魔王様、お疲れでしょう、本日はお休みくださいませ」
「言った、言った、絶対言った! ちょっと無視するんじゃないわよ。ちょっと若いからって、おいこっち向けや!」
どうやらドライアド卿は見かけによらず結構な年齢らしい。そして年齢に関する話題は禁止であることがわかった。
二人はそのまま取っ組み合いの喧嘩を始めてしまったので、結局ハヤはドライアド卿に元の世界に帰る方法を聞くことはできなかったのだった。
「はあ~、ごちそうさま」
ハヤは割り当てられた部屋で夕食を食べ終えて至福のときを過ごしていた。
本当ならアナスタシアもこの部屋で食事を一緒にする予定だったらしいのだが、ドライアド卿と取っ組み合いの喧嘩をした後、正気に戻ったのか恥ずかしそうに叫びながらハヤの前から逃げ出したのだ。
顔面が酷いことになったドライアド卿いわく素の自分を晒したのが恥ずかしかったのでしょ、とのことだ。
自分の前では礼儀正しいが、本当の彼女はいろいろ裏で考えてそうな悪女顔のくせに、考えることが苦手で、すぐ手が出て頑固らしい。
そんなとき、部屋をノックする音が聞こえた。メイドのマリーだろうか?
「はーい、鍵は開いてますよー」
ガチャと扉を開けて入ってきたのは、初めてみる顔だった。いや、何処か見た覚えがある。
「初めまして、マルス・バイレント・ラミアと言う。君が姉さんが連れてきた魔王様かい?」
ああ、アナスタシアの弟か、とハヤは思った。
なるほど、こうしてみるとアナスタシアとよく似ている。
「ああ、オレはハヤだ。といっても魔王様じゃないけどな」
「なるほど、正直な人のようだ」
なにか可笑しいのか、くく、と笑う。その笑みは嫌味のない清々しい笑みだった。こいつ絶対もてるな。
マルスは席に座って、鈴を鳴らす。すぐさま廊下に待機していたマリーが入ってきて、食べ終えた料理の食器を片づけて、食後のお茶を淹れ退出していった。人を使うことにもなれているようだ。
「気づいているかもしれないけど、君を連れてきたアナスタシアは僕の姉さんだ。今日は姉さんが連れてきた魔王様に興味があってね、お邪魔させてもらったよ」
「さっきも言ったけど、オレ魔王じゃないよ」
「まあ、事実はどちらでもいい。問題は君が魔王様として、魔王城に連れてこられたことが問題なんだ」
すでに王都では魔王が復活して魔王城にお戻りになられた、と噂が流れているらしい。噂はすでに魔国全体に広がる勢いで、これ以上隠し事も難しいとのことだった。
「僕達は判断しなければならない。魔王は蘇ったと民に説明するのか、魔王は蘇っていないと説明するのか……」
現在魔国は七黒貴族で統治されている。そのため今更魔王が蘇っても困るのが現状らしい。
また七黒貴族の三貴族は魔王の復活は信じておらず、二貴族が魔王などもともといなかった、そして、残り二貴族は魔王そのものが邪魔だ、と考えているとのこと。魔王人気ねー。
「もし魔王が蘇ったと説明すれば、民は喜び、なんといっても人族に圧力をかけることができる。でも無用な混乱も招くことになるだろう。そう考えるなら最初から魔王はいない、と説明するほうがいいのかもしれない」
「ふーん」
「……ずいぶん軽いね」
「まあ、オレは正直ドライアド卿だったけ? 彼女に元の世界に帰る方法を占ってほしいだけだし、帰る方法があれば、さっさと帰りたいし」
「ああ、姉さんから聞いたよ。別の世界から来たんだってね」
「うん」
「でも信じられないな、そんな別の世界があるだなんてね」
「オレからしたら、魔王や魔族、魔力なんてものの方が信じられねーよ」
「ふーん、でもドライアド卿だけど、たぶん君の要望には応えられないんじゃないかな」
「え!? うそ。どーして?」
「実は僕が君に興味を持ったのもドライアド卿の占いでなんだよ」
なんでもアナスタシアがハヤを迎えに行った後、ドライアド卿は内緒で何度も魔王のことを占っていたそうだ。しかし、何もわからなかったらしい。
「あんなに狼狽えるドライアド卿は初めて見たよ。ドライアド卿ですら占うことのできない存在を僕は直接この目で見に来たってわけさ」
「そ、そんな……」
帰る手掛かりがいきなり消えてしまった。そのあまりの落ち込みように流石にマルスも気まずくなったのか、今日は会えてよかったよ、おやすみ、と言い残して部屋を去っていった。最後までイケメン台詞である。
「オレって帰ることができるんだろうーか」
夜空に輝く、すべての元凶かもしれない黒月。それを恨めしめに見つめながら、ハヤは忌々し気に呟くのだった。
魔王城で初めて迎える朝。ハヤは騒音と共に目を覚ました。
なんだろう? とハヤが扉を開けて廊下を盗み見ると、多くの魔族が行ったり来たりしていた。朝から随分忙しそうだ。これが魔王城の日常なのだろうか?
「おはようございます、ハヤ様」
「うわっ! って、マリーさんか……おはよー。随分朝から賑やかのようだね」
ハヤの後ろから声を掛けてきたのは、魔王城についてから世話してくれているメイドさんだった。
「はい、そのことで、ファルコン卿がハヤ様を呼んでいます。申し訳ございませんがご一緒いただけますでしょうか?」
「ファルコン卿って、昨日会った人だよな?」
うーんと悩む。ハヤはえらい人が苦手である。ファルコン卿と言えば、この魔国を管理する七人のトップの一人だ。学生が総理大臣に会うような感じである。できればごめんこうむりたいが、そういうわけにもいかないのだろう。仕方なくハヤは、OK、と頷いた。
「では、付いてきてください」
メイドが長く黒い廊下を歩いていく。ハヤは頭の上で腕を組みながら、メイドの後を付いていく。
「なあ、ファルコン卿は何の用?」
「申し訳ございませんが、存じません」
「魔王城って、いつも朝からこんなに賑やかなの?」
「……ハヤ様は昨晩のあれをご覧になられなかったのですか?」
「昨晩? いや、オレは久しぶりのベッドで、飯食べた後、すぐ寝ちゃったから」
「……そうですか、ならそれも含めてファルコン卿からお伺いください」
部屋に着いたのだろう。重圧な扉をノックすると、入れ、と声が聞こえてきた。
中にいるのは、ファルコン卿と、部下らしき二人の魔族だ。
「では、そのように」
部下二人は、ペコリとファルコン卿に頭を下げると、ハヤとちらり、と見て、ぎょっとした顔をした。何度かファルオン卿とハヤの間を視線が行ったり来たりしていたが、ファルコン卿が手を振ると納得していないような顔だったが、黙って部屋を去っていった。メイドもわたしはここで、と部屋の外で待機している。部屋はファルコン卿とハヤだけになった。
ジロリ、と睨まれてハヤは、うわー、帰りてー。と心の中で悲鳴をあげた。
「さて、ハヤ、くんだったかな? まあ、かけたまえ」
「……お、おう。いや、はい、です」
椅子に座るハキを油断なく見つめるファルコン卿。彼は何から話したものか、といった感じで目の間を軽く揉む。
「……寝てないんですか?」
「本当は今朝自分の領土に帰る予定だったのだがね。昨晩の出来事でそれどころではなくなったのだよ。おかげで寝る時間もない」
「昨晩の出来事? メイドも言ってましたけど何かあったんすか?」
「君は昨晩のあれを見ていないのかね?」
「メイドにも聞かれましたが、昨晩はすぐに寝てしまって……」
「羨ましいものだね……まあ、さて昨晩なにがあったかというと、勇者が蘇った可能性があるのだよ」
「勇者ですか?」
「そうだ」
コーヒーらしきものを一口飲んで、ファルコン卿は深く椅子にもたれ掛かる。ぎし、と椅子から音がした。
「白月から眩い光の柱が人族の領土に降りて行った。あれは黒月から君が現れた現象とよく似ている」
ハヤは突然この世界に来たイメージなので、はあ~、そうですか。とあいまいに頷いた。
「おかげで今朝から、その話題で持ち切りだ。民は勇者が蘇ったと不安で、城に問い合わせが殺到しているためラミア卿はその対処、ドライアド卿は少しでも情報が得られないか占ってもらっている」
ああ、なるほど。とハヤはようやく魔王城がこれほどまでに混乱している理由を悟った。彼等は勇者が蘇ったと思っているのだ。もっとも蘇るはずの魔王が自分では、勇者も本当に蘇っているかは非常に怪しいが、そんな事の知らない魔族からすれば、恐怖の魔王ならず恐怖の勇者が降ってくるようなものに感じられるのだろう。
「それで、オレに…いや、自分になんのようです?」
「単刀直入に聞こう。君は勇者に心当たりはあるかね?」
「はい?」
ハヤは混乱した。なんで自分が勇者を知っているのか? だがファルコン卿は冗談を言っている目ではない。
「なんで、オレが勇者を知っているですか?」
「……ラミア卿の御子息とお嬢さんから話を聞いたのだが、君は何でも異世界から来たらしいじゃないか?」
「ええ、そうです。なのでオレは帰る方法を探しています」
「勇者はメガネ、テスト、ナイシンテン、とか知らない単語を口走っていたと報告があるのだが心当たりはないかね?」
「眼鏡、テスト、内申点!?」
「ふう、心当たりがあるようだね」
その単語をハヤは勿論知っている。その単語を口走っているということは勇者は自分と同じ異世界人なのだろう。しかも自分と同じ高校生かもしれない。何より勇者に会えば帰る方法がわかるかもしれない。あ、そういえば今頃学校ではテスト期間だったわ。テストのことを思い出してハヤは少しブルーになった。
「オレを勇者に会わせてください」
「君はバカか?」
心底馬鹿にするような目でハヤは見られた。
「勇者は人族の領土で蘇っているのだよ。今頃人族の王都にいるのに、君は敵地のど真ん中に行くのかね?」
ハヤは言葉に詰まった。確かにその通りだ。しかし、ドライアド卿でも帰る方法が分からないのなら、後は同じ地球人である勇者に聞くしかない。
「まあ、君が魔王として戦場に赴けば、いずれ勇者と会うことにはなるだろうけどね」
そいつは、ごめんである。要は戦って死ね、ってことだ。
そのとき、扉が勢いよく開けられた。中に入ってきたのはアナスタシアだ。
「ファルコン卿。魔王様を何の話を?」
ジロリ、とファルコン卿を睨むアナスタシア。廊下であわあわしているマリーの姿が見えた。どうやら強引に突破されたらしい。
「ふう、いや話は終わった。連れて行ってくれて構わんよ」
「そうですか……さあ魔王様。朝食がまだでしょう。一緒にいかがでしょうか?」
「あ、うん。そうだね。オレも腹減ったし」
昨日の喧嘩での失態はなかったことになっているのかアナスタシアは以前と同じようにハヤに接してきた。
ハヤ達が部屋から出て行った後、ファルコン卿は引き出しから一枚の紙を取り出した。ファルコン卿は人族の領土に多数の部下を配置している。そんな部下から先ほど情報伝達魔法で勇者に関する情報が送られてきた。先ほどの単語もその一部である。しかし、一番の情報はやはりこれだろう。その紙には、先ほど退出した人の顔が描かれていた。
「なぜ勇者があの者とそっくりなんだ?」
ファルコン卿は事実が分かるまで、この情報を自分の胸だけに閉まっておこう、と考えたのだった。
豪勢な朝食を食べ終えた後、ハヤはこれからどうすればいい? とアナスタシアに聞いた。
「では、よろしければわたしが王都をご案内いたいましょうか?」
本当は魔王とデートがしたいアナスタシア。でもそんな事は言えない。なので弟からの助言で案内という形でデートに誘うアナスタシアであったが、そんな事を知らないハヤは、うん、と頷くのだった。
「では、行きましょう」
喜びを全身から滲ませて、アナスタシアはハヤを連れて魔王城を出る。ハヤとアナスタシアは二人だけで外に出た思っているが、実は二人の後ろにはたくさんの護衛がついて来ていたが、二人は気づかない。
しかし、せっかく出てきた王都だったが、勇者復活騒ぎで混乱していた。
「すみません、普段はもっといい意味で活気があるのですが」
「いや、仕方がないよ」
ハヤ達は露店を冷かしながら、王都を回っていたが、何処も勇者騒ぎで商売どころではない店が多かったのだ。
王都を見た感じでは、やはり中世ヨーロッパ時代を感じさせる街並みだった。ただ、街を歩いている人は、人がベースだが尻尾があったり羽根が生えていたりしている人達もいた。そういえばアナスタシアの父親は鱗が生えていたが、アナスタシアにもあるのだろうか? じーとアナスタシアの横顔を見る。視線に気づいた彼女が照れた。可愛いじゃないか、畜生!
「しかし、こうしてみると魔王城って、やっぱでかいけど、なんか変な感じだよな」
王都が見渡せるという高台から、ハキは魔王城を見て改めてそう思う。年代を感じさせるというより城が朽ちた……いや年老いたって感じがするのだ。
そのことをアナスタシアに言うと、彼女は、ああ、と納得顔で頷いた。
「魔王城は生きていますかね。主が不在の間、どんどん老化していって、今の魔王城になったとのことですよ」
「え? 魔王城って生きているの?」
「はい」
こっちの世界では城って生き物なの? とハヤが思っている間にもアナスタシアの説明が続く。どうやらハヤに説明できることが嬉しいらしい。
「魔王城は魔王様がこの世界ではないところから召喚した召喚獣という生物がベースになっていまして、魔王様の魔力でその身体を維持しています。学者の調査では、三百年前ほどから魔王城は休眠状態にはいったらしく今の状態になったとの話でって、どうされました?」
アナスタシアは突然肩を掴まれてびっくりした顔でハヤを見る。そうして周囲に誰もいないことを知った彼女はそっと目を閉じて唇を差し出してみるが、ハヤはそれどころではなかった。
「なあ、今この世界ではないところから召喚したって言ったよな? それって異世界ってことじゃないのか?」
「……ああ、そういえばそういう考え方もできますね」
少し残念に思うアナスタシアだったが、ハヤはそれどころではない。もしかすると帰る手段が見つかるかもしれないからだ。
「なあ、魔王城について、もっと詳しく教えてくれ」
「は、はい、わかりました。何でも魔王城は先ほど申し上げたとおり魔王様が異世界より召喚した召喚獣がベースとなっています。そのため魔王様の魔力で生きています。今は休眠中ですが本来は今とは全く違う形をしていたそうです。わたしも城に飾られている絵画で昔の魔王城を見たことがありますが、今とぜんぜん違う形でした」
「魔王はどうやって魔王城を召喚したんだ?」
「なんでもとあるアーティファクトを用いて召喚したらしいです。伝承では魔王城の玉座に使われているとか」
「その玉座に案内してくれ!」
「残念ですが、今の魔王城は休眠に入ってから内部構造も変化したらしく玉座に行く方法が分からないのです」
「そ、そんな……いや、そうか。ありがとう」
せっかくの手掛かりがどうして、毎回消えてしまうのか……いや魔王城は目の前にある。なら自分で納得行くまで探すのみ、とハヤは心の中で決心した。
その日の晩。
ハヤは今日も早めに休むよ、と言って割り当てられた部屋に夕食が終わるとすぐに戻った。
残念ならがハヤはアナスタシアによって招待されている客分の扱いだが、胡散臭い客としてもマークされている身だ。そのため部屋の外では勝手にハヤが出歩かないように見張りの男がいた。
そのためハヤはシーツをロープ代わりにして、窓から外に出た。実は一度やってみたかったのだ。
隠れながら魔王城の廊下を歩く。電気がないこの世界では、薄暗いランプと星々の明かりぐらいしかないため、少し城内は薄暗いが隠れている身としては都合がよかった。
玉座っていうなら、建物の上のほうか? もしくは中心かな?
手当たり次第に調べていくが、もともと広すぎるうえ、まだ城内について詳しくないこともありそれらしき物はは見つからない。やはりアナスタシアの言ったとおり見つからないのだろうか?
「おい! そこに居るのは誰だ?」
やべ!? 見つかったとばかりにハヤは逃げ出す。しかし、それは不味かった。侵入者だ! と兵士が黒いムチのようなもので攻撃してきたからだ。
「やっべ! これって魔法?」
それは魔力で編んだ束縛用の魔法だったが、ハヤは興味より恐怖が勝った。
必死に逃げて、何とか兵士を撒いたが、逃げる途中で手を何処かで切ったのか、血が流れていた。結構どばどば出ている。いって、と思いながら、血を舐めていると、その血が数滴床に落ちた。
途端、床が壁が脈動し始めた。
なんだ? とハヤが驚く間もないまま、床が物凄い速さで動き出し、ハヤを何処かに連れていく。そして壁にぶつかると思った瞬間、壁が割れ、暗い部屋に放り込まれた。
「どこだ、ここ?」
何も見えない。何も聞こえない。少し埃っぽい。何年も空気を入れ替えていないような埃っぽさだ。
そんなとき、さー、と何かが開く音がした。同時に外から星々の光とランプの明かりが勝手に灯っていく。何年も手入れがされていないようで埃が積もっているが、そこは大きな聖堂だった。巨人が入れそうなほどの高い天井に大きな窓。さっきの音は巨大なカーテンが開く音だったのだ。そんな聖堂の奥に巨大な椅子が見える。それはまるで主の帰還を祝福しているようだった。
ハヤの足は自然とその椅子を目指して歩みを速めていく。
長い間使われてなかったのだろう。随分汚れてしまっているが、これは間違いなく玉座だ。
ハヤは、まるで操られているかのように自然な動作で、その玉座に座ったのだった。