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万穂は朝からハイテンションだった。待ち合わせ場所の駅に、千佳子と一緒に十五分前に到着した。一晴はその二分後に来た。


 千佳子はいつもと変わらぬ無表情だったが、しきりにリュックサックを背負いなおすところを見ると、少しは楽しみにしていてくれていたらしい。千佳子は電車も初めてらしく、駅構内をきょろきょろと見渡していた。特に大きな駅でもないが、それでもこれだけ物珍しそうな反応をするのだから、都会の駅などに行ったら腰を抜かすだろうなと想像して、万穂はにこにことした。


「次の電車だよ」


 電光掲示板を指さして、一晴が言った。千佳子はこくこくと頷く。


「千佳子ちゃん、あんまり表情には出てないけど、もしかして凄く楽しみにしてる?」


「・・・・・・はい。楽しみです」


「ああ、よかったあ。渋々来てくれたんなら申し訳ないと思ってたんだ」


 万穂は言いながら、鞄からお菓子の箱を取り出した。


「今日は色々持って来たんだ。何か食べる?」


 返事を待たずに、一口サイズのチョコを二つずつ配る。「ごみはこっちの袋ね」と抜かりない。ちょうど電車が来たので乗り込む。車内はかなり空いていて、車両の端にちらほらと人が座っているのが見えるだけだ。


 ドアのそば、座席の端に一晴が、その隣に万穂、さらにその隣に千佳子が座った。千佳子は窓に手を当て、流れていく景色に興味津々のようだ。


「ま、万穂ちゃん、あそこ、煙出てるけど、大丈夫なんですか」


「煙? ああ、工場だね。大丈夫、火事じゃないよ」


「あっちの大きな建物は」


「あれは学校だよ。ええと、何大学だっけ」


 千佳子は、座っている座席側の窓だけでなく、向かい側の窓越しにも気になるものを見つけては小声で万穂の肩をつついた。


 千佳子が自分から話しかけてくれるのが嬉しくて、万穂は楽しく見慣れた景色を振り返っていた。やがて、万穂も一晴も見覚えのない地域まで出てくると、今度は万穂も千佳子と一緒になってはしゃぎ、一晴の肩を揺らした。


 目的地に到着し、駅を出ると、三人は並んで新鮮な空気を肺一杯に吸い込んだ。一晴が携帯を操作し、貸自転車屋まで二人を案内する。


「よし、それじゃ、出発しようか」


 見やすい紙の地図も貰い、コースを考える。どうやら小さな池があるようなので、ひとまずはそこを目的地とすることにした。


「車も少ないし、人も少ないし、天気もいいし。うん、サイクリング日和だね、一晴、千佳子ちゃん」


「うん。晴れてよかったよ。じゃ、俺が先導するから、万穂が一番後ろで着いてきてね」


「私が真ん中?」


「そう、千佳子ちゃんが真ん中」


「わかった」


 千佳子も万穂も頷き、一晴が地面を蹴った。左に森、右には広い車道と、頼りないガードレールに危なっかしい崖。下り坂から景気よくスタートした。


 あちこちを見て回りながら、万穂は前を走る千佳子にひっきりなしに質問をぶつけていた。


「千佳子ちゃん、好きなスポーツってある?」


 耳の横を風が通り抜けて、轟々と音を立てるので、大きくはっきり喋らなければ聞こえない。後ろから前へ声を飛ばす万穂ならともかく、千佳子が万穂へ返答するときが大変だ。


 万穂はさきほどからしきりに「え? ごめん、なんて言った?」を繰り返している。三秒に一回くらいのペースだ。


「と、跳び箱!」


 千佳子は目いっぱい叫び、それから楽しそうに笑った。「跳び箱?」と万穂も笑った。


 好きな音楽は。ピアノの音楽。


 趣味は。絵を描くこと。


 特技は。鳥の鳴きまね。


 見たい映画は。映画は見たことない。


 楽しみな行事は。社会見学。


 万穂は聞きたいことをどんどん聞いて、そのたびにケラケラと笑った。


「ま、万穂ちゃんは、どうなんですか」


「え? なんて?」


「万穂ちゃんの、好きな、食べ物とか」


「ご、ごめん。なんて?」


「好きな食べ物はっ?」


「ああ、好きな食べ物。私もオムライスだよ! オムライス! 千佳子ちゃんと一緒!」


 一問一答を繰り返しているうち、一晴が振り返って「池だ。見えてきたよ」と声を上げた。万穂と千佳子は揃って「オオー」と言う。


「ちょうどベンチがある。あそこでちょっと休もうか」一晴がハンドルを切って、木陰に自転車を回した。


 同じように自転車を停めた万穂は、いそいそと鞄を開き、弁当箱を取り出した。


「いい時間だし、お昼にしない? サンドイッチ作って来たからさ。もちろん一晴のもあるよ」


 万穂が三人分の弁当を取り出した。


「俺の分も作ってきてくれるとは言ってたけど、改めて見ると感動するね」


「ふふん、もっと褒めてくれていいんだよ」


 ベンチの真ん中に千佳子を座らせ、その膝に弁当箱を乗せた。木で出来たおしゃれな大きな箱だ。その中に、卵やレタス、フルーツまで、カラフルでつかみやすいサンドイッチが詰め込まれている。


 口が乾燥するでしょ、とペットボトルのお茶まで取り出した。一通り女子力の高さを自慢し終えた万穂は、池の方を見ながら提案した。「この池、あとで一周してみない?」


「うん。いいんじゃないかな。それで、周ってきたら、今度はこっちの道から自転車屋の方に帰ろう」


 一晴が地図を広げて道を指でなぞった。返却時間を考えてもちょうどよさそうだ。確認するために千佳子の方を伺うと、千佳子は元気に首を縦におろした。


 昼食を済ませてから、再び自転車に跨った。一度自転車を降りたためか、先ほどとはまた違った景色に見えて面白い。


 万穂たちの住む家のそばには水辺がないので、出会うもの全てが新鮮で、楽しかった。万穂と千佳子は、このサイクリングだけでよほど打ち解けているようだった。


 太陽が真南から少し西に傾き始めた頃、三人は自転車を返却した。


「明日は筋肉痛だぁ」


 万穂が楽しそうに嘆く。一晴も同調した。最近は運動はしていなかったから、じんわりと心地のよい疲れが襲ってきているのを感じていた。


「残念だけど、もう少し歩くよ」


 サイクリングとは逆の方向へ向かって歩き出した。さすが、若い千佳子は跳ねるように元気に一晴の後ろをつく。万穂はげっそりしながら歩いていた。


「えっ、や、山?」


「大丈夫大丈夫。そんなに高くまで登るわけじゃないから。きっとすぐだよ」


「きっと、ね・・・・・・」


 登山口の入り口で立ち止まった千佳子は、大口をあけて山を見上げていた。駐車場の一角から始まる登山口は、近くに水の流れる地点もあり、どうやら先ほどの池まで続いているようだった。看板を流し読みしながら、一晴は景気よく万穂と千佳子の背中を叩いた。


「この先に行けばいいものが見られるけど、どうする、帰る?」


「い、行く!」


 滝を見に来たこと知っている万穂は、もちろん頷く。千佳子も意を決して頷いた。


 一晴の言う通り、確かに長い道のりではなかった。急な道のりではあったが。一晴は千佳子に手を伸ばしたが、千佳子は「大丈夫だ」と拒否する。代わりに万穂が飛びつき、一晴を杖替わりに歩いた。


「さ、千佳子ちゃん。見えてきたよ」


 雄大な滝が、ゴオオと音を立てながら、まっすぐに落ちていた。木々や岩の隙間を縫って、勢いよく真っすぐに、ちょろちょろと閉まりきっていない水道の蛇口のように、いくつもの箇所から流れ落ちる水は、全て一つに川に合わさり、千佳子たちのいる場所のそばを通ってさらに落ちていった。どこまでも、地球の裏側へまでも落ちていくように見えた。


 千佳子は立ち止まった。口を半開きにし、目は大きく開けて、瞬き一つせず、その滝に見入っていた。


「千佳子ちゃん?」


「山が」水がこぼれるように自然に、千佳子が呟いた。「山が、泣いてるみたい」


 少し間をあけて、「確かに」と呟いた一晴は千佳子の頭に手を置いた。千佳子と一緒に手頃な岩に腰を下ろした。そのすぐ右隣に、万穂も座る。


「ちょっと似てるの。あのときの桜ちゃんに、ちょっとだけ、似てる」


 千佳子はそう言って、一度ゆっくりと瞬きをした。「ちょっと、話、聞いてくれる?」



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