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 なんとか千佳子と仲良くなる方法はないものか。近頃、万穂の頭の中を占めるのは、専らそのことのみであった。


 千佳子の好きな食べ物、オムライス。


 千佳子の好きなスポーツ、分からない。


 千佳子の好きな音楽、それも分からない。


 千佳子の趣味、特技、見たい映画、楽しみな行事、ああ、なにも分からない。


「そりゃそうだよ。これまで一緒に暮らしてきたわけでもないのに、ちょっと一緒に暮らすだけで分かるわけないでしょ」一晴は頬杖をついていた。


 休み時間、「私は千佳子ちゃんのことを何も知らない」とぼやいた万穂に対して言ったのだ。


「でも、知りたいんだよ」


「この先一緒に暮らしてれば嫌でも分かると思うけど」


「そんなに何年もかけてられないって」


「じゃ、直接訊くしかないね」


「そうなんだけどさ、うざがられるのも分かっちゃうしなぁ」


 無理をして今すぐ仲良く、なんて頑張らなくてもいいのだろうが、普通とは少し状況が違う。万穂はそう考えていた。いじめられていたのであろう学校に戻りたがっている千佳子、その心には何かあるはずなのだ。


 それを聞きだし、解決するためには、とにかく仲良くなるしかない。


「万穂は何をそんなに焦ってるの? 大丈夫だよ、千佳子ちゃんはちゃんと素直だし、ゆっくりでも打ち解けられる」


「ゆっくりじゃ駄目なんだよ。今すぐじゃないと、千佳子ちゃんの悩みを聞けるくらい仲良くならないと」


 万穂は早口で言った。


「千佳子ちゃんの方は聞いてほしいなんて思ってないかも」


「思ってなくても、苦しんでるのは確かなんだから!」


 一晴は困惑しているようだった。


 ふと、万穂は、そういう一晴の顔を最近よく見るようになったなと思い出した。万穂が家族の話をすると、一晴はたいていこういう顔をする。


 もしかして、一晴は家族と上手くいっていないのだろうか。


 思考が脇道に逸れたことで、万穂の頭は少し冷え、ふうと一息ついた。二人ともが黙り、休み時間の喧騒がぼんやりと辺りを包んでいた。


「余計なお世話、かもしれないとは、思わないの?」


 沈黙を破り、一晴は静かに言った。


「余計なお世話でもいい。なんなら後で嫌われたっていいよ。千佳子ちゃんを助けられるなら」


「どうしてそこまで・・・・・・」


「家族だもの」


 一晴は息を飲んだ。あ、そうなんだ、零すように呟いた。


 揺らがぬ万穂の強い瞳は、家族への強いを表していた。一晴は、少したじろいでいるようだった。そして、二人をまた、喧騒の静寂が包んだ。


 放課後、「また明日」と挨拶を交わすこともなく、一晴はさらりと教室を出て行った。万穂は少し落ち込んでいた。これまで一晴と口論することなどほとんどなかったのだ。


 喧嘩というほどでもないが、こういう言い合いはやはり気分の良いものではない。


 多少言い合いをしても、いつもどちらかが茶化して、ふざけて、謝り合って、笑い合って、それで終わって来た。


 重い足取りで自転車置き場に行くと、万穂の自転車の横に一晴が立っていた。


「えっ、一晴? 待ってたの?」


「二人で話したくて」


「えっと・・・・・・」


「千佳子ちゃんのこと」


 一晴は頬をかいた。それから、頭をかいて、目を伏せた。一晴にこんな癖あったっけ、万穂は不思議そうに眼を細めた。


 一晴は言った。「万穂がもっと落ち込むと思って言わなかったんだけど」


 万穂は、一晴に先日千佳子と校門前で偶然出会ったときのことを聞かされた。一晴は万穂の話の中とは違う千佳子のこと、恐らく、心を開いてくれているのであろう千佳子の様子を話した。


 そして、少し迷うような素振りを見せたあと、「千佳子ちゃんがいじめられていたのは真実だよ。本人がそう言った」と言った。「千佳子ちゃんは俺を信頼してこれを話してくれたんだろうから、やっぱり万穂にもあまり言いたくはなかったんだけど」と続ける。


 万穂は、二つのことにショックを受けた。


一つは、千佳子が一目みただけの一晴に大切なことを話すほど心を開いたこと。万穂に心を開かなかったのは、出会ったばかりの他人だったからではない。万穂が信頼に値する人間ではなかったからだったのだ。


 もう一つは、千佳子がやはりいじめられていたということ。自身もいじめられた経験があったため、千佳子の心の傷を想像して、顔をしかめた。同時に、それなのになぜ前の学校に帰りたがっているのか、ますます分からなくなった。


「さっきの休み時間、迷ってたんだ。これを話そうか、話すまいか。万穂が落ち込むだろうし、千佳子ちゃんの気持ちを踏みにじることにもなるし」


「どうして話してくれたの?」


「万穂の家族だもの」


 一晴は、休み時間の万穂の言葉を繰り返した。それは、咄嗟に万穂の口から突いて出た言葉だったが、一晴がいうと重く返って来たように感じられた。


「協力するよ」


「え?」


「千佳子ちゃんの心を開こう大作戦」一晴は、にこりと笑った。万穂は、一晴の笑顔を今日初めて見たような気がした。「俺も、千佳子ちゃんを助けたいからね」



 万穂と一晴は何度か相談し、千佳子の心を開こう大作戦その一は「一緒にサイクリングをする」に決定した。自然豊かな所へ行き、自転車を借りて、爽やかな風を浴びる。ついでに、近くの滝まで足を伸ばし、パワーを貰って帰る。大まかな流れしか決まっていないが、なかなかいい計画だと二人で頷き合った。


 翌朝、いつも通りに校門前で一晴と並んだ万穂は、爛々と瞳を輝かせ、ピースを作った左腕を伸ばした。

「千佳子ちゃんが、誘いに乗ってくれました! イエイ!」


 それを見て一晴は安心したように、息をつきながら微笑んだ。


「あ、あのさ、一晴。ところで、なんだけど」


「ん?」


 万穂は自転車の鍵を抜き取った。


「千佳子ちゃんと遊びに行く日、バイト休ませちゃうじゃん? それに、今までのデートと比べても、どうしても、出費がかさむと思うし」


「うん、そうだね」


「その、大丈夫なのって訊くのは、おかしいけどさ。付き合うときに約束したじゃん、安上がりなお付き合いをしましょうって」


「うん。もちろん、その条件は変わってないよ。だから、そうだなあ、向こう半年は、映画もご飯も無し、ってどう?」


「えっ」


 それは辛いかもしれない、万穂はぼんやり思う。いや、お金を使わないデートを考えるのも楽しい、かもしれない。


「あ、でも、じゃ、とりあえず半年は絶対に別れないって安心していいってことだよね?」


「ふふ。万穂のそういうポジティブなところは嫌いじゃな・・・・・・いや、好きだよ」


 ああ、と万穂は思わず声を出した。「私、一晴のそういうところ、ずるいと思うよ」


 一晴は、今度は声を出して笑った。



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