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 その三日後のことだ。


 放課後、校門を出た一晴は、いつも通り駅に向かおうとしていた。しかし、校門付近に少女が一人佇んでいるところ見て足を止める。誰かの妹、とかだろうか。高校生が話しかけたら不審者の扱いになるのだろうか。


 一晴はもともと子供は苦手だったが、その少女とは話せるような気がした。それに、少女はじっとこちらを見つめてきていた。


「ねえ君、お兄さんかお姉さんか、待ってるの?」


「お姉ちゃん、だと思う」


「思う?」


 かわいらしい声で少女は答えた。とにかく、「あっちいけ」とか「不審者」とか言われなくて良かったと思いながら、一晴はかがんで少女と目線を合わせてみる。


「お兄さん」


 少女は一晴の顔をまじまじと見た。そして、驚いたように「万穂ちゃんの生徒手帳の中の人だ」


 その言葉で一晴はピンときた。この少女は、万穂の妹「千佳子ちゃん」なのだろう。


 万穂は確か一晴と二人で撮った写真を生徒手帳に挟んでいたはずだ。まさか妹に自慢しているとは知らなかったが。


「すごい。本物だ」


「実在しないと思ってたんだ?」


 話しながら、一晴は首を捻った。万穂がいうほど硬く心を閉ざしているようには見えないのだ。今も、キラキラと瞳を輝かせている。


 万穂から見れば、これは心を開いていないという表情に入るのだろうか。


「お兄さんはなんか不思議」


「ん? どの辺が?」


「私、この町に来てから初めてだよ、こんなに喋れるの」


 いつも喉のところで言葉がつっかえるから、と千佳子は言った。一晴は千佳子の頭に手を乗せた。


「それは嬉しいな。俺も初めてだよ、小さい子とこんなに喋れたの」


「私、小さくないよ。もう四年生だから」


「へえ、四年生」


 一晴は千佳子に笑いかけた。そして、携帯で万穂の番号を呼び出す。


「万穂に用事があったなら、電話でもする?」


 千佳子は頷き、携帯に指をかけた。


「もしもし? えっ、あ、いや、校門でお兄さんに会って。だから」


 一晴の電話から妹の声が聞こえてくるので、きっと電話の向こうで万穂は戸惑っているだろう。自分で電話をしてから千佳子に代われば良かったかなと少し後悔した。


 千佳子は万穂と少し話をしたあと、顔を上げた。眉を下げて、一晴を見る。


「万穂ちゃん、今家にいるんだって」


 すれ違ったみたい、と声を落とす。


 そういえば、駐輪場から近い門はここではなかったと一晴は思い出す。


 千佳子から通話が繋がったままの携帯を受け取った。


「もしもし、万穂? 電話代わったよ」


「あ、一晴? びっくりしたぁ、一晴の番号から千佳子ちゃんの声が聞こえてくるんだもん」


「驚かせてごめん。たまたま会ってさ」


 万穂は、「んー」と唸ってから「千佳子ちゃんと今一緒にいるんだよね。私、今からダッシュで迎えに行くからさ、出来たらもう少し一緒にいてほしいんだけど」


「なんなら俺が家まで一緒に帰るよ」


「えっ、悪いよ。これからバイトでしょ?」


「今日はまだ時間があるから」


 万穂はまだ渋っていたが、一晴は「千佳子ちゃんと話したいんだ」と説得する。分かった、という返事を聞いた一晴は思わず千佳子に笑いかけた。キョトンとした顔の千佳子も、つられたのか笑い返す。


 電話を切って、一晴は千佳子の頭をもう一度撫でた。


「万穂には家で待っていてもらって、俺と一緒に帰ろう。と言っても、道をよく覚えていないんだ。案内してくれる?」


「うん」


 千佳子は楽しそうに頷いた。


「ここまでけっこう距離があるよね。歩いてきたの?」


「うん」


 一晴は目元も口元も緩ませながら、千佳子と歩いた。千佳子は思ったよりも歩くのが速く、はじめは千佳子に合わせようとゆっくりとしたペースで歩いていた一晴だったが、すぐに普段通りのペースで歩いても問題はないと分かった。


 もしかしたら自分の歩くのが遅いのかもしれない、ふと一晴は心配になった。


「お兄さん、名前はなんていうんだっけ」


「俺は一晴。つざか、かずはる」


「かずはる」


 千佳子は言葉を口の中で遊んでから、「私は千佳子だよ。今は、西住千佳子。昔は、島田千佳子」


「万穂からよく話を聞くよ」


「そうなの」


「最近の万穂は君の話しかしないね。オムライスが好きなんだって?」


「そんなことも話すの」


「君のことなら何でも知ってるよ」


一晴が冗談めかして言うと、千佳子は声を出して笑った。


「私にお兄ちゃんがいたら、こんな感じなのかなあ」


「ん、もしかして、お姉ちゃんじゃなくて、お兄ちゃんが欲しかったの?」


「ううん。私本当は、お兄ちゃん、いるの」


「え?」


 千佳子は、幼いときに施設に遊びにきた一人の女性の話をした。とても痩せていて、黒い髪で、私を抱きしめて泣くのに私の母親ではないという。そして、それが目的ではなかったにせよ、兄のことを教えてくれた女性。


「訊いたら、『私のお兄ちゃんのお母さん』なんだって。それでね、教えてくれたの。私のお兄ちゃんは『かなめくん』っていうんだよ」


「かなめくん」


 一晴は口の中でその名前を復唱した。


「だから、私、里子に出されるって聞いたとき、私を引き取るのは絶対かなめくんのお母さんだと思ったの。私のお兄ちゃんのお母さん。結局違ったんだけどね。でも、私、いつか、かなめくんに会いに行くのが夢なの。かなめくんに会って、かなめくんのお母さんにも会いに行くの」


 ふふふと楽しそうに笑った。一晴は少し眉を下げて、千佳子を撫でたきり、何も言わなかった。


 千佳子は急に足を止めた。千佳子を追い抜かしてしまった一晴は慌てて止まって後ずさりをした。千佳子に並ぶと、「どうした?」と声をかける。


 千佳子は俯いていた。右の手が服の裾を強く握りしめ、震えている。それでも、口元をひくつかせながら笑顔を見せた。


「私、いじめられてたの」


 一晴は虚をつかれたようだった。万穂から話を聞いたとき、どうやらいじめを受けていたらしいということは聞いたが、それ以上の推測も、もちろん真実も知らなかった。


 本当にそうだったのか、と一晴は思った。同時に、なぜ突然、出会ったばかりの男にそんな話をするのかと驚いた。そのことは、万穂にだって話していないはずだ。


「でも、私、あの場所に戻らなくちゃいけないの」


「どうして?」


 一晴は一度唇を舐めた。千佳子の方は二度瞬きをする。


「あの町にやり残したことがあるの。まだここに来たらいけないの」


 千佳子の奥に、沈みかけの夕日が見えた。空全部を照らし出し、雲を押しのけて、強く光っている。千佳子の瞳の中も同じ色をしていた。同じ色が揺れていた。


 そして一晴は逡巡した。その色は、以前どこかで見たことがあるような気がした。



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