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 試写会当日はよく晴れた。デートは屋内だったが、どうせなら晴れている方が気分もいい。傘を持ったりしなくてもいい。


 一晴と乗換の多い大きな駅で待ち合わせ、二人で別の路線に乗った。


 「楽しみだ」と言った当たり障りのない会話から始め、話題は好きな教科、教師、そんなところに発展する。あの教師は、あの授業のときにあんなことを言っていて――ときおり二人で吹き出した。気分が高揚している。


 周りの人に合わせて劇場へ入っていく。


 映画は予告通り、学校を舞台にした青春物語のようだった。思っていたより恋愛要素は少なかったが、主人公の成長と登場人物が魅力的で、楽しく見ることが出来た。


 隣で一晴がたまにしかめっ面をしているのが分かった。どうやら恥ずかしいらしい。


 映画のあと、立ち寄ったカフェで万穂がその話をすると、一晴がそっぽを向いた。


「見てはいけないものを見てる気がしてくるんだ。罪悪感じゃないけど、なんていうんだろ」


「でも、分かるかもしれない。凄くラブラブなカップルのメールをハッキングして盗み見してる気持ちになるんだね」


「映画の中の彼らにとって俺たちはどういう存在なんだろう」


「ああ、一晴が深いことを考え始めてる。フィクションなんだから、気にしなくていいんだよ、そんなこと。もしかしたら私たちだって今誰かに見られてるかもしれないよ」


「それは、いや、とても恥ずかしい」


 一晴はかちゃかちゃと音を立てて、コップの水を揺らした。中でガラスと氷がぶつかっていたのだ。昼食にと頼んだスパゲティは平らげている。


「あー、面白かったなあ。そういえばさ、映画の中で「ゆうやけこやけ」が流れてたじゃん。あれ、私は凄く懐かしかったなあ」


「有名だから知ってるけど、俺はその歌に思い出とかはないな。でも、昔は公園とかで流れたんだっけ。『家に帰る時間です』みたいな」


「私は昔いた施設で流れてたんだ。学校から帰ってきてしばらくは自由時間なんだけど、ご飯の前に宿題をする時間があってね、その合図に」


「へえ」


 一晴は納得したように言いながらも、キョトンとした顔をしていた。万穂は皿の上のカルボナーラを最後の一口と巻き取ると、「どうかした?」と訊いた。それから、口に含む。


「万穂が施設の頃の話をするの、珍しいなと思って」


「あー、なんか、思い出しちゃってさ。映画の最初、主人公がクラスで浮いてたでしょ? 私、昔学校でいじめられてて、それでお母さんに引き取られたんだよ」


「初耳。そうだったんだ。ああ、施設にいる子はおいそれと転校できないから」


「たぶん、千佳子ちゃんもそうだと思うんだよね」


「万穂は、大丈夫だったの? そのいじめ。思い出したくないなら話変えるけど」


「大丈夫じゃない一歩手前くらいのところで助けられたんだよ、私。お母さんが来るのがあと一か月遅かったら死んでたんじゃないかな」


 かちん、と一晴の頬が硬くなった。目が伏せがちになる。固まったまま、水を一口飲んだ。


「やだなぁ、なんだかんだ今はちゃんと生きててちゃんと元気なんだから、そんなにショック受けないでよ」


 一晴は答えずに、もう一口水を含んだ。万穂も同じように水を飲み込むと、「でさ」と話しを変える。

「千佳子ちゃんさ、なかなか慣れないみたい」


「ああ、それはまあ、仕方ないね。気長に待つしかない」


「うん。でも、何か悩んでいるみたいで。なんかね、なんとなく、なんだけど、前の学校に戻りたがってるみたいなの」


「前の学校? でも、万穂が言うには、たぶんその子」


「いじめられてた、んだと思うんだけど。一度お母さんに訊いてみようって思いつつ、なんとなくタイミングが掴めなくて」


「妹に直接訊いてみたの? 前の学校について」


「ううん。さすがにそれは出来ないよ。本当にいじめられてたんなら、思い出したくないでしょ」


 千佳子に学校は楽しいかと尋ねたら、答えはYESと返って来た。もちろんだと。家にいるのは居心地が悪いかと訊いたら、そんなことはないと返って来た。


 困ったことはないかと訊いたら、少しだけ時間をかけて、ないと言われた。


「何があるのかなあ。私どうすればいいかな」


「二人には共通の話題があるでしょ」


「共通の話題?」


「万穂のいた施設のはなし」


「ああ! 美咲さんのことに、『ゆうやけこやけ』!」


 万穂は楽しそうに手を叩いた。昔のことでも、楽しい話をすればいいのだ。万穂は口元を緩めた。


 一晴が手洗いに席を立って、その後二人で会計を済ませると、時刻は一時頃になっていた。


「帰ったら話してみようかな。あ、本屋寄っていい?」


「ああ、いいよ」


 二人で次の目的地へと歩き出すと、万穂がふいに鼻歌を口ずさみ始めた。「ゆうやけこやけで日が暮れて」楽しそうだ。


「やーまのお寺の鐘がなる」


 一晴が小声で続ける。ショッピングモール特有の、黄色いような青いような籠もった空気が少しカラッとひんやりした。


 書店に入っても、しばらくは童謡談義で盛り上がった。万穂は今日が新刊の発売日なのだと言って少女漫画を手に取る。それを見た一晴の表情は、食卓に臭いものを出されたようにしかめられて、万穂はまた笑った。


「おーててつないでみなかえろう・・・・・・」


 万穂は少女漫画の裏を手でなぞりながら、歌詞を文字にして呟いた。一晴が見ると、万穂の瞳は暗く沈んでいるように見えた。


「千佳子ちゃんさぁ、もっと家族に頼ってくれてもいいのになぁ」


「万穂は礼美さんとの相性が合ってたからそう言えるだけなんじゃないの。そんなにすぐに心開けないでしょ」


 俺はむしろ、すぐに打ち解けられない万穂の妹の気持ちの方が分かるけど、と一晴は続ける。


「えっ、なんで?」


「俺は家族に相談したくないタイプだったから」


「え? それはなんで?」


「それこそ相性の問題とか、まあ色々あるよ。そんなに驚くほど珍しくないよ、そういうこと」


「だって家族いるんだよ。ゆうやけこやけで帰る家があるんだよ」


 一晴は口元だけ笑った。目つきは鋭く、しかし眉は下がっていた。複雑な表情だ。


「帰る家があっても、帰る場所があるとは限らないんだ。万穂には分かりにくいのかもしれないけど」


「うん、分かんないよ。一晴なに言ってるの?」


 万穂は一人、戸惑いを超えて泣きそうな顔になった。万穂が理解できないのも無理はない。家族がいなかった万穂にとって、今いる家族は何ものにも代えられない宝のようなものなのだ。それが最高の、至上のものなのだ。しかも、万穂は施設にいた頃から同居人を兄弟とし、職員を母とした。家族だった。なんでも相談できた。


 その経験が今の万穂を作っている。その経験こそが万穂の常識になっている。


 一晴にもそれが分かった。


 だからそれ以上、口は出さなかった。


「要は人それぞれってこと。それより、その漫画の表紙、ちょっと胸やけするから裏を向けておいてくれると、ありがたいんだけど」


「え? ぷっ、あはは! 一晴やっぱり苦手なんだね。次はアクション映画見に行く?」


「それもいいね」


 一晴はまた笑ったように見えたが、複雑な表情は隠しきれていなかった。


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