4
「えっ、いいの? すっごく恋愛するよ、キュンキュンするよ」
休み時間。万穂がそういったのは、一晴が「これが当たったんだ」と試写会のパンフレットを見せてきたからだった。一晴との前回のデートで予告を見たときからずっと気になっていた映画だったが、若者向けの恋愛映画だったので一晴は苦手だろうと思っていたのだ。
まさか応募して、当選していたとは露ほども思っていなかった。
二人とも映画を見ることが好きだったが、胸やけがするから、と恋愛映画を苦手とする一晴と相談し、普段は洋画やアクション、ミステリーなどのジャンルを渡り歩いていた。そのため万穂は、友達を誰か誘って、公開日を待つ予定だった。
「俺、恋愛映画の練習したんだよ。万穂と見たいと思ってさ。・・・・・・もしかして、誰かと行く予定あった?」
「ない!」
一晴が少し遠慮がちな素振りを見せたので、慌てて否定した。少し声が大きくなる。
「それなら、よかったけど」
「友達はこれから誘おうと思ってた。本当に本当にいいの? えへへへ」
万穂が目を輝かせると、一晴はようやく笑顔を見せた。
「あ、そうそう、聞いてほしいことがあって」
万穂は身を乗り出し、一晴に近付いた。そうして話し始めたのは、もうすぐ家にやってくる妹、千佳子のことだった。
「へえ、妹」
「そうなの。どんな子かなあ」
「早く万穂の家に馴染めるといいね」
「うん!」
万穂はとびっきりの笑顔で頷き、いそいそと次の授業の準備を始めた。
千佳子と対面する当日、万穂は放課後、礼美と一緒に施設へ向かった。千佳子に会ったときの第一印象は、「凄く暗い表情」だった。新しい家族の元へ行くから緊張している、漠然とした不安を抱えている、というよりも、心配で心配でたまらない具体的な事案があるといった感じだ。
万穂は「何か困りごとでも?」と聞きたくなったが、それをするのはもう少し仲良くなってからにしようと思い、その気持ちは心の内に留めていた。
「千佳子ちゃん、私は万穂。西住万穂って言って、これから千佳子ちゃんのお姉ちゃんになります。でも、私も昔はこの施設にいたから、もともと千佳子ちゃんのお姉ちゃんみたいなものなんだけどね」
万穂は、家で考えてきた挨拶をして、千佳子に笑いかけた。千佳子はこくんと頷いて、「島田千佳子です。これからお世話になります」と定型文のような挨拶をした。
万穂の半分くらいしかない背丈の千佳子は、毎日必死に日焼け止めを塗る万穂より肌が白く、栗色の髪の毛を耳の下で二つに結んでいた。目のくりくりとした可愛い少女だ。万穂は最近訪れたカフェの看板メニューであったモンブランを想像した。
千佳子は礼美の方も見て、同じように「千佳子です。お願いします」と言った。声も可愛らしい。
礼美が美咲さんや施設長たちと話している間、万穂もかつての兄弟たちと談笑していた。久しぶりの再会に話が弾む。
そんな様子を見ていた千佳子は、ようやく「万穂も昔この施設にいた」ということが真実だと信じたようだった。
「さあ、そろそろ行きましょう。千佳子も、もう一生会えないって訳じゃないけど、最後に挨拶していく?」
千佳子が頷き、一人の少しふくよかな女の子に近付いていった。一番の仲良しなのだろう。女の子は、目に涙をいっぱい溜めながら、千佳子に赤い箱を渡した。千佳子も交換するように、女の子に青い箱を渡した。
本人たちだけの思い出や気持ちがたくさん詰まっているのだろう。千佳子は施設の兄弟たちに大きく手を振った。千佳子と箱を交換した女の子はついに涙を零した。千佳子はついに、笑顔も涙も見せることはなかった。
車の中で、礼美はハンドルを切りながら「今日の夕飯はオムライスよ」と切り出した。千佳子の好物だということを施設から聞いていたのだ。
「施設の味とは少し違うけど、美味しく作るわね」
礼美がバックミラーごしに後部座席に座る千佳子を見て、ウインクを飛ばした。千佳子は絞り出すように「ありがとうございます」と言った。すかさず、横から私が「お母さんに気遣いなんていらないからね。もっと図々しくしていいんだから」
「あーあ、万穂は図々しすぎて嬉しいわ」
「えへへ」
「千佳子、無理しなくてもいいからね。万穂も最初は縮こまってたけど、今じゃ『オムライスがまずかったらお母さんの誕生日プレゼントはグレードダウンだからね』とか生意気なことを言うようになっちゃったんだから」
千佳子は私たちの会話が止まると、「ありがとうございます。がんばります」とだけ言った。だから頑張らなくてもいいんだよ、と万穂は言いかけたが、まあ仕方ないか、と言いかけた言葉を飲み込む。
これからゆっくり慣れていこう、という考えとは裏腹に、はやく仲良くなりたいな、と胸の高鳴りを抑えきれず、わくわくしていた。
家に帰ると、万穂はさっそく千佳子に部屋を案内した。
「ここが千佳子の部屋だよ。ね、ちょっと広く感じない? 施設のときは兄弟たちが同じ部屋だったから」
言ってしまってから、万穂は口を抑えた。経験からすると、新しい家に来たばかりのときに施設の話を出すのはNGだ。寂しくなってしまう。
「あのね、寂しくなったときは、ここの引き戸を開けると――じゃーん、私が出てくるよ」
引き戸を開け、自分の部屋を見せる。シンプルだが、小物などにはけっこう凝っているお気に入りの部屋だ。今は少し、散らかっているが。
「今日は初めてだし一緒に寝る? というか私が一緒に寝たい! 駄目かな?」
万穂は千佳子用のベッドを見た。一人で寝るには少し大きい。もちろん、万穂の部屋のベッドも少し大きい。
そういえば、万穂はようやく気付いた。千佳子は、この家に来て「お邪魔します」と言ったきり一言も喋っていない。万穂の言葉に頷いたりなどの反応も見られなかった。
本当に、緊張とかそういうことなのだろうか。万穂は不思議に思って、とにかく千佳子の額に手を当ててみた。熱はなさそうだ。
「千佳子ちゃん、どこか具合悪い? 大丈夫?」
「大丈夫です」
ようやく口を開いた千佳子は、ゆっくりと頷いた。万穂は気を取り直して「それじゃ、荷解きしよっか」と言う。千佳子の荷物は、段ボールを予め届けておき、残りを今日、旅行バッグで持ってきていた。
万穂は、下の階から鋏を持ってきて、段ボールの封を丁寧に開けた。ビッと音がして段ボールが開く。中からは教科書類が出てきた。
「これは机のところでいい?」
万穂が訊くと、千穂は「自分でやれますから」と万穂を押しのけた。
「あ、そうだよね、見られたくないものもあるよね」
と万穂はしょげる。自室に戻って、仕切りとなる引き戸をトンと閉めた。仲良くなりたいという気持ちが先走りすぎているようだ。
小学四年生、小学四年生の私はどんな感じだったっけ。万穂は想像する。考えれば考えるほど分からないし、これからも千佳子のことを子ども扱いしてしまいそうで不安になった。
生まれたときから一緒にいれば、成長を見ているだけあってどう接していいかも分かるだろうに。万穂はため息をついた。