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26(終)



私にはお母さんが三人いる。血の繋がったお母さんが一人と、血の繋がっていないお母さんが二人だ。血の繋がったお母さんとは会ったことはない。会いたいとも思わない。


右手が大きな温もりに包まれていた。礼美さんがいた。左手も大きな温もりに包まれていた。京子さんがいた。私の両隣には、大好きなお母さんが二人並んで歩いていた。私は幸せだった。


私たちは、手を繋いで並びながら、河川敷を歩いていた。ここは浅戸川と言った。私のお兄ちゃんが死んだ場所だった。


「ここにお花を供えようと思って、持ってきたの」


「ずっと大事そうに箱を抱えてるから中身が気になっていたの。そういうわけだったのね」


「花屋さんで買って来たの?」


「万穂ちゃんが買って来てくれたの。大きな花束」


そう言ってから私は、鞄から花束を取り出した。


わっと白く小さな花が溢れてくる。鈴蘭の花であった。


「万穂ちゃんが選んで来てくれたのね。素敵な花」


春から夏が始まるまでのこの季節に咲くのだ、と万穂ちゃんが言っていたことを思い出した。


「あのねお母さん」私は言った。二人のお母さんは少し顔を見合わせたあと、「なぁに?」と声を揃えた。


「鈴蘭の花言葉、知ってる?」


「え? なんだったかしら」


礼美さんは首を傾げて、曖昧に笑った。


二人とも知らなかったので、私は得意になって鼻を鳴らした。


「ふふん、あのね、万穂ちゃんが教えてくれたんだけどね」


私は万穂ちゃんのことを思い出しながら、一言ずつ、ゆっくりと指を折った。


『純潔』。『純粋』。『謙遜』。


『幸せの再来』。


私はすんと鈴蘭の匂いを嗅いだ。けれども、夏の匂いにかき消されて、よく分からなかった。


____________


 頭上をカラスが飛んでいた。カラスは電線と並行に飛んだ。俺は電線と並行に走っていたので、カラスは俺とも並行に飛んだ。


 もし、要が生きていたならば。そうしたらまだ、「雀になりたい」と言っているのだろうか。


 今なら、「大きくて目立つ」とカラスを拒否した要の気持ちが分かる気がした。


 頭上のカラスが大きく鳴いて威嚇した。心の中で拒否したことを察したのかもしれない。


 俺が気付いた時には、自転車に乗って動く的であったにも関わらず、俺の肩には大きなフンが一つ、つけられていた。


 途端に、腹の奥からムズムズするような笑いが込み上げてきた。一度吹き出してしまえば、もう止まらない。


「うわっはっはっはっは!」


 大笑いしながら、必死にペダルを漕いだ。たまに漕ぐ足を止めても、自転車はそのまま走り続けた。何度も、思わず万歳をしそうになる衝動を抑えた。


 明るく楽しく元気に、というのは、想像以上に難しかった。要のように生きることよりずっと。しかし、明るく楽しく元気に、と生きることは、想像以上に幸せなことだった。


 愉快だった。どこへ行こうかと考えた。どこへでも行けるだろうと思った。


 要は最後まで知らなかっただろうが、雀は、留鳥でありながら、夏になれば北へ、冬になれば南へと移動する。国境を超えるものもいる。案外遠くまで、どこへでも飛んで行けるのだ。命と時間さえあるならば。


 俺は、自転車に乗って長い坂を登った。少し上に、もう葉桜に変わってしまった枝垂桜が咲いている。どこからか微かに蝉の声が聞こえた。


 額にじんわり汗をかきながら、ずいぶん久しぶりに夏を迎えたような気がした。



__________________



一晴の中で、何かが吹っ切れたようだった。


つるむ友人は変わっていないが、口調も乱暴になったし、すぐに怒るようになったし、髪の毛で遊ぶし、たまに喧嘩をすることもあるようだ。


「津坂がグレた」と、学年中が騒然としたが、皆すぐに慣れた。今の一晴の方が良いという人も、少なくなかった。


一晴は見た目も中身も乱暴で、まるで不良のようだったが、いつも笑った。よく笑った。とても笑った。以前とは全く違って、腹の底から、心の底から、本気で笑った。


私は、そんな一晴がやっぱり好きだった。


「かず、……津坂くん」


帰り道、駅へ向かって歩く一晴に駆け寄った。


一晴は黙って振り向いた。「どうかしたの、万穂」という優しい一晴の声が聞こえた気がしたが、すぐにそれを振り払った。そんな優しいことをいう一晴は一晴ではない。


「妹がさ、津坂くんと遊びたいって言うの。今度、家に来ない? 自転車とかで」


「俺と西住の家、何駅離れてると思ってんの? 自転車は流石に無理があるだろ」


「自転車が無理ってだけで、じゃあ、来てくれるってことだよね? やったあ!」


一晴は少し黙った。少し黙って、少しだけ笑顔になって、また口を開いた。


「前から思ってたけど、俺、お前のそういうポジティブなところは嫌いじゃね……いや、まあ、けっこう好き」


聞き覚えのある台詞にドキッとした。顔が暑いのは、夏が近いからだろうか。


「私は、津坂君のそういうところ、ずるいと思うよ」


一晴は、今度は声を出して笑った。


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