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「受け取って」


 それは、事務的な茶封筒だった。宛名も、差出人も、何も書いていない。京子が小さな声で「要の遺書よ」と言った。


 遺書。


 その響きに、一晴は反射的に封を開けていた。もちろん、糊付けなどはされていなかった。


 紙は、学校の宿題だった絵日記のプリントだった。その裏に、殴り書きのボールぺンでたくさんの文字が書かれていた。


 さっさと遺書を読んでしまうのがためらわれて、先に絵日記の方を読んだ。幼き日、一晴と自転車に乗って遊んだ思い出が書かれていた。文章の最後には、大きな花マルがつけられていた。


「俺、実はさ、人生にはとっくに絶望してたんだ。母さんは家ではずっとヒステリーで酒飲んで暴れるし、父さんは、なんか知らない女に苦しめられてるみたいでさ。しんどくて、めんどくさくて、幸せなフリすんの、もうつかれてさ。


 でも、俺、一晴と遊ぶのだけは好きなんだ。いつも楽しかったんだ。こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、『一晴よりはマシな家』って思って頑張ってたんだ。


 だから、俺、俺をいじめるだけで一晴の人生がだめになるの、いやなんだよ。俺が死ねば、一晴はいじめから解放されるでしょ。


 俺の友達は世界で一晴ただ一人で、俺の理解者も、一晴ただ一人なんだ。


 一晴が明るく楽しく元気に生きていればいい。一晴は、本当は本当に凄い奴なんだよ。生きてるだけで、何百人も何千人も、何億人でも救うことが出来るんだよ。そのために俺の命が使われるんなら、こんなに嬉しいことってないね。


 頭がおかしくなったと思った? 間違ってないと思うよ。


 でも、言ってることとやってることが違うって怒られそうだけど、やっぱり、人は明るく楽しく元気に、死ぬまでは生きるべきだと思うね、俺は」


 文末には、『遺書』という文字の代わりに『親愛なる友へ』という文字が書かれていた。広瀬要、という主張の薄い文字がおまけのようにつけたされている。


 一晴は、わなわなと震えた。泣きそうになっているのではない。怒りに震えているのだ。


「これは、俺宛てに書かれた物ですね」


「そうね」


「俺が頂いていいんですね」


「もちろん」


 一晴は、その言葉を確認すると立ち上がる。ガタンと音がし、椅子が傾いた。倒れそうな角度まで傾いて、帰ってくる。一晴は要のいるところまでずんずんと歩いていった。


 そして、見せつけるように遺書を引き裂く。


「馬鹿野郎!」


 オマエがいなくて、何が明るく楽しく元気に、だよ。適当なこと言ってんじゃねえぞ。あれだけ酷いことされてなんで怒らねえんだよ恨まねえんだよ憎まねえんだよ。俺のためとか抜かしてんじゃねえ。俺のためじゃなくて、俺のせいなんだよ。お前は俺が殺したんだ。俺のせいだろ俺がいたから俺の。


 もう文字の一つも読めないくらい小さくなった遺書を、まとめて仏壇に投げつけた。うまく当たりはせず、ひらひら足元に散らばった。裏返った花マルの残骸が靴下の上に乗った。


「俺には未来がある。健康な体と、正常な頭がある」


一晴はすとんと地面に落ちた。体操座りとあぐらを合わせたような、崩した態勢で、手はやはりだらんとぶら下げている。「すべて、お前が俺にくれたもんだ」


 それで、と続けた。奥歯に挟まっているタマネギを舌で押しやり、飲みこんだ。


「俺はお前のように生きるのをやめる。間違っているか正しいか分からないが、でもやめる。罪の意識をもって生きるのもやめる。俺が背負うのは、罪の意識じゃなくて、お前の言葉だ」


 一晴は笑った。ギョッとする京子に今度は気付いていたが、見ないフリをした。


「俺は生きるよ。お前の言葉と、お前と一緒に。俺、殺人者だけど、生きて、何億人でも救ってやるよ」


 明るい声で宣言した。最後に、仏壇に備え付けてある鈴を一度叩いた。以上、そういう意味だった。


 一晴は後ろで固まったままの京子に向き直り、ゆっくりと頭を下げた。いわゆる、土下座である。


「あなたの大切な、本当に大切な息子さんの命を奪ってしまい、本当に申し訳ありませんでした。俺、こんなんで償いになるとはもちろん思ってないけど、一生かけて、要の言葉の通りに生きていこうと思います」


「要の言葉のままに。明るく楽しく元気に、ね」


 二人は笑った。



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