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「俺に話せることなんて無いと思うけど」


 目の前の男の人は、茶色のソファに浅く腰かけて、緩く足を組んでいた。


「そんなことないと思います。実際、知ってるんじゃないですか。その、犯人の、名前、とか」万穂は、一番のおすすめだとメニューに載っていたコーヒーに口をつけた。


「知ってどうするわけ? 復讐でもするの? 見ず知らずの他人のために?」


「他人じゃないんです。私の妹の、お兄ちゃんで」


「は?」


「義理の妹の、実の兄なんです」


「誰が」


「要くんが」


 先日、広瀬京子と会った運動会の帰り、一人の男の子に出会った。万穂たちより一つ年下で、広瀬の家の近くに住んでいたということだった。


 万穂は詳しい話を聞くために、それも、千佳子のいないところで話を聞くために、無理を言って連絡先を交換し、さらに無理を言って今日、この場所に呼び出した。


「分かった。まず犯人だけど。まあ、ネットにもけっこう載ってるよ」


 その人はそう言って、携帯の画面を見せた。ブログだった。どうやらニュースなどの報道を元に独自の調査をしたらしい。


「どうやって調べたのか知らないけど、ここに書いてあることは全部事実だよ」


 万穂は頷いて、神妙な手つきでスクロールをする。おおむね予想通りのことが書いてあったが、ある一つの文章を通り過ぎたときにパッと指を止めた。少し前に戻り、そこから読み直す。


「え・・・・・・?」


「どうかした?」


「あの、これも、全部本当のことなの」


「犯人の名前でしょ? うん。間違いないけど」


「うそ」


「何が?」


「うそでしょ」


 万穂は首を横に振って、目は見開き、少しだけ口角を上げた。泣きそうになっているのを必死に誤魔化した。どこを見ればいいのか分からなくて、窓の外に目を向けた。


 目を向けて、今度は叫び声をあげそうになった。


 窓の外。道路がある。車が通り、自転車や人も通る。近くの信号がちょうど赤になった。その道路の向こうを見る。喫茶店がある。少し高そうな店。ガラス張りの店。よく目を凝らす。人がいる。見覚えのある背格好。津坂一晴がいる。その向かい側にも誰か座っている。


 知らない、女の人だった。


「待って、待ってよ」


 万穂は左手で顔の左側を押さえた。俯く。泣きそうだ。


 浮気、と、いうことだろう。やっぱり。なぜなら、一晴があんなに高そうな店に入るはずないからだ。いつも節約をしていて、食事のときも出来るだけ安く多く食べられそうな店を選んでいた。


 なるほど、万穂とのデートでお金を使おうとしないのは、あの女性と会うためだったというわけだ。


 窓の向こう、道路の向こう、そのまた窓の向こうの一晴がこちらを向いた。一晴の方も驚いたのか、目を開いて顎を突き出すようにこちらを見る。それから、すぐに目をそらす。


 その一晴の行動で、万穂は絶望した。


 確かに、告白したのは自分からだった。でも、付き合っているうちに一晴の方も自分を好きになってくれたと信じていた。それは間違いだった。


 万穂の心は、これ以上物事を受け入れられないようだった。ぼうっとテーブルの上の水が入ったグラスを見つめる。グラスに映った自分の姿が毎秒違う形に歪んだ。


「万穂!」


 万穂が気付くと、座っている万穂の隣に一晴が立っていた。両肩をがっしりと掴まれる。


「俺の地元で、堂々と浮気?」万穂に柔らかく語りかける。その声は万穂の耳を右から左へと抜けていった。「おまえ、万穂に何しやがった」その言葉は、万穂と話していた少年の方へ向けられた。一晴とは思えない低い声に、万穂はようやく我に返る。


「何もしてないよ。強いて言うなら、そのブログを見せたくらいかな」少年は意地悪く笑った。「まさか知り合いだなんて知らなかったからさ。もしかして彼女? いやあ、悪いことしちゃったな」


 一晴と男の子、どちらも、別人のようだった。


 一晴はバッと携帯を奪い取り、万穂が手を止めたままにしていたそのページを見た。ああ、そうか、と一晴は低く唸る。


「ね、一晴」


 万穂が一晴を見上げ、首を傾げた。「そっちこそ、綺麗な女の人連れて、浮気?」


 ちが、そこまで言いかけた一晴は、咄嗟に口をつぐんだ。数秒、逡巡し、次に万穂の目は見ることなく言い放つ。「関係ないでしょ」


 がん、と鈍器で頭を殴られたような痛みを感じて、万穂はついに涙を落とした。泣きながら、それでもへらりと笑顔を作る。


「そっか」袖で涙を拭う。指でも涙を拭う。「じゃ、別れよ」


 一晴は、暗く言い落した。「そうだね」


 あっはっはっは、急に明るい笑い声が聞こえた。万穂の目の前に座っていた少年だった。万穂は驚いてそちらを見る。


「うわはっは、傑作! あのクソ兄貴に彼女がいて、その彼女に、大事な秘密がばれちゃうなんて! しかも、この俺にばらされちゃうなんて!」


「兄貴って・・・・・・?」


「俺の名前は津坂良晴つざかよしはる。ドーモ、一晴の弟でーす」


 少年、改め津坂良晴は言った。


 良晴は、一晴のことが大嫌いだということ。一晴の弱みを握るために、万穂に近付いたこと。広瀬京子と知り合いの万穂なら、自分の知らない一晴の弱みをもっているだろうと踏んだのだった。妹がどうとか、近所がどうとか、適当な嘘を並べて、万穂と連絡先を交換した。


 そしてそういう思惑で近付いてみたら、思いもよらない事実が発覚したのだ、と楽しそうに語った。


「きっとこのクソ兄貴のことだから、君に『俺の地元には来ない様に』とか言ってたんじゃないの? だって、来たらばれちゃうもんねー」


「・・・・・・」


「広瀬要を殺したのは津坂一晴です、ってさ」


 一晴は何も言わなかった。万穂は声は上げずに泣き続けた。良晴は笑い続けた。万穂の座る席の窓の向こう、店の中には、まだ女の人が座っていた。一晴と同じテーブルに座っていた女性は、変わらずそこでじっと座っていた。



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