第37話 あの頃と同じように
「あのね・・・」と説明を始めようとする小林を「ちょっと考えさせろ」と志乃田は制した。
小林の華奢な手に握られた古ぼけたデンデン太鼓をじっと観察する。
どこから見ても普通の太鼓だ。材質に特別なところはないように見える。
素材が新しい、ということではないらしい。
であれば構造か。
普通に考えれば太鼓がキューブサット衛星。紐で繋がれたバチが切手衛星<ピコサット>ということになる。
衛星を振り回して射出するのか?
いや。衛星が回転するだけで得られるΔVなど、たかが知れている。
構造を見直す。バチに結びつけられた紐が鍵か。
志乃田は想像した。
もしも、この紐が長くなれば。それこそ、数キロメートルの長さになれば。
もしも、数キロメートルの長さの腕が高速で回転したとすれば。
その先端は、どのくらいのΔVを獲得するのだろう。
「・・・スカイフックか」
志乃田がうめくように呟くと、今度は小林が「なにそれ?」とキョトンと目を見開いた。
スカイフックとは軌道エレベーターと並ぶ人類の地球重力圏脱出コストを劇的に下げると注目されているSF技術である。
つまり理論上は存在するが技術的、経済的、政治的な要因で建設が困難なお伽噺の類いと言っても良い。
その形状は軌道エレベーターが宇宙から垂らされた長大なロープであるとするならば、スカイフックは回転する長大な鉄骨である。
その長大な鉄骨は低軌道をゆっくりと自転し、基本的には大気圏に降りてこないか、薄い大気のごく上層部を腕の一部が掠めるような軌道を描く。
人類はその腕が下がったタイミングで高高度飛行できる超音速機などで接舷すれば、あとは黙っていても腕の回転で宇宙まで連れていってもらえる、という仕組みである。
回転するシーソー、あるいは歯車をイメージすれば良いかもしれない。
スカイフックは軌道エレベーターと比較すると必要とされる技術、政治、経済問題は遥かに低いとはいえ。実際にものの役に立つだけのそれを建設しようと思えば人類の宇宙開発能力の総力を傾けなければ実現できない巨大プロジェクトになるだろう。
それを小林は、キューブサットと切手衛星の組み合わせで技術的、経済的、政治的課題を回避して超小型のスカイフックを実現しようとしている。
「どのくらいまで検討した?」
小林に問いかける志乃田の語尾は微かに震えた。
「うーん?ええとね、志乃田は深宇宙の観測をしたがってたでしょ?」
「ああ」
「だったら観測装置は遠くまで飛ばせたらいいじゃない。せめて月の裏側ぐらいまで」
「まあな」
地球周辺の宙域は、観測地としては汚れている。
衛星やデブリが多く、地球表面からの光を含む電磁波の干渉や薄い大気の妨害もある。
だから深宇宙を観測するのであれば、できるだけ地球から離れた方がいい。
太陽系の外まで観測機を飛ばせるのが理想だが、人類未踏領域まで観測機を飛ばそうというのは学生には過ぎた野望だろう。
だが、月の裏側ならば。
月それ自体が地球の電磁波からの盾となる静かな観測地となる月の裏側までなら手が届くかも、と小林は言っている。
「・・・できるのか」
「切り離しタイミングを制御さえできればね。ΔVは稼げると思う」
「具体的な仕組みは」
「ロープは部品リストに炭素繊維のいいやつがあるでしょ。あれの一番細くて長いやつが使えると思う」
材料工学の進歩万歳、というやつだ。たしかに支える質量が切手衛星程度であれば、かなりの程度耐えられるだろう。
だとしても、最大の問題がある。
「振り回しの動力はどうする。かなりの出力がいるだろう?」
炭素繊維の細い腕をできるだけ長く伸ばして、先っぽの切手衛星を投げ飛ばす。
格好よく表現すればスカイフックだが、原理としては中世の石投機<とれびしぇっと>と大差がない。
だが、原理が単純なだけに誤魔化しが効かない。
宇宙の冷たい方程式、というやつだ
入力した力が足りなければ、決して目標に辿り着くことはない。
「姿勢制御用のジャイロスコープのモーターがあるじゃない。あれを使おうよ」
だというのに、小林のやつはしれっと夏休みの工作で「ミニ四駆のモーターを外して付け替えよう」と言ったあの頃と同じノリで、とんでもないことを言うのだ。
タブレット+キーボードに変えました。立ち上がりが早くて快適です。