エルフの剣士という存在について
俺がその悠久の酩酊からはじめて醒めたのは霧まだ深い朝のエルフたちの森だった。
深緑の葉を付けた木々の枝たちが、腕を絡み天を隠している。合間から見える空は、血を溢したような赤色だ。
白いもやが至る所に漂っていて、また瘴気としかいいようのないような妖しい気配が有る。
それとは別に、どこにかぼんやりとした光があって、だいだい色にあたりを照らしていた。
これは家の白熱灯と同じような色だと思った。
やがて俺は自分が草の上で仰向けになっている事を発見する。
俺の背丈の半分くらい有る、赤紫色の毒々しい草の茂みだ。頭上から声がかかる。
「おはよう×××、昨日はどこにいってたの?」
どこにいっていたのだろう。
だが俺の頭はクリアだ。二日酔いの果てにこういうところに寝ていた、という訳ではないらしい。しかし自分の名前とおぼしきところだけが聞き取れなかった。
気がつくと「名前を設定してください」というメッセージボックスが出ている。洒落ている、と思った。はじめて人から名前を呼ばれた時に設定できるようになるシステムなのだろう。
見上げると声の主は木の上の、鳥小屋みたいな家の窓から俺を見下ろしていた。鳥小屋みたいな家というよりは、鳥小屋そのもの。大きい鳥小屋。梯子で地上と上り降りする仕組みだ。
俺は彼女を観察した。
彼女が、短い金髪の素朴な美少女で、麻で出来た服を着ていて、俺を何が嬉しいのか満面の笑顔で見てにやにやしていることの他に、次のような事がわかった。
<NPC> ダリヤ レベル2 13歳♀
種族:エルフ
勢力:魔
クラス:薬草採取士
クラスレベル:3/100
違うかもしれないが、俺の、妹、といったところか。
軽くウェーブのかかった髪は障気の漂う森の中では少しくすんで見える。巻いているのは湿気のせいも有るのだろうか。
頬は血色が良い。唇もぷるぷるとしていて表情豊かだ。
元気な少女という感じ。だが四肢は少女人形のように華奢だ。
素晴らしい描画技術だ。
このNPCをデザインした奴は間違いなくロリコンだ。
耳が尖って横に伸びている。
エルフなのだろう。
それにしてとステレオタイプなエルフだ。
種族にエルフと書いてあるしな。
つぎに俺自身を観察する。
ダリヤのと同じような麻の服を着ているようだ。
可もなく不可もなく。
無個性な体格。
自分の顔は見えない。触ってみる。
どうやら無個性な顔だ。
バーチャルリアリティーものの主人公にありがちな顔なんだろう。
まあそれはいい。耳はとがっている。俺もエルフだ。
主人公はエルフのようだ。
これは、あれだな。なんとかという名作ゲームを思い出してしまうな。何というゲームかは、まあ、言わぬが華でしょう。
ステータスも見てみる。
注釈付きのウインドウが浮かぶのだ。
<PC> ××× レベル1 19歳♂
種族:エルフ
勢力:魔
クラス:剣士 レベル1
クラスレベル:1/100
所持金:500G
装備:木の剣、麻の服、碧のケープ+2、草の靴
体力 18/18
魔力 20/20
スタミナ 18/20
攻撃 10
防御 10
魔攻 10
魔防 12
敏捷 100
運 120
自分を観察した時の方が情報が遥かに多い。
うん、たぶん運と魔法防御に種族ボーナスが有るのだろう。体力は少し引かれているのかもしれない。
他は初期値ということか。ダリヤと比べたらどうなのか少し知りたい。
俺の方が年上なのに、ダリヤよりレベルが低いというのはどうなのか。
俺はダリヤに返事をしようとするが声が出ない。何故だ。
思い当たることは一つしかない。
つまり他のキャラとコミュニケーションをしようと思ったら名前が必要だということではないのか。
名前を決める。思わずリ○クと名付けそうになったがやめておく。
エースと念じる。俺がゲームでよくつける名前だ。
ダリヤとの関連性がまるでない名前だが良かったか。
ぬかった、花の名前の方が良かったかもしれないな。
この少女のエルフが重要人物であるのならば。
まあいいか。
服装などからして同じくらいの身分であろう彼女が家に住んでいることを考えると、この草むらが俺の常宿、という訳ではないだろう。
変な色の草だ。
起きあがると、草むらにマークが出ている。
どうやら草むらが「本拠地1」に設定されているらしい。なんということだ。
常宿のようだ。違うかもしれないが。
おい草よ、今日からお世話になるぜ。
「ダリヤ」
どう答えたら良いかわからなかった。ので、とりあえず名前を呼んでみた。まさか、はじめましてということはないだろう。今の物言いで。
「……何よ」
困惑した表情でこちらを見つめる。
それも、ほほを少し朱に染めて。
ま、待て。この子は本当に妹なのか。
俺は昨晩何をしていた設定なのかわからんのだぞ。
幼な妻。俺は浮気者。
見つめ合うふたり。そういう事なのかもしれない。
「ちょっとまわりの様子を見てくる」
きりがないのできりあげた。
まず状況を観察しなければ。どういう対応をとったらいいのかわからないし。
13歳の美形エルフ少女とどきどきして見つめあっていたらますますわからなくなる。
「ちょ、ちょっと…」
と言われながらも後ろ髪を曳かれる思いで俺は彼女の居る鳥小屋のくっついている木に背を向けると歩き出す。
あたりは集落のようだ。同じような形の鳥小屋が沢山有る。二段三段になっていたり、ひとつの木に鈴なりになっているところもある。
俺のいるところはそれらの真ん中にあって、少し開けた広場であり、その真ん中にある草の茂みに横たわって、俺は眠っていたようだとわかった。
何故こんなところに寝ていたのか。全然わからんな。俺は相当な変人なのではないのか。
すぐ近くに何人かNPCがいる。少女や若い女のエルフが何人か近くの茂みに座って何かしているのだ。
何をしているのだろうと思ったが、見てみると皆クラスが薬草採取士とあるので薬草を採取しているのだろう。
名は体を表す。
一人に話しかけてみる。どう話しかけるのがよいか。
「おはようございます、カーネーションさん」
「やあ、エースかい。どうしてそんな所で寝てたんだい? 本拠地は5ヶ所まで任意に設定できるよ」
20歳と年上なのでやや慇懃に話しかけてみたが正解だったようだ。姉御肌、といった感じの口調。
ナイスバディの金髪エルフ。目が少し鋭い感じ。
レベル4、薬草採取士レベル3。
チュートリアル用のNPCには勿体ない容姿なのだが。
しかし何だこいつらは。俺が寝てた場所についてしか話題が無いのか。
薬草を少し分けてくれた。
これは使うと体力を少し回復することができるゾ。
とは流石に言わなかった。
だが体力を回復できそうな見た目の草だ。
服の右の腰に袋がついていたのでそこに入れておく。
左の腰には鞘に収まった木の剣をぶら下げてある。
俺は左利きではないらしい。
カーネーションのお姉さんにお礼を言って分かれて、坂になっている所をのぼって少し行くと、こまかい木の枝がアーチになってトンネルをつくっている所が有った。
察するに村の出口だろう。
出れるのか。
良いのか。特にイベントとかないのか。
フィールドに出たら、きっと魔物が居るだろう。こういうオンラインRPGなら居る。
「最初に戦っておきたいな」
戦闘を経験しておきたいと考える。
試しにその場で剣を抜いて、振ってみる。
木の剣は60センチくらい。装飾も何もない。木製バットの感覚で振り回せる。おもちゃか物差しみたいな感じだ。現実世界と同じ感じだ。
俺はゲーマーになる前は、剣道部だった。
ゲーマーになって高校を中退して人生を無駄にするまでは剣道部だったのだ。
正眼に構える。懐かしい感じ。
まあ俺の戦闘経験は剣道部というよりかはVRものの格闘ゲームに依っているのだが。
細い木の枝に木の剣を叩きつけてみる。簡単に枝が折れた。
普通に振ってダメージが入るらしいし、とりあえず戦いに行ってみるか。
いざとなれば、薬草もあるし。
一旦、セーブしておくか。
覚醒し、冬の自室に戻る。
午前3時の真っ暗な部屋の中に戻ってきた。寒さが増しているから布団をかぶる。
5分で戻らなければ。時間がないわけではないがのんびりともしていられない。
冬の廊下は寒い。
中断すればオートセーブされる筈だ。
まあ中断しなくても場面転換ごとに、あるいは定期的にオートセーブされていると思うのだが。
ちょうど少し小用がしたかったのだ。急ぐ。
枝のトンネルは左にゆっくりとカーブを描きながら20歩分ほど続いた。
そこから出ると村の外だった。
エルフの集落は外から見ると一つの大きい鳥の巣のような形だ。俺が出てきた所の反対側半分は、石垣で地面が補強されているようだ。
細い木の枝たちに周囲をぐるりと取り囲まれているのだ。その周囲は林になって、少し離れると木はまばらになる。
俺はその平原に一人立っている。
外から眺めているが、俺はこの村の名前さえ知らない。
外に出ても空は真っ赤だった。霧やもやは晴れている。単純に時間がたったからかもしれない。
瘴気の気配はずっと有る。
何故空が赤いのだろう。元々、この世界では空は赤いのか。
離れて見ると、灰色の平原の中にいきなり紫の鳥の巣が置かれているように見える。赤い空の下に。
詩人よ来い、と俺は思った。詩人を連れてきたらさぞ妖しい詩が書けるだろう。
さて村が見えにくくなるくらいまで離れて、しげみに伏して様子をうかがっていると、やがてのし歩く一匹の魔物を目撃した。
大きい顔からそのまま短い手と足が出ているような魔物だ。しっぽがあってバランスをとっている。
斧を持っている。いかにもパワータイプというような感じ。
<NPC> ボブ レベル3 34歳♂
種族:ゴブリン
勢力:魔
クラス:あらくれ者
クラスレベル:7/100
……ゴブリンってこんなんだったっけ。
あらくれ者というクラスが有るようだ。いかにもモブっぽく、弱そうなクラスである。初期職業の一つだろう。
……転職はどうやってやるのだろう。
どのみち、レベル3程度ならなんとかなるだろう。
自分はレベル1だが。
クラスレベル7/100というのが不気味だが。
言わぬが華でしょう。
わからんが、あの腕の形で、効率良く斧を振り回せるとは思えない。
顔から、本来耳の有る所から短い腕がにゅっと突き出ているような構造なのだ。
何よりも早く戦ってみたかった。
現実の世界で血と暴力に慣れていない現代人にとって戦闘の誘惑は大きい。どんなゲームでも。
「先手必勝だ」
自分を奮い立たせてみる。
俺はとびかかる。えいやー!
結果から先に言うと楽勝だった。
反撃らしい反撃もなく、俺はボブ氏を木の剣で叩きまくる。
たまに攻撃をしてきても、あんな短い腕、小さい斧で出来そうな事など想像がつく。
問題なく対処が出来た。
ただ事切れる数撃前に、それまで弱っていたのからは想像もつかない機敏な動きで右手が動いて手斧を投げてきたのには驚いた。
手斧はまったく警戒を欠いていた俺の頭の10センチ右をひゅんと音を立てて飛んでいき、木を2本ほどなぎ倒して3本目に突き刺さって止まった。
運が良かった。あと15センチずれていたらきっと頭がかち割られていた。それか運が120と少し高めだったお陰で外れたのかもね。
あれはたぶんスキルとか、予めプログラムされている動きだったのだと思う。
そのまま攻撃を続けると頭にぴしっと罅が入り、砕けると同時に光の粒になりはじけて消えた。
木の棒で石のようなこいつの頭を叩いて倒せるか不安だったがなんとかなったようだ。
ゴブリンのキバをドロップした。売却用素材か。
経験値を得た。
その後も敵を倒しては順調にレベル上げを続けた。
最初の村の回りだからというのもあるだろうが、敵の攻撃の頻度が低く、ほとんど、いや全く、先制攻撃を仕掛けてこない。
しかも単体でしか出てこない。
モンスターはゴブリンの他に、レッサーゴブリン、リザードマン、ロックタートル、リトルタイタン。
素早い魔物が居ないのも幸いしていると思う。
どれも敵の体力が半分ほどに減るまでは俺の連撃で滅多打ちである。
その後からしてくる攻撃は弱っていることもあって、スキル以外は脅威にならない。
レベル8まで上がった。
剣士のクラスレベルも3まで上がった。
俺もスキルを習得した。
真空波というスキルで1メートルくらいの間合いを斬撃が飛んでいく。
木の剣で叩くより威力が有って使える。
更に鉄の剣を入手した。
俄然強くなったことを実感する。体が軽い。
レベルアップのたびに成長値というのが20ずつ与えられた。それを各ステータスに割り振った。
自分を観察する。
<PC> エース レベル8 19歳♂
種族:エルフ
勢力:魔
クラス:剣士 レベル3
クラスレベル:3/100
所持金:500G
装備:鉄の剣、麻の服、碧のケープ+2、草の靴
体力 25/32
魔力 37/37
スタミナ 18/32
攻撃 26
防御 24
魔攻 20
魔防 26
敏捷 100
運 120
体力は、10まで減ったので薬草を一つ使って回復した。
レベルアップすると増加分増えるから事実上回復するみたいだ。
真空波は、使用するとスタミナを5消費する。
剣士のレベルが2の時に習得したが、その時消費は3だった。クラスレベルが上がると上がっていくらしい。スタミナの消費が増えるだけでは意味がないのでたぶんだが、スキルの威力も上がっているのだろう。
射程距離が伸びているのかもしれない。
あと、どうもこの観察という行為自体がスタミナを1消費するらしい。
時間経過だけですぐに回復するが。
スタミナというのはスキルを使うのにも必要になるから、むやみやたらに観察を使わない方が良いか。
もちろん、警戒するのは悪いことではないが。
成長値は割り振った分がそのまま上がる訳ではない。全能力ほとんど均等に振っているのに差が出てきていることからもわかる。
察するに魔法を使ったり受けたりしないと魔法関係は上がりにくいのだろう。俺はまだ魔法を一度も使っていない。
攻撃が上がっているのは剣で攻撃をしているからか。クラスが剣士である影響もあるのかもしれない。
また全く振らなかった能力も、レベルで成長するみたいだ。
攻撃、防御、魔法攻撃、魔法防御とあと運には振れるが、何故か敏捷には振れない。
上げにくい能力なのに違いない。
運には振れるが全然上がらない。これは一旦保留だ。
敏捷と運だけは今の所レベルアップでも上がる気配を見せない。初期値がそれぞれ100と120だし、他のステータスとは随分扱いが違うようだ。
一度振った成長点は振り直せないみたいだ。運に振った成長点は無駄になったような感じがする。
このまま、魔法を使わないで戦うのだとすれば魔法攻撃に振った分もか。
その分じゃんじゃんレベルを上げれば良いか。
しばらくして最初遭遇したのと同じくらいのステータスのゴブリンが、鉄の剣を使った3回の攻撃で倒れて砂になったので気分を良くした。
攻撃力が2.5倍になったということを実感する。装備が変わっているから、実際はそれ以上だ。
レベル7でこれほどというのは、思うに他のVR系のゲームと比べてかなり豪快に身体能力が上がっていくみたいだ。爽快感が有って良い。
もう少しレベル上げを続けてレベル10になったところで、一旦ゲームからログアウトした。