第一章.8
「んで、お前は俺の事を怒らないのか? 弱みに付け込んで一緒に風呂まで堪能したんだぞ?」
英雄が気まずそうに顔を逸らすが、僕には彼が何を言っているのか完全に理解できなかった。
「何を言ってるんだ、お前? 僕は男だし、顔と声が変わってないんだから、興奮する事なんて無いだろ? それに何回一緒に温泉巡りに行ったと思ってるんだ。あれはもう会えないと思ったから軽いサービスみたいなもので、深い意味は無いよ。」
僕が首を傾げて言うと、英雄は顔を驚愕に染めた。本当にどうしたんだこいつ? ファンタジー世界に行くならもっと可愛い子なんていくらでもいるだろうに・・・・
軽く溜息を吐いて哀れな者を見るような視線を向けたら言い返された。
「遊馬、お前その感覚のまま向こう行ったら本当に危ないぞ。間違いなく女勇者みたいな目に合うと思う。一度マレフィさんにしっかり相談しとけ。
そうか、ここまで言ってもまだ理解しないか。いいだろう、ちょっと俺の部屋来い。
まずそれだ、知り合いの部屋だからって男と個室で二人っきりになろうとするのは危険すぎる。」
いきなり過保護になったな。
行動するたびに指摘されるとは。心配してくれるのは分かるが、ちょっと気にし過ぎじゃないか?
そう思って軽く小馬鹿にした視線を送ると、溜息を吐かれる。
「煩わしいのは分かる。だが今だけは俺の話を聞いてくれ。お前の見た目はお前が思うよりずっと高ランクだ。日本人が外国で幼く見えるってのは有名だろ? つまり俺達は23だけど、実年齢には見られない可能性が高い。で、見た目高ランクの美少女がファンタジーの世界を無防備に歩き回るのがどれだけ危険か男のお前なら分かるだろ?」
僕はようやく理解した。これから先、女としての危機管理も必要となることに。
「ど、どうしたらいい? オークとか脂ぎった貴族に絡まれたら僕間違いなく死ぬぞ?」
青い顔になって英雄に尋ねると、こいつは大丈夫だと笑いながら言った。
「前に俺が話したネットの小説サイトが有るだろ? あそこに今のお前と似たような性転換してしまった哀れな男が題材の作品がいっぱいある。それを見て少し予習しよう。時間も無いしチョイスは任せろ。」
そう言って英雄の部屋へと向かいPCを立ち上げ起動を待っていると、いきなり僕達の目の前にゲーム等でよく見るメニュー画面の様な薄い青色の板が飛び出してきた。
「わ!?」
驚いた僕がベッドにポスンと尻餅をついた所を見て英雄が顔を逸らして震えている。
笑うなら笑えばいいさ、畜生、何だこれは?
「差出人 マレフィちゃん
件名 集合時間について。
明日の待ち合わせ時間ですが、少し急用が入って予定より3時間ほど遅れそうです。
予定としては余裕を持って13:00に英雄君の家を予定しております。二人のご両親については明日の夜に帰宅予定ですので十分に時間はあるから心配しないでね。
しっかりお昼ご飯は食べておく事。日程は集合後に私のオフィスで話を色々と詰める形になります。そちらの世界で過ごす最後の1日です。急な話だったから悔いのない様にと言うのは難しいでしょうが、大切に過ごしてください。
追伸
いくら元が男の娘とはいえ、今の遊馬君は女の子です。間違っても英雄君と一緒に寝たらだめだよ? 男はみんな狼だからヒロインポジの遊馬君なんて一発で汚されちゃうからね。貴女は私が責任を持って汚すか―」
僕は右上にあった×ボタンをタッチしてマレフィさんからのメールを閉じた。呼び方?
きっとこの方が喜んでくれるよ。そういえば英雄にも来ていたみたいだけど同じ文面なのかな? そう思って英雄を見ると。ボードを鼻で笑って閉じる所だった。何が書いてあったんだろう?
「気にしなくていい。」
「え?」
「気にしなくていい。」
僕は縮こまって首を縦に振った。わざわざ虎の尾を踏む必要などない。
「よーし、集合時間的に全部読めるかは微妙だが、お勧めはこれだな。」
そう言って見せてくれたのは、日本人の男が異世界へ無力な幼女エルフとして転生するも、ちょっと鬼畜な同じ日本人転生者の男に助けられて一緒に冒険し、愛を育むファンタジーものだった。最後は幸せな家庭を作って終わっている。幸せな家庭は純粋に羨ましいな。
他にも何本かお勧めを上げてくれたが、どれも最後は主人公とくっつきハッピーエンドで終わるものだった。
「ハッピーエンド多いね。やっぱり僕はこういう心温まるのが好きだな。」
僕はにこにこしながら作品を読み漁っていく。
すると英雄が隣から声を掛けた。
「これは幸せなものばかり集めてるからな。よし、それじゃあ現実を見せよう。ここにあるやつを見せても良いけど、大人サイト版が良いかな。」
そう言って僕の読書を一度中断して別のサイトに誘導する。そして目を通した僕は驚愕した。
「な、なにこれ?え?なんでこの人達、だってこの人は元々男だよ?なんで、こんな、ひどい事・・・・」
僕は顔を真っ青にしながら震え、ディスプレイを見る。
こういうジャンルがあるとは知っていた。いや、知っているだけだった。そして今回は本能的に理解した。僕が今のまま無防備に生活しようとすると高確率でこうなると。
「ひ、英雄・・・・」
僕は涙目で親友を振り返る。怖くて左手は白くなるまで握りしめている。それを見た英雄は自分の手で僕の手を覆い、抱き寄せた。
「分かったか? 理解しないとこうなる。俺はお前にこんな目にあって欲しくない。いいか? 俺から離れるな。絶対に1人になるな。俺だけを見てろ。いいな?」
親友が心の底から心配していてくれた事を知り、話を聞こうともしなかった事を僕は恥じて、謝る。
「ごめんね、あんなに心配してくれたのに話を聞かなくて。ありがとう、助けてくれて・・・・」
顔を見て謝ろうとしたら、後頭部に手を添えられて、胸に押し込められる。そのまま少しの間だが力強く抱擁されて解放された。
「さて、もう大丈夫だな? 重ねて言うが本当に気を付けろよ。 それでこの話は終わりだ。 遊馬、そろそろ夜飯作ってくれねえか?腹減った。」
そう言えば結構長い間小説を読んでいたな。
その言葉に僕は頷いてもう一度お礼を言うと画面の見過ぎで少し痛む目を揉み解して台所へ向かった。
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ふう、ドレスを破く所からよく自制心が持ったものだ。所々で鎮めさせてくれるから何とかなったけど、育て方次第であいつ魔性の女になるんじゃねえか?
嫌われるかもと覚悟して同行を相談したら、ノリとか勢いでなく、しっかりと考えて頷いてくれたのは嬉しかったな。
あれは手放したくない。というかあの弱さから強さを見せるギャップは反則だろ、今までどこかでブレーキかけていたけど本気で惚れた。後はタイミングだな。メールには必要情報の後はずっと『手を出すな』なんて羅列されていたが、あいつがメールを閉じた時の顔を見る限りアドバンテージは俺にありそうだ。
しかし小説を見た時の幸せそうな顔と、最悪のパターン見た時の顔ときたら・・・・
あそこで顔を上げられていたら危なかった。きっと俺の悪い顔が見つかって怯えた表情を見せてくれただろう。
そんなものを見せられたら間違いなく止まれなかった。
そうだな、俺はあいつに真摯に付き合って、あいつが何回か続けてポカをしたらいただこう。
さて、これからが楽しみだ、少しずつ外堀を埋めて行こう。
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そうして僕達はこちらで最後になる晩餐と酒盛りを楽しんで眠る事にした。部屋は英雄の部屋だが、僕はお泊り用布団で眠っている。すぐ隣だけど家には帰らないことにした。たぶん動けなくなるから。
次の日顔を洗い朝食を食べ、紹介してもらった小説を読み、昼食を食べた後、僕は自宅の前に英雄と立って行った。
「本当に良かったのか?」
心配そうに英雄が覗き込んでくる。
「うん、良いんだこれで。たぶんこの中に入ったら、僕はこちらに残ることを選びそうだから。」
僕は両目に涙を溜めて玄関を見る。
「行ってきます。」
そう言って英雄の家に戻ると、マレフィさんが座って待っていた。
家にいなかった僕達だが、微笑んでくれている所を見る限り、事情は察してくれたのだろう。
「さて、それじゃあ向こうの世界の説明をするけど、私のオフィスに移動しても大丈夫?」
僕達は顔を見合わせて頷く。
彼女は微笑むと僕達の足元に見覚えのある光が溢れる。
英雄は慌て、僕は顔が引き攣るのを感じたが、目の前にいる犯人が面白そうに笑っているのに気がついたので好きにさせる事にした。
一瞬だけ景色が歪んだと思ったら、僕達は真っ白な空間にいた。隣にいる英雄以外は何も見えない空間だ。そこに声が響く。
「ごめんなさいね。今2人は間違いなく私のオフィスにいるんだけど、人間が目に入れるにはマズイ代物がいっぱいあるのよ。だからこの空間でお話をさせてね。」
僕は今までに感じた事のない直感を感じて口にした。本来は遠慮が必要な言葉であるのに、昨日のメールで彼女があの変態神と同レベルの危険人物だと理解したので、そんな遠慮はしなかった。
「なるほど、部屋が人に見せられないほど散らかっているんですね?」
僕の言葉に英雄は頷き、奥からは慌てた声が聞こえてきた。
「ち、違います!! 確かに机の上に書類は少し溜まっていますが、人を呼べないほどではありません!!」
勿論僕達は信じなかったが、面倒なので話を進める事にした。
「コ、コホン。さて、君達にはまず今から行く世界の事をお伝えします。かなり特殊な例だからね、これが終わっても現地である程度のサポートはするから、自分で大事だと思った所だけ覚えておいて。」
言い終わると椅子が現れ、それに座ると僕達の手に冊子が1部現れた。ご丁寧にペンまで挟んである。
冊子は勝手に開かれ、目的となるページで止まる。
そして彼女は説明を始めた。
「それじゃあ始めましょうか。
貴方たちが行く世界ですがこれは昨日も言った通り、剣と魔法のファンタジーで、ある程度の文化レベルはあります。と言っても君たちの住む現代と比べるとさすがに見劣りするかな。ただし昨日言わなかった情報があって、この世界には他種族を襲う魔物が存在しているの。ゴブリンやスライムみたいなメジャーな奴に、モル○ルみたいな夢が膨らむ奴まで一杯いるわ。勿論ドラゴンだってね。」
その言葉に僕達の胸が躍る。男の子なら一度はドラゴンスレイヤーに憧れるものです。
英雄がモルボ○と聞いて喉を鳴らしたが、きっとこいつもあのいやらしい攻撃に苦労させられたのだろう。僕も全滅させられた。
「都市によってはドラゴンバスなんてのもあるわよ。低ランクの物であれば一般人でも乗れるわ。と言っても、人が乗る台車部分をドラゴンの足に括り付けて運んでもらうものだけどね。乗りたいなら竜騎士を目指したりテイムしたりと、多くはないけど方法はあるから気になるならあとで教えてあげる。」
僕達の目が輝いたのを見逃さなかったのだろうマレフィさんは素敵なお姉さんっぷりを発揮してくれた。
「次は科学だけど、これは君達の知る物と比べたら低水準だけど存在していて、魔法をエネルギーとして使うから非常にクリーンで汎用性が高いわ。洗濯機とか乾燥機はあるから安心してね。
たぶん次が君たち日本人にとっては必須であるものなんだけど、食料と日用品関係ね。」
僕たち日本人にとってはある種死活問題なので、二人とも能面の様な顔をゆっくりと上げる。
それを見たマレフィさんがビクリと動いた気がするが気にしない。
「え、えっと、まずは食糧について。香辛料もしっかりと流通してるし、こちら独特だけど、料理のレパートリーも豊富よ。お菓子だってあるわ。これについては書店で料理本を買えばいいかも。あ、紙は高級品じゃないからね? 香辛料とかもそう。
こっちでは魔法や錬金術が発展しているの。だから日用品はほとんど大丈夫。錬金術の街に行けばプラスチックだって手に入るわよ。」
僕達はありがたい話を聞いて頷く。だがまだ顔は冊子を向かない。だってお風呂の説明がまだだから。顔は能面だが、期待からか目だけが笑う
「二人とも怖いって!! お、お風呂ね。これについては国によって微妙ね。シャワーの国もあればお風呂の国もあるの。ただどこでも共通なのは錬金術によって石鹸やシャンプー、それどころかリンスまで完備してるわ。勿論コストは日用品レベルだから一般家庭でも手が出ます。」
元々絶望しきっていたジャンルだけに僕達は言葉に出来ない感動を味わっていた。ありがとうございます錬金術師さん。
とりあえず僕は疑問に思っていたことを質問する。
「先生質問です。それだけ各分野が発達していれば魔物を倒す必要は無いのでは?倒すとしても銃とかで圧倒できそうなのですが?」
それを聞いた英雄が頷く。
そう、普通に考えてそれだけの技術が有れば銃の様に、弾を打ち出す技術が無いわけがない。
魔法が有るなら地面を爆発させるだけで飛び散る石が明確な殺意を持つ以上、多くの人が気づきそうなものだ。
「はい、良い所に気がつきました。この世界の魔物は冒険者が専門で狩りを行うのですが、それには理由が有ります。魔物から取れる素材は魔法の触媒になったり、儀式の道具や食材に、錬金術の材料になります。石鹸の元は魔物だって言えば素材がどれだけ重要か分かってもらえると思う。
次に銃だけど、この世界だと弱武器ね。理由は単純で対策され易いの。」
僕達は首を傾げる。2人ともファンタジー派の為、輸入して世界観を崩壊させたくはないが、銃と言う兵器の強力さは話だけでも聞いている。
「貴方たちの世界でも銃相手に土嚢や防弾チョッキとか方法はいくらでもあったでしょう?大口径が相手でもそれ相応の対抗策があったはず。極論を言えば厚みさえあれば土や水で全部止められるんだから。」
話しを聞いた僕達は何となく分かってきた。
「辿り着いた様ね。そう、現代では設置場所や重量に、個人で携帯できないという問題点から不可能だけど、この世界には子供の頃から誰もが持つ魔法の壁があって、力を何枚も重ねれば点である銃弾は止めてしまえるのよ。魔法を弾に込める案や、もっと強力な銃を作るって発想もあったけど、色々と問題があって、それをするぐらいなら最低レベルでいいから短縮詠唱を覚えて下級魔法を面で撃った方が速くて強くて安上がりという結論に落ち着いたの。
仮に使えるレベルの銃なんて正式採用したら銃も弾も大型化の上に、製作費・使い手の育成費・弾代などなどで資金面が大変なことになるわ。軍事費用が膨大になるぐらいなら今のままでもいいやと考えたのね。
部下の子が実際に試算したら、国が傾くって笑っていたもの。
それに魔力の壁は要人なら魔道具で強力なものを常時発動していて暗殺にも使えないしね。どうしても使いたいなら融通するけど、下級の魔物を倒すのが精々だよ?
さっきも言ったけど、コストを考えると間違いなく赤字ね。君達なら違うアプローチで銃を強化できるだろうし、魔法弾次第で化ける事は出来るかもしれないけど、最初はお勧めしないな。」
困り顔で女神は言うが、僕達はある意味趣味の道としてファンタジーを選んだのだ。ロボット好きが影響して機械は好きだ。でも軽く触るならまだしも、必要に迫られるまで本格的に手を出すつもりはない。そもそも右も左もわからないのに、その世界の色物枠に手を出すほど余裕は無い。郷に入りては郷に従うのだ。
「ついでに何で剣、つまり刃物が銃と違って通るかと言うと、手で直接触れている事により魔力が通し易く、強く込める事が出来るの。銃弾と違ってサイズも大きいから込められる量も多い。そういった要因が集まって近接戦が主流になったのよ。ちなみに弓矢は矢を番える時に直接触れるから魔力は込め易く、銃弾と比べて長いから込められる量も多くて使われているわ。」
こうして僕達は女神の説明を聞いて行き、それが終わると彼女は光の中から僕達の前に姿を現し真剣な顔で聞いてくる。
「もう一度だけ確認するけど、短い間とはいえ、男のまま現代に残ることは出来るのよ?」
申し訳なさそうに顔を伏せて彼女は言うが、僕の心は決まっていた。生きている限り、心が折れない限り、僕も歩み続けると。
まっすぐに彼女を見て、僕は強く頷く。
「そっか、分かった。2人とも向こうに行くこと認めるわ。書類にこのペンでサインしてくれる?それは特殊なインクが使われていて、人によって違いが出るの。顔や人格が変わっても魂までは変えられないから、偽造防止になるのだけど、君達には縁が無いだろうからササッと書いちゃって。」
そう言って手渡された2枚の書類を受け取り、一緒に現れた台の上でサインをした。文面は短くただ一言こう書いてあった。『女神マレフィの名の下に、世界を超えることを行う。』と。
手が震えてサインが歪む。苦笑してそれを英雄に見せると、自分もだと笑って見せてくれた。そして書類を渡すと、何処からか取り出した丸印を押す。
「はい、受領しました。控えは無いんだけど、必要なら作るよ?」
茶目っ気たっぷりに笑うマレフィさんを見て僕は溜息をついて言う。
「大丈夫ですよマレフィさん。二人で力を合わせて、向こうでも上手くやっていきます。それに、サポートしてくれるし、向こうに行く時に色を付けてくれるんでしょ?」
彼女が申し訳なさそうに俯く。責任を感じているのだろう。この人が薄情な神様でなくて本当に良かったと思う。だから僕も言わなくては。
「マレフィさん、確かに僕はあの男に捕まった事で元の世界で生きることは出来なくなりました。」
彼女の顔が悲しそうに歪む。
「でも、その代りマレフィさんに会えましたし、貴女は責任とか関係なく親身になって僕達を助けてくれました。だから気にしないでください。むしろ、対応してくれたのが貴女で良かった。本当にありがとうございます。」
僕がそう言って頭を下げ、体を起こすとそこには驚いた顔の彼女がいた。
英雄からは御人好しめと言った感じで横目で見られたが、僕は後悔していなかった。