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第二章.43

 遊馬が少し離れた所に降り立つ所を見届けると、次に英雄の方を見る。

大技を使った後で消費が激しいのか、さきほどから肩で息をしていた。


 だが状況としては俺も大差ない。

懐に飛び込み続け囮になっていたのだ。

直撃こそ無いものの、掠った攻撃は数知れない。


既に肉体も精神もだいぶ参っていた。

構えている腕が重くて嫌になる。

早く帰って熱いシャワーを浴びて寝てしまいたい。

戦いが楽しい事は認めるが、何事にも限度はある。

そろそろお開きにしたいので改めて相手を見据えるのだが、向こうも酷いもんだ。


 あれだけいた人型も残りは4体。

攻撃の余波で全員が火傷を負っている。

内1体は酷く焼け爛れ、まだ戦闘ができるのかを疑う程だ。


 隙を作らない様に深い呼吸を繰り返し、少しずつ体勢を整える。

辺りに漂う生物なまものが焼けた匂いに吐かなかったのは鼻が慣れたからだろう。

今は純粋にありがたい。


「さて、こっちもそろそろ点数を稼がないと不味いな・・・・いい加減死んでくれよ。」


 俺はそう呟くと、球体へ向かって走り出す。

英雄の攻撃は予想より大きなダメージとなっているようで、反応がかなり鈍い。

こちらへと飛来する魔法の数が減っている事を確認すると、俺は四肢に魔力を込めながら直進した。


「何考えてんだ馬鹿!!」


 嫁が心配からか震える声でそう叫ぶ。


 そんな弱々しい所を見せられたらギュッと抱きしめたくなると言うのに、この状況でヒロイン力を魅せるなんて悪い奴だ。

帰ってから一杯イジメてやろう。


 後の楽しみに心を震わせた俺は速度を軽く緩めると飛来する魔法の群れを見据える。

練習で試したことはあるが、実際にやるのは怖い。

これまでは相手の手数が多すぎて出来なかったと言い訳出来たが、今はそうも行かないので覚悟を決める。


 溜めていた魔力を両手に集中し、ある程度引き寄せた所で『フッ』と短く息を吐き、水面へ叩き付ける様、右の掌底を真っ直ぐ繰り出す。

それと同時に魔力を正面へ解放すると、目前の空間に歪んだ壁が出来た。

俺を狙った凶弾はそれに当たると全て空中で弾け飛ぶ。


 我ながら何度見てもかっこいい。

きっと遊馬は頬を染めながら俺を見て、英雄は射殺さんばかりに俺を睨みつけているだろう。

もう少し余裕のある戦闘で俺達の位置が良ければそれを見られただろうが、今回は残念ながらそうも行かない。


 そんな上手く行かない怒りも左拳に乗せ、今度は追い突きの形で空中を殴る。

抑える物の無くなった魔力は拳から離れ、白く輝きながら球体へと走った。


『 ―――――――――!!!!! 』


 集合部分に直撃した今の1撃が堪えたのか、奴らはたまらずに声を上げる。

だがそれだけでこちらが終わることは無い。


「もらったああああ!!」


 その隙をついて英雄が嬉々として接近し、大剣を振り下ろす。

振り下ろされた刃は人型の鎖骨を断ちながら胴体を深々と切り裂き、吹き出した返り血をいつもの様に魔力の障壁で止める。

そのまま俺も2度目の追撃に入ろうと走り出した。


「もう1丁!! 」


 こちらが相手を間合いに入れると同時に、英雄が二撃目を入れる。

球体部分へ深々と刺さった斧が痛々しい。

チーズの様に裂けた個体が恨みの籠った視線を向け氷の雨を降らせるが、あいつは咄嗟に出した大盾に身を隠す事でそれを防ぐ。


「プリーズ! ヘルプミー!! 」


心の底から気持の籠った救援要請は非常に情けないが、冗談抜きであそこはマズイ。

相手のいる側へ盾を構えているので正面からの攻撃は気合いと筋肉で耐えられるが、足元や側面で発動した魔法までは止められないのだ。

股下を抜けて行く攻撃に何度も嫌な汗を掻くのは仕方のない事だろう。

それはさっきまで経験していたから良く分かる。


「人気者は辛そうだなっと!!」


 親友へ軽口を叩きながら間合いの少しだけ外に球体を捉える位置で左前蹴りを空へ放ち、その動きと連動させて地面から光で出来た槍を生やす。

俺がさきほどまで碌に魔法による攻撃をしていなかったので、対応に遅れた球体は慌てて攻撃の手を止める。

残念ながらそれ自体は防がれてしまったが、英雄はその隙をつくと盾を捨てて距離を開いた。


「ふ、俺の下位互換とは、ついに負けを認めた様だな」


「必死にノコ○コやってた奴に言われてもねぇ・・・・というか武術家にとって見取り稽古は必須技術だっての」


 自慢げな相方に半目で文句を言いつつも、新しい技術に内心でワクワクする。

単発で撃つ魔法はからっきしだが、元々体に染み込ませた動きに沿わせる近距離での発動は可能なのだ。


誠に遺憾ながら参考にしたのは先ほどのこいつである。

だが男の意地として英雄にだけは負けを認めたくない。


「素手な分、火力は落ちるけど技量とか格好良さとかなら負けねえし。それに社会人は見取り稽古的な部分で仕事覚えなきゃならないから、別に下位互換じゃねえしー」


「火力と技量に社会人の件は認めるとして、格好良さだけは譲れん。夢見んな」


 お互いに睨み合いどうやって決着を付けようか考えていると、球体が俺達に向けて魔法を放ってきた事でまた戦いに引き戻された。

調子に乗っていた俺はもう1度格好よく全弾を叩き落してやろうと力を溜めていると、側面から飛来する1発に全身を嫌な感覚が走る。

慌てて迎撃から往なす事でダメージを軽減する防御に切り替えたのだが、それが大失敗であった。


「熱っ!? 」


「ほんっと性格悪いなお前!! 」


 吐き捨てる様に叫ぶ英雄を他所に、火傷を負った左腕を力無く下げ、脂汗をだらだらと流しながら何が起こったのかを理解する。

球体は今まで1度も使ってこなかった火属性の魔法を撃ちこんできたのだ。

もしこれが狙った威力のある攻撃であれば、今頃俺は焼死体にされていた事を遅れながら理解して恐怖で体が震える。

その間俺に飛来する分を英雄が防いでくれなかったら危なかった。

だが俺の中では礼を言うよりも、本当に火が不得意で撃ってこなかったのか、これすらも囮で実は偽装しているのではないかと嫌な想像が駆け巡る。


 痛みを我慢しながらも落ち着くために深い呼吸を繰り返し、英雄の後ろから相手を睨みつけ軽い膠着状態に陥った俺達だったが、突破口はある意味予想通りの奴から起こった。


 人型の1体に何かが飛来し、ゴッと鈍い音を立てて当たったのだ。


 一瞬だけ攻撃の手が止んだ所で自分の腕へ送る魔力量を増やして自己修復を速める。

うちの子に比べれば効果は数段劣るが、この際動く様になれば問題は無い。

その間も外れたのか地面へと落ちる乾いた音と、魔力障壁に防がれたのであろうバチリと言った感じの音が聞こえていた。


「なあ堅、あいつ帰ったら絶対に説教しようぜ。」


 先に状況を確認した英雄は大きく溜息を吐き、俺は軽く左腕を動かして調子を確認し終えると遊馬の方へ視線を投げる。

そこには拳大の石を手拭いに包み、額の汗を拭いながらそれを振り回している馬鹿の姿があった。


「賛成だがその前に病院へ叩き込むぞ。お仕置きはベッドの上でたっぷりしてやる。」


 笑いながらそう返すと、噛み締め過ぎて血の味が広がる唾を地面へ吐く。

楽しい未来を想像したのか、相方もくつくつと笑っていた。


「あ、ごめん!! 」


 2人でそんな余裕の空間を作り上げていると遊馬の本気で焦った声が聞こえ、次の瞬間俺達の間ぐらいにドッと音を立てて石が落ちる。

鋭角に入ったそれを見てサーッと血の気が引き、ちらりと横目で見た犯人は滅茶苦茶申し訳なさそうな雰囲気を醸し出していた。

と言うかフロウに手拭いを取り上げられ、プラフィに怒られている。


「き、聞こえたわけじゃないよな?」


 俺の確認に英雄が声を震わせながら答えてくれた。


「犬耳も生えてないし、結構距離があるからそれは無いだろう。日頃の行いに感謝だな。」


 英雄は口角を片方だけ吊り上げてニヤリとしているが、その横顔は引き攣っている。

お互い、熱烈な求愛以外は何か悪い事をした記憶は無いのでこいつの言っている事に間違いはないだろう。


 悪い事はいけないと心に深く刻み込んだ俺達は、待たせていたデート相手の放った火の玉と土杭を左右に分かれる事で避ける。

短い時間だったが、しっかりと休む暇を作ってくれた遊馬に心の底から感謝が湧く。


「なあ英雄! 他の女に現を抜かしていたのにしっかり待っていてくれた良い相手がここに居るんだが、お前こいつに乗り換えないか!! 」


 離れた事で攻撃の手数が少なくなり大分余裕が出て来たからか、俺は相手を挟んだ向こう側へ回った親友に声を掛ける。


「へっ、病院に大穴を開けてまで相手を拉致しようとする異常者なんて御免だね!! 」


 あいつは獰猛な笑みを浮かべると、馬鹿にする様吐き捨て剣を構えた。


「と言う訳だ! ご指名は有難いんだが、俺達は追い駆けるのは好きでも追い駆けられるのはゴメンでね!! 悪いんだがここ等で死んでくれ!!」


 俺はそう吠えると構えを取りながら一気に走る。

向かいからは英雄が駆け寄り、体を左右に振りながら魔法を躱し、盾で受けて距離を詰めていた。


「ふぅ、シッ! 」


 急停止する事で左右から飛来する火球を回避すると、両手に魔力を込め浅い呼吸と共に右を上段・左を中段へと突き込み、二段突きの要領で拳を飛ばす。

目の前で交差する火が丁度こちらの動きを隠し、ぶら下がるチーズ君を狙った1撃は容赦なく相手へと刺さった。


 上にいる奴を狙ったもう片方は防がれたが、間違いなく手数を減らしたことで英雄が肉薄し、両手持ちした剣で胴を薙ぐ。

あいつは見事なフルスイングを魅せると、剣を左手に持ち替え右手で盾の裏に仕込んだナイフを傷口へ突き立て離れて行く。

次の瞬間そこで小規模な爆発が起こり、反動で相手はバランスを崩した。

運が良い事にその衝撃でチーズ君は完全に本体から裂けてしまい、狙ったかのように俺の下へと転がって来た。


「ハァイ」


 優しく微笑み、挨拶をしながら頭部を踏み砕く。

不出来なスライスチーズ君の絶命を確認すると今回の最優秀選手に親指を立てる。

功労者は嬉しそうに魔法の雨を掻い潜り、数発が掠りながらも叫んでいた。


「やべぇ! 俺今人生で1番輝いてるかも!!」


 踊り出すかの様な声音に俺は思わず頷く。

こんなに楽しい事が経験できるとは俺も思っていなかったので、あいつの言葉には賛同の意しかない。

実際輝いている。


「盛り上がってるところ悪いがそろそろ締めんぞ!!」


「アイサー!!」


 俺が叫びながら突撃をすると相棒がそう応えた。

英雄に向かっている攻撃が俺へと裂かれる事で奴は再び自由になり、もっと多い攻撃を捌いていた俺からすれば大分余裕のある弾幕を抜けて行く。

あの時に比べればかなりのダメージも有りキツイ事はキツイが、行けない程では無い。


「取り付いた!!」


 先に踏み込んだ親友が球体へと斬り付け、嫌がる相手に俺も肉薄した。


「ボディがガラガラだぜ!!」


 到着と同時に球体へと右肘を叩き付け、こちらから逃げる為に空いた空間へと踏み出し、左肘もプレゼントしてやる。


 人型達が上げる悲鳴の何と心地良い事か。


 英雄はいつの間にか持ち替えていたマチェットを中段の人型に叩き込み、横腹に刺さったそれは小さな爆発を起こす。


「追加で頼むぞ!! 」


 相棒はそう言うと悪い笑みを浮かべており、反動でこちらを向いた中折れの人型に左足刀を入れて返事を返す。

こめかみ辺りに刺さったそれは無慈悲に砕き割り、格好良く決まった事に興奮が高まる。


 残り2体。


この勢いのまま一気に止めを刺そうと踏み込む。


 だが相手も馬鹿では無い。

これだけ叩いても死なない相手のタフさをもっと警戒するべきだったのだ。


「がぁっ!!」


 俺は自分達の迂闊さを呪い、腹部に突き刺さる氷の刃を見て絶望に染まる。

遅れてやって来た激痛に膝を折らなかったのは偶然だった。


「ぐうっ!!」


 英雄も俺の向かいで人の頭ほどの氷塊が右膝に当たり、転倒こそしなかったものの片膝立ちになる。


 目の前で残った2体が勝利を確信した笑みを浮かべ、俺達に冷たいものが走る。

せめてもの抵抗にと、激痛から込み上げる悲鳴を噛み殺していると俺達の横合いから大きな水球が飛来した。


 それは大の大人を悠々と超える大きさで、ぼんやりと衝撃を覚悟した俺達を優しく包み込む。


 俺も英雄も人型もいきなりの事に呆然とし、全員がこれの飛来した方向を見る。

視線の先で遊馬がこちらに中指を立てながらニシシと言った風に笑い、地面へと倒れた。


それを見た俺の全身に熱いものが走り、怒りに我を忘れて叫ぶ。


『遊馬ぁああああああああああああああっ!!』


 叫びは口から泡となり飛び出すが、ゴボゴボと鳴るだけで言葉にはならない。

標的が俺と英雄の2人だけの為に見た目が完全に違うが、体中の傷が癒えている所を見れば、この水球が草原で俺達を救った『雨』と同じものだという事は簡単にわかった。

今更ながら呼吸が出来る事に気が付くと腹部に刺さる氷を右手で引き抜き、破けた部分に自分でも魔力を流そうとするが、それより早く傷が塞がる。

 大勢に使ったアレをたった2人の為に使ったのだ。

この回復速度もそれならばと理解できる。


 俺は正面にいる人型達を睨みつけると、こいつらは俺の事も英雄の事も無視し、純粋な尊敬の念を持って倒れた遊馬の方を見ていた。


『誰だ? 』


 今までと明らかに違う様子を見せたこいつに俺は戸惑う。

だがそれを考えるより先に水球がバシャリと音を立てて割れ、俺達は地面へと降り立つ。


「アザルストオオオオオオオオッ!! 」


 答えを教えてくれたのは凄まじい怒気を放つ英雄で、今こいつの中に全ての元凶がいる事を知った俺の心は、真っ黒に塗りつぶした醜いもので埋め尽くされる。

それは親友も同じで、俺にだって負けず劣らずのものだろう。


「お前がああああああああああああッ!!」


 雄叫びを上げなら走り寄ると、人型はハッとした様子で俺たち2人を見る。

アザルストが抜け、コントロールが自分に戻った事によるタイムラグだろうか?

だが今の俺達にそんな事は関係ない。

大切なものを守る為に、ただ殺す為だけに、拳を振るい殴りつける。

反対側の英雄も鬼の形相で剣を突き立てていた。


 球体はたまらずに身を捩り、止めの為に踏み込もうとした俺達は悪寒から後ろへと飛び退く。

中部に生える人型は未だに悶えているが上部に生える人型が1度ビクリと跳ね、ゆっくりとこちらを見渡してきたのだ。


『ほう、少し見ない間に随分と腕を上げた様だね。そっちの君は初めまして。と言っても遊馬ちゃんの周りに居たから一方的に顔見知りではあるんだが。』


 まるで合成音声の様な声だったが、その言葉を聞いただけで俺はゾクリと震える。


「今忙しいんだ、とっとと帰れ糞野郎!! 」


 英雄の叫びに俺も頷きながら続く。


「こちらこそ初めまして。登場して早々で悪いんだが俺も親友と同意見でね。引いてくれないか? 」


 心に鞭を打ち射殺さんばかりに睨みつけながらそう言うと、奴は楽しそうに笑う。


『さすが遊馬ちゃんの友達だ。神族おれと対峙してそこまでの気勢を張れるなんて流石だよ。世が世なら面白い人材だったろうに、あの平和な時代では苦労したんじゃないか? 』


 くつくつと笑うこいつに余計なお世話だと内心で毒づいていると、奴は軽く息を吐いて言葉を続ける。


『さて、本当は手を出す予定は無かったんだが先程の君達を生かそうとする彼女の誇り高さと、大切な者の為に自らの命を顧みないその献身性に心を打たれてね。』


「堅、仕留めるぞ!!」


「応!! 」


 口上の途中だが、ビリビリと感じる嫌な予感が俺達を突き動かす。


『今すぐにでも連れて行こうと思う。止められるならやってみたまえ。』


 その言葉を皮切りに球体が爆散し、上部にいた人型アザルストは倒れる遊馬の方へと勢いよく飛んで行く。

追い駆けようにも目の前には半分に裂けた球体と、それから生える中部の人型が残っており、俺達は判断に迷う。


「こっちはいい、早く行けえええええええええ!! 」


 先に動いたのは英雄で、そう叫ぶと盾を構えて正面の球体へ向かう。


「必ず殺してくるから待ってろ!! 」


 俺はそう吐き捨てると踵を返し、遊馬の下へと駆け出した。

球体自体の速度はそんなに早くないが、切り離した時に稼いだ距離が大きかったのだろう。

俺達には大きな距離が有り、奴は倒れる遊馬の横に浮かぶ。

兎に角がむしゃらに走っている俺を他所にアザルストは動き始めたのだが、その動きは気持ち悪いなんてものじゃなかった。


 人型は何度もビクビクと体を大きく痙攣させ、全身がガクガクと揺れているのだ。

遊馬がいなかったら絶対に近寄りたくない。

そんな本能的な嫌悪感を全力で振り払い、少しでも近づくために走る。


 そしてその時は訪れた。


 ブシュリと言う水気の伴った音と共に人型の腹部や背中が裂け、そこから無数の触手(・・・・・)が生えて来たのだ。

遠目に見ても分かるのだが、何故かイボイボとか変なヒダが付いており、現代のエロファンタジー好きな俺は全身に嫌な汗が流れる。

勿論滝の様に。


 そしてそれを見た俺は自分でもまだこんなに動けるのかと言う速度を出しながら上擦った声で叫んだ。


「遊馬、逃げて! 超逃げて!! 」


 あいつの所まではまだまだ距離が有りどう頑張ってもすぐに助けることは出来ない。

だがそこはあいつの底力が成した技だろう。

遊馬は俺の声に反応し、地面に青白い手を突きながらゆっくりと体を起こしたのだ。


 そして自分の周りで蠢く異様な影をぼんやり見つめると、ギギギと音がする様にゆっくりと影の持ち主へと顔を向けた。


『やあ、おはよう。気分はどうだい? 』


 俺からでは奴が口を動かした様にしか見えなかったが、たぶんこんな感じの事を言ったのだと思う。

腹部から生える触手をうねうねと動かしながら、まるで向日葵ひまわりの様な笑顔を咲かせるとさらに続けた。


『もう逃がさない。』


 薄く開いた目が嗜虐的に輝いた事を逃さなかったのはきっと俺もそう言うプレイが好きだからだろう。

だがそれを別の男にさせる訳にはいかない。


 何が何でも助けなければならない決意を秘めた俺は、残りの距離を一気に駆け抜けるのだった。



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 僕に残った最後の記憶は、かなりのダメージを受けた英雄と堅へヴァーフと一緒に集束型の雨を撃ち込み、中指を立てて格好つけた所までだった。


 今はここで終っていれば良かったと心の底から後悔している。

不謹慎だがいっその事あれで死ねればとも。

切羽詰った堅の声も幻聴では無いのだろう。



『ふふ、喜びのあまりに体が震えてるぞ? 可愛い子猫ちゃん。いや子犬ちゃんかな? 』


 知らねえよ。


 恐怖や不調でガタガタと震える心と体に鞭を打ち、必死に内心で悪態を吐く。


 それも仕方ないだろう。

何と言ったって、今僕の目の前にはグロイ球体が更にグロくなり、ゲーム実況動画でさんざん聞いた合成音声の様な声と全身を舐めつける視線でこいつがアザルストだと分かったからだ。

あとは何か身に纏う雰囲気みたいなものも違う気がする。

少し高貴なグロさになっていた。


「何しに来た」


 自分の状況を確認する為に少しでも時間を稼ごうとそう言うと、奴は嬉々として答える。


『名乗らなくても俺が分かるなんて、愛の力だね。君に睨みつけられるのがこんなにゾクゾクするとは思わなかったよ。』


 全身が泡立ち、今すぐに攻撃を加えたいのだが体が全くいう事を聞かず、今の上体を起こしている体勢すら苦しい。


『そうやって何かの為に全力で動いている君が愛おしくて滅茶苦茶にしたくなる。さて、何しに来たかなんだけど、勿論俺達の愛の巣へ連れて行こうと思うんだが・・・・準備はいいかな?』


「良い訳有るか!!」


 クレーマーを相手にする時の様に半分聞き流し、しっかりと僕の意志を伝えながらも家族全員と連絡が取れない事を確認してさらに体温が下がる。

英雄は遠くで残り1人となった球体と戦っており、堅はこちらへ走ってきているのが確認できた。

僕が倒れてからそんなに時間は経っていない様だ。


 まあ絶体絶命だが。


 人型の隣でウネンウネン動いている触手が嫌でも目に入り、懐かしき現代のコレクションズが急速に僕の記憶を駆け抜ける。

たぶん今自分が動けているのは生存本能的な恐怖によるものだろう。


 女騎士をされるにしても、せめて初めては意思疎通できる人間タイプが良かっただけに絶望感が膨れ上がる。


『ん? この触手たちが気になるの? 安心してくれ、これで今から君を優しく運ぶから。』


「近寄るなあああああああッ!!」


 いい笑顔でスッとこちらへ伸びてくる触手に悲鳴を上げるが、それは相手を喜ばすだけで決して止まる事は無い。

目に涙を溜めながら逃げようとするが下半身に全く力が入らず失敗に終わる。


 そして触手は僕の腰の辺りへ差し掛かると、触れることなく少し上を通過した。


「ひッ!? 」


『んー、やはり遠隔操作の上にこの姿では上手く操れないなぁ』


 テラテラと光る表面に嫌悪感が膨れたまらず悲鳴を上げる僕を他所に、アザルストは楽しむかのような声を上げる。

だが数回の試行錯誤が済むと触手は横腹にその身を擦り付け、自己主張するかのように這い回った。


「堅、助けてえええええええ!!」


 恥も外聞もなく助けを呼んだ僕は悪くない。

だって見た目通りにその表面はヌルヌルとしており、離れた所で糸を引くさまが生々し過ぎるのだ。

人肌より少し熱い事も挙げられる。


 だが頼りの助けはまだ距離が有り、すぐに開放してもらえそうにはない。

そしてあいつの顔は少し期待に満ちていた。

素直に怒りを向けられないのは、何となくあいつの気持ちが分かるからなのだが、やはりそれを自分がされるとなればNoだ。


『なるほど、こうかな? 』


 少しずつ触手の扱いが上手くなるアザルストがそう言うと、ついに触手は僕に巻き付きだし、あっという間に簀巻き(・・・)にされ宙へと浮かぶ。


そう、簀巻きなのだ。

四肢だけを狙って拘束されたり、足を無理矢理開かされたり等の事は無く、簀巻きにされて宙へ浮いていた。

持ち上げられる事で少し下にいるアザルストと堅の『違う、そうじゃない! 』という複雑な表情に殺意が灯る。


「殺せえええええええッ!! 」


 ヌルヌルを忘れて叫んだ僕の心の底からの言葉にハッとなった彼らは何事も無かったかのような表情へ戻った。


遅ぇよ。


『ふふ、大分そそる格好になったね。少しだけ汚してみようかな? 』


 糞野郎はそう言うと触手の1本を僕の顔に近づけ、ぬちゅりと音を立てながら頬を撫でる。

また全身が泡立つ。

触手が離れる時に糸を引いて行くのが本当に嫌だ。


「ようやく追いついたぞ! 遊馬を放しやがれ!! 」


 遂に訪れた助けに僕の心が緩み、つい情けなくその名を呼んでしまう。


「けぇぇん・・・・」


 今のこいつはキャプテンやお兄ちゃん並に格好良く見えるから困る。


『俺以外の男に頼る悪い口は塞いじゃおうか 』


 明らかに視線の冷たくなったアザルストがそう言うと、別の触手が僕の口元へと迫りだす。

唇と顎の力を総動員させて侵入を防ぎ一生懸命体をジタバタとさせるが、抵抗空しく口腔への侵入を許してしまう。


「もごっ! もごぉっ!! (気持ち悪い、抜け!!) 」


 無味無臭だが口の中にヌルヌルが広がり、心が一瞬で折れかける。

噛み千切ろうとしても、ゴムの様に弾力が有って歯が立たない。


 そして実に良い笑顔を見せながら頷いた邪神は僕を少し脇にずらして堅と対峙した。


『見て分かるだろ? 今少し忙しいんだ。後にしてくれないかい? 』


「真っ直ぐ行ってぶち殺す。絶対お前をぶち殺す。正拳突きでぶち殺す 」


 お互いに交渉は有りませんと言い合い、構えを取った堅が叫んだ。


「アザルスト、そこを動くなぁ!!」


 怒気を纏ったあいつがこちらへと駆け出し、腐れ外道の触手が薙ぎ払う様に迫る。


「そんな趣味ねぇんだよ!! 」


 嫌悪を顔に張り付けた堅は両手に炎を纏い、腕を振るうと同時にそれを飛ばす。

炎の波に呑まれた鞭は嫌がる様に体を振るうが、それより先に延焼が進み焼け落ちる。


 煙を上らせる物体Xは見るからに美味しくなさそうだ。


『おっと、なかなかやるね』


 アザルストは楽しそうに笑うと僕の顔へと手を伸ばす。


「もごごっ!!(触んなッ!!)」


『ふふ、その強気な顔が泣き顔に変わる事を想像するだけでイきそうになるよ』


 こいつは薄く笑うと掌を頬に当て、這うように数回撫でると髪に手櫛を入れて来た。

めっちゃ気持ち悪い。


 いやいやをする様に首を振るがアザルストはそんな事を気にも留めず、そのまま髪を1房ほど指で包み、それを自分の口元に寄せる。

ほんと誰でもいいからこいつ殺して。


 僕の反応を1つ1つ丹念に堪能した変態は上品にスーっと香りを楽しんだ後、その髪に口づけを落とした。

出来る事なら僕の手で殺したい。


「てめええええええええええええ!! 」


 魔法と触手の両方を相手にしながらも、踊らされるどころか踊らせている堅が辺りの空気を震わせるほどの声を上げた。

良いぞもっとやれ。


「人の女に手を出すんじゃねええええええ」


 お前のでもねえよ。


『やれやれ、男の嫉妬は見苦しいね。もう少し遊んであげたい所だがこう見えて俺も忙しい身でね』


 そう言ってアザルストが指を鳴らすと、僕らの足元に大規模な赤い魔法陣が浮かび上がる。

記憶の奥底に埋めたはずの知識が逆流して頭痛が酷い。

理解できない部分の方が多いのだが球体が戦う前に使おうとした転移魔法と同種で、更に高位である事は分かる。


『さようならだ、オプション君』


 猛攻に耐える堅へ糞野郎が片手を伸ばし、その先に大きな魔力が溜まって行く。

これだけの術を発動しながら攻撃まで出来る事に、改めて実力差を思い知らされる。


「くっそッ」


 1発も貰っていないとは言え余裕がある訳では無い。

残念ながら親友は今この攻撃を防ぐことは出来ないだろう。

助けたくても何も出来ない僕の体が一気に冷える。

決して威力の高い攻撃ではないが、まともに当たれば1人ぐらい殺すのに訳は無い。


 どうにかしなければと焦りが募る中で少しずつチャージが終わり、ついにその時が訪れる。


『なかなかの余興だったよ』


 止めろと制止の言葉を放つ暇なく、放たれた一撃が堅に向かった。


「ここまで来てッ」


 あいつの表情が悔しそうに歪む。

最悪の結末を予想して僕の目から涙が溢れる。


「世話の焼ける!! 」


 それは本当に一瞬の出来事だった。


 放たれた魔力弾と堅の間に見慣れた男が滑り込み、持っていた大きな盾でそれを防ぐ。

見た目よりも威力が籠っていたのだろう。

ガォンと鈍い音を立て、それの持ち手がたたらを踏む。


 1番早く動いたのは堅だった。

彼は間髪入れずに盾の脇に飛び出すとこちらへ一気に駆け寄り、右手に込めた凄まじい量の魔力と共にその腕を叩き込む。


『はははっ、良いぞ!! 』


 球体部分が殆ど吹き飛ぶもアザルストの余裕はまだまだ崩れず、足元の魔法陣はどんどんと輝きを増していく。

こいつからしたらこの体は道具で、僕の確保さえできればそれだけで勝ちなのだろう。

だが長く一緒にいるからこそ、こいつらがまだ諦めていない事を知っていた。


 今度は僕の横側から飛来する円盤が触手を断ち切ろうとしたのだ。


『狙いは良いけどね』


 恐らく堅を助ける前に時間差で届くように準備していたのだろう。

大盾から顔を出した英雄・・が獰猛な笑みを浮かべている。


 チラリともう1体の球体へ視線を向けると、人型の頭部ごと大剣で地面に縫い合わされて絶命していた。


「堅!! 」


「任せろ!! 」


 増援の掛け声に足元の堅が応え、迷わずに追撃を放つ。

右手の次は左足から繰り出される足刀で球体が完全に吹き飛び、宙に浮く人型アザルストと僕だけが残った。


『これはマズイかな? 』


 纏う空気にそんな雰囲気は一切ないのだが、ここへ来て初めてアザルストが自らの劣勢を認める。

その顔が楽しそうな事に心底腹が立つのだが、今は置いておこう。


 こいつは堅に魔法を集中させると、少しだけ浮いて距離を取ろうとする。

そこへおそらく最初から狙っていたであろう英雄が遂に動いた。


「貰った!!」


 自信に満ち満ちた声と共に投げられた円型の盾が、人型の腹を狙いギリギリの位置で氷の杭に当たって止まる。

だがそこで終わりではなく、1拍置いてから盾が爆発し奴にダメージを与えたのだ。


『ぐぅ、本当に参ったねこれは』


 爆風に煽られながらも触手がしっかりと拘束しているので何もしなくて良い僕は、本当に楽しそうなアザルストの呟きを聞いた。

煙の隙間から見えたこいつの横顔は不気味で、何かは分からないが嫌な感覚が止まらない。

まるで僕らが既に致命的なミスを犯しているかのような気持ちにさえなる。


「もごぉっ!? (うわっ!?)」


 何を狙っているのかと必死に頭を回転させていると、いきなり鉄板が足元を通過し、僕の体が支えを失い3mぐらいの高さから落下を始めた。

下腹部がヒュンとなり着地しようにも体が動かず、それどころか魔力すら流せないので身体強化も出来ない。

一瞬のうちに『骨折で済めばいいなぁ』とある種悟りの境地まで達したのだが、本日2度目となる横からの衝撃でそれは解決される。


「おかえりっと! 」


 耳の少し上で聞こえた堅の声に反応すると、そこには心の底から欲した親友の顔が有り、嬉しくてついに涙が零れた。

触手を超えて触れた肌がとても暖かく気持ちいい。

触手これを気にしないで横抱きとか男前過ぎて軽く嫉妬するレベルだ。


「キスしたい気持ちは分かるが、その前に触手を外すぞ」


 何事も無かったかのように僕を地面へ下ろした大好きな友人へ『そんな気持ちは全然無いよ』と苦笑しながら首を振ると、こいつは微笑みながらこちらの頬に指を這わせる。

堅は僕の涙を拭うと、真っ先に口に刺さった触手を抜いてくれた。


「うっわ、見た目通り気持ち悪いなこれ・・・・大丈夫か? 」


「死にたくなるから聞かないでよ。でもまあ、死にたいと思えるぐらいには正常かな? 」


 僕に巻き付く触手を剥している堅に身を任せ、ぐったりとしながら時々脈打つ触手を見る。

それがビクビクと跳ねる度に手で口を押え嘔吐くのだが、そこで僕は余計な事を考えてしまった。


 この触手は人型の腹部から出て来たのだが、もしかしてこれは人の内臓なのではないかと。


 思い至った嫌な想像にゆっくりと視線を英雄とアザルストへ向ける。

人型の動きは馬鹿にするかの様に怠慢で、先程まで3人かがりで戦っていた時とは違う。

 いつの間にか足元の魔法陣が消えているので糞野郎は撤収したのだと思われた。

戦闘力の低下もそのためだろう。


「なあ遊馬・・・・遊馬? 」


 仲間の声がどこか遠くに聞こえ、僕の視線は奴の腹部へと定まる。

奴のお腹はぽっかりと空いており、そこには何も詰まってない様に見えた

そして頭の中で止めろと警鐘を鳴らすのだが、今まで何度も苛め抜かれた胃はやっぱりあれが消化管なのではないかと言う疑念に耐え切れなかったのだ。


「うぅっ、げぇぇぅぇ・・・」


「遊馬!! 」


 自分と隣の堅へ掛らない様に顔を背け、喉を逆流する物を草原へと撒き散らす。


「まさか毒か!? 」


 慌てる親友に首を振り、水をくれとジェスチャーで伝える。

彼は心配そうにボトルを取り出して僕に渡してくれた。

口を数回濯ぎ、荒く息を吐く。

少し落ち着いたら今度は、ボトルの中の水を頭から被った。


 滅茶苦茶寒い筈なのに考えがスーッとまとまって行く感覚が気持ちよく、空になるまで全てを浴びた。


「おい、大丈夫なのか? 」


 心配そうに堅が聞いてくる。

それに僕は頷くと、ボトルを返して英雄の方を見た。

そこでは今まさに決着がつきそうなところで、英雄が珍しく両側に刃の付いたバトルアックスを取り出した所である。


「 ざ んな 、散々 とを ら か て ぃ 、もう、お るつ りか? ふざ んじゃ ぇぞ・・・・」


 ふつふつと燃えたぎる思いが自然と口をつく。

感情で見える物が変わるのなら、怒りで視界は真っ赤に染まりそうである。


 本気で心配したのだろう、位置を変えて僕の顔を見た堅がハッとなり慌てて顔を英雄に向けて叫んだ。


「英雄、早くそいつを殺せえええええええ!! 」


 その声にただならぬ気迫を感じたのだろう。

あいつは上段に構えた武器を今にも振り下ろそうとしている。

だがそれでは僕が満足しない。


「英雄おおおッ!! そいつを寄越せええええええええッ!! 」


 あらん限りの力を込めて、喉が裂けるのではと錯覚するほどの声を出して英雄を止めようとする。

これほど遊ばれたのだ。

御礼に嬲り返してやろうと叫んだのだが僕の声は間に合わず、地面に転がる人型へ凶刃が無慈悲に降りて行った。


 決して遠くない位置で僕を抜きにして決着がついてしまった事に大きな悲しみが広がる。


「あー・・・その・・・・ヒロインがそんな顔するなって。な? 」


 動けない癖に立ち上がろうとした僕を全力で押さえ、一緒に見届けていた堅がこちらを抱き締め、背中を優しく叩く。


「なんでだよぉ、何で僕はいつもこんな役なんだよぉ」


 胸に顔を埋めながら、涙を流す僕をこいつは優しく撫でる。


「それはほら、お前って美人で可愛い―――痛てッ! 」


 全く嬉しくないので思いっきり堅の横腹を抓った。

正面を見事なシックスパックに割っているのだけでなく、横腹もしっかりと締めているので掴める所が少ないのが残念である。


「俺を抜きにしてラブコメとはいい度胸だな。」


 馬鹿に八つ当たりしていると後ろから少しだけささくれ立った声が掛り、そちらを振り向こうとして頭に添えられた手へ力が入り止められた。

それどころか犯人の胸に押さえつけられる。


「ほら、そろそろこっちに寄越せ」


「もう少しだけ良いだろ? あと5分だけだから。な? 」


「人を物みたいに扱う―――」


 気を抜いた声で冗談(?)を言い合う2人に文句を言おうとして、僕の視線があるものに止まる。

それは先ほどの拘束触手だった。

未だにビクビク動いている。

頬を胸板に当てているので視線が固定され、目を背けられないので嫌でもそれが視界に入り、また先程の様な気持ちが湧きあがる。


「け、堅、離してくれないと本当に不味いか――――うぅっ」


 僕は弱々しく抗議の声を上げ、競り上がって来たモノを頑張って抑える為に手を口に当てた。

その様子がただならない事に気が付いたのだろう。

堅が慌てて拘束を緩め、英雄が背中を擦ろうと手を伸ばしてくる。

だが現実は無情であった。


「うわ!? 」


「危ねぇ!! 」


 結局我慢しきれなかった僕は2人に掛らない位置で、もう1度草原へと吐瀉物をまき散らしたのだった。

英雄が悲鳴を上げて、僕を支えていた堅が抗議の声を上げるがこっちもそれどころでは無い。


「ぅぅぅぅぅぅ、ほんっとごめん」


 謝る僕に英雄が苦笑して水を渡してくれ、また口を濯ぐ。

残った水で喉を潤し、改めて辺りを見回すのだが酷いものである。

草原があちこち裏返り、その付近には人の形をした肉塊が多数転がっていて、猟奇殺人でも起こったのかと思わせる現場だ。


 改めて生きている事が身体の底から湧きあがり、体から気が抜けて行く。

散々体に無理をさせていたからか、強烈な睡魔に襲われて全身の力が抜けて行った。

そんな僕を改めて堅が支え、どさくさに紛れて強く抱き締めてくる。


「ぼくはおとこだー」


 強すぎるくらいに抱きしめてくる堅にそう言うと、まるで真冬の布団の様な温かさを持った胸に導かれ、僕の意識は完全に闇へと落ちるのだった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――



 やーっと一仕事終えた俺は、堅に抱かれた遊馬を見て溜息を吐く。

人に散々働かせておいて、真っ先に寝たお姫様の頬を突くのは悪い事ではないだろう。


 ただ、その寝顔が青白くて、ちゃんと起きるか心配になるので下手に悪戯していいものか分からない。


「疲れたぁー、今日は流石に休むぞ。」


 痛すぎる形で女子力を喪失したとは言え、美女を抱いて良い思いをしている相方にそう言うのだが、なんだか様子がおかしい。


「な、なあ、英雄。こいつ起きるよな? 」


 今にも泣き出しそうな堅の声を聞き、どうして良いのか分からず子供の様に震えるこいつを見て俺はハッとなる。

急いで遊馬の頬に手を当てるのだが、その身体は冷え切っており明らかに呼吸が弱い事に気が付いた。


「おい、遊馬! 起きろ!!」


 何度か揺さぶるのだがこいつは決して起きず、青い唇から吐き出す寝息が命を吐き出しているかのように見えてゾッとする。


「この世界の救急車ってこんな所まで来てくれるのか? 」


 弱々しく冗談を言う堅に当たり散らしたくなるが、そんな事をしても時間の無駄であるし、こいつの気持ちが分からない訳でも無い。

こっちに来たばかりの俺がこんな状況になればこれよりも酷かっただろう。

そう考えるとこの状況で冗談を飛ばせるこいつは何倍もマシなのだ。


 嫉妬さえ覚える程に。


 急いで地図を取出し、どうやって遊馬を街まで運ぶか思案していると、俺は今更ながらにとんでもない事に気が付く。


「なあ堅、街までの方角ってわかるか? 」


「は? 何冗談言ってんだよ、この街に来て1週間も経ってないんだぞ! 俺が分かる訳ねぇだろうが!! 」


 俺の言いたい事を理解した堅が声を荒げる。

俺達は病院からここまで戦闘に全力を注ぎ過ぎた為、自分達がどちらの方角から来たか分からなくなっていたのだ。


 こんな世界なので地図やコンパス等位置情報を知る為の道具は必需品であるが、俺達は慌てていた為、今回はそれを見ずにここまで来ていたのである。

街からどの方角へと向かったのかが分からないので、帰りの方位が分からないのだ。

それどころか今何処にいるのかさえ分かっていない。


 自分達がどれほど危機的な状況に陥ったのかを理解して嫌な汗が吹き出し、堅の腕で眠る遊馬へ視線を向けた。


 こんな何かにすがりたい状況の時は、いつも真っ先にこいつが行動していたからだ。

それが良い結果だけをもたらした訳では無いが、未だに心の何処かでこいつを頼っていた俺は、そんな弱い所を曝け出してしまう。


「なあ、本当に何もないのかよ!! 」


「うるせえっ!! 今考えてんだよ!! 」


 そんな場合でもないのに俺達は荒い口調で怒鳴り合う。


「クソッタレが! 何が救急車だ、あ? 救急車? 」


「どうした? 」


 急に静かになった俺を訝しんだ堅が心配そうに聞いてくる。

そして俺はある結論に至り、恥ずかしさを我慢してこいつに聞いた。


「なあ、俺達ってさ、どうやってここに来たんだっけ? 」


「何馬鹿言ってんだ、そんなのジナイーダさん家の鳥さんに・・・・鳥さんに・・・・」


 俺達が方位を知らないのも考えてみれば当然なのだ。


 最初に襲撃された時に放流されたルルとチチリが頼ったのはイヴァンさん達で、実は俺達よりも早く彼らの下に情報を届けていた。

遅れて保護者の下に到着した俺達を見たあの2体の本当に申し訳なさそうな顔は結構な傷である。


 そもそもあの人達は最初から襲撃を予想してカリーナさんの様な戦闘の腕利き達と近くに隠れていたのだが、それに俺と堅は全く気が付いておらず、ギルドへ向かおうとした所を慌てたアドリアーナに捕まえてもらい何とか合流できたのだ。

索敵のベテランさんが苦笑いしながらイヴァンさん達に向かった先を告げ、俺達は言われるがままに準備をしてジナイーダさんの使い魔君に送り届けてもらったのである。

『危なくなったら助けるから』と言われていたし、この戦闘を評価試験の1つにした事から普通に考えて今までのやり取りは全部見られていたのだろう。


「なあ、これって皆見てるよな? 」


「うわー、めっちゃ恥ずかしい」


 堅が耐える様に上を向いてそう聞くと、俺は両手で顔を覆いながら呟いた。


「ははは、鳥さんが上にいるのも忘れてたよ・・・・」


 相方の言葉に連られて俺も空を見上げると、上空で旋回している使い魔君が居る。


「ふぅ、助けを呼ぶか! 」


「ああ、そうするか! 」


 この後に皆から暖かい視線を向けられるのが決まった俺が無理矢理に元気を出してそう言うと、きっと同じ心境のこいつも嬉々として返事をした。


 ポーチから取り出した魔道具で使い魔君へSOSを送り、飼い主の下へ飛んで行く所を見届けて、遊馬を撫でる。

指先から伝わる冷たさに心まで冷えそうになるのだが、助ける側の俺達が諦めてはいけない。

心配そうにこちらを見る堅に強く頷き返してやると、俺達は救援を待つのだった。

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