第一章.6
「落ち着いたかしら?」
困ったように訪ねてくる女神様に僕は頷く。
「あー、その顔色を見る限りだと無理そうね・・・・」
視界の端に映る英雄も心配そうにこちらを見てくる。
「今日中に決めなくても大丈夫だから1度二人でゆっくり話して、明日答えを出してもいいのよ?」
女神様の言葉に僕たちは顔を見合わせて、その申し出を受ける事にした。
「なら遊馬君、向こうに行くなら変わらざるを得ないんだし、今日1日お試しで体を女の子にしてみる?」
そうだよね、行くのであればいきなりよりも予行練習があった方が良いよね。これが合わなかったらこっちで短い余生を送ろう。
「お願いします。」
悲壮な覚悟に身を包んだ僕を、二人は非常に微妙な顔で慰めてくれる。
「だ、大丈夫だって、たぶんそんなに変わらないから気にするなって。」
「そ、そうよ。もともと女顔だから胸と腰回りが変化して、全体的に軟らかくなるだけだから、ね?」
それが嫌なんだろうが・・・・・
「さあ、一思いにやってください。どうしたんですか?来ないならこちらから行きますよ?」
「お、落ち着けって!!」
「遊馬君、目のハイライトが消えてる!!」
どうしたのだろう?二人が何か騒がしいな。僕は心の準備が出来ているのに、コンプレックスに真っ向から立ち向かおうとしているのに、昔英雄たちに着せられた女物の下着と白のワンピースは未だにトラウマなんだよ?
「ご、ごめん遊馬君!」
そう言ってマレフィ様は僕に手をかざした所で僕の意識は無くなった。
「こ、怖かった・・・・」
「何したんだ?」
「とりあえず眠らせただけよ。」
今俺達の前には遊馬が規則正しい呼吸をしながら転がっていた。
困惑しながらマレフィさんがこちらを見てくる。
「あー、たぶん昔色々と馬鹿やった時のトラウマが蘇ったんだろうな。偶にああなる。」
俺は決して忘れる事の出来ない過去の記憶を思い出していた。
「具体的にはどんなのが?」
「そうだな、パッと思い出せるのだと、中学の頃、仲間たちと泊り掛けで集まった時に共謀してあいつを罰ゲームまで落とし込んだ事があるんだ。内容は着替えだったんだが、その時の格好が女物の下着と白のワンピースでな。金は俺達が出して、友人の妹に買って来てもらった。」
「ああ、思い出した、貴方たちが生着替えかどうかで揉めてた事件ね。」
俺はやはりと言う顔でこいつを見た。
「知ってたのか。」
「あの子は神々のお気に入りだもの、ずっと皆で見守っていたんだから。」
こいつらを近づけさせ過ぎるのは危険だな。
「あんたと同類って事は変態以上アザルスト未満の存在だろうな。」
「否定はしないわ。で、その事件で何かあったの? 私達は着替えた時の遊馬君で大喜びしていただけで、その後に緊急の仕事が入って何が起こったかまでは把握していないのよ。あ、これその時の写真ね。チラリズム大好きな映像関係の神が、ぎりぎりでパンツが見えない様にローアングルから撮影した物よ。太ももが眩しいわよね。一枚いる?」
いきなり空中にSFで見るような薄い青色のボードが浮かび上がり、そこには無防備な遊馬の写真があった。
「これを撮った神様は凄い方だな。是非他の作品も見せていただきたいぜ。後で他のやつも見せてくれ。間違いなく欲しいのが他にもあるだろうから、その時にまとめてくれ。
さて、その後なんだが、遊馬の服装は他の連中とサイズが全然違った為に一度しか着ない事と、俺達の共謀と、夏だったのもあって皺とか気にせずにそのまま寝る事になったんだ。問題がそこで起きた。考えてみてくれ、性を意識し出した年頃の男たちの前に長い付き合いで非常に距離感の近い、どう見ても美少女が無防備にタオルケットをお腹にだけ被って転がりながらこちらに微笑むという状況を。」
あの時の事を思い出して俺は体が熱くなるのを感じる。女神の方からは生唾を飲み込む音が聞こえる。
「そして1人の馬鹿が、いや1人の男に我慢の限界が来て遊馬を襲いだしたんだ。俯せに転がりながら涙を流し嫌がるあいつの両手首を左手で頭上に抑え、その表情を見て生唾を飲み込んだ男が馬乗りになろうとした。流石に俺達もヤバいと思い、見たい願望を必死に抑え込んで止めようとしたんだが、その前に遊馬は跨ろうとしたそいつに膝で金的を決めたんだ。そして部屋の角でタオルケットを被り、こちらをハイライトの消えた目でじっと伺いながら夜を明かしたという事がある。犯人も全力で謝ったし、本人も『未遂に終わった事と、男だから気持ちは分かるし、正直今回は自分も悪かったと本気で思っているから、皆さえよければ今夜のことは無かったことにしよう。』と和解して全員今も変わらぬ友情を続けている。」
一息を吐いて俺は続けた。
「それからだな。あいつが何かあると『ああ』なって周りを驚かせるのは。」
その言葉に女神は、見れなかった事に対する悔しさと理由が分かった事による安堵が混ざった、良く分からない表情をしている。
「そう、理由は分かったわ。お互いに悔恨が残らなかったのは不幸中の幸いね。」
俺は心の底から頷き、隣で幸せそうに寝ている遊馬を2人で見て考える。
(今のドレスでさっきの目をしていたなんて・・・・背徳感で、こう、胸が熱くなるな。問題なのは、この服がアザルストの為に用意された物だってことか。)
俺は馬鹿な事を考えながら、真剣にこれからの事を相談する事にした。
「なあ、俺もこいつと一緒に異世界に行くことは出来るのか?」
俺だってゲームとか漫画が好きな人間だ、こいつの事を抜きにしても剣と魔法のファンタジーと聞けば興味はある。
そう、2人が話している間ずっと考えていた事だ。
あの時俺はこれまでの事と、これからの事を改めて考えていた。
俺は高校卒業後1年だけだが社会経験がある。
理由は両親の『ストレートに大学へ行っても、何がしたいのか分からず腐るだけなら金の無駄だ。一度で良いから学費と生活費を計算してみろ。この1年でそれがどれだけの金額なのか感じてくれ。それが出来たら遊んで来て良い。』という言葉からだ。
言われた時はあまり考えていなかったが、単純に計算した金額に驚き、仕事から社会での無力感を十分すぎる程感じた俺は、ようやく大卒と言う肩書を理解してこの言葉の重みに気がついた。
次の年に大学に入り、俺は生まれて初めて成長を楽しいと思い、友人たちと交友を深めた。
そしてその間に折れてしまった奴を何人も見てきた・・・・。
数年が経ちそこで立ち止まり考える。
固まりきってしまった社会で、俺にこれから先の進歩は何が有るのかと。
金も無いし、起業するだけの知己も、それらを1から組み立てようとする熱意も度胸も無い。
だが無難な道を選んで、○○世代だの○○系だの何でも言葉を付けて過去や虚栄心に囚われて自分を輝かせて見せようとするのは絶対に楽しくない。
この先、俺も過去しか見なくなるかもしれないと思うと怖気がする。
年長者が聞いたら『若い奴なら一度は考える』と鼻で笑う様な内容だろう。
社会を知らない餓鬼の発想だって事も理解できる。
だが、転機が訪れた。
そう考える中であの神を吹き飛ばした時、俺の体を走る熱は本物だったのだ。
超常の力に惚れたのでは無く、暴力でも無く、スポーツの様な一体感でも無い。
あの一瞬、命を掛ける事で言葉に出来ない何かを感じた。
何となく見えてしまった限界だが、別の世界に行くことで今の俺が先入観無しに無理矢理でも新たなスタートラインに立てるなら?
始まってしまえばその後は自分で何とでもするし、一度歩む事を知った以上は惰性で生きるなんて御免だ。
そこであの感覚をもう一度味わえるなら・・・・
親友が体を張って引き当てた、望んでもいない宝くじに無理矢理便乗することに心苦しさはあった。
だが、一山当てなくても、あの日、遊馬と画面越しに追いかけた無限の冒険が有るのであれば行く価値は十二分にある。
親友が、冒険が、進歩が、言葉に出来ない熱が、成功と失敗どちらに転ぶか分からなくても、自分で進める道が有るのであれば、命を含むすべてを掛けてでもそちらへ進みたい。
それになにより、世界を超えれば法律とか関係ないし、遊馬が女体化した事を知る奴もいないので手を出しても社会的に冷遇される可能性は低い。
あいつと幸せな家庭を作って丸く収まるのも悪くない。むしろ良い。
そんな思いを胸にマレフィさんを見ると、彼女は俺を見て薄く笑った。
「なるほど、その心の色を見れば、何を願っているのか大体分かるわ。
大多数の人はね、口に出さなくても非日常を求めているの、冒険心とか英雄願望とかね。そして叶わないから過去をずっと夢見る。
でもあなたは少し違って、今の自分が出来る事や限界を知り、それでも成長を願っている。その為なら血を流すことも厭わない。
普通なら限界を見た所で挫折したり妥協するんだけど、貴方は命を使ってでも生涯を掛けて歩み続けたいと考えている。
管轄外だから分からなかったけど、武門の神々にあなたを気に入る奴がいる訳だわ。今日と明日しか見ないなんて、素質があったのでしょうね。
最後の一押しの原因を作ったとはいえ、生粋の挑戦者がこんな近くに自然発生するとは・・・・・
いいわ、ただし条件がある。あなたの考えを遊馬君に話して受け入れてもらう事よ。相談に嘘偽りがあっても構わないわ。異世界行きを頷かせるだけでいい。私達にも形式が必要なのよ。
そして最後に、あの子は私が貰うから、手出しなどさせないわ。」
冷笑する愚神を見て俺はその言葉に獰猛な笑みを返して言った。
「十分だ。」
隙をついて既成事実を作ればこいつとて手出しは出来まい。
俺は頷いて遊馬を見る。鏡は無かったが俺の顔は嗜虐的に染まっていたと思う。
「それじゃあ、お試しコースを始めますか。」
隣でそう言う悪魔の顔も同じ表情に彩られていた。
きっと似たようなことを考えているのだろう。
「「・・・・」」
俺達の間に沈黙が下りた。
目の前には親友に、初恋の相手に瓜二つな美女がウエディングドレス姿で眠っていた。
「よ、汚したい・・・・」
隣から聞こえる悪魔の囁きに俺は頷こうとするのをとっさに止め、相手に言う。
「そろそろ、仕事に戻らないとまずくないか? それにこいつが起きた時に自分の身体を理解した後、また暗黒面に落ちたら狙われるのは犯人だぞ?」
俺の言葉に心当たりが有り過ぎるのか、彼女は苦悶の表情を浮かべて悩んでいる。
「なあ、さっきからあんたの携帯がずっと震えてるんだが、本当にいいんだな? 明日になってから仕事が溜まり過ぎて動けないとか言って、代役が来たりしないか?」
その言葉に女神は泣きながら頷き、光に包まれて消えて行った。去り際に彼女は、『大丈夫、行き先は私の管轄だから、方法はいくらでもある・・・・』と言っていた。
(どうやってこいつと神々を引き離すかも考えないといけないな。)
俺はとりあえず目の前の問題から解決することにした。
そう、この遊馬に似た女性をどうするかだ。
(着替えさせようにも、途中で起きたら間違いなく怒るな。いっその事勢いよくビリビリと・・・・ダメだ、そんなことしたら俺の自制心が間違いなく持たない。起こすか。)
「おい、起きろ遊馬。」
俺は声を掛けながら肩を揺すると薄らと目を開けてこちらを見た『遊馬擬き』が口を開く。
「ぅぅ、英雄?なんで僕の部屋にいるの?」
ここが仮にお前の部屋であったとして、寝起きに他人がいるんだぞ?もう少し緊張感を―
「ふぁ・・・おはよう。」
まだ寝ぼけているのだろう。
欠伸を噛み殺そうとして失敗し、寝返りを打ちながらこちらに微笑みを向けて挨拶をしてくるこいつは凶器そのものであった。
頑張れ俺、振り絞れ。
逆に考えるんだ。
次にこいつが無防備に何かしたら、止まらない事にしよう。
俺は硬い意志と欲望を結び付け、次の出方を待つ。
「って、ああ!! 思い出した!! 英雄、マレフィ様は何処に行ったの!?」
そう言って体を勢いよく起こす遊馬を見て、俺は内心で盛大に舌打ちをし、事情を話すことにした。