第一章.30
ゆっくりと目を開ける。今まで何度も繰り返してきた動作である筈なのに、瞼が経験した事が無いほど重い。
視界に映るのは真っ白な天井で、俺達がお世話になっている『卵の王様亭』とは全然違う。とりあえず辺りを見回そうと思い、上体を起こそうとして異変に気が付く。
(あれ、何でこんなに身体が重いんだ?)
寝起きである事を差し引いても、頭が上手く動かない。
(あー、昨日は何してたんだっけ? そういえば遊馬は・・・・遊馬? っ!? )
俺の頭が急激に覚醒し思い出す。レッドベアに遭遇した事、遊馬が目の前を横切り致命傷を負った事、あいつと協力して止めを刺した事、そして俺自身も重傷を負った事を。
(遊馬はどうなった? 俺は助かったのか? ここは?)
俺は完全に状態を起こして、自分の体を見た。
火傷の後1つ無く、視力も回復し、至って健康体の自分が見える。
「マレフィさんが?」
俺が行き着いた考えはあのまま二人共死んで、女神に魂だけ回収されたという事だった。
俺は深い溜息を吐く。辺りを見回すとそこは個室で、ドアは1つだけ。俺は備え付けのベッドに寝ていた様だ。隣には小さなテーブルが有り、病院の個室を思い出す。
身体を無理やり動かして立ち上がろうとすると、ドアの向こうから数人の慌てた足音が響く。
音は俺の部屋の前で止まると、勢い良くドアを開けた。
「・・・・イヴァンさんに、ジナイーダさん?」
俺は目を見開いて驚く。てっきりここは神様達の領域かと思っていたからだ。どうやらまだ生きているらしい。
2人の他に、もう一人イヴァンさん達より年上の男が立っている。白衣を着ている事から恐らく医者だとは思うが、自信は無い。
「ヒデオ、起きたのね。」
「この野郎、心配させやがって・・・・」
2人は嬉しそうに近寄ってくる。もう1人は俺達を見て微笑んでいた。
彼らの話だとこの男はやはり医者らしい。回復魔法のスペシャリストだそうだ。この人のお蔭で視力を回復する事が出来たらしい。感謝してもしきれない。
「さて、良く聞けヒデオ、アスマの事だが。」
イヴァンさんがこちらを真剣な表情で見ながら口を開く。
ずっと考えていた。あいつを見た時は駄目だと思った。だが俺は生きている。それならこの後、俺は一人になるのではないかと。あいつを失ったであろう事を想像して、俺は俯き、両手を握りしめ震える。そこにジナイーダさんが優しく頭を撫でて言った。
「大丈夫、アスマも無事よ。こことは別の病室で今は寝ているわ。」
その言葉を聞いて俺は顔を上げる。
「ああ、俺達の気も知らず、ぐっすりと幸せそうに眠っているぜ。ヒデオ、良く頑張った。」
俺の目から熱いものが零れる。生きてるのだ。俺も、遊馬も。
イヴァンさんが、テーブルに畳んで置いてあるタオルを俺に放ってくれた。
それを顔に当てて俺は嗚咽を堪える。あの化け物から逃げられた嬉しさと、絶望的だった親友が助かった事への安堵が混ざり合い、今まで経験した事が無いぐらいに俺は涙を流した。
俺が落ち着くと医者から色々と質問され、問題なしと判断されたが今日一日は安静にする事と言われ、2人にも寝てろと釘を刺されたので、俺は大人しく薬を飲んで眠る事する。
翌朝、簡単な検査を受け俺は退院となった。回復魔法のお蔭とは言え、実に呆気ないものである。
その時に遊馬の病室を聞き、お見舞いに行ったのだが、本当に幸せそうに眠っていた。彼女の手を握ると確かな温かさを感じて、涙が頬を伝う。
親友は、確かに生きていた。
(命を掛けた甲斐が有るぜ。こっちに残ってくれてありがとうな。)
俺は病院を後にして宿へ帰るとマルコヴナさんや宿の常連達に心配された。笑いながら問題なかったと受け答えると、食事を済ませて部屋に帰り、熱いシャワーを浴びてベッドに転がる。部屋が広く感じて仕方がない。
マレフィさんと連絡を取るかどうか悩んだが、遊馬が起きてからにしようと思う。あの人の事だから本当に必要なら呼び出しているはずだ。
まだ昼過ぎだというのに眠気が襲ってくる。抗う事無くそれを受け入れ、意識を手放した。
次の日、俺はイヴァンさん達に呼ばれていたのでギルドへと赴く。
皆心配してくれたらしい。口々に励ましてくれた。
ロビーでジナイーダさんに捕まえられると、そのまま前に使った防音室へと連行される。イヴァンさんが先客として椅子に座っており、俺達も腰かけて今回の件の報告が始まった。
「改めて、良く帰って来たな。」
「退院おめでとう。まったく、貴方達の運の無さには本当に呆れるわ。」
2人は苦笑して言ってきた。
「俺達だって好きで遭遇した訳じゃないですよ。高々毒草の為に熊の餌だなんて笑えません・・・・はぁ、まずは俺達の事から話した方が良いですかね?」
俺は溜息を吐いて話す事を考える。
「ああ、頼む。大体は察しが付いたんだが、一応当事者から聞いておかねえとな。」
イヴァンさんが頷く。
「ええっと、遊馬がやられた時に偶然あいつの血が掛ったんですよ。で、瀕死になった遊馬を見て、覚悟を決めて最後の一撃と思い、イヴァンさんみたいな炎系の魔法剣を使ったら剣に付いていた血が反応して爆発。それに気が付いたら片手剣にベッタリと付けて二撃目を首に当てて仕留めました。後は2人して木の近くに転がってたはずです。」
俺の言葉にジナイーダさんが答える。
「やっぱりね。私たちは別件でレッドベアの出現を聞き、慌てて森に向かったのよ。そこで二人を見つけて助けたんだけど、危なかったのよ? 現場に到着して貴方を見た時なんて誰か判別できない程に火傷を負っていたんだから。」
「アスマに至っては一度ジナイーダも諦めたぐらいだった。最悪はお前一人になっていたかもしれん。」
その言葉を聞いてゾッとする。しかし俺達は生き残った。今は純粋にそれを喜ぼう。
「ヒデオを治した後、途方に暮れていた私達にプラフィが血の事を思い出させてくれてね。後は貴方の時と一緒で、私の杖に血を付けて治療したって訳。」
「まったく、本当にトンでもねえなあいつの体は。守ってやれよ。」
その後二人から、熊を倒したのはイヴァンさん達になっている事と、試験が中止になった事を教えてもらった。
俺達が倒したなんて騒いだら疑われる上に間違いなく方法を聞かれる。
事が事だけに説明は出来ないのでイヴァンさん達の対応には本当に助けられた。
その後いくつか情報をやり取りしている中でレッドベアの討伐報酬の話になったのだが、
「さて、これがレッドベアの討伐報酬だ。」
と言って、かなりの額を渡される。今までの稼ぎなど軽く超えているのだ。
「ちょ、ちょっと待ってください! 俺達は―」
確かに命を掛けて倒したのは俺達だが、その後の事を考えるとこれはこの人達が貰うべきだと俺は反論しようとしたが止められる。
「駄目よ。倒したのは貴方達でしょう? 黙って受け取りなさい。そもそもあなたの装備は全損したから全部買い直しじゃない。そのお金はどうするの? アスマだって防具と魔道具が破損してて、無事なのは最低ランクの剣1本じゃない。ヒデオはともかく、あの子は起きても1週間動かせない予定なのにどうやって稼ぐつもり?」
俺はぐうの音も出なかった。ルルがいなければあれほど一気に稼ぐのは無理だ。
「と言うかな、これを受け取られても、俺達へのダメージって全く無いんだよ。」
その言葉に俺は首を傾げた。
「今回のレッドベアは、知っての通りBランク相当の依頼だ。逆に言えばな、この金額はBランクの金額なんだ。つまり俺達Aランクからしたら、1回の依頼でこれ以上を優に稼げるんだよ。」
2人は愕然とする俺に続ける。
「イヴァンの言う通りよ。だから安心して受け取りなさい。どうせこうやって断られるのが分かっていたから、二人の治療費もそこから出しているわ。」
「お前たちは前に、面倒を見てくれって頼んだだろ? アレの期限を設けなかったのはそっちだ。今回の件もそれの延長線上だと俺達は考えてるんだよ。これでも受け取らねえなら、頷くまで訓練所で相手をするから貰っとけ。」
俺は深く息を吐く。まったく反論できないのだ。それに気を使っている様子も全くない。
「分かりました。それじゃあお言葉に甘えてこれは受け取らせて頂きます。」
俺の言葉に2人は嬉しそうに頷く。頭が上がらないとはこの事だな。
「さて、遊馬が復帰するまで予定は無いんだろ?」
俺がお金を受け取ると、唐突にイヴァンさんが切り出した。
「ええ、しばらくは無いですね。」
俺が頷くと、彼は続ける。
「俺達もレッドベアの後処理でしばらくこの街以外の依頼に出れなくてな。その間、俺がみっちり稽古をつけてやれるんだが、やるか?」
なんでも大物が近くに来た時はそれに付随して他の魔物が移動する事などが有るらしく、それの確認が出来るまで街に待機しないといけないそうだ。
「ええ、是非お願いします。あいつに全力で斬り掛った時に、碌にダメージを与えられなかったのは正直ショックでしたからね。次は斬ります。」
そう言うとイヴァンさんは豪快に笑う。
「その意気だ。俺はいつでも良いが、早速行くか?」
俺が力強く頷くと彼は笑って立ち上がる。ジナイーダさんはそれを見て羨ましそうに溜息を吐いて立ち上がった。
「良いわねそっちは。早くアスマも起きないかしら?」
3人で笑いながら個室を後にする。
(また1から鍛え直しだ。お前が寝ている間に、少しでも差をつけてやる。)
俺は起きてから悔しがるであろう親友の事を考えて、1人ほくそ笑んだ。




