第一章.28
レッドベアの目を狙ってチチリが飛び込む。迎撃しようと左前足を上げた所でルルが走り、左の後足に爪を立てる。
チチリは顔への攻撃を止め、左腕を紙一重で躱し、背中へ仕掛けた。
だが、高い魔力が籠り圧倒的に強度の上がった剛毛は、彼らの攻撃を寄せ付けない。嫌がりこそしても、ダメージにはならなかったのだ。
レッドベアが後ろに回ったルルを狙う為に、ぐるりと体の向きを変えた所で英雄が駈け出す。
「おおおおおおお!!」
狙いは右後足の付け根だ。元々勝てる相手ではない事を分かっているからこそ、2手目を考えずに全力でバスターソードを振り下ろす。
狙いは完璧だった。相手の身を斬る事に成功し、確かなダメージを与える。
だが、それだけだった。
少し深めの切り傷を1ヵ所作っただけで、この化け物相手には浅すぎたのだ。結果は突進力を削ぐ事も、怯ませることも無く、
『ゴォアアアアア!!』
ただ、怒らせるだけに終わった。
自らを傷つけた英雄に狙いを変えて、方向転換する、英雄は目の前で行われた咆哮で動きが遅れた。レッドベアは体を入れ替えた際の動きを上手く使い、左手で英雄を殴りつける。
「くそっ!!」
動けるようになった英雄は慌てて後ろへと飛ぶ。次にどう動くかや、着地などを一切考えない、この一撃を避ける為だけのバックステップだ。これが功を奏し、直撃は免れる。
「がぁっ!?」
胸の鎧に爪が掠り『ギュォ』と鈍い音がする。まともに受けていたら即死だったであろう事を理解して恐怖が倍増する。
元々尻餅をつくような回避だった所に、爪による横からの力が加わり英雄は左後ろに転がる。
「ぃってぇ。」
慌てて立ち上がろうとする所へ、レッドベアは近づく。僕は左側から、先ほど英雄が付けた傷口を目掛けて魔法を使う。
『ロックブラスト!!』
手加減やペース配分などを一切考えない、今一発に込められる魔力の最大量を加えて放つ。4本の石杭は、2本狙いを外れて刺さり、恐ろしく固い皮膚に穴をあけた。ほんの小さな、こいつからしたら針を刺した程度のものを。
残り2本が傷口を捉える事でやっとダメージらしいものを与える事に成功する。痛みでバランスを崩したことを見て、英雄が体制を整える。
「助かったぜ遊馬!!」
「何とか機動力を削いで、全力で逃げるよ!!」
皆で頷く。狙いは今言った通り、足に攻撃を加えて逃げる。倒せる相手ではないからだ。高ランクの魔物は魔力保有量が多い為、身体能力が高くなり危険度が跳ね上がる。こいつの場合はこの馬鹿げた防御力がいい例だろう。
英雄が浅くても一撃、僕が確かなダメージを与えられたのは全力で魔力を込めたからだ。あと少しでも入れ損ねると止められたのは感触でわかった。
冷や汗と体の震えが止まらない。今すぐにでも泣き叫んで逃げ出したいが、もっとダメージを与えないとそれも叶わない。
『ガアアアアアアアアアアアアッ!!』
格下に傷つけられた事に対する怒りからか、立ち直ったレッドベアはその場で雄叫びを上げる。
狙われたのは、残念ながら僕だった。
「遊馬!!」
「わかってる!!」
こちらを向いた事を確認し、顔に目掛けて攻撃を仕掛ける。
『ファイアーボール!!』
拳二つ分の炎が4つ空中を走る。
狙いは炎による呼吸器官へのダメージと目くらましだったのだが、毛皮が焦げただけで一切通っていなかった。
「うそだろ・・・・」
僕は目を見開いてゆっくりと近付いてくる化け物を凝視する。
「ボサっとするな!!」
英雄の呼び掛けで、慌てて距離を取ろうと体を動かす。
背中を見せない様に、相手より少し早いぐらいで後ろへ下がり、今の間合いを維持する。
チチリが右後足の傷口を目掛けて爪を立て、ルルが左後ろから噛み付く。レッドベアは嫌がる様に体を振り、剛腕で2体を引き剥がす。こちらにダメージは無い。
(くそっ、このままじゃ僕達の集中力が先に切れる!! 攻撃を与えられたのはロックブラストだけだ、ファイアーボールが通らなかった以上、これ以上の攻撃方法は無い。)
僕は右にいる英雄に目配せをする。狙いを話すために口を開こうとしたが、レッドベアが当たらない事にしびれを切らせ、こっちへ狙いを変えた事から断念する。だが頭をこちらに向けて来たのなら好都合だ。
『ロックブラスト!!』
4つの石杭を作り、顔を目掛けて投射する。
(皮に刺さったんだ、これが目に入れば!!)
魔法自体は振るわれた腕に当たり全て砕けたが、石の粉末が目に入る事で目つぶしに成功した。それを見た英雄にも少しだが笑みが生まれ、僕達は言葉を揃え言った。
「「 よし! 」」
今のままでは近すぎるので、2人とも一度距離を取るために後ろへ下がろうとした時だった。
『―――――――――――!!』
レッドベアは僕の方へと一気に距離を詰め、目を閉じたまま立ち上がり、今までにない咆哮を上げた。
目の前で行われた威嚇は、僕を恐怖で硬直させる。
「遊馬、躱せ!!」
英雄の声にハッとなる、レッドベアは右腕を振り上げていたのだ。
「あ」
僕は頭が真っ白になる。
取った行動は腰に下げている障壁の魔道具を使い、左側に全力で壁を作る事だった。剛腕が振り下ろされるのがゆっくりと見える。
(ああ、これは駄目だな。丁度爪の位置だ、バラバラにされる・・・・)
自分の死にざまをぼんやりと考えていると、目の前に僕へ力を譲渡していたプラフィが現れた。体が重くなったから、今は供給をカットしたのだろう。彼女は正面から僕を抱き抱え、間合いの内側、せめて爪の直撃を避けようと相手側に倒れ込んだ。恐ろしい右腕が僕へと迫る、障壁は少しだけ威力を削ぎ砕け散った。レッドベアは目が見えていないので狙いの修正をしない。爪の内側に入った僕達は思いっきり叩かれ、爪が僕の背中から横腹を抉り、跳ね飛ばした。
ボールの様に地面を何度か跳ね、木にぶつかり止まる。
横向きに倒れた僕は、プラフィが消えるのを見た。死んではいない、僕の中に戻った事が感覚でわかる。状況を確認しようとして自分の腕を見た。両腕共、肘ではなく前腕が曲がっている。お腹を走る激痛から体を動かせない所為で見る事は出来ないが、足も動かないからきっと折れているだろう。
英雄がこちらを見て愕然としているのが見える。僕は大丈夫だと言おうとしたが、あまりの痛さから口が開けない。いや、お腹から何かが喉に込み上げて来たので無理矢理口が開く。
「ゴポッ」
息が止まらない様に、激痛に耐えながら血を吐きだす。
吹き飛ばされた時の事と、これから死ぬという確信が怖くて、温かいものが股を濡らす。
僕は口をパクパクと動かし、声にならない声を出す。
(死にたくない、死にたくないよぉ・・・・)
霞む視界で英雄と視線が重なったことを感じて僕は言う。
(英雄、生きてね。)
腹部から何かが溢れて行き、体温がどんどん下がっていく事を感じて、僕の意識も一緒に流されていった。
この糞野郎の咆哮を聞き、目の前で遊馬が棒立ちになるのを見た。情けない事に俺も恐怖で動けなかった。ゆっくりとした動きでレッドベアが右腕を持ち上げているのが見える。
「遊馬、躱せ!!」
俺は何とか声を出し、あいつもそれに反応して、動いてくれた。だが駄目だった。
「あ」
蚊の鳴くような声を出すと、障壁を張り棒立ちになる。俺は後ろから引っ張る為に駈け出すが遅すぎた。
悪魔のような腕が振り下ろされる。
遊馬に当たれば丁度爪で引き裂かれる位置だ。後ろに引くのが間に合った所であの長い爪では捉えられる。それでも諦め切れずに俺は左腕を伸ばすと、遊馬の前にプラフィが現れ、あいつを抱きしめるとそのまま敵側に倒れた。間合いの内に入ろうとしたのだろう。俺はそれを見て最悪の状況は回避できたと考える。レッドベアは目が見えていない事で振り下ろすコースを一切変えていないからだ。
俺は攻撃後の隙を狙おうと剣を構えて踏み出す。
そしてそれが大きな間違いであった事に気付かされる。
腕を体で受けた遊馬が目の前を横切ったのだ。まるで玩具の様に。爪が背中から腹部を貫き、引き裂いたのだろう。俺と剣に生暖かいものが掛る。それが血である事は見ないでもわかった。
人の動きではない。
無造作に投げ捨てられるよう錐揉みをしながら地面へと落ち、それでは止まらずに何度も跳ねて、木に背中を強打して止まる。
俺はぼんやりとだが、致命傷である事を確信していた。プラフィが消え、あいつは自分の状況を確認しようとしているのか、虫の息で蠢き、吐血しているのが見えた。
今まで魔物だけでなく、人間も斬ってきた、あれが長くない動きである事は経験で知っている。
死に掛けた遊馬と目が合い、あいつは俺を見て何かを言おうと必死に口を動かしていた。何を言いたいのかは分からないが、俺を心配してくれたのは何となく分かる。
俺の全身から力が抜けていくが、歯を食いしばり踏み止まる。
(どうせ死ぬなら、向こうで会う時に格好良く再会したいんでな。ほんの少しだけ待っててくれ、最後にもう一撃ぐらいは決めてから行く。)
俺は深呼吸をして気合を入れ直す。
チチリが大急ぎで遊馬の下へと飛び、消えるのが見えた。恐らく中から延命処置をしようとしているのだろう。ルルはこれまでに見た事も無いほど犬歯を剥き出しにして唸っている。
(あいつが死んだら、ルル達ともお別れか・・・・折角だから一緒に行きたいが、それは可哀想だな。)
俺は何となく遊馬とレッドベアの中間へと進み、剣を構える。
ここで格好良いのは、お姫様を守る騎士役だろうと鼻で笑いながらだ。
(目が見えないなら牽制は必要ないし、攻撃力の低いチチリがいても仕方ない。少しでもルルを顕現させられる様に行動したのは飼い主に似たんだろうな。あいつの方がずっと戦闘狂の素質があるじゃねえか。)
俺は魔力を剣に通す。この世界の誰もが行う、『ただ纏わせる』のではなく、攻撃魔法を込めていく。これまで武器が壊れるから試した事は無かったが、今なら良いだろう。
(思い出せ、イヴァンさんの戦斧を・・・・叩きつけて爆発させるだけでいい。)
レッドベアが4足歩行になり、鼻をひくつかせてこちらを見る。
熊は嗅覚が強いと聞いたことが有る。狙いは俺か遊馬か分からんが、これ以上やらせるつもりはない。
「ルル、もう少しだけ付き合ってくれ。あいつの仇を取ってやろう。」
静かに言う俺の言葉に反応してルルが力強く吠える。
こちらが何かを狙っていると察したルルは、レッドベアへと攻撃を加えて気を引く。狙い通りにレッドベアは俺に対して横を向いてくれた。
今扱える魔力を限界まで込める。纏わせるのは炎だ。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
俺は全ての力を振り絞りバスターソードを振り下ろす。狙いは横腹だったが、こちらに反応した事で振り返られ、右肩にずれる。
(畜生・・・・すまねえ、遊馬。どうやらこれで―!?)
諦めに囚われながら振り下ろした剣が糞野郎の肩に当たった瞬間、凄まじい爆発が起こった。俺は手や顔に火傷を負いながら後ろへと吹き飛ばされ、遊馬の横へと転がる。
ルルは轟音に驚き、動きを止め、様子を覗っている。
(な、なんだ、一体何が起きた!?)
正面にはレッドベアが暴れている。吹き飛んだせいで距離が有るのは助かった。
あいつの右腕は完全に吹き飛んで無くなり、肩口も酷い火傷を負っている。
俺は痛む体を無視して無理矢理体を起こす。隣の遊馬を見るが弱々しく呼吸をするだけで魔法を使えるような状況じゃない。
助けが来たのかと思い、周りを見渡すが人影は無く、気配もしなかった。
「ルル、周りに誰かいるのか!?」
何が起こったのか分からない俺は軽くパニックになりながら叫ぶ。
(くそっ、本当に何が起こったんだ? 俺の魔法剣であれほどの威力は出ない。初めて使ったがそれは確信できる。)
ルルが首を振り、ますます困惑が深まる。
右手に持つ剣を見ると予想通り一度の使用で砕け散っていた。残っているのは握りしめている柄だけだ。さっきの爆発で負った傷により血塗れになっている。
(この剣だって特別な物では無くて量産品だ。だったら何故・・・・)
俺はそこまで考えて、右手の先で転がる遊馬を見る。彼女は自身が流す血の海に沈んでいる。
(遊馬・・・・ん?血? まさか!?)
俺は砕け散る前の剣を思い出す。いつもと違う所が無かったかと。
(そうだ、あの時、遊馬が吹き飛ばされた時、バスターソードには遊馬の血が付いた。そしてこいつの体は特別だ・・・・・)
俺は腰の片手剣を抜き、遊馬の隣へ片膝を着く。
「遊馬、どうやら一矢報いるどころの話じゃなくなりそうだ。俺達で目に物見せてやろうぜ。」
そう言って、血溜まりに片手剣を寝かして刀身全体に血を付ける。
先程の衝撃を思い出し、これだけの血が付いた場合の威力を考えて俺は軽く笑う。
「行けそうだぜ、相棒。まだ息が有るなら本格的に俺と競争だな。じゃあ、行って来る。」
俺は未だに同じ場所で、血を流しながら暴れる魔物を見据える。
考えるのは親友を無残な姿にした相手への、純粋な殺意と怒り。
救ってやれなかった己の無力。
(当てるだけだ、切り方は気にしなくて良い。使った後はお互いに悲惨だろうから防御も考えるな、相手は錯乱しているから当てるだけだ。頭か胸へと当てれば俺達の勝ちだ。)
剣を両手で持ち、右下に構えると大きく深呼吸をする。
数回繰り返すと俺は駆け出した。
レッドベアへ詰め寄り、魔力を剣へ纏わせ、真上に構えて俺は叫ぶ。
「死ねえええええええええええええええええええええええええ!!」
俺の叫びに気が付いたレッドベアは残った左腕で迎撃しようとするが、体を支えられず無様に転がる。
俺はこいつの首元に対して全力で剣を振り下ろし、剣に纏わせていた炎魔法を解放した。
凄まじい閃光と爆風が広がる。そして防ぎきれない熱は自分自身を焼き焦がす。予想以上の衝撃に俺の理解力は完全に追いつかない。
自分が生きている事を確認した時、俺は離れた場所に俯せで転がっていた。
(あー、体中が痛い。うわ、両腕が焼け爛れてるぜ。めちゃくちゃ痛え。足も似たような感じだし、見ない方が・・・・あら? 右目が完全に見えねえな。左がギリギリで見えるからいいか。レッドベアはどうなった?)
痛む腕を鞭打って上体を起こし、辺りを見回すと、さっきより遠くに赤い塊が転がっていた。ルルがこちらへと走り寄って来るのが見えた。
呼吸するだけでも辛いが、聞かなければならない事が有る。
「ルル、あいつはどうなった? 死んだか?」
喉まで熱でやられた様で、声は掠れていた。
隣に来たルルは頷き、一番聞きたかったことを教えてくれた。
俺の状態はよっぽど酷いのだろう。こいつがこんな悲しそうな顔をするのは初めて見た。
(レッドベアを倒した爆発を至近距離で受けて、なんで俺は生きてるんだろうな。まあいいか。それより今は・・・・)
死は時間の問題だろうと考え、もう一度辺りを見回し、木の傍で倒れている親友を見つける。
歩く事が出来ないので這って進むのだが地面と擦れて体中が悲鳴を上げる。
最後まで格好つけたい俺は悲鳴を上げずに我慢をして何とか隣までたどり着く。
『ヒューヒュー』と弱々しい息遣いが聞こえて俺はホッと一息つき、遊馬を止めた木に背中からもたれ掛かる。
「終わったぞ、遊馬。さあ、帰ろう・・・・」
俺はそれだけ言うと、隣に座ったルルに微笑み、意識を完全に手放した。




