足音
草木も眠る丑三つ時。その暗闇に足音が二つ。
息が辛い。もう足は棒のようだ。それでも床を蹴り、少しでも前に進もうとあがく。その度に床が金切り声をあげた。相変わらず後ろにはぴったりと張り付くように足音がある。人ではない、それは自分が一番わかっている。
夕鶴は今年で14になる娘だった。見た目も、頭もごく普通の娘だ。とりわけ目立つ器量も才覚もない。
夕鶴が女房として仕えることになったのは、やんごとなき血筋をもつ藤原 昌秀の邸宅だった。
まず驚いたことといえば、仕える人の少なさだ。手と足の指で足りそうなぐらい少ない。ーなんでもここは幽霊屋敷として有名らしい。血の気のない真っ白の顔をした女が恨めしそうに睨んできたり、大柄な老人がたたずんでいたり・・・「まあ、昔のことだけどね。」とある女房はけろりと言った。「なんでも、とある貴族の娘が報われない恋をしてついには病で亡くなったらしいわ。それからは父親、母親・・・と近しいひとが死んでいったんですって。」ありきたりよね、という声も夕鶴には届かなった。
なんてところに来てしまったんだ・・・それでいっぱいだった。
ひとつ、訂正しなければならないことがある。夕鶴はごく普通にみえる娘だ。器量も才覚もごく普通。けれどあれが見える。ここまでくればたいていの人はわかるだろう。 妖怪、幽霊・・・簡潔に言えばこの世のものではないもの。それがみえてしまった。今ではテレビで引っ張りだこだろうが、この平安の世ではそうはいかない。陰陽師の家ならともかく、夕鶴は貴族の娘として生まれたのだから。それゆえ、ひどい扱いを受けることが多かった。血のつながった親にさえ。 不思議と怒りはわかなかった。仕方ない。気味の悪い自分が悪い、とあきらめた。 そして裳着を迎える頃になると、自分はいないものにされていることが判明した。
思い返せば、袴儀も行っていない。・・・ 結局なあなあにされ、まるで捨てられるようにこの屋敷に仕えることになったのだ。
どうしよう、どうしよう。走るのも限界だ。自分のいるところもわからない。万事休す、と諦めてうつむいた瞬間、丹精込めて磨かれた床に素足がつっかかった。
「いたっ」
転ぶまいと必死に手をついたのが仇となってしまった。
足音が近づいてくる。
不思議と夕鶴には嬉しそうに聞こえる。
もう終わりだ。そんな考えが頭に浮かんだ。
「そこにいるのは誰だっ」
男の声が夜の空気を裂いた。