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修学旅行が終わり、椿は休日に修学旅行のお土産を祖父と伯父に手渡す為、水嶋家を訪問していた。
仕事が忙しい伯父や海外に行くことの多い祖父はスケジュールを調整してくれたらしく、家で椿を出迎えてくれる。
「久しぶりだな椿。カナダはどうだった?」
「お久しぶりです、お祖父様。カナダでは州議事堂や美術館を見学致しました。実際に自分の目で拝見すると、その豪華さに圧倒されますね。良い経験になりました」
「百聞は一見にしかずとは良く言ったものよ」
「えぇ。本当に。……それと、お祖父様。今日はお土産を持って参りましたの」
椿は机にお土産が入った袋を乗せる。
祖父と伯父はほぼ同時に中身を取り出した。
「私がよく着ているブランドの店だな。……これはネクタイピンか。シンプルで良いデザインだ。お前は中々に見る目があるようだな」
「ありがとうございます。喜んでいただけて光栄ですわ。お出掛けの際にでも使って下さると嬉しいです」
「勿論だとも。早速、明日から使うことにしよう」
「まぁ、ありがとうございます」
実のところ、祖父が良く着ているブランドなど知らなかったので、同じブランドが出しているネクタイピンだったらとっくに同じものを持っているのではないかと椿はヒヤヒヤしたのだが、祖父の態度や口調からはそのように見受けられず、ホッとした。
「私の方はモチーフ付きのタイピンか。これは、馬の横顔だな」
「伯父様は乗馬を嗜んでおられますから、よろしいかと思いまして」
「あぁ、覚えてくれていたのか。ありがとう。大切に使わせてもらおう」
伯父がネクタイピンを箱に戻したと同時に、部屋に使用人が入ってきて祖父に何かを耳打ちする。
「電話が掛かってきたようだ。少し席を外させてもらう」
椿達に断りを入れ、祖父は部屋を出て行った。
途端に椿は盛大に息を吐く。
「未だに緊張するのか?」
これまで静かに椿と祖父達との会話を聞いていた恭介から声を掛けられた。
「当たり前です。機嫌を損ねて睨まれるのは嫌ですもの。それよりも、恭介さんもお土産をお祖父様と伯父様に渡されたのでしょう?」
「あぁ、恭介から貰ったな。非常に書きやすい万年筆だった。それと名刺入れも貰ったな。お陰で取引先に自慢できる」
目尻を下げた伯父は非常に嬉しそうである。
自慢できると聞いた恭介も口元に笑みを浮かべている。
「恭介にも聞いたが、カナダの観光地はどこも人が一杯だっただろう?」
「えぇ。ちょうどホッケーのシーズンですから、尚更ですね」
「あぁ、そういえばそうだったな。ホッケーの試合は見たか? 凄い迫力だっただろう?」
「はい。どちらのチームを応援しようか悩んでしまいました」
「昔、同じことを薫と理沙が言ってたな」
伯父は二人との楽しい思い出でもあるのか、本当に楽しそうに口にしていた。
どのような思い出があるのだろうかと気になり、椿が口を開こうとしたが、先に伯父から話し掛けられてしまい彼女は口を閉じる。
「ところで、椿は高等部はどうするんだ? 外部受験の予定はないのか?」
伯父には美緒とのあれやこれやが報告されているはずなので、心配しているのだろうが、椿は外部受験をするつもりは全くない。
「このまま高等部に進学する予定です。初等部の時とは違って、進学テストはございませんから楽でいいですね」
鳳峰学園高等部への進学は三年間のテスト結果と普段の生活態度を見て、問題が無ければそのまま進学となる形式になっている。
「……そうか。それで良いんだな」
「えぇ。問題はございません」
「何かあれば言いなさい。すぐに対処するから」
「はい。何かあればよろしくお願い致します」
椿はニッコリと微笑みながら口にしたが、水嶋家の名前を出すことはあっても伯父に助けを求めることは恐らく無い。
「そういえば、今年も水嶋のパーティーがあるのでしょう? 会場はいつものホテルなのですか?」
「あぁ、そうだ。誰か招待したい人でも居るのか? 今なら希望を叶えられるが」
「本当ですか? でしたら鳴海清香さんを招待していただきたいのですか?」
「……鳴海……あぁ、外食産業で急激に伸びてきたところだな。年々規模を拡大していっているし、相当社長が優秀なんだろう。そういえば、あそこのお嬢さんと仲良くしていたんだったな。友達なのか?」
「えぇ、友人です。とても仲が良いのです。ですので招待して下さい。お願いします」
やや食い気味に伯父へとお願いすると、彼は少しだけ身を逸らして椿の勢いに引いていた。
「ならば、招待状を送っておこう。他には居るか?」
「杏奈さんや、千弦さん、佐伯君は招待されるのでしょうから、他には居りません」
「もう少し友人を作ったらどうだ?」
「……私は人間関係は深く狭くがモットーなので平気です」
友達が増えれば増えるだけ椿が傲慢で我儘な令嬢ではないことが知れ渡ってしまうことを考えれば現状、鳴海だけの状態の方が楽ではあるのだ。
「椿も恭介も疑り深いのは悪いことではないが、折角の出会いを逃してしまうな」
「それでも僕は着実に友人が出来ていますので問題はないです」
「え? 篠崎君だけだよね!?」
「……お前だって鳴海だけだろ」
どっこいどっこいな結果の話に伯父はただ遠い目をして二人を見つめていた。
まさか、ここまで友人が少ないとは伯父も思っていなかったのだ。
「まぁ、篠崎家のご子息と鳴海家のご令嬢に関しては招待状は出そう。その二人だけで良いんだな? 他はいつも通りで良いんだな?」
「はい」
「問題ありません」
返答を聞いた伯父は頭に手を置いてはぁ、とため息を吐いた。
友人の少ない息子と姪ですまない、と椿は心の中で伯父に詫びる。
すると、伯父がため息を吐いたすぐ後で部屋の扉が開き、執事の瀬川が入ってくる。
「椿様、大旦那様がお呼びです。大旦那様の書斎までお越し下さい」
「え?」
椿の戸惑いの声を無視した瀬川は、扉を開けて彼女が動くのを待っている。
チラリと椿は伯父の方へ視線を向けるが、彼の表情からは何も読み取れない。
祖父と二人で話をしたことはほとんど無い為、何を言われるのか怖くもあるが、椿が動かない限りは誰も動こうとはしない。
覚悟を決めるしかないと思った椿は、重い腰を上げて祖父が待つ書斎へと向かった。