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85-3

 温室へと入り、椿は恭介に先月あった出来事の件を振ってみることにした。


「最近、上の空になってる時があるけど、何かあったの? 一応瀬川からホテルの件は聞いてるけど、学校内のことじゃなさそうだし、気になってさ。言いたくないなら別にいいんだけど」

「……そのことか。父さんにも説明したが、ホテルで移動中に電話に出て携帯をしまった時に携帯についていたストラップを落としたんだ。それを拾ってくれた人がいたんだが、相手も急いでいたのか僕にストラップを渡して名前も言わずに立ち去っていったんだ。だから礼を言えなかったことが気持ち悪くてしばらくホテルまで見に行ってただけだ」

「本当にそれだけ?」


 椿がジッと恭介を見ると、彼はため息を吐いて続きを話し始める。


「……本当は、僕が水嶋の御曹司だからわざと親切にして、利益を得ようとしたんじゃないかと疑ってた部分もある。たかがストラップ如きでとか思うかもしれないが、相手が何を考えているかなんて分からないだろう? だから念のためだよ。こんなこと、父さんに話せる訳がないから言ってないけど」


 椿の目を真っ直ぐに見つめて言った言葉に嘘はなさそうであった。

 これまで打算で動いて恭介に親切にしてきた人達を多く見てきたせいもあり、純粋な好意を信じられなかったのかもしれない。

 また、伯父は恭介の警戒心の強さを知ってはいるけれど、ここまで尾を引いているとは思っていない。だから恭介は、伯父がこれ以上罪悪感を持たないようにと後半部分を言わなかったのだ。

 

「その人が気に掛かって上の空になってたのね」

「べ、別に気になってなんかない! ただ、馬鹿な奴だと思っただけだよ」

「恭介、拾ってくれた人に対して馬鹿はないんじゃない?」

「……別に馬鹿にしてる訳じゃない。全速力で走ってきて髪の毛はボサボサで、片手に脱いだ靴を持って裸足だったんだぞ。そんなことをしなくても従業員に渡せば良かったのに、馬鹿な奴だなと思っただけだよ」


 非常に穏やかな表情と優しげな声色で話す恭介を見て、椿は呆気にとられる。

 彼のこんな表情を椿は見たことがないし、まるで愛しい人を思い出しながら話すような声も聞いたことがない。

 恭介は見返りを求めない優しさを目の当たりにして嬉しかったようだ。


「……そんなに、見返りを求めない人が珍しかったの?」

「あ、あぁ。今まで側に寄ってきたのは、自分の欲の為に動いていた奴が大半だったからな」

「確かに、恭介の立場だったらそう思うのも無理はないかもね。それで、その人には会えたの?」

「……いや、一ヶ月近く見てたがそれらしい人物はホテルに出入りしてなかった」


 どことなく残念そうに恭介が口にした。

 水嶋の御曹司として厳しく育てられている恭介だからこそ、礼を言えなかったことを申し訳ないと思っていると見える。


「お礼を言えなかったのは残念だけど、恭介にこびを売るような人じゃなかったことが分かって良かったじゃない」

「……あぁ。そうだな」

「そういう人は、お礼を言われる為に他人に親切にしている訳じゃないから、気にしなくてもいいんじゃない?」

「そんな人間が居るのか?」


 恭介に聞かれ、椿は純粋な好意、見返りを求めない優しさを持つ人間に一人だけ心当たりがあることに気付く。

 同時に、恭介と遭遇したのは彼女ではないかと疑うが、そんな上手い話があるわけはない。

 あるわけないと思いつつも、一応確認しておこうと思い、椿は恭介に問い掛ける。


「ねぇ、恭介。その人って女性?」

「いきなりなんだ?」

「確認のためだよ。で、女性? 同じ年くらい? どんな容姿をしてたの? 身長は?」


 質問攻めにされた恭介は若干引いているようで体を後ろに逸らしている。


「……確か、女性だった。多分年は同じくらいで、身長はお前よりも低かった気がするな。顔は一瞬だったから良く覚えてはいない。けど、もう一度会えばすぐに分かると思う。それで、それがどうしたんだよ。お前の知ってる奴だったのか」

「いや、特徴があれば不破に頼んで調べて貰えることもできたんだけどなって思って」

「お前な……下らないことに使用人を使うなよ」


 あはは、ごめんごめんと言いながら、椿は相手の女の子の特徴がほとんど無いことに、そんな上手い話があるわけないよな、と少しだけガックリときた。

 これで相手が夏目透子だったのなら、恭介と会ったにも拘わらず、一度もホテルへ姿を現さなかったという点で、彼女が前世の記憶を思い出したとかではなく"本物の夏目透子"であることになったのだが、現実はそう甘くはないらしい。

 椿は、一年前に会った透子がとても性格の良い人であったことから、彼女に対して少なからず好感を抱いている。

 だから、彼女が美緒のような性格をした転生者でなければいいのに、という思いは椿の願望でしかないのだ。

 それに、内容は違うが入学前に恭介と出会うという『恋花』内のイベントがそこで起こっていれば透子が鳳峰学園に入学してくる可能性が高くなり、恭介となんやかんやあって恋愛関係になってハッピーエンドになれたのにと思っただけである。

 せめて、恭介がもっと相手の特徴を覚えていればなぁ、と椿がいじけていると、恭介から夏休みのことについての話を切り出された。


「ところで椿、夏休みの予定はどうなってる?」

「夏休み? 何、またレオンが日本に来るの?」

「朝比奈家主催の船上ホームパーティーがあるの忘れたのかよ」

「あぁ、レオンも招待されてたのね」


 夏に朝比奈家の親族や友人を集めて花火大会を見ながらの船上ホームパーティーが行われる予定になっているのだ。

 父親の友人でもあり、義理の兄にも当たる水嶋の伯父や息子の恭介も招待されている。

 

「ちゃんと詳細まで聞いておけ」

「船で美味しい物を食べながら花火を見ることしか頭になかった」

「お前って奴は……」


 片手を額に当てて呆れている恭介に対して、椿はアハハと乾いた笑い声をあげる。


「でも今回は、千弦さんや佐伯君、鳴海さんまで招待して下さったのは嬉しかったわ」

「お前、友達少ないもんな」

「あんたもね」


 いつもの調子で椿は速攻で突っ込みを入れるが、突っ込みを入れた彼女も突っ込まれた恭介も普通にダメージを受けていた。


「いや、止めよう。この話は止めよう」

「答えの出ない議論は無駄だからな」


 これ以上話を続けても、お互いに傷つく結果にしかならないことをよく分かっていた二人は会話を終える。

 一応、恭介には伯父が心配していたことや最近の態度などを伝えると、彼は一言「気を付ける」と口にしていたので、この件は大丈夫だろう。


 温室から出て、リビングへと戻った椿は、伯父に呼ばれたので先程恭介と話したことを伝える。

 その際、伯父に心配を掛けたくない恭介の気持ちを汲み、彼が話さなかった部分は椿も話さなかった。

 その部分が重要であると椿は思っていなかったからである。

 時間が経てば、元通りの恭介に戻るだろうと伯父に伝え、椿は用意されているスイーツを選びに向かった。

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