85-2
伯父に髪をぐしゃぐしゃにされ、せっかくセットした髪になんてことを! と椿は抗議の声を上げる。
「もう! 折角整えた髪が台無しではないですか!」
「それは済まなかった。だが、椿が悪い」
「なんだかんだでお父様と仲がよろしい癖に! 月に何度か仕事終わりに飲みに行ってらっしゃるのは分かっておりますのよ」
「薫は本当に口が軽いな」
全く仕方の無い男だ、などと伯父は口にしているが口元が緩んでいる。
伯父と父親の関係は親友と言って過言ではないのだろうが、当人以外から言われると照れくささなどがあるのだろう。
男って本当に面倒臭いなぁ、と椿は思いながら伯父を軽く睨み付けていた。
「悪かったから、そう睨むな。そうだ、何が食べたい? ブラックベリーのジュレやイチジクのタルトやチェリーのミルフィーユなんかもあるがどうする?」
「……イチジクのタルトをいただきます」
椿は頬を膨らませながらも、自分の食べたい物を口にする。
伯父は使用人を呼び、イチジクのタルトを用意させる。伯父にエスコートされ、椿はリビングへと向かい、用意されていたイチジクのタルトを堪能した。
「美味しいですね」
「それは良かった。口に合ったようで何よりだ。ところで、椿。ちょっとお願い事を聞いてもらえないか?」
恭介もそうであるが、父親である伯父もなぜお願い事をする前に椿に甘い物を食べさせようとするのか。
きっと、食べてしまった後では椿が断りにくいことを分かった上でやっているに違いない。
「何でしょうか?」
「ここじゃちょっと話しにくいから、庭に出よう」
伯父は席を立ち、父親に椿を借りる旨を伝え庭に出たので、彼女も伯父を追いかける形で庭へと出る。
わざわざ庭に連れ出したということは、リビングに居た人物に話を聞かれたくなかったからだ。
ということは、十中八九恭介のことで間違いないと椿は思っている。
「外に連れ出して悪かったな。ここなら大丈夫だろう」
「聞かれたら困ることなのですか?」
「まぁ、な。……ところで、最近恭介の様子がおかしいんだが、心当たりはあるか?」
伯父に問われた椿は、自分も恭介の様子がおかしいことに気付いていたが理由を何も知らないので首を傾げる。
体育祭以降で特に恭介に何かがあったとは聞いてないし、美緒が動いた形跡もない。
クラスメイトとも仲良くやっているらしいし、問題らしい問題はないはずである。
「申し訳ありません。私には心当たりがありません。ですが、私も恭介さんの様子がおかしいというのは気付いておりました。学校内では特に何があったというのは伺っておりませんので、学校内のことではないと思います」
「そうか」
言いつつも伯父はガックリと肩を落としている。
最近、恭介との会話が減ったこともあって、伯父は恭介に何かあったのでは? と心配しているのだ。
「ただの反抗期であればいいんだがな」
そう呟いた後で伯父と椿はリビングへと戻る。
リビング内では相変わらず恭介は菫と樹に捕まっていた。
一見すると恭介はいつも通りの態度であるが、やはりどこかがおかしい。
どこか遠くを見つめて上の空になっている時があるのだ。
恭介の様子を見た椿は恐らく一番彼と接する時間が長い瀬川に聞いてみることにした。
リビング内に居た瀬川をアイコンタクトで廊下へと呼び出した椿は、声を潜めて瀬川に訊ねてみる。
「あのね、最近恭介さんに何か変わったことはなかった?」
「変わったことでございますか? 特にはございませんが……あぁ、そういえば」
何かを思い出したのか、瀬川が椿に説明をしてくれる。
「ここ最近ですが、毎日とあるホテルにお訪ねになってましたね。ホテルの前に車を停めてずっと入口をご覧になっていたと運転手から伺っておりますが」
「それは伯父様には」
「勿論、報告済みでございます。ですが、恭介様自身がきちんと理由を仰っていたので、旦那様も特に気になさらなかったようです」
「その理由を瀬川も聞いた?」
「申し訳ございません。私は何も」
本当に済まなさそうに口にしている瀬川を見ると、本当に彼は何も聞いていないのだろう。
椿は瀬川に礼を言ってリビングへと戻ろうとしたが、扉の前に居た伯父によって呼び止められる。
「瀬川から話を聞いたのか?」
「まぁ、気になりましたので」
「恭介からは、落とし物を拾ってくれた人に礼も言えずに別れてしまって、気になって見に行っていたと説明されたんだが、嘘を言っているようには見えなかった。だが、私には遠慮があって言えなかったという可能性もある。済まないが、椿からも聞いてみてもらえないだろうか?」
「それは構いませんが……。私にも本当のことを仰らない可能性も」
「同じ立場であればこそ、言いやすいこともあるだろう。頼んだ」
伯父に肩をポンと叩かれ、椿はリビングへと戻る。
リビング内ではようやく菫と樹から解放された恭介がケーキを食べている最中であった。
人が居るところでは言いにくいだろうと思い、椿は恭介がケーキを食べ終えるのを待ってから彼に話し掛ける。
「恭介、ちょっと温室まで来てもらえる?」
「なんでだ」
「聞かれたくない話があるから」
考え込んでいた恭介だったが、顔を上げて「分かった」とだけ口にして椿の後についてくる。
椿も恭介も喋ることなく無言で温室へと向かったのである。