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体育祭が終わって七月に入り、弟の樹の誕生日も近い七夕の日にホームパーティーをするからと伯父に招待されていた椿達家族は、水嶋家にお邪魔していた。
「ごきげんよう、恭介さん」
「……」
背後に居た椿の挨拶が聞こえていなかったのか、恭介は無言のままで振り向きもしない。
実は体育祭のすぐ後くらいから、彼はこのように人の話が聞こえていなかったり、上の空になっている時が頻繁にあるのだ。
椿はそれが気に掛かって、表情の見えない電話よりも二人きりになれる水嶋家のホームパーティーを狙って彼に話を聞こうと思っていたのである。
挨拶の為に椿が再度恭介に話し掛けようとしたら、先に菫と樹が彼に話し掛けてしまい、声を掛けそびれてしまう。
そのまま恭介は二人に連れられリビングへと消えていったのを見た椿は、まぁ、時間もあるし後でいいかと追いかけることはしなかった。
グルリと周囲を見渡すと大きな笹が飾られており、近くに短冊を描くスペースが用意されており、初等部の頃の七夕祭を思い出して、椿は笑みを浮かべる。
「短冊はいくらでも書いて大丈夫だからな」
短冊に目を向けていた椿を見て、伯父が話し掛けてくる。
「お久しぶりです、伯父様」
「久しぶりだな。ところで学校生活はどうだ? 何か困っていることはないのか?」
伯父の問いに少し考え込んだ椿は、ここ最近の出来事を思い返したが特に何もなかった為「……特にはございません」と正直に口にした。
実際、今の美緒は全くといっていい程、恭介の近くに寄ってきていない。
恭介の側にいる女子生徒や椿を睨み付けるだけで、彼女自身がどうこうしてくることもないのだ。
「そうか。……そういえば、十月に修学旅行があっただろう? 家からもSPを付けようかと思っているんだが」
「学校側がSPを付けて下さいますから、十分では?」
「いや、側にという意味ではない。離れたところから様子を見ていてもらおうかと思ってな。学校側にはすでに話を通してある」
伯父の口振りから、これは決定事項の話をされているのだと椿は気付いた。
学校側に話をしてあるのならば、椿がどうこう言ったところで伯父が考えを変える訳がない。
安全には変えられないということだろうと思い、椿はまぁ、仕方が無いかと諦めた。
「あと、学校での恭介はどんな感じだ?」
「伯父様が直接お尋ねになれば、恭介さんは答えるでしょう?」
「……最近は聞いても同じ返事しか返ってこない。親としてはやはり気になるものなんだ」
目を閉じてため息を吐いた伯父を見て、椿は少しだけ気の毒に思ってしまう。
恭介は反抗期、なのだろうか。
けれど、彼は理性の強い人間ということもあり、父親に対してひどく反抗的な態度をとることはないように思うので、その線は薄いかもしれない。
もう少し詳しい話を聞いてみようと思った椿は伯父に問い掛ける。
「えーっと、この間の体育祭のお話は伺いましたか?」
「優勝したとだけ聞いたな。細かいことは何も」
「そ、そうですか。私は恭介さんと同じ黄組だったのですが、団長の恭介さんの活躍は本当に素晴らしいものでした。棒倒しでも活躍しておりましたし、学年色別リレーではアンカーで独走してました」
椿もまさか恭介が伯父に優勝したことだけしか言っていないとは思っていなかったので戸惑ってしまったが、きちんと体育祭であったことを彼に伝える。
また、恭介の伯父への態度を聞いて、やはり彼に何かがあったとしか椿には思えなかった。
椿が踏み込んでいい領域の話かどうかを見極めなければいけないが、学校内で何も起こっていないのならば、プライベートで何かがあったのだろうか。
「そうか。体育祭で恭介は楽しそうにしていたか?」
「えぇ、それはもう。友人でもある篠崎君も同じチームでしたから、話は弾んでおりましたし、他の生徒とも言葉を交わしておりましたよ」
「友人ができて楽しそうにしているのならば大丈夫だろう。安心したよ」
伯父は穏やかに微笑んでいるが、なぜ恭介は伯父に詳細を話さなかったのか。
何かあったとしても、親に心配を掛けるようなことはしないし、そもそも他人に悟られないようにするタイプなので、ここまであからさまな変化に椿は恭介のことが心配になってしまう。
「中等部に入学したての頃は心配もしたが、なんとか良い方向に行ってるようで良かった。あの子は他人に対して警戒心を持ちすぎるところがあるから、友人ができるか不安もあったんだが、まぁ、これは私のせいでもあるから、恭介には悪いことをしてしまったと思っているよ」
「ですが、そのお陰で人を見る目が鍛えられたといってもよろしいのではないでしょうか? それに、初等部の頃や一年生の頃とは違って、欲を持った女子生徒以外で恭介さんの側にいるのは、普通の好意的なクラスメイトの方々ですから。昔よりは恭介さんの他人に対する警戒心も薄れていると思いますよ」
「ならいいんだが……。私もそうだったように、学生時代の友人は生涯の友人になる」
「伯父様にとっては、お父様がその友に当たるのですね」
伯父は目を見開いた後でフッと笑い椿の頭を撫でた。
紳士的な伯父にしては、少々乱暴な撫で方であった為、椿の髪の毛が乱れてしまう。