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三学期が始まってから椿は、鳴海からメールなどで勉強方法やお勧めの本を聞かれたりと順調に仲を深めていた。
そんな中、月日は経ちバレンタインのある二月へと突入する。
今年もレオンは休みを利用して朝比奈家へとチョコを貰いにやってきたので、椿は去年と同じ店で購入したチョコをレオンに手渡し、彼からお土産と称したお菓子を受け取ったのだった。
正直、なんだこの物々交換は、と思ったのは内緒である。
ただひとつ去年と違うのは父親が家に居たことで、彼は陰からこっそりと椿とレオンの様子を窺っていたのである。
途中で母親に首根っこ掴まれて退場していった訳なのだが。
このような事情もあって、レオンは長居することもなく、椿に『ホワイトデーのプレゼントを楽しみにしておけ』という言葉を残して帰って行ったのだった。
また、妹の菫であるが、彼女は今年も倖一の為に手作りをして彼に渡している。
今年はトリュフで、丸めるのと最後のパウダーをまぶしつける部分を椿と菫でやったのである。
五個入りのトリュフを美味しそうに頬張っていた倖一は、ジッと彼を見つめる菫に気付いたらしく、トリュフをひとつ手に持つと、彼女の口元に持っていったのである。
「あの、倖一様?」
「これ、すげぇ美味いから菫も食ってみろよ。ほら」
でも、と口にしながら菫は行儀が悪いのでは無いかと思ったのか、椿の顔色を窺っていた。
椿は誰も見ていないのだし構わないかと思い、戸惑っている菫に向かって優しく微笑みかけ頷いた。
姉である椿の許しが出たことで、菫は食べても良いんだと判断し倖一の手からトリュフを食べたのである。
「……お、美味しいです」
「だろ!」
照れくさそうに笑う菫と晴れやかな顔で笑う倖一はとてもほのぼのとしていて微笑ましい。
ただ、倖一の母親はあまり嬉しそうではなかったのが椿は気がかりでもあるが、彼女の立場を考えれば仕方のないことである。
椿の両親が菫に対してキッパリと倖一と会うなと言わないということは、椿の実父と倖一家族は別だと判断しているからに他ならない。
けれど、表だって椿の両親が倖一の両親に会うことは出来ない。それをしたら、外野が倖一の家族を今以上に攻撃してしまうからだ。
どうやって取り入ったのかとか、息子を使って懐柔したとか、前の社長と同じ手を使ったのかとか言われてしまう。
菫には倖一の父親の親族に母親が昔迷惑をかけられたことがあったのだとは両親から話はしていたのである。
だからあまり頻繁に会うのは控えて欲しいと菫には言ってあり、彼女もなんとなくだが良くないことを母親がされたのだろうと理解したのか、季節の変わり目やイベントの時だけ倖一に会いに行くようにしている。
当時のことを全て話すにはまだ菫は幼すぎるのだ。
倖一家族には何の非もないのだから、彼らが肩身を狭くする必要は全くない。
その為には、母親にひどいことをした椿の実父である倉橋と倖一家族は別なのだと周囲に理解してもらう必要があるのだが、第三者がいる場所で両者が顔を合わせることは難しい。
誰かがお節介をしてくれない限りはこのままである。
倖一の家から帰宅した後、菫と別れた椿は母親に呼び止められた。
「どうかされました?」
「えぇ。椿ちゃん、昨年のパーティーで真知子さんから花見のお誘いをされていたでしょう?」
「はい。お父様やお母様の許可がいりますので、とその場でお返事はしなかったのですが」
「それでね、音羽本家から招待状が届いたのよ。私も薫さんも出席するつもりなのだけれど、椿ちゃんはどう? 音羽家の皆さんは良い方ばかりですし、年齢の近いお子さんもおられるとか。椿ちゃんは人見知りするでしょうから、私か薫さんの側に居ても大丈夫よ?」
畳み掛けるように母親が口にしたことで、これは椿に出席して欲しいのだなと気付いたが、母親の友人である音羽真知子に良い印象を抱いている彼女に断る理由はない。
「特に予定がなければ出席します。家族全員で伺うのですか?」
「いえ、菫ちゃんと樹さんはお留守番よ。出席するのは薫さんと私と椿ちゃんだけ」
「そうなのですか」
「えぇ、そうなの。今度、着物を仕立てに参りましょうね。春らしい若草色なんてどうかしら? 桜色も捨てがたいのだけれど、お召しになる方は多いでしょうしね」
楽しげにコロコロと笑う母親は次々に予定を立てていく。
「そうだわ。簪も揃えないとね。三月だから珊瑚にしましょうか? 翡翠にして着物と合わせるのもいいわね。椿でもいいのだけれど、少し主張し過ぎるかしら? 悩んでしまうわね」
「純子さんと相談したらどうです?」
「それもそうね。そうと決まれば早速、相談しに行かなければならないわ。あ、きちんと出席にしておきますから、その心積もりでね」
「はい。分かりました」
去って行った母親の後ろ姿を見た椿は、また色々と連れて歩かされることになりそうだとため息を吐く。
後日、茶会に着ていく着物を仕立て、和装の小物類を買うのに両親に連れ回される破目となったのは言うまでも無い。
そしてヘトヘトになりながらも迎えた月曜日の放課後、椿が帰ろうと廊下を歩いていると、教師から呼び止められる。
「朝比奈。今暇か? 暇だな。暇だよな? じゃあこれちょっと生徒会室に届けてくれ。じゃ」
一気に話し終えた教師は椿に一枚のプリントを託して颯爽と去って行った。
ちなみに椿は暇だとは一切口にしていない。
あまりの鮮やかな手口に椿は口をポカンと開けてしばらく棒立ちになっていた。
だが、どこからともなく聞こえた運動部の生徒達の声に椿は我に返り、手元のプリントを見る。
プリントには『生徒会誌』と書かれており、三学期の行事や生徒会役員の紹介などが書かれていた。
おそらく来月に発行する分だとは思うが、無関係の椿に託しても良かったのだろうか。
それに、あの教師は椿にプリントを生徒会室まで持っていくようにと言っていた。
ということは、生徒会役員が生徒会誌の内容を確認しなければならないということである。
突っ立っているままでは帰れないし、生徒会室に居るであろう役員達も帰れないと思い、椿は不本意ながらもプリントを生徒会室へと持っていくことにした。
確か生徒会室は特別棟の一階であったはずである。
生徒会室が近くなってきて、椿が廊下の角を曲がると、ある部屋の前で千弦と篠崎が立ち話をしている姿が彼女の目に映った。
ある部屋の室名札を見ると生徒会室と書かれており、二人は生徒会室の前で立ち話をしていたのである。
椿が千弦と篠崎に近づいていくと、すぐに二人も椿に気が付いた。
「あら、椿さん? 特別棟に用事ですか?」
「これを持っていくように先生から頼まれましたのよ」
椿は手に持っていたプリントをヒラヒラとさせる。
千弦はプリントに太文字で書かれた文字を読み、すぐに生徒会誌であることに気付いた。
「貴女に頼むなんて、勇気のある先生ですわね」
「問答無用、返事をする間もなく押しつけられましたわ」
「それはご苦労様でした。それと申し訳ございませんが、すぐに内容を確認致しますので少々お待ちになっていただけるかしら?」
「ということは、確認が終わった生徒会誌を私が先生にお渡ししろ、ということなのかしら?」
「えぇ、お願いします」
職員室まで行かなければならないのは面倒ではあるが、特に用事もなかった椿は「分かりました」と口にした。
千弦が生徒会誌を確認し始めて少しすると生徒会室の扉が開き、中から下級生と思しき女子生徒が顔を見せる。
彼女は篠崎か千弦に用があったみたいだが、先に椿の存在に気付いてしまい、驚いて固まってしまう。
下級生にも悪評は広まっているのだと感じて、椿は固まっている彼女に対して申し訳ない気持ちになる。
しばらく少女と椿は見つめ合っていたのだが、いつまでも立ちつくしている少女に痺れを切らした篠崎が声を掛けた。
だが、少女には聞こえていないのか、椿から視線を逸らそうとしない。
彼女は視線を逸らしたら殺られるとでも思っているのだろうか。
どうしたものかと椿が悩んでいると、生徒会誌の確認を終えた千弦が未だに動こうとしない少女の肩を掴んで隣に移動させた。
少女が移動したことで、ドアが開けっぴろげになり、中が丸見えになる。
全く関係の無い場所だからこそ、中がどうなっているのか椿は気になってしまい、こんな機会は滅多にないと視線を生徒会室の中へと向ける。
部屋の中は段ボールが数箱置いてあり、お世辞にも綺麗な部屋とは言いがたかった。
お金持ちの生徒会室は豪華だと椿は想像していたので、少しばかりガッカリしてしまう。
「引っ越し直後みたいな散らかりようですわね」
「あぁ、卒業式のプログラムをクラス毎に分けておりましたのよ。先生から頼まれましてね。卒業式は先生方もお忙しいでしょうから」
「大変ねぇ」
このような雑用をしなければならないとは、生徒会役員なのにというべきか、生徒会役員だからというべきか。
千弦との会話が一段落し、椿は横で未だに動けないでいる少女に視線を移した。
「千弦さん、こちらの方は?」
「会計の七尾さんですわ。七尾真弓さん。一年生ですの」
「いい加減、動いて下さらないと私、困ってしまうのですが」
「ごめんなさいね。七尾さん。会長か私に用事があったのではなくて?」
七尾の顔を覗き込んだ千弦が同時に彼女の肩をポンポンと叩く。
ようやく我に返った七尾は何度も椿に頭を下げ、用件を口にする。
「あの、今月の生徒会誌はまだでしょうか? そろそろ締切のはずだと思うのですが」
「それなら、今しがた椿さんに届けて頂きました」
「えぇっ!」
大声を上げた後でやばいと思ったのか、七尾は両手で口を塞ぎ椿の顔色を窺っている。
当の椿はツンとすました顔をして窓の外を眺めていた。
その態度を怒っていると勘違いしたのか、七尾は青ざめている。
「七尾さん。椿さんはそのようなことでは怒りませんから、大丈夫です」
「で、ですが」
「そうでしょ、椿さん」
「えぇ。私は心の広い人間ですから」
よほど信用のない言葉だったのか、七尾から胡散臭そうな目を向けられてしまう。
「ところで七尾さん。プログラムをクラス毎に分けるのは終わりました?」
「あ、いいえ。まだ途中です。あと二年生の分が残ってます」
「そうですか。もうすぐ会長との打ち合わせも終わりますから、すぐに手伝います」
「いえ、私達で数えますので大丈夫です」
では、と言って七尾は生徒会室へと戻っていった。
「打ち合わせでしたの? 邪魔をして申し訳ございません」
「いえ、来月にある交流会での挨拶の件を話しておりましたの。数を数えている方の真横で話していると相手の気が散ると思いまして」
「そうでしたか。それよりも、随分と段ボールがありましたわね。生徒会とはあのような雑用もなさるのですか?」
「あれは私達の方から先生にお仕事はありませんか? と訊ねて頂いた仕事ですわ。それに生徒会とは本来、生徒の考えやお願いを伺って生徒を代表して先生方にお知らせする組織ですから。いわば中間管理職といったところでしょうか。ですので、私達は雑用が主な仕事ですのよ? 勿論、主体となって動くこともありますけれどね」
千弦の説明を聞いた椿は、そういうもんなのか? と首を捻る。
生徒会は絶大な権力を持たないまでも、ある程度の権力は持っていると彼女は思っていたのだ。
「生徒会にそこまでの権限はないってことだよ。あくまでも学校の顔というだけかな。生徒の中ではある程度の権力を持っていると思われているのが悩みどころかな」
生徒会役員というのは一般の生徒からしたら雲の上の存在だと思われているので仕方あるまい。
椿が良い例である。
「大それたことは何も出来ませんのよ? それなのに他の生徒は私達が何か権力を持っているのではないかと思っているようで」
「予算だって、顧問の先生が計上したものを確認するだけとかで、生徒が主体となってお金を扱うことは絶対にないのにね」
「何でもできると勘違いされて、いい迷惑ですわ」
散々周囲から言われているのか、千弦も篠崎も本当にうんざりとした声と表情であった。
「鳳峰学園ですからね。先生も口出しできないような家の生徒が生徒会役員になった場合は、割と好き勝手できてしまうと思われているのかもしれませんわ」
「あぁ、貴女みたいな」
「そうそう」
千弦の軽口に椿もいつもと同じように返事をしたのだが、篠崎はどこか不思議そうな表情をしている。
「篠崎君? どうかなさったの?」
「いや……噂で聞いてた朝比奈さんとは随分と印象が違うと思ってね」
「噂ですか? どうせ、我儘、傲慢、人を見下してる、逆らう人間は破滅させるとかでしょう?」
「自分で言うんだね。あまり気にしてないのかな?」
「えぇ。全く」
椿は満面の笑みを浮かべながら答えた。
「椿さんがそのような態度ですから、魔王の微笑みとか陰で言われますのよ」
「魔王よりも魔女の方が良いのですが?」
「魔が付くのは気にしないんだね」
魔王と呼ばていることをまるで気にしていない様子の椿に対して、篠崎はやや呆れた口調である。
「まぁ、皆さんがそう仰っておられるのは存じ上げておりますから」
「貴女はもう少し気になさいませ」
「人の噂を根絶やしにするのは無理でしょう? 私は皆さんの期待に応えているだけですわ」
「根絶やしという言葉のチョイスがすでに"魔"なんだけどね」
そこに気付いたか、と篠崎に向かって椿は微笑みかけた。
「だけど、傲慢だの我儘だの見下すだの言われてるけど、俺は別に朝比奈さんから何かされた覚えがないから、疑問に思ってたんだよね」
「だって、篠崎君からは何もされておりませんもの。私の悪口を仰ったり、苛めたりからかった訳でもありませんから。何もされてない方に攻撃をしたりしませんわ」
「いや、だけど、俺は水嶋に結構突っかかってたと思うんだけど……」
「あれは、恭介さんがご自分で解決すべきことでしたでしょう? なぜ私が口を出す必要があるのですか? それに、恭介さんも嫌がってはいませんでしたし、むしろ喜んではおりましたもの」
キッパリと椿が言い切ると、篠崎は予想外の答えだったのか口をポカンと開けている。
「噂というのも当てにならないってことが良く分かったよ」
「そうですか? 案外、噂通りの人間かもしれませんわよ?」
「藤堂と友達の時点でそれはないだろう? そういう人間を彼女は一番嫌いそうだと思うんだけど」
「……え、えぇ、そうですわね」
千弦は椿といがみ合っていた初等部の頃を思い出したのか、少しばかり気まずそうである。
理由を知っている椿がフォローせねばと思ったが、同時に生徒会室の扉が開いて七尾が再び顔を出した。
「会長、副会長。プログラムを数え終わりました」
「分かりました。今、戻ります。では、椿さん。申し訳ございませんが、生徒会誌を顧問の先生に届けて頂けますか?」
「えぇ」
椿は千弦から生徒会誌を受け取り、二人に挨拶をして職員室へと向かう。
千弦も篠崎も忙しそうではあるが、どこか楽しそうで椿は羨ましいと思ったのである。