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母親が手紙を持って家から出て行き、入れ違いに礼儀作法の先生がやって来たことで椿は強制的にお勉強タイムに突入した。

最初は富美子が教えてくれていたのだが、あまりの椿のやんちゃっぷりに根を上げ、こうして外部から礼儀作法の先生を呼んでいると言う訳だ。


やんちゃと言っても、木に登ったり、蔓を掴んでターザンごっこしたり、庭に生っていたアケビやらの果物をもいで恭介と半分こしたりしただけだ。

ターザンごっこは体が小さく身軽だからついやってしまったのだが。

木に登った時など、下でオロオロしていた恭介が見物だった。


『お、おい!下りれるのか!瀬川を呼んでく…って、とび下りるな!だいじょうぶなのか!けがしてないか!?』


この一件から恭介はどうやら椿を放っといたら危険な奴だと認識したらしく頻繁に後をついて来るようになった。

恭介の通っている幼稚園は大体いいとこの令嬢ばかりだから、椿のような遊びをする子など皆無なのだろう。

幼稚園と言えばだが、椿はまだ幼稚園に行けずにいる。

両親の離婚が成立し、苗字を水嶋に戻してから転入する予定になっているからだ。


幼稚園に入るまでの間、時間もあると言う事で、椿は世間の一般常識や物の名前、言葉使い、上流階級のマナー全般などを叩き込まれている。

今まで外に出た事が無い世間知らずの子供と言うのが水嶋家の椿に対する印象である。いきなり幼稚園で沢山の子供達と上手くコミュニケーションを取れるか伯父と母親は不安なのだ。


礼儀作法の先生にはまず、自分の事を名前で呼ぶのを止め『わたくし』と言う様にきつく言われた。

そして、恭介の事は恭ちゃんではなく『恭介さん』と呼ぶ様にとも言われた。

そのどちらもすぐに直したりしたら不自然になるので、徐々に移行して行っている状態だ。


現在、椿は礼儀作法の他、茶道・華道・ピアノ・お琴・習字・スイミング・英会話の習い事をしている。

恭介に聞いたらお琴を除いた上記の他、多国語やヴァイオリンも習っているそうだ。

子供なのに多忙すぎると椿は思わずにはいられない。


礼儀作法の授業も終わり、夕飯を食べ終え、お風呂から上がり自室に行こうと椿が歩いていたところ伯父の部屋のドアが開き、伯父が椿と同じ目線になるようにしゃがんでドアから顔と手だけ出し、おいでおいでと椿を呼んでいた。

面倒臭い用事だろうと椿は察した為、行くのは嫌だったが、このまま立って居てもどうしようもないので仕方なく伯父の部屋にお呼ばれする事にした。


「伯父さま。どうしたのですか?」

「いや、何。大した用事ではないんだがな」


なんとも歯切れが悪い言い方である。


「その、椿は恭介と仲が良いと瀬川から聞いている」

「はい。恭介さんとはなかよくしています」

「それでだ。恭介が私宛に手紙を書いてくれたのは知ってるね」

「はい」


椿が肯定の返事をすると、伯父は鞄から母親に手渡したはずの恭介からの手紙を椿に差し出してきた。

見た所、封を切った跡は無い。


「それがどうかしたのですか?」

「私の代わりに読んでくれ」


自分で読めよ!と椿は強く言いたかったが、今の自分は幼児なのだからと言い聞かせ落ち着かせた。


「えっと。なぜわたくしが?」

「…1度読んで否定的な言葉が書かれていないか確認してくれ。否定的な言葉があった場合はオブラートに何重にも包んで噛み砕いて教えてくれ」


メンタルの弱すぎる伯父の発言に、椿は呆れて物が言えなくなってしまう。

伯父は真顔で努めて冷静な口調で喋ってはいるが、貧乏ゆすりは激しいし、心なしか組んでいる指も震えているような気がする。


「それはかまいませんが、わたくしが見たと知ったら恭介さんがおこってしまいます」

「そこは内密にしておくから」


伯父から頼むと言われ、椿は嫌々ながら手紙の封を切り、折りたたんである紙を広げ内容に目を通した。

そこには、幼児にしては綺麗な文字で恭介から父親への思いが綴られていた。

お仕事お疲れ様です、から始まり、母親が死んで父親と疎遠になったのが寂しい事、また一緒にご飯を食べたいとか一緒にどこかへ出掛けたいとか出来る範囲で構わないから前のように接して欲しいと言う様な事が書かれていた。

椿はそれをそのまま伯父に伝えると、途中から伯父は俯き、時折鼻を啜っていた。

しばらく伯父は俯いていたが、幾分落ち着いたのか鼻声で椿に問いかけた。


「否定的な言葉はあったかい?」

「いいえ。わたくしが読みあげたのがすべてです」

「…ありがとう」


私から手紙を受け取ると、書かれた文字を愛おしそうに眺めていた。


「読みやすい字だ。こんなに漢字も覚えてたのか。あんなに泣き虫だったのに子供の成長は早いものだな。私はあいつの代わりに恭介の成長を見守らないといけないのに何をしていたんだろうな」


感慨深げに呟いた伯父の顔は晴れ晴れとしたもので、もうこの親子は大丈夫だと椿は確信するのだった。

未だに手紙を眺めている伯父に向かい、もう寝る時間だからと告げ、椿は伯父の部屋を後にした。


翌朝、ダイニングに行くと興奮した様子の恭介が椿に駆け寄って来る。


「つばき!見ろ!お父さまからのお手紙だ!」

「良かったね恭ちゃん。それで伯父さまは何て?」

「あぁ、今までのことをあやまってくれた。ならいごとをがんばれとかいてあったな。お父さまもきらきら星がお好きのようだぞ。僕といっしょだ」


恭介は何度も何度も伯父から貰った手紙を読み返していて、食事は全く進んでいない状態であった。

結局、遅刻するからと瀬川が急かして恭介を車に乗せていた。


それから数日後、ついに両親の離婚届けは受理され、晴れて母親は独身に戻ったのであった。

椿の苗字も倉橋から水嶋に変わり、やっと幼稚園へと転入する事が出来た。

恭介と同じ幼稚園なので不安は全くなく、1カ月みっちりと学んだ礼儀作法などが役に立ち幼稚園で1人浮くような羽目にはならず、椿は安心した。

その後、ようやく海外から帰国した祖父と椿の初の顔合わせとなった。

憎い男の子供だから無下にされたらどうしようかとも思ったが、祖母に似ている事が功を奏したのか普通の孫のように可愛がられる事に成功し、椿は胸を撫で下ろした。

どこの世界の祖父母も女孫と言う存在には甘いのだなと実感したのだった。



またある日、習い事から帰ると玄関に見慣れぬ人が居るのに椿は気づいた。

使用人達は普通にその人に接していたので、椿は伯父あたりの客なのだろうかと予想する。


後ろ姿しか見えないその人は背が高く、色素の薄い髪色をしていた。

水嶋家にしては珍しい客だなと思い、顔を見ようと椿は横に移動する。

すると、ちょこまかと動く椿に気付いたのか、こちらを向いた客とばっちりと目が合ってしまった。

彼はしばらく椿の顔を凝視すると、何かに気付いたのか満面の笑みを浮かべ、しゃがんで椿と視線を合わせてきた。


「君が椿ちゃんだね!本当に百合子さんの小さい頃に似てるね。目元はおば様似なんだ。かわいい!」


物凄い勢いで喋りかけられ思わず椿は後ずさってしまった。

目の前の男の人のテンションに椿が狼狽えていると、書斎から出て来た伯父が様子を見て現状を把握してくれたのか、椿に男の人を紹介してくれた。

男の人は朝比奈薫と言い、鳳峰学園初等部時代からの伯父の友人だと言う。

冷静沈着な伯父とは正反対な人と仲が良いのを椿は意外に思った。


玄関先で騒いでいたのが部屋まで聞こえたのか、母親が何事かと様子を見に来た。

母親の姿を見た朝比奈は伯父との会話を放ったらかしにして満面の笑みで母親に近づいていく。

それを見て、椿は目当ては母親かと合点がいった。


「久しぶりだね、百合子さん」

「まぁ、朝比奈様。ご無沙汰しております」

「5、6年振りになるのかな。百合子さんは随分大人の魅力が増して綺麗になったね」

「ありがとうございます。それを言うなら朝比奈様もですわ。最後に会った時よりも随分と魅力が増しておられますもの。良い結婚相手に恵まれたのでしょうね」

「いや、それがまだ独身で。仕事が楽しくてそんな暇がなかったんだよ」


朝比奈が独身だと聞き、母親は少々バツの悪そうな顔を浮かべたが、朝比奈が気にしないでくれと言った為、すぐに持ち直した。


話が長くなりそうな母親と朝比奈を尻目に椿は邪魔をしないよう、その場からさっさと立ち去った。

その日以降、朝比奈は頻繁に水嶋家を訪れ、伯父を隠れ蓑に母親に会いに来るようになる。

その際、椿に対するお土産も忘れない所をみると、とてもマメな人なのだろう。


朝比奈が頻繁に水嶋家に出入りするようになり数週間後、椿は本を読む為、サンルームへと向かっていた。

すると階段の裏のスペースにちょこんと座り椿を手招きしている朝比奈と遭遇する。

前に椿は伯父と性格正反対とか言っていたが撤回したくなった。

この2人は割と似た者同士である、と手招きしている朝比奈を見て椿は思った。

呼ばれたので仕方なく椿も階段の裏のスペースに入り、朝比奈の話を聞いた。


「あのさ、椿ちゃんのお母様って和菓子と洋菓子どちらがお好きかな?」

「え?」

「最初はアクセサリーかなって思ったんだけど、兄の友人でしかないのにそんなの贈られたら重いって思われない?それに百合子さんって華美なのはあんまり好まない人だし、宝石類に興味あるかも分からないし、美術品とかも好き嫌い別れるでしょ?観劇だって今まで色んなの観てるだろうしって考えたら何が良いのかさっぱり分からなくて。で、食べ物だったら無難かなって。あ、椿ちゃんは百合子さんの趣味とか知ってる?春生に聞いても教えてくれないんだよ。ひどいよね」


朝比奈の物凄い勢いに椿は思わず気圧されてしまう。

この人も上流階級出身の人のはずなんだが、随分とフレンドリーな人のようだ。

伯父の古い友人なのだから悪い人ではなさそうだし、少しくらい協力しても良いかもと椿は朝比奈にアドバイスを送る事にした。


「お母さまは洋菓子の方がお好きだと思います。よくわたくしといっしょに洋菓子を食べていますから」

「じゃ、洋菓子かな」

「あと、お母さまのなまえにちなんだものはどうでしょうか?百合のモチーフのブローチとかかみどめとかもいいかもしれません」

「なるほど。名前と同じだという話題で色々盛り上がれるし好みも流れで聞けそうだ。それに指輪やネックレスと違って日常で気軽に使ってくれそうだし。ありがとう椿ちゃん!やっぱり春生の言っていた通りだ。椿ちゃんに相談したら良い答えが返ってくるって言ってたもんな」


それは多分、伯父が面倒だから椿に押し付けただけだと思うのだが、それを伝えるのは少々忍びないので椿は黙っておく事にした。

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