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今更ながら、お前みたいなヒロインがいてたまるか!一巻が9月12日にアリアンローズ様より発売しております。
前書きか後書きでお知らせしようと思っていたのですが、活動報告書いてこちらも書いた気になってました。
遅くなり申し訳ありません。
書店特典のSSもありますので、よろしくお願いします。
詳しくはアリアンローズ様のHPもしくは白猫の活動報告をご確認下さい。
蓮見との会話を終えて、自宅に帰った椿は自室でベッドに寝っ転がりながら美緒に情報を与えたかもしれない人物のことを考えていた。
だが、相手の目的がハッキリしていない以上は仮定しても無駄だと考え、横向きに体勢を変える。
大体、個人で勝手にしていることなのか、取り巻き達が結託しているのかも分からないのだ。
今すぐ美緒と衝突したとして、こちらの足下をすくわれる展開になっても困るし、それで椿が美緒に負けたという話が広がれば、彼女は更に増長してしまう。
それを避けるためにもしばらく美緒を注意深く見る必要がある。
幸いにも、今椿は恭介と行動を共にしている。必然的に美緒が寄ってくる状況にあるのだ。
これを利用しない手はないと考え、椿はベッドから起き上がり、気合いを入れる。
翌日から、椿は休み時間、昼休み、放課後を恭介と過ごし始めた。
週に何度かは一緒に習い事に行くのだと言って、水嶋家の車に同乗させてもらい帰宅したこともある。
そして、椿が恭介と一緒にいると、高確率で美緒も寄ってくる。
椿は美緒の相手をしながら、その周囲にいる取り巻き達を観察するのを忘れない。
「だから! 水嶋様の側にいて良いのは私だけなんだから! あんたどいてよ!」
「まぁ、その自信はどこからくるのかしら? "ただの一般生徒"の立花さん」
「私は立花総合病院の娘よ! ただの一般生徒じゃないわ!」
だからどうしたというのか、と椿が言おうとしたところで、取り巻きの生徒数名が美緒を止める。
「ちょっと、何で止めるのよ!」
「他の生徒が先生を呼びに行ってしまいましたから、落ち着いて下さい!」
「騒ぎが大きくなれば院長の耳にも入ってしまいますし、相手が朝比奈様だと知られたら大変なことになります!」
「これ以上、水嶋様の評価を下げたくなどないでしょう?」
必死の形相で止める取り巻きを見て、美緒も頭が冷えて冷静になったのか口を閉ざした。
「美緒様、先生が来られる前に帰りましょう」
琴枝に背中を押され、美緒は恭介のクラスから去って行く。
静かになった教室内で恭介のため息がやけに大きく響いた。
この日以降も、椿は美緒と言い合いをすることが何度かあったのだが、美緒がヒートアップする直前くらいに必ず取り巻きの生徒が彼女を止めているのだ。
更に毎日休み時間毎に恭介のクラスまで来ていた美緒であるが、徐々にその頻度が減り始めていたことに椿は気付く。
取り巻きの生徒からすれば、いつ椿が牙を剥くか分からないのだから美緒を止めて当然であるとも言える。
だが、椿が側にいるにも拘わらず、美緒が恭介に会いに来る頻度が減るのは違和感があった。
あの大人しい取り巻き達に恭介に会おうとする美緒を引き留めるほどの能力があるとは思えない。
数回であれば可能だろうが、毎日となると無理だ。
だとするならば、美緒を引き留めるように動いているのは、彼女に情報を与えた人物である。
美緒を引き留めているということは、あちらにとって椿が彼女と対峙することを望んでいない可能性が高い。
つまり、椿が美緒と対決したとしても何ら問題はないということであり、必然的に彼女を失脚させようとして動いている訳ではないということである。
むしろそうなることを恐れているのではないだろうか。
思えば、これまで椿が美緒を刺激するようなことさえしなければ彼女の方からケンカをふっかけてくることはほとんど無かったように思う。
あれはあちらが椿を避けていたからなのではないだろうか。
美緒が予想外の行動を取った点も、それに椿が振り回されることになった点も、第三者が関与していたとなれば納得もできる。
このまま椿が恭介の側に引っ付いていれば、その内美緒から呼び出されることもあるだろうが、出来れば千弦のために椿が動いたと思わせたいため、こちらから彼女に仕掛ける必要がある。
文化祭前でバタバタとしている今の状況だと、噂が出回りにくいと踏んだ椿は、文化祭の日を決行日にしようと考えた。
その日から椿は、自分の考えが合っているかどうかの確認のために自ら美緒の方へと近寄ってみる。
用事もないのに休み時間に八組まで赴いて周防に話し掛けてみたり、昼食時に美緒の近くの席に座ってみようとしてみたが、いずれも彼女と接触することは出来なかった。
美緒のクラスに行ったときは、必ず彼女は席を外していたし、昼食時は椿がどこかの席に座った後にカフェテリアに姿を現している。一度だけならまだしも毎回だ。
これは確実に椿から寄ってこられるのをあちらは避けていると確信する。
普通の日であれば、椿から美緒に接触をするのは難しいが、文化祭というお祭りのときであれば、向こうも油断しているだろうから、こちらから動けるはずだ。
椿は脳内で美緒に何を言うかをシミュレーションしながら、文化祭の日を待つ。
勿論、その間も椿は恭介の側にくっついている状態である。
以前よりは頻度は減ったが、それでも美緒は椿に文句を言うのを止めない。
美緒は椿に文句を言っては彼女に鼻で笑われる、ということを繰り返していた。
こうして迎えた文化祭当日。
午前中はクラスの出し物である迷路の受付を担当しているため、椿は動くことは出来ない。
受付で椅子に座っている椿と鳴海の所に移動中と思しき恭介がやってきて、声を掛けてくる。
「五組は迷路か?」
「えぇ。恭介さんも参加なさいます?」
「いや、三年生の展示を見ようと思っているから遠慮する。じゃあな」
恭介は本当に通りがかっただけだったのか、椿と少しだけ世間話をすると三年生の教室へと向かって行った。
その後を、取り巻きを引き連れた美緒が追いかけていく。
椿の前を通り過ぎる際に美緒が勝ち誇った笑みを浮かべていたのは言うまでもない。
「今や、あの人が学年の女王とか言われてるんですよね。藤堂様が何も仰らないから調子に乗ってるに決まってます」
「他に対抗勢力があるわけでもございませんからね」
「……朝比奈様はそれでよろしいと思ってるんですか?」
「よろしいとは思っておりませんが、あの手のタイプはそのうち自滅しますから」
自滅というか、これから椿が自滅させるの間違いであるが、鳴海にわざわざ今から美緒にケンカ売ってきまーす、などと言える訳がない。
あくまでも興味がなさそうなふりをしなければ、あちらに椿の考えがばれて美緒ごと逃げられてしまっては困る。
今日を逃せば、一ヶ月以内になんとかする、という蓮見との約束を守るのが難しくなってしまうからだ。
「……朝比奈様がそれでよろしいなら別に構いませんけど。それにしても立花さんが水嶋様にあんなに近寄っても文句を仰らないなんて朝比奈様は心が広いんですね」
「だって、恭介さんがあの人を選ぶはずがございませんもの」
「余裕ですね」
鳴海の言葉に椿は曖昧な笑みを浮かべる。
そもそも、恭介はすでに美緒をハッキリと拒否しているし、椿と彼女の関係を知っている以上選ぶことはない。
美緒が『恋花』の美緒の性格をしていない限り無理だろう。
椿は鳴海との会話の最中、視界の端に何か動く物体があることに気付き、視線をそちらへ向けると彼女の机の側で数名の生徒がこちらの様子を窺っている姿が目に入る。
例の如く、椿の前には誰も並ぼうとせず、始まってからずっと鳴海の前に並ぶ生徒ばかりであった為、数名の生徒達は彼女の方に並ぼうと会話が途切れるタイミングを見計らっているのだろう。
「鳴海さん。お客様がお見えですわ」
椿と話していた為に前に並ぶ生徒に気付いていなかった鳴海に声を掛ける。
「あ、申し訳ありませんでした。こちらへどうぞ」
迷路に入りたかった生徒達も鳴海にようやく気付いてもらえてどこかホッとしたような表情を浮かべて受付してもらっていた。
出し物の当番を終えた椿は杏奈とカフェテリアで昼食を食べた後、彼女に一人で見て回ると告げて移動し、人混みから離れた場所で携帯電話を取り出すと蓮見に『現在の立花美緒の居場所を教えて欲しい』とメールを送った。
ものの数分で蓮見からの返事がくる。それによると、美緒は特別棟の三階にいるとのことだった。
あそこは確か二階までしか文化祭で使用しておらず三階は無人のはずである。
もしかしたら誰かを呼び出している最中なのかもしれないと思い、椿は特別棟の三階に急いだ。
ついでに蓮見に十五分後に特別棟の三階に千弦を寄越してくれとメールを送るのも忘れない。
特別棟の二階まできた椿は、こっそりと階段から三階へと移動し、ひっそりと足音を立てないように耳を澄ませて美緒がどこに居るのかを調べ始める。
三階について、壁から廊下を覗いてみると、ある教室の前に女子生徒が一人立っているのが見えた。
恐らく彼女は見張りなのだろうと考え、椿はどうせ言うことは何も変わらないのだからいっか、と思いそのまま廊下に出て早足で見張りと思われる女子生徒に向かって歩き始める。
見張りと思われる女子生徒は椿の姿をすぐに見つけると顔面蒼白になり、ドアを開けて教室の中へと入ってしまった。
椿が来たことを中に居る美緒達に伝えているのだろうが、もう遅いと椿はドアに手をかけて素早く開ける。
中には椿の予想通り美緒とその取り巻きがおり、彼女達は小松を取り囲んでいた。
全く飽きもせずによくやるよ、と椿は呆れてしまう。
「こんなところでイジメ?」
「イジメだなんて人聞きが悪いわね。ちょっとお話してただけよ」
「まぁ、そんなことはよろしいのよ。私、ずっと貴女を探しておりましたの」
「はぁ?」
てっきり美緒は小松を責めている現場を見られ、それについて注意を受けると思っていたのか、おかしな声を上げた。
「ですから、私。貴女を探しておりましたの。一度ゆっくりとお話ししたいと思っておりましたので」
言いながら椿は美緒の近くにいる取り巻き達の顔をそれとなく観察する。
だが、全員顔を青くさせているだけで、これといった変化が見られない。
もしかしたら椿の考えすぎで、本当は美緒に情報を与えた人物など居ないのかもしれないが、今はそんなことはどうでもいい。
「私は話すことなんてないわよ。大体、女子グループのトップである私にあんたごときが気軽に話し掛けることなんてできないんだからね」
「まぁ、何という思い上がりも甚だしい発言なのかしら。品のかけらも無い貴女が女子グループのトップだなんて笑ってしまいますわ。」
口元に手を当てた椿はうふふと笑い声を上げる。
馬鹿にされた美緒は顔を真っ赤にさせて椿に噛みついてくる。
「藤堂千弦に勝ったんだから私がトップでしょ! 証拠に誰も私に何も言わないじゃない! 私の言うことに誰も逆らわないし!」
「あら? 私が今、貴女に物申しているではありませんか? 貴女は現状が分からないほど理解力に乏しいのかしら。まぁ、そうですわね。理解力に乏しいから、恭介さんからあの様にハッキリと拒絶されてしまったのですものね」
美緒を馬鹿にしたような口調で口にすると、彼女はこれでもかというほどの鋭い視線で椿を睨み付けてくる。
取り巻き達は割って入って矛先を自分達の方へ向けられたくないのか、美緒の制服を引っ張って小声で止めている状態である。あれでは美緒は止まるはずがない。
「なんで、なんであんたがそれを知ってるのよ!」
「勿論、恭介さんから伺ったからに決まってますわ。あの方は私に隠し事をなさいませんから。貴女と違って、私は信頼されておりますのよ」
「信頼なんかじゃない! 同じ感情を共有しているだけの存在でしょ! 水嶋様を洗脳して何がしたいのよ!」
そもそも、あの場には椿も居たから知っていただけである。恭介からは何も聞いていないのだが、美緒にはもっと逆上してもらわないと困るので、嘘も方便というやつである。
「……その洗脳を解けないのですから、貴女も大したことありませんのね。尤も、貴女にそれほど魅力がないということなのでしょうけれど」
「そんなことない!」
「でしたら、どうして恭介さんは貴女を選ばないのかしら? 答えは簡単ですわ。貴女が私に劣っているからに他なりません」
挑発するように言うと、俯いた美緒の体は小刻みに震え始めた。
勢いよく顔を上げた美緒は椿を睨み付けて椿が望んでいた言葉をはじき出す。
「お父さんやお祖父ちゃんに言い付けてやるから!」
「どうぞ」
「今更謝ったところで遅……え?」
「ですから、どうぞと申し上げました。秋月家のお祖父様か立花家のお祖父様か存じ上げませんが、言い付けるのならばどうぞ言い付けて下さい。それで私が困ると思っていらっしゃるのならね」
自信満々な椿を見て、美緒は一気に勢いを失う。
「考えてもご覧なさいな。たかが都内の病院院長と世界中に支社を持つ大企業である水嶋家と朝比奈家。どちらに権力があるのかなんて簡単にお分かりでしょう? それともマスコミを味方に付けますか? マスコミが水嶋家と朝比奈家を敵に回すと思います? 非現実的ですわね。マスコミ側にメリットがございませんもの」
「あ、秋月家はそっちに貸しがあるじゃない!」
「それを台無しにしたのは貴女の母親でしょう? 折角、水嶋家と対等でいられる権利を有しておりましたのに、貴女の母親のせいでその権利を放棄しなければならなかったのですから。あの時は祖父母の件があったお陰で水嶋側は秋月家に対して強く出ることはできませんでした。けれど今は違います。秋月家から仕掛けてくるのであれば、水嶋側は受けて立つでしょうね」
美緒の母親のことを言われ、彼女は自分の母親がしたことを思い出したらしいが、いまいちよく理解していないのか態度に変化は見られない。
「み、水嶋家のメリットがないじゃない! 秋月や立花を叩き潰したら評判が悪くなるし」
「分かっておりませんわね。水嶋家はそちらを叩きつぶせる正当な理由を欲しておりますのよ? 前回は痛み分けでしたけれど、あそこまで水嶋家をコケにした家をこちらが見逃す訳がございませんわ。ですので、そちらから手を出してくるのは、歓迎するでしょうね。むしろ、そうなることを願っているはずです」
美緒は視線を忙しなく動かしながら、どうにかして目の前の椿を言い負かせようとしているが、上手い言葉が思い浮かばないのか口を閉ざしている。
「ねぇ、立花さん。私、水嶋の祖母に良く似ていると言われますの。祖父は祖母を今も愛しておりますので、その祖母と似ている私が祖父に泣きつけば、どうなるかは理解力に乏しい貴女でも良くお分かりになりますでしょう? 私、祖父に可愛がられておりますから、きっと孫娘の為に動いてくださると思いますわ。そうなれば、秋月家も立花家も潰されるでしょうね。おまけに貴女は鳳峰学園を追い出される結果になる、と」
追い出されると聞き、美緒は目を見開いて椿を見つめてくる。
その可能性すら考えつかなかったのかと思い、椿はガックリと肩を落としたくなった。
けれど、ゲーム内の椿は復讐心に取り憑かれていたこともあり、学園から追い出せば美緒を逃すことになると分かっていたので、そんなマネはしていない。
だから彼女は自分が絶対に追い出される訳がないと思っていたのかもしれない。
「そこまでする必要があるわけ!」
「貴女がご自身のお祖父様に言い付けると仰ったからでしょう? ですので私もその場合の対応策を申し上げたまでのこと。何か問題がございます?」
「……卑怯者」
よほど悔しいのか美緒は歯を食いしばって涙目で睨み付けているが、椿は身内以外に卑怯者と罵られようが軽蔑されようが構わないという覚悟の上でやっているのでダメージは全くない。
ここで美緒に父親や祖父に泣きついても無駄であると分かってもらわないと、泣きついた時の内容がうっかり彼女の母親の耳に入ってしまうと困るのだ。
そうなった場合、美緒の母親の目が椿達の方に向くだろうし、暴走されてしまうと無傷では済まない。
ハッタリだろうがなんだろうが美緒をここで止められるのであればそれで良い、と椿は彼女の言葉を無視して話を続ける。
「……尤も、私は貴女が大人しくしていて下さるのならば、口も手も出す気はございませんわ。それと今回のように、仲間内で結託して一人を責め立てる、という行動をなさるのもお止め下さいね」
素知らぬ顔をして椿が口にすると、美緒は命令されたのが気にくわないらしく思いっきり彼女から顔を逸らした。
ここまでしても、美緒は自分の立場が理解出来ないようだ。
いや、理解出来ているのだろうが、椿に負けたくないという思いが彼女を奮い立たせているのかもしれない。
「仲間内のことはあんたに関係ないでしょう!」
「多数が一人を攻撃するのはフェアではありませんから。それに良家の子女としての行動を心掛けて頂かないと困ります」
二人は一触即発の雰囲気であったが、突然の来訪者によってその空気はぶち壊される。
「そこで何をなさっておいでですの?」
扉を開けた千弦が中に居た椿と美緒達を見て声を掛けてきたのだ。
見張りはすでに教室内に居たため、美緒側は千弦が近づいてきたことに気付けなかったのだろう。
千弦も蓮見に言われて来たはいいものの、生徒が居ないはずなのに話し声のする教室が気になり開けただけに過ぎない。
突然の千弦の登場に美緒達は戸惑っているが、椿はニンマリと微笑むと千弦に近寄って行く。
「千弦さん。聞いて下さる? 立花さん、また小松さんを責め立てていらっしゃったのよ? だから私が注意しておりましたの」
「な! あんた! そんなことはどうでもいいって言ってたじゃない! それに自分の祖父に言い付けるとか言っといて!」
「椿さん。貴女、そのようなことを仰ったの?」
「だぁってぇ! 千弦さんが立花さんにいじめられたって伺って、いてもたってもいられなかったんですもの。千弦さんは私の大事な大事な友人ですから、その友人が困っているのに黙っている訳には参りませんもの」
千弦になつく椿の様子を美緒と取り巻き達は呆然と眺めている。
今までの態度とはまるで違う椿についていけないのだろう。
「だからって、そこまでなさらなくても。それに私は別にいじめられてはおりませんわ」
「でも、千弦さんも立花さんから彼女のお祖父様に言い付けてやると脅されたのでしょう? ご心配には及びませんわよ? 立花さんのお祖父様が千弦さんのお父様に手を出す場合は水嶋家に出て貰うように水嶋のお祖父様と伯父様にお願い致しますから」
美緒は椿の言葉を聞いて「え!?」と声を上げた。
「当たり前でしょう。大切な友人が困っているのですから、助けるのは当然ですわ。私は千弦さんを助けるためならなんでも致しますわ」
椿は千弦の手を両手で握り力説する。
言われた千弦はただただ戸惑っていた。
「そういうことですので、立花さん。もしも、千弦さんに手出しなさる場合は私も敵に回す覚悟を持って下さいね」
椿は振り向いて美緒を軽く睨み付ける。
その目を見て、椿が本気であると理解したのか美緒は押し黙ってしまった。
美緒の周囲にいた取り巻き達も一様に口を閉ざして椿から視線を逸らしている。
「椿さん。そのくらいでよろしいでしょう? あまり騒ぎますと水嶋様が心配なさいますわ」
「……千弦さんがそう仰るなら、終わりに致しますわ」
「立花さんも、よろしいですわね」
千弦から聞かれた美緒は彼女から目を逸らして歯を食いしばりながらもゆっくりと頷いた。
千弦の言葉を合図に取り巻き達はようやく動けるようになり、美緒と共に教室から出て行った。
すぐに小松も椿と千弦に頭を下げて教室から立ち去って行く。
「……本当に無茶をなさいますわね」
わざわざここまで乗り込んで美緒と対決した椿に対して、千弦はため息交じりに口にした。
「ここまでしないと、立花さんは大人しくしてくれないでしょう?」
「……ですが、口だけだと分かってはいても、あまり良い気分ではありませんわね」
千弦は椿が本気で実行などする気がないことを分かっているが、それでも美緒を大人しくさせる為に嘘でも親の権力を振りかざす彼女を褒め称える気にはならないのだろう。
椿はその千弦の真っ直ぐさを好んでいるので、ここで彼女を説得するつもりはない。
けれど、タイミング良く千弦が来てくれて椿は大いに助かった。
あちらが椿を避けているのであれば、千弦に手を出したら彼女が出てくる状況になることを良しとはしないだろう。
これで、千弦は美緒に遠慮する必要がなくなった訳だ。
おまけに、あちらに千弦しか椿を制御出来ないと思われなければならない。ただの駄目押しである。
もしかしたら今日中に、今回のことが噂で駆け巡るかもしれないが、むしろ駆け巡ってもらった方が椿としては助かる。
短い間ではあったが、美緒が学年の女子グループのトップになったというのは周知されている。
その美緒を椿が降し、更に椿が千弦のために動いたのである。
美緒に勝った椿に言うことを聞かせて最後に場を治めたのが千弦だという話が広がれば彼女が女子グループのトップになったと周知される訳だ。
千弦が女子グループのトップになれば蓮見も満足だし、椿も願ったり叶ったりである。
これで、蓮見から責められることもなくなり、目的も達成出来たとなり、椿は胸を撫で下ろしたのだった。
一方、生徒が立ち入らない校舎のトイレの洗面台で、ある少女は蛇口をひねり水を大量に出して手を洗っていた。
計算違いだった。
最初から美緒が朝比奈椿に勝てるとは思っていなかった。だからずっと椿を避けていたのである。
美緒も素直にこちらの言う事を聞いてくれていればこんなことにはならなかったのに。
美緒が藤堂千弦を下したまでは良かった。
だが、そこで椿が出てくるとは思いもしなかった。完璧に自分の計算違いである。
あの二人は仲が良いといっても、主導権は椿の方にあり、千弦が従っているだけに過ぎないと思っていたのだ。
証拠に、美緒が恭介に近づいて出てきたのは千弦の方である。千弦が椿の為に美緒を注意しているのだと見ていた。
特に椿は他人に対して興味が無く、自分に火の粉が降りかからない限りは動かない人間だと彼女は予想していたのである。
結果として彼女が計算を間違えたことで、美緒はおおっぴらに行動することが出来なくなってしまった。
椿の目が光っている状態で動くのは得策ではない。
あの時、椿は美緒に話し掛けながらも取り巻き達の様子をそれとなく窺っていた。
つまりは、美緒に情報を与えた人物が居ることに気付いていたということである。
けれど、それとなく窺っていたということは、誰がそうなのかまでは椿は気付いていないということだ。
早々にばれてしまっては美緒で遊べない。仕方ないがしばらくは大人しくするしかないと思い、彼女は美緒をどう説得するかの方に思考を変更した。
蛇口をひねり、水を止めてポケットからハンカチを取り出し手を拭う。
そうして、鏡を見た少女、もとい琴枝美波は良い考えが浮かんだのかニヤリと嗤い、ハンカチをポケットにしまってトイレから立ち去って行った。