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図書室での出来事から椿は、意識して恭介の姿を目で追うようになった。
確かに杏奈の言う通り、篠崎が恭介にまとわりついている姿が度々目に入る。
「水嶋!今日の体育はサッカーをする予定らしいから、そこで俺と勝負しないか?」
「お前は三組だろうが。ここは五組だ。体育の授業は一緒じゃないだろ?どうやって勝負するって言うんだ」
「……ゴールした数、とか?」
「相手の強さや自分のチームの戦力が互いに違う時点でフェアじゃない。帰れ帰れ」
さすがに恭介は、椿と付き合いが長いだけあって篠崎のあしらい方が上手い。
篠崎も篠崎で、恭介に背中を押されて、馬鹿正直に大人しく自分のクラスへと戻って行く。
また、ある日のこと。
「水嶋!英語の小テストの結果はどうだった?俺は98点だったけどね!」
点数を自慢する篠崎の言葉を受け、恭介は同じクラスで付近に居た男子生徒に話しかける。
「おい、次の英語の授業、小テストがあるらしいぞ」
「ほ、本当ですか!?皆!次の英語、小テストあるんだって!」
慌てて教室に入って行った男子生徒は、他の生徒に次の授業で小テストがあることを教えて回っている。
情報を知った生徒達は「ありがとうございます!水嶋様!」と口々に言っていた。
「情報提供に感謝する」
男子生徒が立ち去った後、恭介は篠崎に感謝を伝えるが、彼は何がいけなかったのかを理解出来ないのか首を傾げながら、その場を後にした。
そして、またある日。
「水嶋!登校してくるのが遅いよ」
「そう言うお前は、七時前に学校に来て何をしてるんだ……」
「校内の見回りと他の生徒が居ない静寂を楽しんでるんだけど」
「……学校に早く来ることが勝ち負けになるのか?」
恭介は、理解出来ないという目をして問いかける。
問われた篠崎は少し考え込んだ後、「ならないよな」と呟き、立ち去った。
数日しか見ていないだけだが、これである。
椿が思うに、篠崎は勝負というものを誤解しているような気がする。
大人しくテストの順位だけで勝負した方がいいのでは?と思ったが、わざわざ篠崎に話しかけにいくようなこともしたくない。
椿は、多分悩んでいないとは思うが、一応恭介にも話を聞いておこうと思い、放課後にサロン棟で篠崎のことを聞いてみることにした。
「最近、篠崎君によく絡まれてるけど、大丈夫?」
「正直、何がしたいのかが良く分からない」
「ですよね」
勝負を持ちかけては、恭介に断られるとあっさりと引き下がるのだから、何がしたいのか良く分からないのも無理は無い。
「だが、篠崎がよく来るようになってから、周囲との会話が増えた気がする」
「いつも恭介の周囲には人がいるじゃない。それにひっきりなしに話しかけられてるし」
「そうだけど、そうじゃないんだ。今までは、他の生徒の態度はどこか遠慮や畏怖が見え隠れしていた。けれど、篠崎が話しかけてくるようになってから、何というか、気安く話しかけられるようになったと言えばいいか……」
上手く表現できないでいる恭介の話を聞いた椿は、なんとなく理解する。
その予兆は学園祭の時でもあったのだ。恐らくは、体育祭で全力をだしている姿を見たことがきっかけかもしれない。
思ったほど怖い人ではないかもしれない、という意識を持ったのだろう。
何にせよ、恭介が周囲と上手くやれそうな気配を感じて椿も嬉しくなる。
「なぁ、椿」
不意に恭介から話しかけられ、椿は視線を彼に合わせる。
「何?」
「篠崎は、僕のことが嫌いなのだろうか?」
「嫌いではないんじゃないかしら?」
ライバル視はしているだろうが、嫌っている訳ではないのだろうと思い、椿が答えると、途端に恭介の顔が輝き出す。
「そ、そうか!じゃあ、篠崎と友達になれるだろうか?」
「……それは、無理じゃない?」
一瞬、答えようか迷ったが、都合の良いことを言って期待させるのも悪いと思い、椿は正直に口にすると、恭介は、肩を落として視線を床に向けた。
「嫌いじゃないのに、なぜ友達になれないんだ」
「篠崎君は恭介のことをライバルだと思ってるからでしょう?勝ちたいと思ってる相手と友達になる人間は滅多にいないわよ」
「別に僕は篠崎のことをライバルだなんて思ってない」
それが問題なんだけれどね、と心の中で呟く。
勝手にライバル視している篠崎も篠崎だが、それが一人相撲であると気付かせるのは少しばかり可哀想である。
恭介にはレオンという友達であり、好敵手とも言える存在が居るが、レオンの基本性能が良すぎてライバルの基準が高くなっているのだ。
だから、恭介は無意識ではあるが、篠崎をライバルだと思っていないのだろう。
「でも、恭介の方から仲良くなりたいなんて珍しいわね」
「……どこかの誰かさんに似ているから、悪い奴じゃ無いと思っただけだ」
「あんな空回りする人、他にいたっけ?」
冷めた目をした恭介が無言で椿を見ていたが、あえてツッコミをいれたりはしない。
似ているなどと認めないから、いい加減こちらを見続けるのは止めていただきたい。
「……まぁ、いい。それよりも、篠崎と仲良くなるにはどうすればいい?」
「ですってよ、人気者の杏奈。答えてあげてよ」
「今、モンブラン食べてるから5分待って」
「八雲も、僕に対して遠慮というものがなくなってきたよな」
杏奈は、そんなことありませんよー、と言いながらモンブランを食べ続けている。
「貴臣、藤堂、良い案はあるか?」
モンブランを食べ続けている杏奈を諦め、恭介は同じ部屋にいた佐伯と千弦に問いかける。
顔を見合わせた二人は、視線だけで先を譲り合っていたが、根負けした佐伯が先に口を開く。
「えっと、上手く言えないけど……とりあえず話をすぐに切り上げようとするのは止めたら?」
「普通に会話してるだろうが」
「いや、割とバッサリ切ってるからね!」
あれで、ちゃんと会話してるつもりだったのか、と佐伯と同じく椿も驚いた。
恭介は言われた言葉に納得していないのか、顎に手を当てて考え込んでいる。
「水嶋様、篠崎君は真面目な方ですから、相手にもそれを望みます。ですので、常に誠実であることを心掛けて接していれば、仲良くなれるかもしれませんわ」
「つまり、勝負を持ちかけられたら受けろ、ということか……」
「えぇっと……つまり、そう言うことになりますわね。多分ですけれど」
千弦も篠崎の事は、又聞きでの情報しか知らないらしく、声は小さめである。
椿は、千弦が友達と誰が格好いいのかという話をしないのだろうかと不思議に思った。
もちろん、椿が一緒にいる時は恭介と佐伯の話が出ることはあるが、その他の男子生徒の話が出たことは無い。
椿に対する遠慮や警戒心もあって本音を話せないのかもしれないので普段、椿がいない時に男子生徒の話題が出ることは無いのかを千弦に聞いてみる。
「千弦さんは、友達と誰が格好良いとかいう話はしないの?」
「私は、あまり興味がありませんので……。ただ、瑠璃子さんや美冬さん達が話題にするのを耳にしたことがありますわね」
千弦の初等部からの友人であり、椿とも顔見知りの遠藤瑠璃子と荻野美冬は、割と噂話が好きな人種である。
あの二人ならば、篠崎のことを話題に出すかもしれない。椿の前では言わないだろうが。
「それで、篠崎君のことを知ってたのね」
「本人とお話ししたことはありませんけどね。三組のクラス委員長で、リーダーシップに優れた誠実な方だと瑠璃子さんから聞いたことがあります。そういう方は、同じような誠実さを相手に求めるものでは?」
「……確かに、そうなんだけどね」
歯切れの悪い物言いに千弦は怪訝な表情を見せている。
「何か引っかかるものがありまして?」
「引っかかるというか、何というか」
さすがに、あいつ頭は良いけど、意外に馬鹿だぞ、とは口にできない。
恭介が誠実であることを心掛けて接していても、余計に彼を燃え上がらせるだけで収拾がつかなくなる可能性があるのではないか、と椿は疑っているのだ。
「結局のところ、篠崎君が恭介に敵わないと認めてくれない限り、友達になるのは無理じゃないかなって思って」
「確かに、それはありますわね」
自身の経験を思い出したのか、千弦が妙に納得した声を上げる。
「千弦さんも経験がおありで?」
千弦にもそんな経験があるのだなと思い、深く考えずに椿は声に出していた。
言われた千弦は、ジトッとした目を椿に向け、「貴女って、本当に人生楽しそうですわね。羨ましくありませんけど」と小声で呟いた。
すぐさま千弦の呟きに、モンブランを食べ終えた杏奈が反応する。
「椿は、何も考えてないだけですよ」
「そう!過去は振り返らない主義だからね!」
「貴女はもう少し振り返るべきですわ!」
良い笑顔で言ってのけた椿に、千弦の鋭いツッコミが入る。
ツッコミをいれられた椿は「えー」と言いながら口を尖らせ、それを見た千弦が右手を額に当ててため息を吐いた。
「椿さんとまともにやり合うのは、無駄だと分かっておりますのに、つい口が動いてしまいます」
「藤堂、人はそれを"条件反射"と呼ぶんだ」
椿との付き合いが一番長く、また毎回律儀にツッコミをいれている恭介は、すでに悩むことを諦めている。
「水嶋様も苦労なさったのですね」
「そこそこな。あと、僕から言えることはただ一つ。『諦めたら楽になる』だ」
「私の努力が足りないとは思いますが、未だその境地に達することはできそうにありません」
「ねぇ、無理に重々しい話にするの止めてくれる!?」
明らかに自分を馬鹿にしている会話に耐えきれず、椿は会話に割って入る。
椿の言葉を聞いた二人は互いに顔を見合わせると、何かが通じ合ったのか大きく頷いていた。
そんなサロン棟での会話があった数日後の昼休み。
椿と杏奈が、カフェテリアから教室へと向かっていると、慌てた様子の佐伯がこちらに向かって走り寄ってきた。
「佐伯君、そんなに慌ててどうなさったの?」
「お昼を食べて教室に戻ろうとしたら、篠崎君に呼び止められて。それで恭介君が篠崎君と一緒に体育館に行っちゃったんだよ」
体育館?と不思議に思い、椿と杏奈は顔を見合わせる。
「なぜ体育館へ?普通であれば、校舎裏とか人目につかないところで話し合うのでは?」
「僕もそう思ったんだけど、とにかく朝比奈さんに伝えないといけないと思って」
「そうでしたか。教えてくれてありがとうございます。杏奈さん、気になりますし、私は体育館へ行きますわ」
「暇だし私も着いて行くわ」
会話を聞いて歩き出した佐伯の後を追って、椿と杏奈は体育館へと向かった。
ほどなくして、体育館へと到着したが、中から黄色い歓声が聞こえてきたことに椿は戸惑う。扉が開いているため、多人数の歓声が、良く聞こえるのだ。
一体、中で何が行われているのかと思い、椿は体育館の中へと足を踏み入れる。
体育館の中へと入ったことで、椿に気付いた興奮状態の女子生徒の一部が静まり返る。
「申し訳ございませんが、通していただけるかしら?」
予想以上の生徒の数に圧倒されながらも、椿は近くにいた女子生徒に話しかけた。
女子生徒は、一瞬だけビクッと体を震わせながらも、すぐに道を空けてくれる。
ようやく一番前まで来た椿は、目の前で繰り広げられている光景に目を奪われる。
「きゃー! 水嶋様ー!」
「篠崎君頑張って!」
「袖をまくってる姿が素敵!」
「ラケット捌きが素晴らしいです!」
周囲から聞こえてくる声が椿の耳をすり抜けていく。
また、椿から遅れる形で到着した佐伯と杏奈も、目の前の光景を見て目を丸くして驚いていた。
「水嶋様が、卓球……」
「すごい、お互いに角ギリギリのところしか狙ってないよ」
結論から言えば、恭介と篠崎は卓球をしていたのである。
互いに取れるかどうか分からないギリギリのところへボールを打ち合っている。
両者互いに譲らぬ戦いぶりだ。
恭介の方がリードしているが、白熱した戦いであるのは見て分かる。
見て分かるのだが、椿は少しだけ情けなくもなった。
乗馬やテニスなら分からなくもないが、なぜに卓球。
さらに、恭介が勝負に乗ったことにも驚きを隠せない。
確かに、サロン棟では勝負を持ちかけられたら受けるとは言っていたが、そんなに篠崎と仲良くなりたいのだろうか。
恭介の考えていることは良く分からない。
椿達が来たことに集中しているため気付いていないのか、恭介と篠崎はラリーを続けていた。
「……いい加減諦めたらどうだ!」
「まだ俺は負けてないよ!」
「なら、これは取れるか?」
「なっ!」
恭介が篠崎側の台に打ち込んだボールが、ほぼ真横にバウンドしたことで、彼のラケットは届かずにボールは地面に落ちた。
「あら、水嶋様の勝ちね」
「なんなんですの、この戦い」
目の前では、負けた篠崎が肩を落として落ち込んでいるところに恭介が近寄り、手を差し出していた。
「良い勝負だった」
「……次は絶対に俺が勝つ」
「また返り討ちにするだけだ」
「余裕かましていられるのも今の内だよ」
二人は、そう言ってガッチリと握手をする。
傍らでは、男子生徒達が卓球台の片付けをし始め、勝負を見終わった生徒の大半は体育館から出て行く。
篠崎と握手をして振り返った恭介は、その場にまだ残っていた椿達の姿を見つけると近寄ってくる。
「見ていたのか?」
「佐伯君が知らせて下さいました。それよりも、なぜ卓球を?テニスとか他の案は出ませんでしたの?」
「職員室に行ったが、テニスコートの使用許可が下りなかったんだ」
馬鹿だ。
「……でしたら、サッカーとか乗馬とか」
「昼食を終えた直後に、激しい運動をしたら脇腹が痛くなるだろ?」
本当に馬鹿だ。
「それで卓球で対決ですか」
「倉庫に入って、一番最初に目に入ったのが卓球台だったからだ」
うちの学年首席と次席は紛れもなく馬鹿だ。勉強のできる馬鹿だ。
「それにしても、篠崎の奴。結構、卓球が上手だったな」
「気にするところはそこですか」
「あんなにラリーが続くとは思っていなかった。中々楽しかったぞ。椿もどうだ?今度やるか?」
「いえ、私は結構ですわ」
恭介は、ノリの悪い奴め、と呟いている。だが、椿と卓球をやった場合、確実に互いの顔面を狙い合う結果にしかならないことは、正月の羽根突きの件ですでに分かっている。
あの時のような醜い争いを繰り広げたくない椿は、やんわりと拒否をするしかない。
「椿、僕は篠崎と仲良くなれただろうか?」
「ライバル度が高くなっただけのような気がしないでもないですね」
「そうか?うーん。やはり一度わざと負けてみるしかないか」
「それやったら確実に修復不可能なくらいに嫌われますわよ」
正々堂々と勝負をしたい篠崎に対する侮辱でしかない行為なのだと、椿は恭介に伝えた。
「心配せずとも、このまま勝負を受けて勝ち続ければいいだけですよ。そうすれば、勝手にあっちが諦めるんじゃありませんか?」
椿の背後にいた杏奈の言葉に、恭介は振り返る。
「友達になるって、そんなに面倒な手順を踏まなければならないのか……」
「お二人が特殊なだけです。今回は椿さんが関わってませんから、未知の領域でしょうけど、頑張って下さい!」
レオンや佐伯のときのように、椿は間に入っていないので、一対一でどうやって友達を作るのかが分からないということだろう。
「でも、篠崎君と勝負してるときの恭介君は楽しそうだったね」
佐伯が笑顔を浮かべながら言った言葉に、椿は同意の意味を込めて静かに頷く。
放課後、図書当番の日ではなく部活動もしていない椿は、さっさと帰ろうと廊下を歩いていた。
すると、前方から周囲をキョロキョロ見ている杏奈がこちらに向かって歩いてきているのが目に入る。
彼女は椿に気付くと、あっ!という表情を浮かべた。どうやら、杏奈が探していたのは椿らしい。
「まだ帰ってなくて良かった。ちょっと渡したいものがあるのよ。来てくれる?」
椿の返事を聞くよりも早く、杏奈はこちらに背を向けて歩き出した。
慌てて椿もその後を追う。
しばらく歩き続け、人の気配のない特別教室棟の空き教室へとやってきた。
「こんなところで何を渡すっていうのよ」
椿に渡すだけであれば、あの場でも良かったのではないだろうか。
疑問に思っている椿に対して、特に理由を説明する訳でもなく、杏奈は「さっき藤堂さんには渡したんだけど」と言いながら、鞄から袋を二つ取り出すとこちらに向かって差し出してきた。
「なにこれ?」
「佐伯君が、サロン棟の個室だと不破が居るから食べられないし、空き教室とかで集まって食べて見つかったらまずいって言うから、自分で個別に袋詰めしたお菓子を渡してくれたのよ。これは椿と水嶋様の分。水嶋様は目立つし、何を貰ったのか周囲から問い詰められたら困るから椿から渡してくれってさ」
「あー。そういうことね。佐伯君から話出ないから、もうおじ様から貰ってないのかとおもってたわ」
「どうやって私達に渡すか悩んでたみたいよ」
絶対に佐伯がお菓子を持ってこなければならない、という訳ではないので、彼の気遣いが純粋に嬉しい。
「それから、伝言。『食べ終えて処分に困った包装とかは、渡した袋に入れてそのまま僕に渡してくれたらこっちで処分するからね』だってさ」
「どうしよう、佐伯君に足向けて寝られない」
「さすが水嶋様の友達だけあって、気遣いが半端ないと思ったわ」
確かに、家で食べた場合、食べた後のゴミの処分に困ってしまう。
自室のゴミ箱に捨てたら使用人にすぐにばれるし、こっそり勝手口付近のゴミ箱に捨てても、確認されないという保証もない。
ここは、佐伯の提案に甘えることにしよう。
椿は、杏奈からお菓子の入った袋を二つ貰い、後日恭介に手渡した。
彼も、家で捨てるのことは難しいらしく、佐伯に処分を任せるとのことである。
こうして椿達は、再び佐伯からお菓子を恵んで貰えることになる。