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文化祭の話し合いから1ヶ月が経過し、文化祭を翌日に控えたこの日。


椿のクラスはダーツと言う事で、ダーツボードを学校に用意して貰い、景品として使用するものを各々が家から持ち寄って、準備をしていた。

ダーツボードの設置自体は、専門の人達がしてくれるため、椿達はスコアごとに選べる景品を仕分けするだけである。

椿は、家にあった朝比奈陶器の食器類を持ってきたのだが、思いの外、生徒達が喜んでいた。

やはり、朝比奈陶器の商品は人気があるらしい。


他の生徒が持ち寄った物は、イギリスの有名メーカーの茶葉だったり、某ブランドの皮のパスケースやマフラー、帽子などと言った高級品ばかりが揃った。

これらを、スコアごとに貰える景品として机に並べて完成だ。

全てを並べ終えると、なかなかに圧巻である。


設営が終わり、椿は翌日からのタイムスケジュールを確認する。

初日は、椿は何の係にも当たっておらず、フリーである。

杏奈辺りを誘って校内を見て回るのも良いかもしれない。


そして翌日は、午前中の景品を渡す係に当たっていた。

お客から指定された景品を渡すだけなので、椅子に座ったままになるだろう。

クラスの事なのに、自分だけが楽をして良いのだろうかと思い、椿は委員長にそう訊ねる。


「私は2日目の景品を渡す係でしたわね。本当によろしいのですか?」

「はい!勿論です!」

「朝比奈様は椅子に座っていらしてください!」


全力で与えられた係でいるようにと言われてしまう。

同級生なら近寄らないが、上級生であれば椿のところにも来るのではないかと思ったのだが、ダメらしい。

そこまで言われてしまうと、椿も意見を引っ込めるしかない。



文化祭当日は、朝に担任の話を聞いた後に、クラスの出し物の準備に入る。

だが、椿のクラスは昨日で開店準備は終わっており、開場を今か今かと待っている状態であった。


「周防さん。始まったら千弦さんのところに参りますか?」

「はい。私は午後の説明係ですので、午前中は千弦様と校内を見て回る予定です。朝比奈様のご予定は?」

「私は杏奈さんと校内を見て回るつもりです。それに、カフェテリアで文化祭限定メニューが出るそうじゃありませんか?」

「そうなんですよ!確か、ホテルのシェフをお招きしてるとか。朝比奈様も興味がお有りなんですね」


1番楽しみにしていたので、つい食べ物の事を口にしてしまい、椿は狼狽えてしまい、控えめに「え、えぇ」と呟き、取り繕う。


「でも外から呼ぶなんて、鳳峰は贅沢ですよね」

「そうね」

「国産牛のステーキ串とか美味しそうですよね。ですが、あまり食べると千弦様はいい顔をなさらないと思いますし」


周防とカフェテリアの限定メニューの話をしている内に開場時間となり、話を切り上げた彼女は早足で千弦の元へと向かっていった。

椿はクラスまで杏奈が迎えに来る事になっているので、大人しく彼女が来るのを待っていた。

しばらく待っていたところに、杏奈がドアから顔を覗かせているのを見つけて、彼女の元へと向かう。


「お待たせ」

「そう待ってもおりませんわ」

「椿さんのクラスはダーツでしたっけ?遠目からでも景品に高級品が並んでるわね」

「圧巻でしょう?ご覧になります?」

「いや、美術部の方へ先に顔を出さないと行けなくてね。そっち優先」


ならば、美術室へと行くかと椿達は移動を始める。


「杏奈さんのクラスは確かクイズ大会でしたかしら?今日は当番ではございませんの?」

「私は明日。って言ってもカード配るだけよ」

「楽でよろしいですわね。ですが、司会が1番大変そう」

「良く喋る人がやるから大丈夫よ。あ、着いた」


失礼しまーすと口にした杏奈がドアを開けて美術室へと入っていく。

椿も杏奈の後に続いて中へと足を踏み入れる。


美術室の中には大小様々な絵や彫刻などが飾られていた。

中学生の作品とは思えない程にハイレベルである。


「あ、お客さん第1号だ」

「部員ですけどね」

「いいのよ。それよりも八雲さん。そちらの方は?」


そう言って、その生徒は椿に視線を向ける。

目が合ったので、椿は軽く会釈をして、自己紹介をする。


「お初にお目にかかります。杏奈さんのいとこの朝比奈椿と申します」

「あぁ、貴女が噂の。私は美術部員で2年の碇円香いかり まどかよ」


碇の言う噂が気にかかったが、それよりも椿は彼女の名前になぜか聞き覚えがあった。

何度か頭の中で、『碇円香、碇円香』と繰り返す。

美術部、2年生、碇円香、と揃ったところで、椿はあっ、と思い出す。

『恋花』のもう一人のヒロインで、美術部員だった夏目透子なつめとうこが椿によく追いかけられていたところを匿ってくれた人であると。

同時に、落ち込んだ透子を叱咤激励してくれる心優しい先輩でもあった。


4歳の頃から美緒にばかり意識が集中していて、透子の事を後回しにしていた。

透子の方からも、特に椿や恭介に接触してくるということもなかったので、気にも留めていなかったのである。

だから、会った事のない、良く知らない透子よりも、人となりを知っている千弦を恭介の相手として推していた訳だ。

ゲーム内では、高等部に入学してくるはずだが、こちらの彼女はどうなのか。

それに、椿と美緒が転生者ということは、透子も転生者である可能性があり、仮にそうだった場合、さらにややこしいことになりそうである。

だが、透子に限らず何者かが水嶋家のことを探ろうとすれば、家の者の誰かがそれに気付くはずだ。

それが無いということは、透子は転生者ではないのか、転生者だったとしても恭介に興味を持ってないか関わりたくないと思っているかのどれかだろう。


杏奈が軽く咳払いをしたことで、我に返った椿は、チラリと視線を向けたが、彼女は碇に視線を向けたままであった。


「先輩、パンフレットいただけますか?」

「はいどうぞ。八雲さん達は初めての文化祭でしょう?こんな見るだけのつまらないところに長居してないで、校内見て回ったら?」

「顔を出せって言ったの先輩じゃないですか」

「だって、1人で暇なんだもの。10分毎にローテ組んでるし、そろそろ次の子達が遊びにくるから、もう行っていいわよ」


なんと自分勝手な言い分だろうか。

けれど、すっぱりと言い切るところは気持ちが良いほどである。

思えば、ゲーム内でも歯に物着せぬ物言いをしていた。こちらでも同じような性格をしているのだと、今の発言からでも分かる。


「それじゃ、そろそろお暇しますね」

「はいはい。じゃあね」


受付で手を振っている碇に会釈をして、椿達は美術室を後にする。

道中、椿は碇が言っていた事が気になり、小声で杏奈に聞いてみた。


「ねぇ、私の噂って」

「水嶋様にまとわりついていた烏丸さんを蹴落とした我儘令嬢」

「嘘が横行してやがる」


そもそも恭介の婚約者と言うのも嘘であるし、烏丸に関しては全く関与していない。

にも関わらず、それが椿のせいにされるとは、と脱力するしかない。

そう見られるようにと椿は頑張っているので、願ったり叶ったりではあるのだが、濡れ衣を着せられるのは、あまり気分が良いものではない。


「気にしても仕方ないでしょ。で、カフェテリア行く?点心とジェラートもあるって」

「ステーキ串はついておりませんの?」

「お腹に余裕があるのだったら、どうぞ」

「……参りますわ」


と、言う事でカフェテリアへと移動した椿達は文化祭特別メニューを存分に味わった。

まずは、点心のセット。

次に綺麗に取り分けられたステーキ串。

そしてジェラートで締めた。


「点心の肉汁が素晴らしかったですわね。今度、家族で食事に伺おうかしら」

「ジェラートも美味しかったわね。さすがホテルのシェフ」

「昼食の事もありますから、これしかいただけないのが残念ですが、午後もありますものね」

「その熱意を勉強にも向けなよ」


食べ物の事になると目の色を変える椿に対して、杏奈は白い目を向けた。

だが、椿は先ほどの碇の件で、杏奈に聞きたいことがあったことを思い出し、彼女に向かって声を落として話しかける。

そのために、端の人のいないところを選んだのだから。


「杏奈。美術部に入ったのは、彼女に会うため?」


ゲーム内では部活動を選択することは出来ず、透子は必ず美術部に入部するシナリオになっていたからだ。

ちなみに美緒の場合は、椿が追いかけてくるので、必然的に入部は不可能な仕様になっている。


「いや、入部した後に碇先輩に会って気付いたのよ。しくじったと思ったわ。でも美術部に入りたかったから、まぁいっかって」

「軽いわね」

「だって今から悩んだって仕方ないじゃない。私も椿も彼女に会ったことないんだから」


夏目透子が転生者である可能性を杏奈も考えていたのだろう。

だが、会ったこともない人間のことを、あれこれ想像しても仕方ない。


「確か、彼女が鳳峰を受けようと思ったきっかけって、鳳峰大学の芸術学部に行くためよね?」


問いかけられた椿は、記憶の中にある透子のことを思い出そうとする。

芸術学部に行きたいのが最大の理由だったはずだが、もう1つあったような……。

しばらく考え込んだ椿は、そう言えば……とようやく思い出す事ができた。


「確か……中学3年のときに、水嶋家の車に水溜まりの水を思いっきりかけられたのよ。ちょうど車には恭介が乗ってて、彼女にクリーニング代と自分の持ってたハンカチを渡したの。それで、彼女は恭介にお礼とハンカチを返そうと思ったわけ」

「……あー、思い出した。水嶋様が鳳峰の制服着てたから、すぐに学校が分かったっていう。でもさ、プレイしてたときも思ってたんだけど、家まで持っていけば良かったんじゃない?」

「ゲームの設定ってそういうもんでしょ」


多少無理があったとしても、突っ込むのは野暮というものだ。


「でも、あのゲームの水嶋様が、よくそんな誠実な対応が出来たわね」

「腐っても"水嶋恭介"だからでしょう」


水嶋の御曹司という自覚があるからこそ、与えるイメージの大切さをよく知っていたのだろう。

ゲーム内の彼の話ではあるが。


「さてと、それじゃどうしましょうか」


杏奈との話を終えて、ジェラートも食べ終わったところで、次の相談を持ちかけた。


「今の時間だったら、ホールでクラシック演奏が始まるわね。聴いてく?」

「プロをお呼びしているのよね。参りましょう」


全校生徒を収容できる大きさのホールでは、プロのコンサートが行われている。

ずっと立ちっぱなしだったので、腰を落ち着けたいと言う意味もあり、椿達はホールへと向かい、クラシック演奏に耳を傾けた。

さすがにプロと言う事もあり、椿は聞き惚れてしまう。

それは他の観客もそうであった様で、演奏が終わると惜しみない拍手が送られた。


演奏が終わり、ちょうど昼食の時間になったので再びカフェテリアへと移動し、昼食となった。


「午後からどうしましょうか。クラスの展示でもご覧になります?」

「私のネットワークにより仕入れた情報なんだけどね」

「何そのおかんネットワーク的なやつ」

「良いから聞きなさい。水嶋様のクラスって喫茶店だったでしょう?で、水嶋様が何故か朝から当番やってるみたいなのよね。てことでさ、冷やかしに行かない?」


杏奈は椿に顔を寄せて、いたずらっ子の様な顔をして笑っている。

そして、そんな面白そうな提案を椿は断るわけにはいかない。


「いいですわね。参りましょう」

「決まりね。じゃ、さっさとご飯食べちゃいましょう」


椿達は早めに昼食を済ませると、恭介のクラスへと向かったのだった。

13時前に恭介のクラスに到着し、杏奈が受付嬢である生徒に声を掛ける。


「もう始まってる?」

「あ、八雲さん。さっき再開し……っひ!」


振り返った受付嬢が杏奈の後ろに居る椿を見て小さく悲鳴を上げる。

小さく悲鳴を上げた事で、他の生徒が何事かと顔を出し、椿の姿を視認すると慌てて教室内へと戻っていった。


「裏からお呼びしろ!」

「ウェイター服はどうするのよ!」

「も、もうそのままでいい!待たせるな!やられるぞ」

「まだ、盛り付けが済んでないんだが」

「それは私達がやりますから!水嶋様は朝比奈様の接客をお願いします!」


言っておこう。丸聞こえである。


椿達は廊下で待たされている訳なので、教室内の会話はハッキリと聞こえてくる。

受付嬢の生徒は顔を青くして椿からあからさまに顔を背けているし、杏奈は下を向いて肩を小刻みに震わせている。


「笑うなら笑えばよろしいでしょうに」

「……笑ってない」


笑ってない(キリッ)じゃねぇよ。


椿達は、教室内がドタバタとしているのをBGMにしながら廊下で待っていた。

少しの後、ようやく準備が整ったのか、中へと案内される。


椅子も机も外部から持ち込んでおり、薄い水色のテーブルクロスが更に高級感を出している。

手触りも良く、そんじょそこらのテーブルクロスでない事が伺い知れる。


「こちらがメニューになります」

「どうも」


恭介は間に合わなかったのか、ウェイター役の生徒からメニューを受け取る。

椿が予想していた通り、メニューはほとんどが焼き菓子であった。


「杏奈さんは何を頼まれます?」

「マドレーヌにしようかな。紅茶はセイロンで」

「私はシフォンケーキをお願いします。紅茶はアッサムを」


メニューをウェイターに返却し、椿は教室内を見渡した。

テーブル数はそう多くなく、恭介が当番だという事もあって満席である。

当の恭介は、裏方に徹しているので、ガッカリした女子生徒達が廊下から顔を覗かせては立ち去っている。

また、恭介が居ないのであれば用は無いと言わんばかりに、食べたらすぐに退席するので回転は速い。


だが、接客として恭介を付けると言う話を先ほどしていたので、メニューを持ってくるのは恭介だと思っていたのだが、フロアには姿が見えない。

盛り付けうんぬん言っていたので、裏方作業でもしているのだろうか。

客寄せパンダになるのに勿体ない。

そんな事を椿が考えていると、マドレーヌとシフォンケーキが乗った皿が運ばれてきた。

続いて、ティーポッドを乗せたトレイを持ったウェイター姿の恭介がやってくる。

着替えていたから遅くなったのかと、少しだけ呆れた。


「こっちがセイロン、こっちがアッサムだ。ごゆっくり」


尊大な態度でティーポッドをそれぞれの前に置くと、恭介は椿達の前から立ち去ろうとしている。


「恭介さんがいれて下さらないの?」


せっかく来たいとこに対して冷たくないか、と思った椿は咄嗟に恭介に声を掛けた。

声を掛けられた恭介は、面倒臭そうに振り返る。


「3分待てばそれなりに美味しい紅茶は飲める」

「貴方、給仕ではございませんの?」

「僕は裏でシフォンケーキに添えるホイップクリームを盛る作業を担当しているんだ。給仕じゃない」


何その地味な作業、とは口にはしなかった。ここに恭介と杏奈しか居なければ確実に言っていただろうが。


「折角、目玉になる方がいらっしゃるのに、裏方作業だなんて、勿体ないですわね」

「そう言う意見が出なかった訳じゃないし、僕も協力できる事はするつもりだった」

「ではなぜ?」

「朝からずっと居たんだ」


あぁ、なるほど、と椿は納得する。

恐らく、同じクラスの生徒達が恭介を守る為に、裏方作業を担当させたのだろう。

生徒達の不安は的中し、午前中ずっと美緒は入り浸っていた、という訳か。


「それは、何というか、お疲れ様でございました」

「おかげで午前中は自由だったのにどこにも行けずじまいだ。午後もずっと裏方作業だろうな」

「……何か差し入れしましょうか?」

「いや、同じクラスの奴が何度か差し入れしてくれているから、大丈夫だ。それに休憩もちゃんとあるから、その時に色々と見て回る予定だからな」


恭介の言葉だけでは、生徒達が水嶋の御曹司だからやっているのか、純粋な好意なのかの判断は出来ない。

だが、こうして恭介を助けてくれている事に変わりはないのだから、良かったと言うべきである。


「と、言う事はこのホイップクリームは恭介さんが?」

「あぁ、僕が盛り付けたホイップクリームだ。感謝しながら味わえ」

「ホイップクリーム如きで何て尊大な態度」


得意げな恭介の顔を見て、椿は思わず本音を溢してしまう。

椿の発言の後、机の下で杏奈に足を軽く蹴られて注意された。

ハッとして杏奈を見ると、ジトーッとした目で椿を見ている杏奈と目が合う。

危ない危ないと椿は椅子に座り直して誤魔化した。


「で、もう3分経ってるわけなんだが」


恭介からの遅すぎる忠告を聞き、椿は急いでティーポッドから紅茶をカップに注ぐ。

ちなみに、杏奈は既に紅茶を飲んでいる。

若干、渋くなった紅茶を飲み干した椿は、恭介に挨拶をして教室から出て行った。


「いやー守られてるわね、水嶋様。それだけ頼りないと思われてるのかしら」

「どちらかと言えば、1人じゃ太刀打ちできそうにないと思われているのではなくて?」


実際、何でも出来る無敵のスーパーマンぐらいには思われていそうである。

だが、怒鳴ったり大声を上げたところを見たことの無い生徒達は、滅多なことで恭介は怒らないと思っているらしく、周りがフォローに走る始末だ。

だからこそ、恭介は入学してから今までストレスを過剰に溜め込むこともなかったのだろう。

これでは、恭介に明確な拒絶をしてもらうのは難しいかもしれない。

美緒が増長して、こちらの話を本格的に聞いてくれなくなる前に、なんとかしたかったのだが。


そして、椿達が特に行き先も決めずにブラブラと廊下を歩いていると、前方から白衣を着た護谷がポケットに手を突っ込みながら歩いてきた。

彼は、杏奈に気が付くとポケットから手を出して、椿の方には視線もくれずに笑顔を振りまきながら近づいてくる。


「お嬢様、初めての文化祭は楽しんでおられますか?」

「護谷先生。学校では、その呼び名はやめてください」

「申し訳ございません。杏奈様の前だとどうしても」


椿は、杏奈に対する態度とこれまでの自分に対する護谷の態度との違いに引きつった笑みを浮かべる。


「私は、母親が朝比奈の娘だっただけで、今は八雲よ」

「何を仰います。御身には朝比奈様の血が紛れもなく流れていらっしゃるではありませんか」

「……本当に、義理堅いと言うか忠義者ね」

「光栄です」


そこで、ようやく護谷は椿に視線を向けると「おや、椿様もいらっしゃったのですね」とわざとらしく声をかけてきた。

杏奈の前だと、多少は取り繕うらしい。口調だけだが。


「えぇ。朝から杏奈さんと一緒に見て回っておりましたの。先生は見回りですか?」

「そうですよ。問題行動を起こす生徒がいないか見てるんです」

「でしたら、このようなところで私達とお話していてよろしいのですか?」

「少しくらいなら大丈夫でしょう」


相変わらず、護谷の目は全く笑っていない。

互いに本心を隠した笑みを浮かべながら、あははうふふと笑い合っていると、椿の後方から護谷を呼ぶ生徒の声が複数聞こえてきた。


「護谷先生!私のクラスにいらしてください。迷路をやってるんです」

「あ、護谷先生。私のクラスは映画の上映をしておりますの」


何とも護谷は大人気である。

まぁ、顔は良いからな。


「護谷先生、私達はこれで失礼致します」


これ幸いと、椿は護谷に挨拶をして杏奈とその場を離れた。


「護谷先生にも困ったものよ。あぁいう言葉遣いは、学校で教員からされたくないんだけど。注目されるし」

「ですが、あの場では他の生徒の注目を浴びておりませんでしたでしょう?」

「そう言う問題じゃないんだけどねぇ。……ねぇ、あそこにいるの藤堂さんじゃない?」


唐突に言われ、椿は杏奈の視線の先を辿ると、確かに千弦が友達を引き連れて向かいの校舎へと歩いているところが目に入った。

千弦の姿を見た事で、椿は美緒とのいざこざの件を思い出し、杏奈にもその話を切り出す。


「情報通の杏奈さんは既にご存知かと思われますが、千弦さんがついに動いてしまわれたのよ」

「うん。聞いてる。でも、まぁ半年も良く保った方じゃない?」

「内容は当たり障りの無い、言われても仕方の無い事でしたからね。でも1度言ってしまえば言いやすくなってしまうでしょう?」

「藤堂さんが頻繁にあの方に物申すかもしれないって事が不安なのね」


中庭に来た椿達は、端の方のベンチへと腰掛けて話を続ける。


「正義感の強い方ですからね。それが仇にならないとよろしいのですが」

「56回」

「は?」

「最初に物申してから今日まで、藤堂さんが物申した回数よ。大抵は通りすがりに『ブラウスが出てる』とか『ボタンはしっかりと止める』とかだそうだけどね」


予想以上の千弦の行動に、椿はなんてこったいと肩を落とした。

1ヶ月程度しか経っていないのに、その回数は何なんだと千弦に問いたい。

1日2,3回注意している計算になるのだが、椿は今まで、その現場を見たことは無かった。


「ですが、現場に遭遇した事がございませんわ。本当に?」

「そりゃクラスが離れてるから見たこと無いでしょうね。でも、椿さんに言ってた時よりかなりマイルドになってるわよ?多分、嫉妬の部分が抜けてるからだろうけど」

「なるほど」


初等部の頃は、恭介と仲の良い椿に対する嫉妬や、同等の地位に居ながら責務を果たそうとしない事に対する憤りもあって口調もきつかった。

だが、美緒に対してはそう言ったものは全くない。


「それで、態度を一切変えないあの方もさすがですわね」

「鋼の精神力よ。本当に」


椿達は、ほぼ同時にため息を吐いた。

すると、廊下が急に騒がしくなり、椿は何事かとそちらに視線を向ける。


そこには、休憩中なのか教室から出ていた恭介の腕に自分の腕を回している美緒の姿があった。


「いい加減にしろ。僕は2-4の研究発表を見に行くんだ」

「研究発表!?そんなの恭介様のイメージじゃない!私と一緒にプラネタリウム見に行きましょうよ!ほらこっちです」


美緒は恭介の腕を引っ張っているが力で恭介に敵う訳もなく、半ば引きずられる形で2-4の方向へと消えていった。

一部始終を見ていた椿は、必死の形相の美緒を見て、何かイベントでもあったかな?と疑問に思った。


「1年の文化祭、午後、プラネタリウム」

「私、検索エンジンじゃないんだけど。そもそも、私だって細かいイベントなんて覚えてないわよ」

「ですよね」


結局、椿も杏奈も美緒が何のイベントをこなそうとしていたのか分からず終いであった。

夏目透子の話を出すにあたり、36話に彼女の事を書いておかないとおかしい箇所があったため、追記しました。

ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。

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