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「で、いつまで待たせるつもりだ」

「専務は忙しい合間を縫って来ているのですが?そもそも仕事の話があると言ってこられたのはそちらでしょう?日にちも時間もこちらに任せると言っておられましたよね?」


待てども待てども現れない倉橋に不機嫌さを含ませた声色で春生は使用人に訊ねた。

鈴原もそれに追従する形で追い打ちをかける。


「も、申し訳ございません!旦那様は只今会社の方から向かっている最中でございまして」


冷や汗をかきながら、落ち着かない様子の使用人に2人は一気に不信感を持つ。


倉橋が会社から向かっていると言うのは嘘だろう。そもそも、倉橋の車が家にあることは先ほど確認済だ。

つまり、倉橋は家に居る。出てこれない理由があるから時間を稼いでいるに過ぎない。

だとすれば椿が持ってきた手紙に書かれていた事の信憑性が高まる。

にわかには信じがたい話だった。倉橋に商才は無かったが、愚かな人間では無かったはずだ。

水嶋の恐ろしさと権力の凄さを知っているはずだ。その本家の娘を妻にした事の重大さも分かっているはず。

なのに、自分は愛人を持ち妻を離れに追いやり、あまつさえ愛人を本宅に住まわせる。

しかも愛人は幼少期より百合子に対し敵対心を持って数々の嫌がらせをしてきた女性。さらに水嶋家とは因縁のある家の娘であった。

ここまで水嶋をコケにするだろうか。ここまで倉橋と言う男はバカなのかと春生は思わずにはいられない。


学生時代から付き合いがある鈴原は水嶋春生と言う男を良く理解しているつもりだった。

常に冷静沈着で怒りを表に出すことはないし、見たことも無かった。

だが、今は怒りを必死に抑えていると言ってもいいだろう。

水嶋兄妹の仲の良さは周知の事実だった。さらに椿だと言われていた子が実は愛人の子供であったなど、倉橋からバカにされていた事実も相まってブチ切れ寸前と言っても過言ではない。


「…ところで、妹はどうしている?」


あくまで世間話のように不自然にならぬよう、春生は口を開いた。

聞かれた使用人はさらに狼狽えた。


「お、奥様は体調を悪くされておりまして、寝込んでおります」

「それは大変だ。ご存知の通り、私は昨年妻を亡くしておりましてね。元々体が丈夫ではなかったのだが、息子を産んでからさらに体調を悪くしてしまった。私はもう身内を亡くすのはご免なんだ。わかるね」


有無を言わせぬ迫力であったが、倉橋の使用人はそれでも首を縦には振らなかった。その忠義心はどこから来るのかと不思議に思えてならない。


「で、ですが。旦那様の許可もいりますし」

「…それもそうだな。あぁそうだ。ちょっと手を洗いたいのだが、借りても構わないか。いい、鈴原。お前はここで待っていろ」

「こちらでございます」


立ち上がりかけた鈴原を手で制し、春生は立ち上がって使用人の後に続いた。

使用人に案内され、お手洗いに行く途中、見事な庭を見て春生は足を止める。


「噂には聞いていたが、見事な庭だな」

「お褒めいただき光栄でございます」

「庭は奥まで続いているみたいだが、向こうには何があるのかね」


そう、その向こうにこそ春生の妹・百合子が追いやられている離れがあるのだ。

もしやこの人には既にばれているのではないかと案内している使用人は冷や汗が止まらない。

そこにようやく家主である倉橋が姿を現した。


「向こうには離れがあるんですよ。お義兄さん」

「ずいぶん遅かったじゃないか」

「申し訳ありません。道が混んでおりまして。ところで手を洗いに行く途中では?」

「あぁ、そうだったな。見事な庭に目を奪われていたよ。……そうだな、特に、あの百合は見事だ」


春生の言った言葉に倉橋はドキリとして庭を見渡した。まさか居るはずが無いと思い心臓が早鐘を打つ。そんな倉橋の願望を裏切り、春生が言っていた方向に居るはずの無い人物を見つけた事で、倉橋は瞬時に顔を青くさせた。

使用人には春生を待たせている間に離れに居る百合子の様子を見に行かせていた。

百合子はいつも通り部屋に籠りっきりだとの報告を受け安心していた。最近は特に塞ぎ込んでいたので出てくることは無いと高を括っていた。

だが今、春生と倉橋の視線の先には少々やつれ、さらに線の細さが際立っている倉橋の妻・百合子が佇んでいた。

しかもこちらを見て、笑顔で近づいてきている。


「お久しぶりですわね、お兄様」

「あぁ、4年…いや5年ぶりか。元気そうとは到底言えない様子だな」

「そうですわね。それはもう大層な扱いを受けておりましたのよ?」

「全て椿から聞いている。苦労をかけたな」

「私の苦労など取るに足らない事です。椿には可哀想な事をしてしまいましたわ」

「だが、あれは将来有望な子だ。先が楽しみでならない」

「まぁ、お兄様のお眼鏡にかなったとは嬉しい事です。あの子は特に水嶋の血が濃いみたいで安心しておりますのよ?」

「そうだな、目が母に良く似ている。すぐに分かったよ。父親の方に似なくて本当に良かった。ところで椿はどうした?」

「椿でしたら、迎えに来た宮村さんと富美子にお願いして先に外に出ていて貰いました。こんな所子供に見せられませんでしょう?」


ニコニコと会話をしている兄妹だが、内容はかなりの遠回しな嫌味を倉橋にぶつけていた。

この人はもう知っている。誤魔化せない。自分の悪事を全て知っていると倉橋は今の会話で理解した。


「あぁ、倉橋まだ居たのか。分かっていると思うが百合子はこのまま連れ帰る。話し合いは後日弁護士を挟んでしよう」

「お世話になりました。もうお会いすることはございませんけれどお元気で」


2人は倉橋を一瞥することもなく堂々とした足取りで倉橋の家から出ていった。

春生達が立ち去った後も倉橋はその場に呆然と立ち尽くしていた。


どこでバレた。誰がバラした。使用人は脅していたから口を割るはずがない。

それに新しく雇った使用人も美緒の母の事を妻だと教えていた。離れに居る親子が愛人と子供なのだと教えていたのだから言うはずがない。

さっき水嶋は何と言っていた。椿?椿だと。まさかあの子供がバラしたと言うのか。

あんな子供が。どうやって。


だが、それを考えたところで今更どうにもならない事を嫌でも理解し、倉橋はその場で膝をついた。

彼に残された道はもう倉橋家の破滅しかないのだから。


そもそも倉橋は、使用人から春生が倉橋家にやって来ると聞き、家に居た美緒親子を急いで外に出そうとしていた。

しかし美緒の母親が荷物をまとめるのに手間取っている内に春生がやって来てしまった。

焦った倉橋は取りあえず春生を応接間に待たせ、ようやく荷物をまとめた美緒と母親を裏口から外に出し、この時点で使用人に百合子の様子を見に行かせていたのだ。

これさえ乗り切ればまた美緒の母親といつも通り暮らせると思い、倉橋はなんとかこの場を凌ごうとしていた。

しかし、美緒の母親は春生が来た時点で全てバレたと悟り、自分の荷物をまとめて、あと少しで上手く行ったのにと言う悔しさを感じながらさっさととんずらしたのだ。


さて、倉橋の家から出て、車に乗り込んだ一同は水嶋家へと向かっていた。


「こんなに早く動いて下さるなんて驚きました。椿から聞いた時はまさかと思いましたもの」


椿は倉橋の家に来る途中の車内で、春生からある任務を言い渡されていた。

崩れた塀から中に戻り、百合子に春生が来ている事を伝える事。

使用人が見に来るだろうからやり過ごして欲しい事。

やり過ごした後、庭の方に出て来て欲しい事。


その結果が先ほどのやり取りになったのだった。

百合子は一仕事終えた椿をさすが水嶋の子だと褒め称えた。


「そもそも倉橋から資金援助して欲しいとの話が来ていてな。正直これ以上あの家に無駄金は使えないから渡りに船だった。それに…まぁ、恭介にも同い年の遊び友達が必要だと思ってね」

「もしかして理沙さんの?」

「あぁ」


息子の話になった途端に歯切れが悪くなった伯父に、もしやもう恭介は母を亡くしてしまっているのだろうかと椿は不安になる。

その後、伯父から恭介の母親はもう亡くなってしまっていると聞かされた。

間に合うかもと思っていた希望を打ち砕かれ、椿は呆然とするしかない。

その後の伯父と母の会話は右から左に通り抜けて行った。


「家に着いたら医師の診察を受けてくれ。しばらくは体を休めて大人しくしていろ。後は私が全てやる」

「はい。よろしくお願い致します」


兄妹の近況報告で車内の時間は過ぎ去り、ほどなく車は水嶋家へと到着した。

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