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翌日、椿達のクラスは朝から登山の予定になっていた。

椿は朝食の後、部屋に戻り身支度を整え、集合場所のロビーへと向かった。

ロビーに向かう途中で、部屋に戻ろうとしている恭介と佐伯に遭遇した。


「ごきげんよう恭介さん、佐伯君」


椿の挨拶に気だるそうに挨拶を返す恭介と、挨拶を返しつつも、そんな態度の恭介を肘で小突いている佐伯。

思えば佐伯も強くなったものだと今の佐伯の行動を見て椿は思ったが、若干急いでいた為、余計な事は口にしないでおいた。

代わりに当たり障りのない話題を口にする。


「恭介さん達のクラスの予定は?」

「確か、そば打ちと陶芸だったな。お前のところは?」

「私のクラスは登山ですわ。終わった後は自由行動ですので、体力が残っていたら町中を探索しようかと思っておりますの」

「そうか、頑張れよ」


社交辞令で椿のクラスの予定を聞いてきただけなのか、恭介の返事は驚くほどにさして興味が感じられない言い方であった。

椿も椿でこう言った恭介の物言いや性格に慣れてしまっていたので、それについてのツッコミをする事もなかった。

そこに通りがかった椿と同じ班の生徒に呼ばれ、2人に別れを告げてロビーへと向かった。


「お待たせしました」


既に集まっていた同じ班の生徒に遅れた詫びをいれる。

彼女達は口を揃えて、時間内なのだから大丈夫だと椿に伝える。

人数が揃ったのを班長の千弦が確認し、出発となった。


「では、参りましょう。バスで登山口まで行って、班毎での登山になると言う事です」

「しっかり者が班長だと楽…助かりますわ」


思わず椿は楽で良いわーと言いそうになったが、勢いよく千弦に睨まれ即座に言葉を換えた。

すぐに千弦が椿から目を逸らしたので、言葉のチョイスは間違っていなかったのだと安心する。

その後、椿達はバスに乗り込み登山口へと向かった。


登山口には監視役の保護者や教師が揃っており、バスを降りた生徒達を出迎えていた。

椿は千弦の後に続いてバスを降り、同じ班の生徒達と集まった。

班毎の出発なので、1班から順番にスタートしていく事になる。

椿達の班は最後の班なので、他の生徒達が出発していくのを見守っていた。


「では参りましょう。私の足が遅くて皆さんには迷惑をお掛けしてごめんなさいね」

「いいんですよ千弦様!ご自分のペースで歩かれるのが1番ですから」

「そうですよ!私達は気にしておりません」


途端にフォローをし出した子達に負けられないと思い、椿も声を大きくして宣言した。


「いざとなったら私が背負いますわ!」

「それは結構ですわ」


普通に、真顔で千弦に断られ、椿はガックリと肩を落とした。

そんな姿を見た千弦は、椿の耳元に口を寄せ小声で囁いた。


「貴女はもう少し朝比奈家の令嬢と言う自覚を持ってくださいませ!」

「分かりましたわ」


こうして事あるごとに椿のフォローに回る千弦は本当にお人好しである。

否、自分が身内だと判断した相手には甘いと言う事だろうかと、椿は千弦の行動を思い返していた。

その点で言えば、身内に甘いと言う点は椿と千弦に共通していると言える。


椿は登山中、邪魔にならないように最後尾を歩いていた。

元々、足が遅い訳でも体力が無い訳でも無いので、千弦に合わせてゆっくりと歩く班の子達に着いて行くのは苦では無かった。

時折、遅れていないかと言う確認で背後を振り返る千弦と視線が合う。

最後尾にいる椿が気になり過ぎて、千弦の歩く速度が遅くなり始めた為、気を利かせた蓮見が椿の隣を歩く事になった。

心配せずとも他に人が居る以上、椿が無茶をするはずがないのだが、付き合いが浅い千弦はまだ分からないのだろう。

蓮見が椿に付き添った事で安心したのか、千弦の歩く速度が元に戻った。


そして歩き始めて3時間近く経過し、ようやく頂上までやってきた。

登りだったからか全員口数が少なく、千弦を応援する声以外は静かなものだった。

先に出発した班は既に昼食を取っており、椿達も教師から弁当を受け取り、レジャーシートを敷いて食べ始めた。

お弁当には大きな飛騨牛のステーキが入っており、出来立てなのかほんのりと温かかった。

肉の良い匂いが食欲をそそる。


「2日連続の飛騨牛」

「カロリー計算が恐ろしいですね」

「登山で消費されているから大丈夫よ」


などと言う声を聞きながら、子供は新陳代謝が活発でエネルギー消費が激しいから大丈夫と椿は自分に言い訳し、遠慮なくお弁当を綺麗に平らげた。

千弦達よりも先にお弁当を食べ終えた椿は、山頂から街並みを見下ろして、その景色の素晴らしさに感嘆のため息を漏らした。

まだ紅葉の季節でもない為、所々葉の色が変わり始めている程度であったが、それでも絶景の一言であった。


「素晴らしい景色ですわ」


いつの間にか椿の隣に来ていた千弦も同じように景色の素晴らしさに目を奪われていた。


「これで紅葉の季節にでもなれば尚更素晴らしいのでしょうね」

「少しばかり時期が早いのが残念でなりませんわ」


千弦は本当に残念そうに口にした。

2か月も経てば鳳峰では紅葉狩りの行事があるのだが、場所は関東近郊になってしまう。

だが、この場所から色づいた木々を眺めたいと2人は思ってしまう。


「何というか、こう。上から見下ろしているとさ、下々を支配している感じがして良いと思わない?」

「そう思うのは貴女だけですわ。あと、思いっきり悪役のセリフですわよ、それ」


千弦に折角の綺麗な景色が台無しだと言わんばかりの目で見られてしまった。


「ちょっと言ってみただけじゃん」

「言うだけでしたら構いませんけれど。それと、近くに人が居らず小声だとしても、その話し方は許容できませんわ。ちゃんと擬態してくださいませ」


久しぶりの千弦の苦言に椿は思わず背筋を伸ばしてしまった。

やるなら細部まできっちりとやれと暗に言われているようだ。

中途半端な場所で中途半端に素を出すなと言う事だろう。


「真面目ですわね。それが千弦さんの長所であり短所でもありますけれど」

「それ、両親や綾子さんにも良く言われますわ。真面目で何が悪いと言うのかしら」


ややうんざりした口調で千弦は呟いた。


「そうですわね。その真面目さに助けられている人はおりますもの。…ここに」


と、椿は自分を指さした。


「自信満々に仰らないで頂戴」

「事実ですもの」


先ほどとは違い、千弦は椿の発言を聞き、目を細め口元を緩めている。

千弦の良い方からして、周りから頻繁に言われているのだろう。

決して責めるつもりで言った訳では無かったのだが、失言であったと椿は後悔した。

当の千弦はさして気にする素振りも見せず飄々としており、心を読む事ができない。

フォローはしたが、傷つけてしまっただろうかと椿は不安になる。


「そろそろ戻りましょうか。他の方もお弁当を食べ終えている事でしょうし」

「そうですわね」


背後で動き始める生徒達の声が聞こえ、千弦は話を切り上げた。

椿もこれ以上墓穴を掘るマネはしたくなかった為、大人しく千弦の後に付いて行く。

2人は班の子達が居る場所に戻り、片付けを手伝った後、下山を開始した。


下りなので、膝に負担はかかるが行きよりはマシである。

その為、道中の会話は行きよりも多かった。


「朝比奈様、水嶋様の好きな食べ物は何ですか?」

「…そう言えば、好きな食べ物の話などした事がありませんわ。ですが、特に嫌いな物も聞いた事がありませんので、何でも食べると思いますわよ」


椿は女子生徒からそう質問され、そう言えば恭介の好きな食べ物など気にした事が無かったと気が付いた。

恭介は出された食べ物を大抵の場合は綺麗に食べているし、使用人に対して食べたい物のリクエストをしているところを見たことが無かった。

椿は、今度恭介に好物を聞いてみようと考えた。


最初の1人が椿に質問した事で、他の生徒も質問を投げかけてきた。


「あの、私達が水嶋様にプレゼントを贈る事に対してご不満などおありですか?」

「いいえ、ちっとも全く。そこまで干渉するつもりはありませんもの。ですが、贈るのであれば手作りよりは既製品の方がよろしいかと。恭介さんは素人の手で作った物はあまり好まれないみたいですから」

「覚えておきます!」


さすがに良家の子女が手作りはしないだろうと椿は思ったが、念のため釘をさしておいた。

恭介の性格的に、信頼していない相手からの手作り料理など絶対に口にしないはずだ。

既製品であったとしても、貰う量が半端じゃないので、全て食べるかどうかは別である。


「水嶋様はお休みの日はどうやって過ごされているのですか?」

「そうですわね。基本は自宅で読書か楽器を弾いているかでしょうか。たまに私の家に遊びに来る時もありますし、出掛ける事もありますわ。最近は佐伯君と過ごす方が多いかもしれませんわね」

「まぁ、ピアノやヴァイオリンでしょうか。朝比奈様はお聴きになった事はありますか?」

「えぇ。恭介さんのお家のサンルームで私が読書をしている時などに良く演奏しておられますわ」

「羨ましいですわ」


生徒達は口々に羨ましいとか素敵だとか口にしている。

だが、真実はそんなに素敵なものではない。だってあの恭介なのだ。


水嶋家に遊びに行き、椿がサンルームで読書をしながら紅茶を味わい、良家の子女の雰囲気を楽しんでいる時だった。

恭介が鼻息を荒くしてヴァイオリンを持って現れたかと思うと、最近マスターした曲を聴け!読書のBGMにしろ!後で感想を言えよ、と言い放ち、椿の承諾を得る前に弾き始めてしまった。

確かに綺麗な音色だった。12歳にしては非常に上手かった。コンクールに出たら優勝できるんじゃないかと思うくらいには上手かった。

ただ、1つ言わせてもらうのであれば、音がでかすぎる事が難点であった。

全く読書に集中できない。聞き流せないほど音が自己主張してくるのだ。

結局、本の内容が理解できず、椿は読むのを諦めた。

演奏後、感想を言われることを期待して目をキラキラさせている恭介の顔を見ていたら、椿は文句が言えなくなってしまい、『非常にお上手でした。プロになれるんじゃない?』などとヨイショしていた。


生徒達が思うような、まるで絵画のような風景とは程遠い演奏の押しつけだなんて事実を暴露する勇気が椿には無かった。

その為、本当の事ではあるが、余計な事は何も言わずに生徒達の恭介像を守ったのであった。

生徒達は、椿から聞く恭介の情報に興味津々の様子で、駐車場に着くまで質問が止む事は無かった。


勿論、彼女達は椿が恭介の婚約者であると思っている為、聞き方も柔らかいものであった。

椿自身は恭介の婚約者と言っても偽物であるし、彼と結婚をする気も無いので、人格に問題が無い女性であればどんどんアプローチしてくれたまえと言う心境なのである。

実際、千弦の取り巻きだと思っていた生徒達は、千弦を敬ってはいるが良い友人関係であると言う事を椿は接していく内に理解していた。

曲がった事が嫌いな千弦が信頼しているのであれば、人格に問題がある訳でも無いと椿は判断している。


欲を言えば、椿は千弦と恭介が結ばれればいいなと思っていた。

勿論、もう1人のヒロインである夏目透子の事を考えなかった訳では無いが、果たして彼女は本当に高等部に入学してくるのだろうか。

それに、透子がどんな性格をしているのか、こちらで会った事がないので分からないし、椿や美緒が転生者であるのならば、透子も転生者の可能性がある。

確実にそうだとは言えないが、疑ってしまう。

以上から、椿はゲームでしか知らない透子よりも、少なくとも人となりを良く分かっている千弦の方を恭介には推したいのだ。


とどのつまり、椿がしている事はただの単なるお節介なお見合いババアのやり方そのものである。


そして約6時間かけての登山を終え、班の生徒達から質問攻めに遭った椿は違う意味でヘトヘトになった。

さすがに椿は、恭介の下着の色までは把握していなかった、と言うかそんな質問をしてきた生徒に驚いたくらいである。


生徒達は迎えのバスに乗り、旅館まで帰ったが車内は疲れの為か静まり返っていた。

椿もつい車内でウトウトしてしまい、何度も頭を振っては眠気を遠ざけた。

後ろの席に座っている千弦や班の生徒達が疲れた顔をしているのを見て、椿は町の散策を諦める事にした。


バスが旅館に到着し、生徒達はノロノロとバスから降りた。

疲れた体を動かしてバスから降り、部屋に戻る為、エレベーターに乗ろうとボタンを押して待っていた椿達であったが、到着したエレベーター内に居た同じ鳳峰の男子生徒達が何やらふざけ合っているのが見えた。

保護者の目が無い旅先と言う事で、少しばかり羽目を外しているようであった。

彼らは同じ鳳峰の生徒がエレベーターに乗って来ようとしているとしか認識していなかったのだろう。

男子生徒の1人がふざけた調子のまま、千弦が乗り込もうとした瞬間にわざと閉まるボタンを押してしまう。

ボタンに反応し、扉が閉まり始め、千弦は挟まれそうになり、思わず小さな悲鳴を上げる。

後ろに居た椿はとっさに閉まりかけた扉の片方に手をかけ、思いっきり力を入れ開いた。

扉は突っかかることなく開き、千弦は扉に挟まれずに済んだ。


誰が助けてくれたのだろうかと千弦が後ろを振り向くと、真顔の椿が千弦を見下ろしていた。


「大丈夫?」

「…え?えぇ。大丈夫ですわ」


いつもの含み笑いをした余裕のある表情ではなく、見たことが無いような椿の真面目な顔を初めて見た千弦は、セリフの効果もあり、一瞬だけドキリとする。


少しだけ顔を赤くした千弦が大丈夫だと答えた事で、椿は扉に当たっていなかったと知りホッとした。

そして、ふざけて扉を閉めた男子生徒達へと視線を向ける。

彼らは千弦が声を出した事で、誰が挟まれそうになったのかを理解してヤバいと感じていた。

そして、後ろから扉を開けた椿の姿を見た事で、青ざめる事になる。


「あらあら、事故を起こしそうになったのに謝罪の1つも出来ないのかしら?」


エレベーターの中に入り、横目で男子生徒達を睨み付けた椿が口にすると、彼らは視線を下に向けて黙り込んでしまった。

その態度は何だと椿は文句を言おうとしたが、千弦に止められてしまう。


「椿さん、彼らはエレベーターのボタンの操作をした事がありませんのよ。ですから開くと閉まるを間違えただけですわ。そうでしょう?」


落ち着き払った千弦の言葉に男子生徒達は無言で何度も頷いていた。

こうなってしまえば椿は出した拳を引っ込めるしかない。


「…2度目はありませんわよ」


そう言い、椿は男子生徒達から視線を外した。

椿の言葉の意味を理解した男子生徒達はエレベーター内で縮こまり、目的の階に着いた途端に急いで降りて行ってしまった。

彼らの姿が見えなくなり、扉が閉まった後で椿は千弦に話し掛けた。


「文句の1つでも言ってやればよろしかったのに」

「えぇ。ですから、物知らずのバカだと言ってやりましたでしょう?」

「…回りくどい」

「貴女が直球すぎますのよ」


そんな2人の会話を聞いていた同じ班の生徒達は『どっちもどっち』と言う言葉を思い浮かべたのだった。



夜になり、夕食を食べ、お風呂に入り部屋に戻って来た全員が早々に布団に入ってしまった。

さすがに疲れすぎて、全員喋る元気もない。

千弦が旅行のしおりを見て、明日の予定を確認した後、早々に就寝する事になった。


翌朝、椿は昨日の疲れが体に残っていない事に感動していた。


さすが子供、回復が早い。


他の生徒達も起き出し、電気をつけ、まだ寝ている生徒を起こしていく。

体操服に着替え、布団を整えた後に椿達は朝食を食べに行った。


本日の予定は陶芸とそば打ち体験であった。

朝にそば打ちをして、昼食として食べるらしく、意外にも生徒達は楽しみにしていた。

陶芸は絵付けコースとロクロを回して作るコースから選べる。


ちなみに父親は絵付けを選び、その作品を母親にあげたのだ。


椿は絵心などないので、普通にロクロで湯呑みを作る事に決めていた。

ちなみに杏奈は『家でも作ったりしてるのに新鮮味ないわー』と嫌がっていた。

椿は陶芸をする機会などほとんどなかったので、ワクワクしながら今日を待っていたのだ。


そんな事を考えながら朝食を食べ終え、そば打ちの施設へとバスで移動する。

そば打ちは2人1組で行い、気を利かせた千弦が椿とペアを組んでくれることになった。


普段、料理をする機会などほとんど無い生徒達は、目の前に置かれた木鉢と木鉢に入った粉を興味津々な様子で見ていた。

指導してくれる人の行動をマネしながら、生徒達は木鉢に水を回し入れていく。

大雑把な椿は千弦に水を入れる役目をお願いした。


「椿さんは一気に水を入れるタイプですものね」

「良くお分かりで」


最終的に混ざっていれば良いと思っているので、過程は気にしないのが椿だ。

少しずつ粉をまとめていると、大小様々な塊ができてきた。

それらをまとめて1つにし、空気を抜いていく。

良くこねたところで止め、打ち粉をして丸く伸ばした後に綿棒で丸を維持したまま伸ばしていく。

その後、綿棒に伸ばした生地を巻き付けて更に薄くなるように伸ばしていく。

これが上手く行かない生徒が多く、指導してくれる人が手伝っている場面が見られた。

綺麗に伸ばして、折りたたみ、小間板をずらしながら包丁で切っていく。

最初は椿が切っていたのだが、太さがてんでばらばらで、見かねた千弦と交代する事になった。

まさかそば打ちにまで性格が出るとは思わなかった。


千弦はほぼ均等に切り、ある程度の量になったところで椿が器に入れる。

作業が終わり、麺を湯がいていく。

茹であがり冷水で冷やし、器に盛る。

トッピングは色々と用意されていたが、椿は普通のおろしそばを選んだ。


生徒達はそれぞれ自分の打ったそばを堪能している。

時折、麺の太さが違うだの、コシが無いだのと言う声が聞こえてきた。

やはり自分で作った物の味は格別であった。


全員が食べ終え、指導してくれた人にお礼を言い、次の場所へと向かった。


陶芸教室では、絵付けする組とロクロで作る組に分かれた。

ある程度の所までは教室の人がしてくれる為、後は自由に形を作っていく。


さて、と椿は気合を入れ形を作る。

親指と手のひらではさんで薄くしていくのだが、椿は縦に伸ばしたいのに横に思いっきり広がってしまった。

だが、失敗したとは周囲に悟られたくない椿は、最初から茶碗を作るつもりでしたと言う体を装った。

その結果、湯呑みの予定が茶碗になってしまった。


絵付けを終えて、椿の様子を見に来た千弦は、椿の作品を見て首を傾げた。


「椿さん、湯呑みを作ると申しておりませんでした?」

「私、最初からお茶碗を作る予定でしたのよ」


少しの間、お互いに無言になる。

そして、千弦の目が『あ、こいつ失敗したんだ』という目に変わった。


「何でもそつなくこなす方だと思っておりましたけど」

「初見で上手くこなせる人間は化け物ですわ」

「……身内にお1人おられますわよね」


千弦にそう言われ、椿はキングオブチート・恭介が居た事を思い出した。


「あ、あの方は特別ですわ」


恭介の様に初見で何でも出来てしまう人と言うのは稀ではあるが、居るには居る。

椿としたら羨ましい限りである。


「それもそうですわね。…それよりも椿さん、早く移動して差し上げて?後ろの人が待っておいでよ」

「あら?ごめんなさいね。すぐに退きますわ」


しばらく茶碗を見てああでもないこうでもないと考えていた椿は、順番待ちをしている生徒が居る事を忘れていた。

どうやら千弦は、見るに見かねて声を掛けて来たらしい。

椿が後ろを振り向くと、女子生徒が首を横に振りながら大丈夫ですと連呼していた。


「いいえ大丈夫です!ゆっくりでいいですから!」


女子生徒の申し出に反し、椿は素早くその場から退き、茶碗の色を決める為に担任の所へ向かった。

椿が選んだ色は淡い水色であったが、特に意味は無く直感で決めた。


出来上がった焼き物は後日、自宅に郵送されると言う事だったので、椿は帰宅後に使用人に頼んで、椿が作った茶碗を使うように頼み込もうと考えていた。

朝比奈家で使用している食器類は全て朝比奈陶器の物である。

これは自分で使ってみて納得したものでなければ商品として売り出す事はできない、と言う何代か前の社長が言っていた為だ。

本当に気に入ったものであれば、他社の製品もあったが、圧倒的に自社製品が多い。

朝比奈陶器の商品は、物も良いしデザインも素晴らしいので、椿は特に不満がある訳では無かったのだが、やはり自分で作った茶碗で食べるご飯の味は格別だろうと思っている。


そして、1日の行程を全て終えた椿達は旅館へと戻って来た。

千弦達と部屋に戻ろうとした椿は、待ち構えて居た恭介に呼び止められ手招きされた。

何の用なのだろうかと椿は千弦達に断りを入れ、恭介に近寄って行く。


「どうかなさったの?」

「これをやる。たまたま見つけたんだ」


おもむろに恭介が拳を椿に向かって突き出してきた。

意図が分からず、椿はボケッと突っ立って居ると、焦れた恭介が椿の腕を取り、手のひらの上に何かを置いた。

恭介の手が離れていき、椿は自分の手のひらに置かれた物が何なのかをじっくりと見た。


「…四つ葉のクローバー、ですわね」

「たまたま見つけたんだ。たまたまな」

「まぁ、ありがとうございます。そうでしたわね、恭介さんのクラスは登山でしたものね。道中に見かけたのでしょう」


1枚の四つ葉のクローバーを群生している中から探し出すのは、たまたまでは無理だろうと気付いていたが、せっかくの恭介の好意を無下にする訳にもいかない。

椿は無粋な事は何も言わずに、四つ葉のクローバーを受け取った。


「ふん。これで昨日の件はチャラだからな」

「…昨日の件?」


恭介の言う昨日の件が何の事なのか椿にはさっぱり分からなかった。


「分からないなら、そのままでいい。とにかく渡したからな」


用事は本当にそれだけだったのか、恭介は満足そうにその場から立ち去って行く。

立ち去る後ろ姿を椿は頭に疑問符を付けながら見送った。


恭介が四つ葉のクローバーを渡して、昨日の件はチャラだと言った理由は、夕飯前に佐伯が椿にこっそりと教えてくれた為に判明した。

どうやら、昨日の朝に恭介が椿に向かって素っ気ない態度を取ってしまった事を気に病んでいたらしい。

律儀な人間である。


そして、公衆の面前で恭介が婚約者(と思われている)の椿に贈り物をしていたと言う話は瞬く間に広まった。

あれだけ人目のつく場所で渡せばそりゃ噂になるよね、と椿は遠い目をする。

いとこであり、婚約者同士(と思われている)仲が良いと思われるのは悪い事ではない、と椿は自分に言い聞かせる。


勿論、部屋に戻ると千弦を始めとする同じ班の生徒達に色々と聞かれたのは言うまでも無かった。


夜が明け、修学旅行最終日がやってきた。

最終日は、午前中に町中を散策し、お昼を食べた後に東京に戻る事になっている。

椿は杏奈と2人で町中の散策に繰り出した。

途中で恭介と佐伯に遭遇し、お互いに親族へのお土産物が被らないように調整した。

家族へのお土産として、父親には切子グラス、母親と菫には簪、樹にはテディベアのぬいぐるみを選んだ。

小さな男の子が何を欲しがるのか見当が付かなかったが、ぬいぐるみであれば妥当だろうと椿は考えた。


あらかた土産を買い終え、椿達は旅館へと戻り荷物の整理をした後、バスに乗り込み飛騨高山を後にした。

こうして3泊4日の修学旅行が幕を閉じたのだった。





自宅に帰った椿は、お土産を家族と使用人に渡した。

使用人にはとんでもないと丁重に断られたが、いつものお礼だと強く良いなんとか受け取って貰えた。

父親は早速、その日の夕飯で切子グラスに日本酒を注いで嬉しそうに飲んでいた。

母親も菫もその場で簪を付けてくれたし、樹は寝る時にテディベアと一緒に寝ている。

全員に喜んでもらえて良かったと椿は安心した。


その後、親類縁者にお土産行脚をし、ようやく椿にとっての修学旅行が終わった。

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