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春の遠足以来、藤堂が椿に対して突っかかって来る事が無くなった。
その代わり、休み時間や昼食時などに普通に世間話をする位には藤堂と交流を持つようになっていた。
これまで犬猿の仲と言われていた2人がいきなりわだかまりも何も無くなり、普通に会話をしているのを他の生徒はただただ驚きの表情で見ていた。
春の遠足で何があったのか、他の生徒達は興味津々な様子で2人が喋っている姿を凝視するようになった。
しかし、椿達の会話内容は今日の日替わりランチメニューの事だったり、小テストの件だったりと、ただの世間話でしかないのだ。
残念ながら、他の生徒達には2人の会話内容など聞こえて居ない。なので生徒達の間で憶測が憶測を呼び様々な噂が交錯している。
1番有力なのが、藤堂が朝比奈椿の呪いにかかって言いなりになっているというふざけたものだった。
それを聞かされた椿と藤堂が同時に頭を抱えたのは言うまでもない。
そして椿と藤堂が和解した事により、別の問題も生じている。
それと言うのも、そもそも椿が生徒から怖がられていたのは水嶋家の血縁者であると言う事と、女子のトップである藤堂と臆することなく対等にぶつかっていたからだ。
あの藤堂に真っ向から相対するなんて…と別の意味で一目置かれていた訳だ。
なのに、あっさりと和解し藤堂と和やかに会話をしている椿を見た生徒は徐々に『自分たちが思っているよりも朝比奈椿は怖くないんじゃないか?』と言う印象を持つようになった。
そもそも他の生徒が居る場所で藤堂が突っかかって来る事が大半であった。
だからこそ椿はこれをデモンストレーションとして有効に活用していたのだ。
また、椿に意見をする人など藤堂以外に居ないので、椿がキツイ事を言う機会が最近は全く無くなっていた。
人は時間が経てば徐々に忘れて行ってしまう。だから生徒達は椿が丸くなったと思い込んでいるのだ。
そう思われるのを椿は望んでなんかいなかった。
昼食の時間になり、椿は食堂でいつものように日替わりランチを注文し、トレイを受け取った。
先に4人掛けのテーブル席に着いていた杏奈の所まで行き彼女の正面に座る。
「へぇ、今月はイタリアンなのね」
「えぇ。ミートソースが制服に飛ばないかだけが心配ですわ」
「気を付けてても知らない間に飛んでるものね」
まだ冬服だから飛んだとしても目立たないのだけが救いではある。
「げっ、お前も日替わりランチ頼んだのかよ」
さて食べるかと言う時に嫌そうな声が聞こえ、椿は一旦フォークを下ろし声がした方へ顔を向けた。
案の定、恭介が佐伯を伴い立っていた。彼はこちらの了承を取らず、さも当然のように椿の隣へと腰を下ろし、佐伯は杏奈の隣に座る事になった。
「毎日選ぶのが面倒ですので、私は日替わりを頼んでおりますの」
そう椿が答えると、そのセリフを聞いた佐伯が小さく吹き出した後、慌てて手と首を振って違うとアピールをした。
「あ、ごめんね。だって水嶋君と同じ事言ってるから」
「やだ、マネしないでくださいな」
「こっちのセリフだ。佐伯も余計な事を言うんじゃない」
「ごめんね。2人ってなんだかんだで似た者同士だなって思ったらつい」
「似てない」
「似てませんわ」
ほぼ同時に同じセリフを言ってしまい、佐伯と杏奈が吹き出してしまった。
椿と恭介はこれまた同時に渋い顔を浮かべた事で、2人はまた吹き出してしまう。
「…似てると言うのであれば、いとこ同士なのですから多少は似通っても仕方ありませんわよ」
「特に俺たちは普通のいとこ同士より関わりが深いから尚更だな」
誰に対する言い訳なのか、椿達は聞かれてもいないのに杏奈と佐伯に向かってペラペラと喋り始める。
「さ、さぁお昼を食べましょう。早く食べないと冷めてしまいますわ」
これでこの話題は終わりだとやや強引に椿は話を切り上げた。
終始、ニヤニヤしていた杏奈は「はいはい」と言ってそれ以上深く追求する事はせず、食事を始めた。
今日の日替わりランチメニューはボロネーゼにカルパッチョとサラダ。デザートはパンナ・コッタ。
フレンチやらイタリアンやら中華やら毎月日替わりランチのジャンルが変わるので、椿は毎月楽しみにしているのだ。
低学年の時はテーブルマナーに自信が無かったので和食中心だったが、今は大分様になってきたし自信もあるので色々なメニューに挑戦している。
椿の家族は基本的に外出しないので外食もほとんどしない。家族、と言うよりは母親だけだが、あまり外出をしないのだ。
あれを食べに行こうよと椿が誘っても、母親は大抵の場合、朝比奈の料理人に作ってくれとお願いしてしまうのだ。それを作れてしまう朝比奈家の料理人もすごいと思う。
食事中は恭介達とGWの思い出話をしつつ、椿はデザートのパンナ・コッタを綺麗に平らげ、ナプキンで口を拭いた。
午後からは確か七夕祭の配役決めを視聴覚室でやるんだったな、早めに行って後ろの席を確保しておかないとと思い、片付け始めた。
ナプキンを折り畳み、トレーに乗せて、さぁ行くかと立ち上がったところで後ろから割とハッキリした声で椿を非難する言葉が聞こえて来た。
「朝比奈さんが負けたから藤堂さんの取り巻きの1人に成り下がったんでしょ」
都合よく食堂内の会話が途切れた瞬間であった為、ハッキリと聞こえてしまい、おやおや、と椿は思わず口元がニヤけてしまうのを抑えきれなかった。
とっさに恭介が椿の手首を掴み相手にするなと言う視線を投げつけて来るが、こんなチャンスを逃すなんて出来る訳が無かった。
椿は立ち上がったままくるりとその場で振り向き、声のしたテーブルの生徒達に向き直った。
彼女らの顔を順番に眺め、藤堂のグループの生徒達ではない事を確認する。
誰1人として椿と目を合わす素振りさえ見せず、下を向いたり、視線を彷徨わせていたりしている。
「今、どなたが仰ったのかしら?」
椿の問いかけに誰も答えようとはしない。
周囲のテーブルの生徒達がさりげなくこちらに視線を向けている為、徐々に他のテーブルの生徒達も椿達が揉めている事態に気付き始めた。
「あら?答えられませんの?今仰ったでしょう?『朝比奈さんが負けて藤堂さんの取り巻きの1人に成り下がったんでしょ』って。あんなにハッキリと聞こえましたのよ?本人である私に向かって言えるはずですわよね?…あぁ、貴女かしら?」
「違います!」
やや高圧的に畳みかけ、端の女子生徒から順番に聞いて行く。当然だが、彼女らからは否定の言葉しか返ってこない。
「では貴女かしら?」
「ち、違うわ」
彼女の声を聞いて、この女子生徒だと確信した。
後ろを向いている椿がハッキリ聞こえたのだから、椿と同じ方向を向いている人が怪しいのは最初から分かっていた。
なので、4人掛けのテーブルで同じ方向を向いていた2人の声を聞きたかったのだ。
「あぁ、貴女ね。私、声を聞き分けるのが得意ですの。さぁ、先ほど言った事をもう1度私に言ってくださいます?」
「…何も、…何も言ってません」
「おかしいですわね。私の聞き間違いでしたかしら?」
「…」
「そう。聞き間違いですのね。分かりましたわ」
椿が聞き間違いで終わらせようと発言すると、女子生徒が勢いよく顔を上げて安堵の表情を浮かべていた。
「…ですが、あくまで、えぇ、これはあくまでただの忠告ですけれど、私に直接文句を言う度胸が無いのであれば、余計な事を言うその口は閉じておいた方が身の為ですわ」
安堵した表情から一転、女子生徒の顔は真っ青になり、目を見開き震えだしてしまった。
しかしながら、どうせハッタリで何もしないのだから、こんな事で何も恐怖を感じずとも良いのにとしか椿は思えなかった。
ハッキリと椿に面と向かって言ってくれれば誤解を解く事だって出来たはずなのだが、彼女は最初に声を掛けた時点で目を逸らしているのだから無理な話であった。
さて、後は静かに立ち去るのみと思っていた所に、呆れた顔の藤堂が歩いて椿の方へとやって来た。
「椿さん、それくらいで許して差し上げたら?」
「だって私、負けただなんて言われましたのよ?」
藤堂さんが!私を!椿さんって呼んだ!可愛い!
言葉と中身が全く伴っていない椿の心中など、藤堂が分かるはずが無かった。
そっぽを向いた椿を一瞥し、ため息を吐いて顔を青くしている女子生徒に向き直った。
「貴女、隣のクラスの方ですわね。他の皆さんも気になっておられる様ですし、ちょうど良い機会ですので言っておきますわ。確かに私は椿さんと仲違いをしておりましたわ。ですが、春の遠足で2人で話した時にお互いに誤解をしている部分があると言う事が分かりましたの。その誤解が解けたので椿さんと私は和解したと言うだけですわ。勝ったとか負けたとか言う話ではございません」
さすが政治家の娘、上手くまとめたものだ、と椿はそっぽを向きながら感心した。
「貴女もそれでよろしくて?」
藤堂の問いかけに顔を青くしている女子生徒は何度も何度も頷いている。
彼女にとっては藤堂が天使か聖母くらいに見えている事だろう。
「椿さんもよろしかったかしら?」
「私はもう話は終わっておりましたもの。今後、ふざけた事を仰らないのであれば構いませんわ」
椿がこれだけ人目の付くところで騒ぎを起こしたのは、椿と藤堂の関係が対等であり、丸くなったつもりは微塵も無いと言う事を周囲に知らしめる為だった。
藤堂の下についたと周囲に思われるのは都合が悪いからだ。顔を青くしている女子生徒には悪いがスケープゴートになってもらったと言う訳である。
ではこの話はこれでお終いと藤堂は手をパンと叩き、騒動を終わらせた。
それを合図に止まっていた時間が動き出し、食事を再開する者や食器を片付ける者で食堂はいつもの騒がしさを取り戻していった。
椿もトレイを持っていくかとトレイを持ち上げ歩きだそうとすると、近づいて来た藤堂が耳元で囁いてきた。
「放課後、個室に来てくださいませ」
「分かりました」
そのまま椿はトレイを返却口に戻し、杏奈と2人で視聴覚室へと向かったのだった。
そして放課後、藤堂から指定された個室まで行き、部屋のドアをノックする。
『どうぞ』
藤堂の声が中から聞こえ、椿は勢いよく扉を開けた。
「お待たせ!待った?」
「は、早く扉を閉めてくださいな!誰かに聞かれたらどうなさるの!」
人が居ない事を確認しての所業なのだから大丈夫なのにと椿は思いつつ、後ろ手にドアを閉め、藤堂が座っているソファへと近寄って行く。
すると、植物で死角になっていた1人掛けソファに藤堂グループの右腕である蓮見が座っているのが見えた。
彼女は目を見開き椿を凝視していた。
「あれ?蓮見さんにまだ言ってなかったんだ」
「貴女が来てから言おうと思ってましたのよ」
「そりゃ悪い事したね。蓮見さん大丈夫?」
蓮見の目の前で手をヒラヒラさせて、椿は大丈夫?と問いかける。
すると彼女はハッとした後、今度は疑いの眼差しを向けて来た。
「え?千弦様この方どなたですか?」
「朝比奈椿さんよ」
「ども!」
「え?…え!?」
普段から割と冷静な蓮見が何度も椿と藤堂の顔を見ていた。
それほどまでに彼女は椿の素に驚いているのだろう。
わたわたとしている蓮見を見ていると椿はなんだか悪い事をしている様な気分になってくる。
「なんかご期待に添えなくて申し訳ない」
とりあえず謝っておこうと蓮見に向かい軽い謝罪をした。
「それは構いませんが、まさか春の遠足ではこの状態の朝比奈様とご一緒だったのですか?」
「そうですわ」
途端に藤堂に対して同情の眼差しを向ける蓮見。
このやり取りを続けるのは不毛でしかない為、椿はさっさと本題に入らせてもらった。
「で、私を呼び出した理由は?昼に騒ぎを起こした件についてかしら」
「…そうですわ。どう言う意図があってかは分かりかねますが、あぁ言う事は極力避けた方がよろしいのでは?」
神妙な面持ちで藤堂は椿を諌めてくる。
「あの場所で、あのタイミングで知らせるのが一番効果があると思ったの」
「何がですか?」
椿の言っている事の意味が理解できないのか、藤堂は少し首を傾げながら訊ねてくる。
「前にも言ったと思うけど、私は怖がられないといけないの。怒らせたら何をするか分からないと勘違いされなければならない」
「何の為に?」
「素の私が凄んだところで凄みも恐ろしさも伝わらないでしょう。必要最低限の言葉だけで相手を退ける為にはそれなりの性格付けが必要って事よ。その証拠に私は1度だって相手に危害や被害を与えるマネはしていないじゃない。いつだって言葉だけ」
確かにその通りだと納得した顔をする2人。
普段の素のふざけた様子を見せている椿が相手を見下した目線をして、「まぁ、なんて見苦しいんでしょう」と言った所で説得力なんて無い。むしろコント?と思われるだけである。
「要はどれだけハッタリを効かせられるかって事よ。今回は千弦さんと和解しちゃった事によって、私が大した事ないって生徒達に思われ始めていたから、恐怖の上書きをしたかったの」
「…それで、私も貴女に巧く利用されたと言う事ですのね」
「あれは予想外だったな。私はあそこで終わらせるつもりだったから、説明してくれて助かったよ。さらに説得力が増したからね。ありがとう」
素直にお礼を言うと、藤堂は顔を赤らめてフイッと椿から顔を背けた。
その様子を見ていた蓮見が椿に向き直った。
すでに蓮見の表情はいつもの落ち着いた感じに戻っていた。
「朝比奈様、今ごく自然に千弦様の事を名前で呼ばれましたね」
椿としてはさりげなく会話の中に入れたつもりだったのだが、蓮見は目敏くそこを突いてきた。
「いいじゃん!昼の時は椿さんって呼んでたじゃん!だから私も千弦さんて呼ぶ権利があるはずだ」
「分かりました!分かりましたわ。最初に椿さんとお呼びしたのは私ですから、構いませんわ」
藤堂からの了承を得た椿だったが、彼女の押しの弱い所が余計なお世話ながら心配になってくる。
「じゃ、そう言う事でよろしく。これからも私に何か言って来る人には私から何か言うとは思うけど、気にしない方向で頼みます。ほっとけば相手が勝手に勘違いして怖がって終わるだけだから」
椿は一気に紅茶を飲みほし、そう言う事でと片手をあげ、頭を抱えている藤堂とそんな藤堂の肩に手を置いている蓮見を横目に見ながら、個室から颯爽と退出した。