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今年の夏は冷夏になると予測されていたにも拘らず、例年通りの暑さを記録している状態に椿は辟易としていた。


「だっるい」


朝比奈家2階の身内専用リビングのソファの上でうつぶせになった椿は、さぞやだらしない姿をしている事だろう。

そもそも2階のリビングには朝比奈家の使用人と身内しか来ないのだから素を見せた所で

元々無い椿の威厳がさらに減るだけだ。


「だらしない恰好をするな。言葉遣いが汚い。それでも朝比奈の令嬢かボケ」

「外ではちゃんとしてるからいーいーんーでーすぅー。あと尻叩かないでよ!セクハラだセクハラ!」

「椿ちゃん!セクハラなんて言葉どこで覚えて来たの!?誰かにされたの?誰に?」

「薫伯父様、突っ込む所はそこじゃないです」


だらしなく寝そべっている椿の尻を叩いた恭介に椿が悪態を吐き、ツッコミ所を間違えている父親と冷静にそれを指摘する杏奈が2階のリビングに集まっていた。

1階のリビングは応接間も兼ねているので、来客が頻繁にある時期は家族の団欒には向かないのだ。


「全く、叔母様の出産祝いに来てみたらこれだ。お前何で学校と家とで性格が真逆になるんだよ。家でもちゃんとしろよ」

「無理っすね」

「即答かよ!」


外でボロを出すようなマネはしないのだから大丈夫だと椿は思っていたし、大体両親も椿のこの態度について何かを言って来たりした事は一度も無いのだ。

外でちゃんと出来ているのであれば、家での態度ぐらいは見逃してくれているのだろう。

それに椿を放ったらかしにしていた罪悪感も母親にはあるし、父親も家では頼りない部分もあるが、外では割と出来る男を演じているので自分と言う前例がある以上、椿に対して強く言えない部分もあるのだ。


椿と恭介の会話にツッコミを入れる事をスルーした杏奈は、未だ椿のセクハラ発言を気にしている父親に向かって本来の目的でもある話題を口にした。


「そう言えば薫伯父様、赤ちゃんの名前はもう決まったんですか?」

「あ、うん。名前はいつきに決まったよ」


先週無事に母親が第3子の男の子を出産していた。

菫と同じく色素が薄く、どちらかと言うと朝比奈の祖母に顔立ちが似ていた。

両親は初めての男の子に興奮し、樹を構い倒している。

その分、菫が寂しがってるので夏休みの間は椿が主に菫の面倒を見ていた。

今じゃすっかり菫はお姉ちゃん子になっており、椿は鼻の下を伸ばしている状態である。

その菫は今お昼寝中なのでリビングには居ない。なので椿はこうしてだらしない恰好を晒せている訳だ。

姉の威厳を保つ為に、椿は菫の前ではお手本になるような令嬢を演じている。妹に尊敬されたいが為にだ。


ふと椿が壁にかかった時計に目をやると、時刻は14時半あたりをさしていた。

椿はちょうど小腹が空いてきていたので料理人に何か作って貰おうと考え、そう言えばフルーツの盛り合わせがお祝いで届いていた事をふと思い出したのだった。


「そうだ、夏のホットケーキ祭を開催しよう」


突如として椿は思い立ち、その計画を台所にいる料理人に伝える為、ソファから立ち上がりキッチンへと急いだ。


「水嶋様。あれが猪突猛進と言うものです」

「ふり幅大きすぎだろ、あいつ」


リビングでの2人の会話をスルーし、階下に降りた椿は勢い良くキッチンの扉をバンッと開け、中に居る目的の人物を見つけて声を掛けた。


「シェフ!夏のホットケーキ祭だ!」

「ホットケーキですか?材料はありますが、いつもながら突然ですね」


椿の突然の申し出に慌てる様子もなく、即座に材料の有無をはじき出す料理人はさすがプロである。

料理人は読んでいた新聞を片付けると、棚や冷蔵庫から材料を取り出し始めた。

それをジッと椿が見ていると、料理人は不思議そうな顔をして椿に話し掛けてくる。


「椿様、出来上がったらお持ちしますよ?」

「え?材料混ぜ終わったら焼く気満々なんですけど」

「え?」

「え?」


ホットケーキ祭と言えば焼くのが目的だろうと椿は思っていたので、料理人の申し出に驚いてしまった。

自分で焼いた方が絶対美味しいし、料理人が見ていてくれるから綺麗なきつね色のホットケーキが焼けるに違いないと意気込んでいたのだ。


そんな中、いつの間にか椿の後を追って来ていた父親が台所に顔を出し、どうしたものかと悩んでいる料理人に声を掛ける。


「すまないがホットプレート出してくれる?他にも人を呼ぶし、椿ちゃん達は賢いから危ない事はしないと思うよ」

「そう言う事でしたら、すぐにホットプレートを準備致します」


父親の言葉を受け、料理人は棚からホットプレートを出し、台の上に乗せた。

プレート部分を洗い、布巾で水滴を拭き本体へと戻し、電源を入れプレートを温める。

温めている間にボウルに材料を手早く次々と入れていく。

これがほぼ目分量で出来るのだから大したものだと、料理人の流れるような作業を見て椿は感心するのだった。

その後、父親が呼んだ使用人が台所に入って来た。

料理人が生地を混ぜ合わせ、少し遅れて来た恭介と杏奈とで生クリームの泡立てを3人で順番に行う。


「…き、おい椿!聞いてるのか!?」


突然恭介から呼ばれ、椿は泡立てを一時中断し彼を見た。


「何?」

「もう十分だろ。ツノも立ってる」

「…そうだね。集中してて気づかなかった」


アハハと誤魔化したが、恭介は何かを探るように椿の顔を凝視している。

自分の顔に何か付いているのかと思い、椿は手で自分の顔をペタペタと触り確かめた。

しかし特に何も無かったので、とりあえず椿は恭介から何か聞かれるのを待った。


「何か悩み事でもあるのか?最近上の空な事が多すぎるぞ」

「いやー悩み事って程では」

「嘘言え。僕の目を誤魔化せると思うなよ」


などと恭介から聞かれたが、真剣な表情の恭介の顔を見ていると悩み事を打ち明けるのは非常に言い難いものがある。

そんなに分かりやすくいつもと違っていたのだろうか。


「椿の事だから絶対くだらない事だと思いますよ」

「僕は八雲よりも椿との付き合いが長いんだ。だから分かる」

「じゃ、もし違ったらトッピングのイチゴ、私が全部貰いますからね」

「合っていたら僕が貰う。さあ、椿」


椿に悩みなんて聞くだけ無駄と言う態度の杏奈に対し、椿と4歳の時から付き合いがあり、椿の事なら理解していると自負している恭介が反論する。

イチゴを賭けの商品にしたところで、悩みをさっさと言えと恭介が椿を急かす。

椿は確かに悩んでいるし、猶予もあまりない状態であるのは確かだった。

しかし、誰かに相談した方が答えが出るかもしれないと思い、椿は重々しく口を開いた。


「実はね、菫の事なんだけど」

「菫に何か問題があるのか?」

「問題って言うか、あの子最近言葉を喋り始めたでしょ?まだ車をブーブーとか猫をにゃんにゃとかばかりだけど、その内上手に喋り始めるじゃない?で、悩んでるのよ」

「何にだ」


恭介にさっさと結論を言えと言わんばかりに急かされる。

せっかちな男は嫌われるよと椿は言いたかったが、それを言ったら話が横道に逸れるのは確実なので、あえて口には出さないでおいた。


「あのさ恭ちゃんは、菫から呼ばれるのに『姉様』か『お姉様』呼びどっちが良いと思う?喋り始めはまだ上手に喋れないだろうから舌足らずな感じで『ねーしゃま』もしくは『ねーたま』呼びも良いと思うし、ちょっと大人っぽく『おねーさま』と呼ばれるのも捨てがたいと思うんだよね!大きくなって『もう!お姉様のイジワル!』とか言われるのマジ堪らん。ね、恭ちゃんはどっちが良い?」

「想像以上に本当にどうでも良かった!」

「やったー!イチゴ、GETだぜ!」


もう本当に悩んでるんだよ。答えが出ないんだよ。どっちも捨てがたいんだよ、とさらに椿は畳みかけ、天を仰ぎ見ている恭介に止めをさした。

さらに恭介が椿の悩み事をどうでもいいと評した事に対し椿は立腹し彼に文句を言う。


「どうでも良いとか何だよ!こっちは真剣に悩んでるのに!」

「呼び方なんてどっちでもいいだろうが!」

「良くねぇよ!全然良くない!あの天使から私に貰える唯一の称号だぜ!?これが悩まずに居られるか!」


「あ、ブルーベリーも付けて下さい。木苺も。生クリームは多めでお願いします」


椿と恭介のやり取りを尻目に、杏奈はちゃっかりとホットケーキを焼き、料理人にトッピングの注文をしていた。

杏奈の注文を耳にした椿はテンションもそのままに料理人に向かって「私のには蜂蜜も追加で!」と頼み、再び恭介との会話に戻った。

しばらくああでもないこうでもないと椿が一方的に話しかけていたが、恭介は椿の相手をするのを諦めたのか投げやりな口調で口を開いた。


「もう、子供の頃は姉様で菫が中等部に入ったらお姉様呼びにチェンジすればいいんじゃね?」

「お前、天才か…!」


それならば両方クリア出来る。何て名案なんだと晴れ晴れとした顔をした椿とは対照的に、恭介は疲れ切った様子で椅子に座り燃え尽きていた。


「だから言ったじゃないですか。あの子が話せる悩みなんて大した事ないって」

「ああ、良く分かった。次は失敗しない」

「で、水嶋様は菫から何て呼ばれるご予定ですか?」


杏奈からの問いかけに口を開こうとした恭介だったが、彼が話し始める前に椿が口を出した。


「菫に兄と呼んでもらいたいなら、私を倒してからにしてもらおうか」

「お前、心狭すぎだろ!」

「ちなみに私は『杏奈ちゃん』で手を打ってます」

「お前は絶対先にあいつの悩み知ってただろ!?僕のイチゴ返せ!」


ツッコミを入れている恭介を生暖かい目で見守った椿は、フルーツ盛りだくさんのパンケーキを切り分け、フルーツとクリームを器用に乗せて口に入れた。

美味しい美味しいと言い合っている椿と杏奈とは対照的に、恭介はやり取りを見ていた父親から肩を軽く叩かれ慰められたのだった。

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