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知らぬは本人ばかりなり②

 そんなこんなで夏休みとなり、椿は家族と一緒に軽井沢へと来ていた。

 志信からレオンがもうじきやってくると聞いた彼女は、何度も紅茶をおかわりしたり、席を立ってウロチョロしたりと落ち着きがない様子を見せている。

 母親は彼女の態度の変化にいち早く気付き、なぜそうなっているのかということも察してしまった。

 気付いた母親は、口元に手を当てて、あらあら、まあまあと嬉しそうに微笑んでいる。


「椿ちゃん。動いたところで早くお見えになるわけじゃないのよ? こちらに座って、一番可愛いお顔でお出迎えしましょう?」

「え? え!?」


 何で気付いたの!? という表情を浮かべる椿に母親は穏やかな笑顔を向ける。


「ちょっと、百合ちゃん!? 今、聞き捨てならないことを言ったよね!? どういうこと!? どういうこと!?」


 椿ちゃんに何が!? と騒ぐ父親を無視した母親は、自分の隣をポンポンと叩いて椿を呼び寄せた。


「……お母様って、たまに物凄く鋭いですよね」

「たまに、は余計よ」


 わざとらしく怒って見せた母親に椿は思わず笑ってしまう。

 レオンの到着に緊張していた彼女は、母親のお蔭で少しばかり落ち着くことができた。


「薫さんのことは放っておきなさい」

「百合ちゃん!?」

「お相手は昔から存じ上げている方で、問題は何もないのだし、私が反対することはありません」

「百合ちゃん!」

「大事なのは椿ちゃんの気持ち。昔からしっかりしている貴女だもの。間違った判断はしないと私は思っているわ。だから頑張るのよ」


 ギュッと母親に手を握られ、椿ははみかみながらも頷いた。



 それからしばらくして、使用人からレオンがやってきたことを知らされ、椿はその場から勢いよく立ち上がる。


「ほら、椿ちゃん。笑顔よ、笑顔」


 母親に頬を軽く引っ張られ、椿はぎこちないながらも笑みを浮かべた。

 笑顔、笑顔と彼女が意識している中、部屋の扉が開けられ、五ヶ月ぶりに見るレオンが入ってきた。


(春休み以来だけど、少し大人っぽくなった?)


 ジッとレオンを見ていると、部屋に入ってきた彼は両親に挨拶をした後で椿の方へと視線を寄越す。

 目が合うと、嬉しそうに、それでいて優しげに微笑んだ。


(うわ……。本物のレオンだ)


 久しぶりの実物のレオンに椿は顔が熱くなり、咄嗟に視線を背ける。

 第三者からすれば、いつもどおりな彼女の態度。

 だからこそ、レオンは気にする様子もなく、彼女に近づく。


「久しぶりだな。大学生活には慣れたのか?」

「……久しぶりね。大学は……まあ、慣れたわ。授業時間が長いのが面倒だけど。そっちは? ドイツの大学って言っていたわよね? 実家から離れた場所にあるから一人暮らしか寮にでも入るの?」


 成績優秀すぎるレオンは一年短縮しているはずなので、椿と同じく今年大学に進学するのだが、彼女はいつも通り素っ気ない言葉を吐いてしまう。


(会いたかったとか可愛らしいことを言えばいいのに……! どうして事務的なことしか言えないのよ!)


 椿が己の発言に後悔していることなど知らないレオンは、律義に彼女の質問に答える。


「俺は寮には入らない。大学の近辺にグロスクロイツ家の所有する屋敷があるから、そこに住むんだ。家の使用人を連れて行ったから、これまでと何も変わりはしない。しいてあげるなら、両親がいないことだろうな。まあ、普段も家に居ることはないから、風景が変わったくらいだけど」


 大学近辺に屋敷があるとか、お坊ちゃますぎるな、と椿は思った。

 レオンは正真正銘のお坊ちゃまだから、当たり前なのだが。


「ふぅん。……で、同じ大学に知り合いとか友達って居るの?」

「居るよ。とは言っても、グロスクロイツ社の取引先の息子達ぐらいだけどな」


 そうなんだ~と言いながら、女子は? 女子は? と聞きたい衝動に駆られたが、すんでのところで椿は飲み込んだ。


「それは良かったわね。ひとりぼっちの大学生活は寂しいもの。友達が一緒なら楽しい大学生活が送れそうね」

「楽しいとは言えないだろうな。だって、向こうには椿が居ない」


 あ、とか、う、とか言って椿は言葉に詰まる。


(私、良く今までこれをスルーできてたわね! 小っ恥ずかしい!)


「わ、私が居なくても楽しい大学生活は送れるわよ。今までだってそうだったんだから」

「でも、電話の回数は増えた。今までと同じじゃないだろう?」

「電話の回数が増えたくらい何よ!」

「椿にとっては大したことはない変化かもしれないが、俺にとっては、月に一度の楽しみが週に一度になったんだ。頻度が増えれば増えるほど、椿に会いたい気持ちが募る」


 だから、早く会いたかった、と頬を染めながらレオンは口にする。


「直視できない!」

「え?」

「あ!」


 レオンの反応から、心の中で言った言葉が口に出ていたと知り、椿は、まだ言うつもりは無かったのにと青ざめた。

 まだだ、まだ早すぎる。せめて半年以上は寝かせておきたい。

 言い出しにくいことは先延ばしにしたいと思っていたのに! と彼女は頭を抱えた。


「ゴホン! ゴホゴホゴホゴホゴホッ」


 わざとらしすぎる咳払いに椿とレオンはそちらを見ると、彼を睨み付けている父親の姿があった。

 何をしているのだ、と彼女は呆れるが、話を中断してもらったことには感謝したい気持ちである。

 一方レオンは、父親の様子に苦笑していた。


「外に行こうか」

「ゴホッ!?」

「え、ええ。そうね。行きましょうか」


 咳で感情を表した器用な父親を横目に、椿はレオンの後について部屋から出て行く。

 追い縋るような父親の視線には気付かないふりをして。

 今にも追いかけて行きそうな彼であったが、腕を母親に掴まれてしまい身動きがとれない。

 出て行く二人、というかレオンに厳しい目を向けることしかできなかった。


 さて、外へと出た二人は、庭を散歩しながら話をしていた。


「父がごめんなさいね。張本人の母が全く気にしていないのだから、いい加減に怒りを収めてくれてもいいのに」

「まあまあ、薫が怒るのも仕方ないことを俺はしたんだから。俺だって、同じことを椿相手にされたら、死ぬまで許すことはできないだろうし」

「でも、私だってレオンに手をあげてしまったし」

「俺が言わなければ、椿は手をあげなかった。どうみても先に口に出した俺が悪い」


 キッパリと言い放つレオン。

 だが、どんな理由があったとしても、先に手を出した時点で責任は手を出した者にあると椿は思っている。

 反射的に彼女は手を出してしまったが、ちゃんと口で応戦しなければならない場面であったはずだ。


「それに、薫は昔のことだけに怒っている訳じゃなさそうだしな」

「え?」

「明らかに娘を他所の男に取られるのが嫌なんだろうな」

「……義理の娘としては嬉しいけど、ちょっと複雑だわ。愛情を貰いすぎて、たまに血が繋がっていないことを忘れるのよね」

「俺もだ。多分、俺の最大の敵は薫だな」


 冗談めいた言い方に椿は笑ってしまう。

 つられたようにレオンも笑いだし、二人はしばらく笑いが止まらなかった。

 ひとしきり笑い終えたことで、レオンに会うということに緊張していた椿は、今ので大分緩和された。

 落ち着いたところで彼の顔を見ると、柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ている。

 真っ直ぐに向けられる視線が自分だけのものということに、彼女の心は満たされた。


(ああ、白雪君の言っていたことの意味が分かったわ。確かに毎日でも声を聞きたくなるし、会いたくなる)


 相当、レオンに我慢させていたのだな、と同じ立場になって初めて椿は気が付いた。

 これは軽く拷問だ。


「椿? 黙り込んでどうした? 具合が悪いのか? 部屋に戻るか?」

「あ、大丈夫よ。ちょっと考え事をしていただけだから」

「また何か悩みごとでもできたのか? 椿は優しいから大学で知り合った奴の問題を解決しようとしているんじゃないだろうな?」

「違うわよ。白雪君に言われたことを思い出していただけだから。あ、白雪君て覚えてるよね? 透子さんの友達の」


 白雪の名前を出すと、レオンの機嫌が一気に悪くなったのが椿には分かった。

 なぜ白雪が地雷になったのか露程も知らない彼女は、突然の態度の変化に戸惑いを隠せない。


「レ、レオン?」

「椿は、白雪と仲が良いのか?」

「え? ああ、そうね。お昼ごはんを一緒に食べることもあるし、授業がないときにお喋りしたりしてるけど」


 椿の返答に、レオンはギリッと歯噛みし、あいつ……と居ないはずの白雪に向かってどす黒い何かを向けている。


「いきなりどうしたのよ。レオンって白雪君と仲が悪かったっけ? 二人で話していたところを見たことがあったから、親しいのかと思っていたけど」

「断じて親しくない!」


 椿の言葉に被せるように言われ、彼女は驚く。

 けれど、憎い相手に向けるような顔をされれば、椿にも二人の仲が良くないのは理解できた。


「ていうか接点はほとんどなかったと思うんだけど、何があったのよ」

「……諸事情により、言いたくない」


 本当に何があった、と聞きたいが、レオンが言いたくないと言っている以上はしつこく聞くことはできない。


「で、あいつに何を言われたんだ?」


 ずいっとレオンに近寄られ、心の準備ができていなかった椿は後ずさる。


「な、何って、レオンの忍耐力は尊敬するって」

「はぁ!?」

「いや、あの。月一の電話を週一にしたって言ったら、好きな子とだったら毎日だって話をしたいものなんだって言われて、それで」

「……それは、あいつの価値観だろう? 確かに俺は頻度が増えたことで椿に会いたい気持ちが強くなっているが、椿がそれを望んでいない以上は無理強いすることはないから安心してくれ」


(いや、私も同じ気持ちなのよ……! まだ言えないけど……! でも言いたい! 言いたいけど、冷められるのが怖い!)


「俺としては、すぐにでも椿に好きになって欲しいところだけど、いざ言われたら、多分同情で言っているんじゃないかって疑うだろうな」


(……セーフッ! 言わなくて良かったわ! 本当に良かったわ! 私の判断は間違っていなかったのね! グッジョブ、私!)


 レオンの本心を聞いて、椿は胸を撫で下ろした。

 迂闊に告白しなくて大正解だったというわけである。

 だが、同時に問題もある。


(問題は、いつならいいかってことよね。やっぱり半年から一年は開けた方が無難かもしれない。レオンがどう考えているのか分かったことだし、焦りは禁物よね。焦って事をし損じるなんてなったら、立ち直れないわ)


 すでにレオン以外の男を選ぶ気のない椿は、最初で最後の告白は絶対に失敗するわけにはいかないと決意した。


(うう……。でも長年私を好きだって言ってくれたレオンを早く喜ばせたいのよね。愛をいっぱい貰ったんだから今度は私が返す番なのに、まだ言えないのは悪い気がするわ。やっぱり半年後、半年後ね。勝負をしかけるなら、そこ。クリスマスとかいいんじゃない? 多分、レオンは日本に来てくれるだろうし。来なかったら、私の方から行けばいいのよ。ドイツにはお祖母様やお祖父様もいるのだから、理由はあるもの……!)


 残念なことに、彼女の決意が実を結ぶのはかなり先である。

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