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ロミジュリ未満②

 走り去る車を見送りながら、倖一は安心したように息を吐いた。


「あいつら、俺が来なかったら大変なことになってたな」


 あいつら、とは菫達に声を掛けていた男子生徒達のこと。

 生徒会室に居た倖一のところに可愛い女子があまり評判の良くない生徒達にナンパされていると報告があり、急いで駆けつけたところ、男子生徒に囲まれていた菫と、その向こうに壁から顔半分を出してこちらを凄い形相で見ていた菫の姉・椿の姿があったのを見つけて、彼は慌てて声を掛けたという訳だ。

 彼女の背後では、朝比奈家の使用人である不破志信が必死に彼女の肩に手を置いて、今にもこちらに来ようとしているのを止めていた。


(相変わらず清々しいほどのシスコンぶりだよな。あれ、俺が行かなかったら絶対に後からなんかしてただろ)


 あまり評判の良くない生徒だというのは分かっていたが、椿から何かされるのを分かっていて知らない振りをできるほど倖一は冷酷ではない。

 問題が大きくなる前になんとかなって良かったと思っていると、倖一は背後から声を掛けられる。

 良く知っている声に誰が話し掛けてきたのかを察し、彼が振り向くと予想通りの人物が立っていた。


「あれぇ? もう帰っちゃったの?」

「当番に当たってて残念だったな。ひかる


 若干、息をきらせてやってきた光と呼ばれた少年に向かって、倖一は素っ気なく口にした。

 さて、倖一から光と呼ばれた少年だが、彼の名字は夏目なつめ

 そう、彼は夏目透子の弟なのだ。

 同じ剣道道場に通っていたことが縁で倖一と仲良くなり、今では親友という間柄。

 小学校一年生の頃からの付き合いなので、気心が知れすぎている仲なのである。


「あ~あ。せっかく倖ちゃんの面白い姿が見られると思って急いで来たのに」

「お前にだけは見られたくなかったから、見られなかったことに心の底から安心してるよ」

「まあ、写真撮ってもらったから、後で見るんだけどね」


 光に肘で突かれ、倖一は眉を寄せる。

 すると、携帯の着信を告げる音楽が鳴り、光がポケットから携帯電話を取りだした。


「あ、メールだ。……へぇ。ボウリングにクレープねぇ。あ、倖ちゃんの景品をあげたんだ。すごい喜んでんじゃん」


 先程までの出来事を口にされ、嫌な予感がした倖一は引きつった表情で隣にいる光へと視線を向ける。


「…………ちょっと待て。お前、誰とメールしてんだよ?」

「菫ちゃん」


 予想していたとはいえ、事実だったことに驚いた倖一は、はぁ!? と叫んだ。


「いつ知り合ったんだよ! 聞いてないけど!」

「だって言ってないもん」


 二つ折りの携帯をパタンと閉じた光がいたずらっ子のような笑みを浮かべ、倖一を見る。


「あのさ、俺の姉ちゃんが誰と結婚するか、倖ちゃん覚えてる?」

「誰って、水嶋グループの………あ」


 ここで倖一はようやく合点がいった。

 光の姉・透子は水嶋グループの御曹司である水嶋恭介の婚約者。

 その恭介と菫はイトコ同士なので、朝比奈家も含めた親族との食事会で、もしかしたら顔を合わせたことがあるのかもしれないと思い至ったのである。


「そ。食事会で俺が葦原学園の制服を着てたから、あっちから倖ちゃんのこと知ってる? って話し掛けられたわけ。で、知ってるよ、倖ちゃんとお友達だよ~って言って、アドレスを交換したの」

「よく、あっちの家族が許したな」


 特に菫の姉の椿は威嚇して遠ざけようとするタイプだと倖一は記憶している。


「あ~もしかしたら、あの子が言ってないのかも。聞かれたのも二人のときだし。それにメールしてるっていっても、俺は倖ちゃんの話しかしてないからね。バレてても害は無いと思われてるんじゃないの?」

「……分かってはいたけど、やっぱり俺の話をしてたのかよ! お前、何を話した!」


 倖一は光の肩を掴み、前後に揺さぶる。

 揺さぶられたまま、光は、え~とねぇとのんびり口にした。


「昼飯を食べてる倖ちゃんとか、体育の授業で汗を流している倖ちゃんとか生徒会長として挨拶している倖ちゃんとか、部活で面を外して汗で濡れた髪をかき上げてオールバックになってる色っぽい倖ちゃんの写メぐらいしか送ってないよ!」

「お前、いつ写真撮ってた!? つか、それ盗撮じゃねぇか!」

「え~。ちゃんと隣の奴に写真撮ってもいい? って聞いてたよ?」

「俺に聞けよ! 何で赤の他人に聞いてんだよ!」


 倖一は大声を張り上げるが、光はアハハと笑うのみ。

 これは言うだけ無駄だと判断し、彼は肩を落とした。


「……光、あと何をした?」

「え~とねぇ。倖ちゃんの学校生活を詳しく教えてた」

「お前な……!」


 倖一に睨まれた光は、慌てて手と首を横に勢いよく振った。


「ちょ! ちょっと待って! だってさ、考えてもみてよ! あんな美少女に上目遣いで倖一様は学校ではどのようなご様子なのですか? って言われたら喜んで欲しくて、聞かれてもいない情報をじゃんじゃん与えちゃうでしょ! 俺は本能に従っただけで悪くないよ!」

「尚更、質が悪いんだよ、阿呆が! 大体、上目遣いっつっても、単純に背の高い光を見上げてたってだけだろ!」


 倖一の言葉に、光は言葉を詰まらせる。

 うぐぐ、と言いながら、彼は開き直ったのか胸をはりながら答えた。


「……ああ、そうだよ! そうですとも! いいじゃん! それぐらい夢を見させてくれても!」

「うるせぇ! 夢なんて見るな! あいつが汚れる!」


 倖一の台詞の意味をなんとなく察した光は、首を傾げながらも彼に問いかける。


「あのさ、倖ちゃん。もしかして、倖ちゃんも菫ちゃんのこと好きなの?」


 光に言われたことで、倖一は勢いで余計なことまで口にしていたことに気付き、顔を真っ赤にさせ、口元を手で覆った。

 反対に光は、からかう材料が手に入ったとばかりにニヤニヤとしている。


「ふ~ん。へぇ。あ~そう。そうなんだぁ」

「……まだ何も言ってねぇよ」

「そんな顔しといて、今更じゃない? 向こうの気持ちは分かってんだから、告ったら?」

「告白するつもりはない」


 吐き捨てるように言われた言葉に、今度は光が倖一の肩を揺さぶった。


「何で!? 両思いだよ!? 馬鹿じゃないの!? 馬鹿だよ! 倖ちゃんは大馬鹿野郎だよ!」

「こっちにも色々と事情があるんだよ」

「事情って何さ! 理由をつけて告白しないってだけじゃん! 何? 菫ちゃんがお嬢様だから、幸せにする自信がないの?」

「いや、幸せにする自信ならある」


 ケロッとした顔で自信満々に答えた倖一に光は冷めた目を向ける。

 彼が自分の実力を謙遜することのない部分があったことを思い出したからだ。

 倖一は光の視線を無視して話を続ける。


「自信がないのは俺自身に関してだ」

「何が? 成績優秀でスポーツ万能。生徒会長で剣道部の主将で真面目で責任感が強くて誠実な倖ちゃんが自信ないってふざけてんの?」

「違う。俺はまだ高校生で、何かあったとしても親が責任を取らなくちゃいけない年齢だろ。自分で責任が取れないのに、好きだと軽々しく口にすることはできないってだけだ」


 理由を聞いた光は、こいつめんどくせぇという表情になっていた。

 両思いなら付き合う、シンプルなことだと彼は思っていたからである。


「つーかさ、そんなこと気にしてんの倖ちゃんくらいだよ? 同じ年齢の奴らは好きだから付き合うんじゃん。そんな先のことまで考えてたら、誰とも付き合えないよ?」


 光としては一般論を口にしたのだが、倖一は悲しげな笑みを浮かべている。


「相手が朝比奈じゃなかったら、俺もそうした」

「どういうこと?」


 さっぱり分からないと光は首を傾げていたが、説明しようにも倖一が軽々しく言える話ではない。

 だが、ここではぐらかしたら、光から追求されることも倖一は身に染みて理解していた。


「当事者じゃない俺の口からは言えない。ただ、仮に朝比奈と付き合った場合、付き合った時点で周囲から何か言われるし、別れようもんなら絶対に朝比奈に傷が付く。それだけの理由があるんだよ」


 詳しく説明はしなかったものの、菫のためを思って言えないという倖一の話を聞いた光は分かっているのかいないのか、ふ~んと答える。


「なんか面倒臭そうな理由っぽいね。でも、今の状態じゃ付き合えないってのは分かったよ」

「ああ、だから、まだ言えないんだよ。なんてことを言ってたら、なびかない俺に愛想を尽かして離れていく結果になるかもしれないけど」

「って言っても、もう十年以上でしょう? 気持ちが変わることなんてありえないでしょ?」

「さあな。俺は朝比奈じゃないから、分かんねぇよ」


 だよねぇ、と力なく光が同意する。

 倖一だって、できれば気持ちを伝えたい。

 けれど、両家の過去のことを考えると感情だけで突っ走ることはできないと彼は思っていた。

 だからこそ、誰にも文句を言わせないような大人にならなければいけない。

 

 考え込んでいる倖一を尻目に、幾度目かのため息を吐き出した光は気持ちを切り替えたのか、ちょっとだけにやついた表情を浮かべながら話し始める。


「で、倖ちゃんはいつから菫ちゃんが好きだったの?」


 どうよ、どうよ、と肩に肘を置かれ、倖一は呆れたような視線を光へと向けた。


「覚えてねぇよ」

「え~! 嘘だ!」

「嘘なわけあるか。気付いたら好きだったんだよ」

「つまんないの~」


 口を尖らせ、不満を口にしている光を見て、倖一は話さなくて正解だったと視線を逸らす。

 実のところ、覚えていないというのは嘘だ。

 彼はバッチリ自分が恋に落ちた瞬間を覚えている。

 単純に、からかう前提で聞いてきた光に腹が立ったというだけだ。


 未だに不満を口にしている光を横目で見ながら、倖一は以前、菫に言われた言葉を思い出していた。


『倖一様のお名前は人を幸せにすると書くのですね。名は体を表すと申しますが、本当にその通りです。だって、倖一様はいつだって私を幸せにして下さいますもの』


 はにかむように笑いながら言われた言葉。

 深い意味などなかっただろうが、倖一はその瞬間に、ああ、こいつ可愛いな、好きだなと恋に落ちたのである。

 それまでも可愛い妹分だと彼は思っていたが、あくまでも友情でしかなかった。

 尤も、明らかに愛情の方の好きだという感情を美少女から言われ続けたことにより、絆されたという部分もある。

 何にせよ、彼は菫を好きになったのだ。

 

 しかし、ほどなくして倖一は親から倉橋家が菫の母親にしたことを聞かされ、自分の存在が彼女の母親を苦しめていたということを知ってしまう。

 菫の母親に対しての申し訳なさから、菫と積極的に関わるのは良いことではないと倖一は思い、離れようと決意したのだ。

 菫の性格やこれまでの行動を見れば、親から過去にあったことを聞かされていないのだと分かる。

 何も知らない彼女に倖一は離れる理由を正直に言うことができず、忙しくなるからと嘘を言って彼女を自分から遠ざけていた。

 だが、不思議なもので離れれば離れるほど、菫への想いが強くなる自分がいることに倖一は気が付く。

 彼は、ダメだと自覚しながらも菫に会いたいと望んでいた。

 だから、今日も本当は嬉しく思っていたのである。


「何、遠くを見てんのさ」


 光に人差し指で脇腹を突かれ、倖一は現実に引き戻される。

 脇腹を突くなと抗議の意味も込めて、即座に光のふくらはぎに軽く蹴りをいれると、彼は笑いながら、いってぇと口にした。

 さらに文句を言おうとした倖一であったが、校内放送で生徒会室まで戻れと呼びだしがかかったことで、二人の会話は強制終了となってしまった。


「呼び出されたから生徒会室に戻るけど。光はどうする?」

「あ、俺も行く。当番も終わったし、サボる」

「生徒会長の目の前でサボり宣言すんなよ。職員室に連行するぞ」

「勘弁してよ~。俺と倖ちゃんの仲じゃんか」


 光は何とぞ、何とぞと言いながら倖一の肩を揉んでいる。

 まあ、文化祭だし大目に見るか、と彼は笑みを零した。


「雑用、押しつけるからな」

「コピーくらいならやったげる」

「十枚ワンセットで三百部ホッチキスで留めろよ。もちろん一人で」

「鬼!」


 立ち止まり文句を言う光に、倖一も足を止めて振り返った。


「それから、俺の前で朝比奈のことを下の名前で呼ぶな。ムカつくから」

「えぇ、やだぁ。倖ちゃんってば、ヤキモチ? かーわーいーいー」

「お前、ほんと人をからかう材料を手に入れると生き生きとしだすのムカつく」


 ゲラゲラと笑っている光を無視した倖一は生徒会室へと早足で向かう。

 後ろから、待ってよ~と言いながら光が追いかける様子を見た生徒達は、いつもの見慣れた光景に、またやってるよ、と呆れた視線を向けたのであった。

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