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立花美緒のその後

 あの頃の自分は、ただひたすらに愚かだった。

 人の善意に気付かず、悪意だけをまき散らした。

 どうして私は全て自分の思い通りになると信じ切っていたのか。



 私、立花美緒が鳳峰学園の高等部を卒業し、十年が経った。

 カウンセリングを受けたことと周囲の人の支えにより、私はここが現実であること、自分の考え方が間違っていたことを知ることができたの。

 なんとか普通の人に近づけることができた後、私は大学には行かずに立花の家で家事手伝いをさせてもらっていた。

 最初はアルバイトをした方が良いと思っていたんだけど、ゼロの状態から人間関係を築くのが怖かったこともあって、情けないとは思うがお義父さんに頼んで家の手伝いをさせてもらうことにしたのよ。

 色々と我儘を言って困らせたにも拘わらず、お義父さんは私のお願いを快く受け入れてくれた。

 赤の他人の子供なのに、私の願いを嫌な顔ひとつせずに叶えてくれたことが嬉しくもあり、申し訳なくもあった。

 以前の私は、どうしてこの人の優しさに気付けなかったのか。

 もちろん、お義父さんだけじゃない。これまで私に苦言を呈してきた全ての人に対して、私はそう思っていた。



 そして、この十年、私は椎葉さんや小松さん、それに白桜女学院時代に父親を降格させてしまったあの子を中心に、迷惑をかけてしまった人達に謝罪する日々を送っていた。

 会いたくないと拒絶する人、罵倒する人、落ちぶれた私を笑う人、どうでもいいと言う人、色々と居たわ。

 けれど、私は何度も何度も彼女達に会いに行って頭を下げた。

 許してくれなくても、私には謝罪することしかできないから。

 罵倒されても、私は彼女達の前では決して泣かなかった。

 罪悪感を持たせて、許して貰おうなんてしちゃいけないと思ったから。

 勿論、十年の間、心が折れそうになるときもあったけれど、そういうときに透子に言われた言葉を思い出すの。

 

『謝罪があって、初めてその人は出来事を過去にできるかどうかを考えることができるんです。でも、ただ謝るだけでもだめです。自分の何が悪くて、どういう行動で相手を傷つけたのかを自覚して、心から謝罪しないと意味がありません。自分が楽になりたいからってだけで謝ってもダメです』


 この人達は、謝罪だけでは足らないくらいに私に傷つけられている。

 だから、私が被害者面をしてはいけない。

 とは言っても、透子に弱音を吐いたりすることもあった。

 彼女は、ただ黙って聞いてくれていたけれど、それだけでも私は救われたの。


「……そういえば、二人目が生まれたって言ってたっけ」


 大学を卒業してすぐくらいに透子は水嶋恭介と結婚した。

 上流階級の人達はシンデレラストーリーだとか、玉の輿だとか好き勝手言っていたが、私は、ようやく二人が結婚するという報せを聞いて心の底から祝福した。

 自分でも他人の幸せを喜べるようになったなんて驚いたけれど。

 などと考えていた私は、背後から声を掛けられる。


「美緒さん。良い茶葉が手に入ったのですが、お茶にしませんか?」

「すみません。まだ草取りが終わってないので、遠慮します。……お茶の用意でしたら、すぐにしますが?」

「いえ、なら、終わるまで待ちます。話がありますので」


 微笑みを浮かべながら、声を掛けてきた男性は部屋へと引き返した。


 私に声を掛けてきた彼は、私よりも二十歳以上年上の大学教授。

 現在、私はこの人の家でお手伝いさんをしている。

 さすがにこのまま家事手伝いではマズイと思った私が、お義父さんに仕事がないかと聞いた際に持ってきてくれたのが、この仕事。

 お義父さんの昔からの知人らしく、人柄は信頼できるし、年齢も離れすぎているということで安全だろうと紹介されたのである。ちなみに、他人と暮らすのが苦痛ということで独身だったのも、お義父さんが安全だと思った理由らしい。

 それに日中、彼は大学に行っていて留守だしね。

 だからこそ、お義父さんは私に、この仕事を持ちかけたのだろう。

 

 最初はほとんど会話らしい会話などなかった。

 大学から帰ってきた彼と挨拶を交わすだけだったのに、いつの間にか親しく会話をするようになっていたの。

 普通にニュースとか、日々の何気ないことだとか、取り留めのない話だったけれどね。

 そんなこんなで、働き始めて五年。


「……話って、やっぱりプロポーズの件よね」


 庭の雑草を抜きながら、私は呟いた。

 何が良かったのか分からないけれど、彼は私のことが好きなのだという。

 こんな私を好きになるなんて物好きにもほどがあると思う。

 おまけに、この間プロポーズされてしまったのだ。

 そして、そのプロポーズを私は断った。

 当たり前だ。私はまだ許されていない。

 許されていないのに、幸せになっちゃいけない。

 私の幸せをあの人達は望んでいないだろうから。

 結婚なんてするつもりはないし、一生独身だろうと思っていたから、プロポーズされたときは驚いたわ。


「…………嬉しかったけどね」


 穏やかで優しくて心の広い人。まるで静かな海みたいな人だって思った。

 こういう人になりたいと憧れた。

 憧れは、いつの間にか恋になっていたけれど。

 本当は頷きたかった。彼と共に人生を歩みたいと思ったの。


「愛されるって、こんなにも嬉しいものなのね」


 前世のときも、今も親から愛情を受けた記憶のない私は、こうして他人から愛されることが初めてだった。

 嬉しいし幸せだと思うけど、なんだか、ちょっと恥ずかしい気持ちもある。

 同時に、私はちゃんと他人から愛されるような人間になれているのだと分かって、ホッとした。

 だから、好きな人に愛されるだけで十分なの。

 それ以上を望んではいけない。

 彼の気持ちを考えれば、独りよがりな考えだと分かっている。

 でも、私の償いはまだ終わっていない。


 はぁ、とため息を吐いた私は、抜いた雑草をまとめて袋に放り込み、裏口に持っていく。

 そのまま勝手口から台所に入り、手を洗った後で彼が言っていた茶葉を手に取り、お茶の用意をして、彼が待つリビングへと向かう。


「お茶の用意ができました」

「ああ、ありがとうございます。美緒さんもどうぞ」


 ニコニコと微笑みながら、彼は私が持ってきた羊羹を切り分けて食べ始める。

 お言葉に甘えて、私も羊羹とお茶を頂いた。

 お茶を飲み、一息ついた頃、彼が口を開く。


「この間の話ですが、考え直してはくれませんか?」


 やっぱりプロポーズの件だ、と思い、私は俯く。


「……私の気持ちは変わりません。ごめんなさい」

「仕事を辞めないところを見ると、嫌われてはいないと思うのですが……。何か、気に入らないところがあるのでしょうか?」


 彼の言葉に私は勢いよく顔を上げて、首を横に振った。


「違います! 先生が悪いわけではないんです!」

「では、どうしてですか?」


 理由は簡単。私が過去にやったことが全てだ。

 ……知られて幻滅されたくない気持ちもあるけれど、話さなければいけない。

 そうしないと、きっと彼は納得してくれない。決意した私は、過去の行いを口にした。


「私は、ある人に愛されたいからと色んな人を傷つけてきました。親の権力を持ち出して、周囲の人に言うことを聞かせて、我儘ですぐに癇癪を起こして、まるで自分がこの世界の主人公みたいに自分勝手に振る舞ってきたんです。私に傷つけられた人は沢山居ます。私は、まだその人達に許されていないんです。許されていないのに、幸せになることはできません」


 手をギュッと握り、私は視線を下に向けた。

 軽蔑の眼差しを向けられるのが怖かったから。

 彼は何も言わず、時計の針の音しか聞こえない。

 何か言って欲しいと思いつつ、何も言わないで欲しいとも思っていた。


「美緒さん」


 突然、彼から声を掛けられ、私の体がビクッとなる。

 声はいつもと同じだったのに、怖くて顔を上げられない。

 

「知っていますよ」

「え?」


 どういうこと? と私は顔を上げた。

 私を見る彼の目は、いつもと同じで、少しだけ安心した。


「立花先生に娘さんをお手伝いとして雇ってもらえないかと頼まれたときに、過去のことを聞いたのです。ですから、最初から私は貴女がしたことを知っていました」

「……そ、うですか」

「人というのは、そう簡単に変われません。ですので、最初は貴方を疑って見ていました。けれど、貴方は無駄口は叩かず、仕事をきちんとこなしていた。私が聞いていた人とはまるで別人だったので、驚いたのを覚えています」


 そんなことを思われていたんだ。ちゃんと仕事していて良かった。


「本当に、過去のことを悔いて改めようとしているのだと、貴女を見る目が変わりました。同時に、そんな美緒さんをすごい人だと思うようになったのです」

「すごくなんてないです……! 最低の人間がちょっといいことをしたからって、評価を変えるのは危険だと思います」

「ですが、自分の過ちを認めるのは難しいものです。それまでの自分を壊して、新たな自分を作り上げるのは並大抵のことではありません。だからこそ、その努力をした美緒さんに対して尊敬の念を抱いたのです」


 私はそこまで持ち上げられるほどの人間ではない。

 でも、そう言ってくれるということは、私を支えてくれた人達が向き合ってくれたから。


「私が一人で変わったわけではありません。全部、支えてくれた人達のお蔭です」

「それでもです」


 彼は、真っ直ぐに私を見ている。

 なんだか気恥ずかしくて、私は顔を赤らめた。


「美緒さん。僕はね、結婚だとか、誰かと暮らすだとか面倒で、ずっと独身だったわけですが、美緒さんと出会って考えが変わりました」

「それは、どういう」

「家に帰るのが楽しみになったんですよ。清潔に保たれた部屋、飾られた花、美味しい食事。そしてそこに居る貴女。いつしか、貴女の顔が見たいからと仕事を早く終わらせるようになりました」


 そういえば、途中からやけに帰ってくるのが早くなったと思っていたけど、そういう事情があったのね。


「だからね、美緒さん」


 名前を呼ばれ、私は現実に引き戻される。

 目を合わせると、彼はニコリと微笑んだ。


「僕を看取ってくれませんか?」


 なんてプロポーズだと、私は絶句する。


「迷惑を掛けた相手が許してないから結婚しない。幸せになる権利がないと貴女は口にしていますが、もう十分なのではないでしょうか?」

「……まだ、十年です」

「う~ん。これでもダメですか」


 頑なな私に、彼は悩んでいる。

 どうにかして私に頷いて欲しいのだろう。

 しばらくして、彼は「そうだ」と声を出した。


「では、八年後に結婚するということでどうでしょうか?」

「はい?」

「美緒さんが変わったのは十八歳の頃なんですよね? なら、同じ年月が経過したら、美緒さんの中で区切りがつくでしょうし。それまでは、返事は保留ということで」

「は、はあ」

「八年後に、貴女の本心を聞かせて下さいね」

「……はい」


 なんとなく言いくるめられてしまったような気がする。

 でも、八年後のことなんて私も分からないし、結論を先延ばしにできるのは良いかもしれない。



 そんな会話をしてしばらく経った頃、買い物に出ていた私は久しぶりに、本当に久しぶりに異母姉である朝比奈椿と遭遇する。

 いや、今は朝比奈じゃなかったわね。

 ともかく、彼女は私を見て「あら、久しぶりね」と声を掛けてきたのだ。

 さすがに十年経てば、わだかまりはなくなる。

 普通に会話ができるくらいにはなっていた。


「なんだか浮かない顔をしてるわね。どうしたのよ」


 プロポーズされて悩んでいることは透子には言えないし、これ以上心配を掛けたくもないから、ちょっとした気の迷いだったのよ。

 ただ、誰かの意見を聞きたいという気持ちもあったから、私は彼女にプロポーズされて悩んでいることを打ち明けてしまった。


「結婚すればいいじゃない」


 あっさりと言われた言葉に、私は思わず「は?」と言ってしまう。


「だって、貴女も相手を好きなんでしょう? だったら結婚すれば?」

「で、でも! 私はまだ許されてないし」

「大丈夫よ、結婚は墓場っていうし。結婚したとしても幸せになれるかなんて、してみないと分からないんだから」


 一応、彼女は私の一番の被害者だと思うんだけど、なんでこうもあっさりしているの?


「彼女達は私の幸せを望んでいないと思う」

「そう? 小松さんは貴女が誰とも付き合ってないことを心配してたけど?」

「小松さんが!?」

「うん。あの子は別にもう何とも思ってないって言ってたし、むしろ自分のせいで幸せを逃してるんじゃないかって申し訳なさそうにしてたわよ」


 そんなこと気にしなくてもいいのに……。

 小松さんは優しい人だわ。


「大体、貴女がお願いして降格させた人達は、わりとすぐに元のポジションに戻ってたりしたそうじゃない。お祖父さんの苦肉の策だったんだろうけどね。それに、十年経ってるんだし、自分を許してもいいんじゃないの?」


 彼女の言葉を聞いて、私は胸のつかえが取れたような気がした。

 ああ、そっか。

 彼女に言われて気付いてしまった。

 傷つけた人達に許されていないからって言ってたけど、本当は私が自分を許せなかったんだ。

 あの頃の自分を一番嫌っているのは、私自身。だから幸せになっちゃいけないと思っていたのだ。


「色々と言う人もいるだろうけど」

「分かってるわ。それもちゃんと受け止める。自分のしたことが返ってきてるってことだもの」

「そう」

「引き留めて悪かったわね。それじゃあ、お元気で」

「貴女もね」


 彼女と別れ、私はその場を後にする。

 数年ぶりに再会した転生者の彼女との会話で、私は背中を押してもらった。



 結局のところ、私が彼と結婚したのは数年後。

 考え方の違いで衝突することもあったものの、大きなケンカをすることもなく、穏やかな結婚生活を送ることができた。


 愛されたいという一心で愚かな真似をして人を傷つけてきた。

 今も後悔しているし、これからも忘れることはない。

 被害を受けていた人達は私を許さないかもしれない。

 それでも、ほんの少しの間であっても、愛した人と共に過ごすくらいは許して欲しい。


 これも身勝手な考えなのかもしれないわね、と私は自分に呆れて笑った。

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