表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
156/180

144

「立花さん」


 椿の呼びかけに美緒の周囲に居た取り巻き達は表情を強張らせる。

 反して美緒は嫌そうに顔を歪ませていた。

 

「何よ。私に何の用?」

「ちょっと、こちらにいらして下さる?」


 美緒の問いに答えず、椿は裏庭へと視線を向ける。

 目立つ場所でやり合う気はなかっただけだが、美緒は何を言われるのか分からず椿を睨み付けていた。


「言いたいことがあるなら、ここでいいでしょ。人気のないところで何を言うつもりよ」

「何って……立花さんがとても面白い計画を立てていると知ったので、詳しく話を伺いたいと思いまして。あまり人前でお話しすることではないと思ったのですが、ここで申し上げてもよろしいのね?」


 瞬時に美緒は計画を知っている琴枝を睨み付けるが、彼女は全力で首を横に振っている。

 調子に乗って護谷にペラペラ喋ったのは彼女だというのに、白々しい反応だ。


「それで、立花さん。ここでお話ししてもよろしくて?」


 このままでは本当に椿がこの場で話してしまうと感じた美緒は小声で「こっち」と呟くと裏庭の方へと歩いて行った。

 後を付いてこようとした取り巻き達を美緒は睨み付けて、彼女は一人で歩いて行く。

 椿も取り巻き達を一瞥した後で美緒の後を追った。

 途中で椿が美緒を先導する形となり、護谷を初めとする使用人が隠れている場所へと彼女を連れて行った。

 校舎から程よく離れた辺りで椿は立ち止まり振り返ると、どこか不安そうな美緒の表情に彼女は違和感を覚えながらも本題を口にする。


「……伺った話は本当ですの? 確実に成功するのですか?」

「成功するに決まってるでしょ! 秋月のおじさんはちゃんと協力してくれるって言ってくれたもん!」

「ですが、秋月社長には断られたと伺いましたが? どのおじ様が協力してくれると?」

「お祖母ちゃんのお兄さんで前の秋月の社長よ。ちゃんと約束してくれた。ちゃんと夏目を攫う手筈を整えてくれるって言ってたもん」

「そう」


 椿は口元に笑みを浮かべる。

 美緒から見たら、計画が成功すると感じて笑っているように見えているかもしれないが、椿は彼女の口から"攫う"という言葉を引き出せたことに笑ったのだ。


「あんただって夏目に恭介様を渡したくないんだから、私に協力してくれるのよね? まあ、協力したところで恭介様は私を選ぶから、あんたの物にはならないんだけどね」


 横取りなんて許さない、そう美緒の目が言っている。

 けれど、たとえ透子が攫われても恭介が美緒を選ぶなんてことはありえないのだ。

 無論、椿を選ぶこともない。彼は透子しか見えていないのだから。


「馬鹿なことを仰らないで下さるかしら。恭介さんは立花さんを選びません。絶対にです」


 得意気な表情であった美緒は、椿の言葉を聞いてすぐに目をつり上げる。


「そんなことない! 私は恭介様とのイベントを起こしてる! だから私が選ばれるはずなんだもん! 絶対にそうなるんだから!」

「ですが、実際に恭介さんが選んだのは貴女ではなく夏目さんでしょう」

「それは今だけよ! あいつが居なくなったら私を見てくれるはずだもん! それにあんな庶民が水嶋グループの社長夫人になれるわけないじゃん! お嬢様である私が社長夫人に相応しいんだって恭介様も気付くはずよ!」

「……たとえ夏目さんが居なくとも、恭介さんが立花さんを見ることなど、ありえません」


 椿が断言すると美緒は顔を真っ赤にして唇を噛みしめている。

 文句を言いたいが言葉が出てこないのか、美緒は鋭い目で椿を睨み付けていた。

 けれど、椿は先ほど美緒が言っていた台詞が気に掛かる。

 あれでは、まるで恭介を水嶋グループの御曹司という目でしか見ていないと言っているようなものだ。

 もしかしたら、美緒は恭介の外面だけしか見ていないのではないだろうか? と椿は思ってしまう。


「立花さん。貴女は恭介さんが好きだから恭介さんに好きになって欲しいのですか? それとも、恭介さんが水嶋グループの御曹司だから好きになって欲しいのですか? どちらです?」

「え?」

「恭介さんが水嶋グループの御曹司ではなく、普通の家庭で育ったとしたら? むしろあまり裕福じゃない家庭の子供だったら、貴女は恭介さんを好きになっていました? ……そもそも貴女は恭介さんのどこを好きになったのですか? ああ、見た目以外で答えて下さいね」

「私は……私は……えっと、その」


 思い付かないのか美緒は視線を忙しなく移動させていた。

 恭介と普通に会話ができる程度の距離であれば、意外と優しいところだとか博識なところだとか何か理由が出てくるはず。

 それが無いということは、美緒は恭介の表面だけしか見ていなかったということ。


「貴女は恭介さんの見た目や家柄だけをご覧になっていたのでしょうね。いつも自分のことばかりで、恭介さんの話を聞こうともしなかったのでしょう?」

「そんなことない! ちゃんと恭介様の話を聞いたりしてたもん!」

「でしたら、恭介さんの好きなところがいくつか出てくるはずですわ。それがないということは、話を聞いていただけで理解していなかった、ということ」

「でてくるもん! えっと、えっと……そう! 格好良いところとか、成績優秀でスポーツ万能で身長も高いし……」


 言いながらほとんどが見た目だけであることに美緒は気付いたのか、声が徐々に小さくなる。

 ほらね、という椿の視線に耐えられなかった美緒は、そっと視線を逸らした後で、何かを見つけて目を見開いた。

 何かあったのかと椿も美緒が見ている方に視線を向けると、不安そうにこちらを見つめている透子と彼女の腕を引いて引き留めている恭介の姿があった。


「……夏目さん。何故ここに?」

「何故ここに? じゃないですよ。朝比奈様こそ、何をしてるんですか?」

「何って。ご覧の通りですわ。この間、立花さんが貴女を攫おうと計画しているとお話ししたでしょう? その話し合いをしておりましたのよ」

「だったら、私も居なきゃおかしいですよね? 当事者は私なんですから」

「それはそうですけれど……興奮した立花さんが暴れたらどうなさるの? 危険でしょう?」

「それは朝比奈様もじゃないですか? こんな場所じゃなくて、ちゃんと人の居る場所で話せば良いじゃないですか。それに私は立花さんが危険だとは思えません」


 透子はきっぱりと言い切るが、椿はそう思えない。

 無言になり見つめ合う椿と透子の顔を美緒は交互に見ていた。


「ちょ、ちょっと! 朝比奈はこいつのことが嫌いなんじゃないの!? 恭介様を奪われそうになってるから、私に協力するって言ってたのに、なんでこいつに計画のことを話してるのよ!」


 透子が現れたことで椿が思い描いていた計画は失敗に終わった。

 仕方がないか、と思った椿は美緒にネタばらしをしていく。


「……私は最初から恭介さんに協力しておりましたからね。夏目さんがどの委員会に入るのか聞いてくれだの、夏目さんと美術館に行くから一緒に付いてこいだの、花火を見に行くのに私を巻き込んだり、人の名前を使って夏目さんと接点を持とうとしていた恭介さんを全力でバックアップしておりましたから」


 椿から話された事実に美緒は呆然とし、色々とばらされた恭介は顔を青くさせていた。


「な、なんで」

「なぜって、恭介さんと夏目さんにくっついて欲しいと思っていたからですが? そもそも私は恭介さんに対して恋愛感情など持っておりません。私は恭介さんを幸せにして下さるなら相手は誰でも良かったのです」

「誰でもいいなら私でも良かったじゃない!」

「貴女は水嶋家と秋月家の確執は御存じでしょう? 貴女の母親にうちの母親が傷つけられる可能性が高いですし、そもそも貴女は恭介さんを一人の人間として見ておりませんもの。先ほどの口振りから、貴女は恭介さんの見た目と家柄だけに惹かれているようにしか思えません。そのような方に大事なイトコは預けられませんわ」

「そんなことないもん! 私は恭介様の見た目と家柄だけが好きなだけじゃないもん!」


 ジトッとした目で椿が美緒を見ると、彼女は好きなところで上辺しか答えられなかったことを思い出して勢いを失う。


「ですので、私は貴女から直接、夏目さんを攫う計画を立てている、という言葉が欲しかったのです。大事な証拠になりますからね」


 顔を青くさせた美緒が勢いよく椿を見るが、その目はどこか不安げで狼狽えているようにも見えた。


「……立花さん。どのように計画しようとも、恭介さんと夏目さんの仲は、もう覆らないのです」

「嫌よ! 嫌! 嫌! 何のためにここまでしてきたと思ってるの! 全部、恭介様に選ばれるためだったのに! 私は選ばれなきゃいけないの! 人とは違うの! 私は特別な人間なんだもん! 選ばれた人間なんだもん! そうじゃなかったら、そうじゃなかったら……」


 そう言ったっきり、美緒は顔を青くさせたまま口を噤む。


「そうじゃなかったら、どうなるんですか?」


 話し出そうとした椿を制して、落ち着いた口調で透子は美緒に話し掛けた。

 落ち着いた雰囲気の透子にのまれたのか、美緒はさほど興奮していないように見受けられる。


「わかんない。わかんないよ。だってゲームじゃ、こうならなかったもん。こんな展開にならなかったもん」

「ゲーム?」

「そうだよ! ここは『恋は花の如く咲き誇る』っていう乙女ゲームの世界なの! 私がヒロインで恭介様が攻略キャラクター。ちゃんとイベントも起こしてたし、私が選ばれるはずだったのに。なんでこんな……」

「えっと……立花さんは、ここがゲームの世界だと?」

「そうよ。登場人物の名前が同じだし、見た目も同じだったもん」


 美緒は自信満々に言い切るが、透子は考え込んでいる様子で首を傾げている。


「あの、ここがゲームの世界なのだとしたら、エンディングを迎えて終わる訳ですよね?」

「当たり前でしょう」

「だったら、エンディングの先がどうなるのか、立花さんは考えてますか? エンディングを迎えたら、ゲームだから、いきなりブツッと終わると思ってます? それとも、この先も続いていくと思っていますか? 仮に続いていくと考えた場合、エンディングの先って、それはもうゲームじゃなくて現実になっちゃいますよね?」

「そんなの、」


 美緒はそこまで考えていなかったようで、エンディングの先のことを考え愕然としていた。

 透子は更に言葉を続けようとしたが、突如現れた琴枝によって遮られる。


「美緒様」

「琴枝! ねえ、ここはゲームの世界なのよね!? 皆が私の言うことを聞くんだから、私に逆らう人なんていないから私が主役なのよね!?」


 美緒は琴枝に近づき、彼女の肩を掴み必死に問い掛けている。

 けれど、琴枝は無表情で美緒の手を払いのけた。


「……琴枝?」

「あのですね、ここはゲームの世界じゃなくて現実です。それと、貴女の言うことを皆が聞いていたのは立花家に逆らえなかったからです。それだけです。影では皆、貴女のことを馬鹿にしてましたよ? ここがゲームの世界だと思ってる頭のおかしい人だって笑ってました。反論しても貴女は聞かないし、親が攻撃されるし黙っていただけです。皆、みんな、みーんな、おだてていれば貴女は静かだから、そうしていただけです。誰も貴女を尊敬なんてしてませんよ。むしろ見下してました」

「……うそ、よ、ね?」

「こんな場所で嘘を言ってどうするんですか? 大体、こうして水嶋様にも朝比奈様にも計画がばれたんですよ? 貴女はもう、お終いです。終わりです。だから、私は貴女から手を引くために、ここに来たんですよ。他の人も皆、貴女の前から居なくなります。一人になりますね。ゲームの主人公がひとりぼっちなんて笑っちゃいますよね」


 アハハッと琴枝は笑うと、美緒の返事も聞かずに立ち去ろうとしていたので、椿は急いで彼女を呼び止めた。


「さすがにこれは、ちょっとどうかと思いますけど」

「そうですか? これまでその人に散々虐げられてきたんですよ? これぐらい許容範囲でしょう」

「途中で手を離すのは無責任なのでは? 特に貴女は立花さんに楽しませてもらっていたのだから」


 椿が琴枝を睨み付けると、彼女は途端に表情を変えた。

 今の椿の一言で、彼女は自分がやってきたことがばれているのだと気付いた。


「……護谷先生ですね」


 琴枝は事情を話した護谷から話が漏れたのだということを即座に理解していたのか、特に慌てている様子は見せなかった。


「朝比奈様には言わない、と仰っていたのに」

「"その時"はそう思っていたのでしょうね。ですが"今は"違います。琴枝さんは随分と落ち着いていらっしゃいますけど、ご自分がやったことを理解しているのかしら?」


 さほど大きな問題だとは思っていないのか、琴枝は椿に向かって鼻で笑って見せた。


「私はしたことはそんなに責められることでしょうか? 大体、善悪の区別は普通分かりますよね? 私が何かをしたところで、実際に行動に移すかどうかを決めるのはその人ですよ? 実際に行動にうつした人が悪いに決まってるじゃないですか」


 彼女は椿が録音データを持っていることを知らないので強気に出ている。

 これ以上、彼女の言い訳を聞くのはうんざりだと思い、椿は早々に決着をつけることにした。


「そういえば、貴女は護谷先生に『夏目さんを攫う方向に誘導した』と仰っておりましたわね」

「さ、さあ? 覚えていませんね」

「覚えてなくても大丈夫ですわ。護谷先生がちゃんと録音しておりましたから」


 録音していた、という言葉を耳にした瞬間、琴枝は目を見開いて固まった。


「そうそう、そのデータはすでに水嶋の伯父に提出しておりますから。どのような処分が下されるか存じ上げませんが、琴枝さんは無傷ではいられませんよ?」

「……馬鹿げてる。ちょっとその気にさせただけじゃないですか! そこまで大事にしなくてもいいでしょう!」

「それは、事情を聞きに来る水嶋の人間に仰って下さい。判断するのは私ではありませんので、私に言い訳しても無駄ですわ」


 琴枝の話をこれ以上聞く気はないと意思表示をしたことで、彼女は何を言っても無駄だと思ったのか苛立ちながら裏庭から立ち去っていった。


 さすがに琴枝の言ったことは酷いと思った椿は、美緒の様子が気になり視線を向けると、彼女は呆然と琴枝の去った方を見ていたのである。


「これがゲームじゃないなんて……現実なんて……。違う……ここはゲームなんだから、ゲームじゃなきゃいけないんだよ。え、らばれたから、だから殺されたんでしょ? 殺されなきゃいけない理由があったんでしょ? そうじゃなきゃ、そうじゃなきゃ…………親に殺されたのも人から好かれないのも、全部全部、私が悪いことになっちゃう……。私だけが間違ってて、私だけに責任があって、私だけが悪いってことになっちゃう……」


 あまりにショックを受けたのか、美緒は焦点の合わない目で呟き始める。

 美緒が前世の話をしていることに椿だけが気付いていたが、あんまりな内容に彼女に対して何も言うことができない。


「そんなの……現実なんて……。今更、そうよ今更どうしろって言うのよ。ゲームだから、ゲームだったから私は、何でも願いが叶うと思って好き勝手してたのに。やっと愛されると思ったのに……私だけを愛してくれる人が手に入ると思ってたのに……。こんなの、どうやって……生きていけば」


 美緒はそうして視線を透子へと向けると、彼女の方へとフラフラと近寄って行った。

 咄嗟に椿と恭介が美緒を止めようとするが、透子に「大丈夫です」と止められる。

 美緒が透子の正面に立ち、彼女の腕を両手で掴む。


「ねえ、知ってるんでしょう? 恭介様から愛されたあんたなら、どうやったら愛されるのか知ってるんでしょう? 教えてよ! どうやったら人から愛されるのか私に教えてよ!」


 藁にも縋りたいという美緒の気持ちが椿にも伝わってくるが、透子が危険な目に遭わないように、彼女は徐々に距離を詰めていく。

 一方、透子は腕を掴んでいる美緒の手に自分の手をそっと重ねた。


「それは立花さんが知ってるはずです」

「知らないよ! 分かんないよ! だって、愛されたことがないのに、愛し方なんて分かるわけないじゃん! ……実の親にだって、あ、愛されたことがないのに、どうやったら他人に愛されるのよ! こんな、こんな人間がどうやったら……。もう取り返しがつかないじゃん」

「大丈夫です。だって、立花さんはどうしたら愛されないのかを知ってますもん。何が悪いのかを知ってます。自覚してます。そうですよね?」


 目を真っ赤にさせた美緒はハッとした後に無言で頷く。

 現実に直面して、美緒は相当ショックを受けているように椿には見えた。


「……でも、知ってたらどうだって言うのよ。何の関係があるっていうの」

「だって分かってるってことは、それをやらなければいいってことですもん。人間関係の基本は相手を尊重して思いやることです。つまり、相手が嫌がることをしないということです。私から見たら立花さんは、善悪の区別がちゃんとできていると思いますし、愛される人になりたいけど、なり方が分からないっていうことは、改善しようと思ってるってことですよね? だったら、立花さんは変われると思います。変わろうとする意志があるのなら、変われます」

「そ、そんなこと言ったって、どうすればいいのよ。誰に聞けばいいのよ」

「そうですね。病院に行ってカウンセリングを受けてみるのはどうでしょうか?」


 病院でカウンセリングと聞き、美緒の表情が強張る。


「わ、私が病気だって言うの?」

「そうは言ってません。でも、立花さんはどうしたらいいのか分からないって言ってましたよね? それなら専門家の先生にきちんとみてもらった方がいいと思うんです。私は素人ですし、手助けしかできませんから」

「手助けって?」

「はい。例えば、立花さんがこれは良いことなのか悪いことなのか分からないっていう時は、聞いて下さい。私に分かることだったら、答えますよ! それに、怒りでどうしようもなくなって、愚痴を言いたくなったら、聞きます。全部、聞きます」

「……どうして、そこまでしてくれるのよ」


 散々文句を言って傷つけてきたのに、と美緒は目で訴えている。

 透子は美緒の視線を受け止めて穏やかな笑みを浮かべた。


「"教えて"と私に言った立花さんが物凄く小さい子供のように見えたからです。ああ、この人はきっと苦しんできたんだろうな、助けを求めるという選択肢すら持てなかったんだろうな、って思ったら、放っておけなかったんです。っていう理由じゃダメですか?」

「…………馬鹿じゃないの」


 そう言って下を向いた美緒の目から涙がこぼれ、地面を濡らす。

 透子はそっとハンカチを美緒に差し出すと、彼女は無言で受け取り目に当てた。


「立花さんの言う通り、私、割と馬鹿なんですよね。いつも人から怒られるんですよ」

「……そうよ。こんな奴にハンカチを差し出すなんて馬鹿としか言いようがないわ」


 憎まれ口を叩いた美緒であったが、そのすぐ後に小声で、ごめん、と呟いた。


「立花さん?」

「色々と言って、ごめんなさい。攫おうとしてごめんなさい。傷つけて、ごめんなさい」


 最後の方は涙声になっていたが、美緒は確かにしっかりと謝罪の言葉を口にしたのである。

 人の話を聞かない、聞き流す美緒しか見たことのない椿は驚いた。


「そもそも私は最初から怒ってないですから。それにちゃんと謝ってもらえたので、気にしてません」

「おい、透子。それは甘すぎる。そいつは透子を攫おうとしたんだぞ?」

「でも、未遂ですよね? 立花さんは謝ってくれましたし、これまでも言われるだけで、物的被害はありませんでしたから。むしろ、私の鞄やら教科書やら靴やらを隠したり捨てたりした人の方が私は許せないです」

「けど、立花はこれまでも色んな人に迷惑をかけたりしてきたし、被害者も多いんだ。そんな簡単に許していいのか?」

「私は私にされたことだけ、気にしてないですよ、って言っただけで、他の人が立花さんを許すかどうかは、その人次第ですから。それに、これから先、立花さんは周囲から色々と言われて白い目で見られることになります。どれだけ良い人になろうとも、過去のことはずっと付いて回ります。それに彼女は耐えなければならないんですよ? 罰としては十分じゃありませんか?」


 透子の言い分に納得させられた恭介と椿はそれ以上何も言うことができない。

 逆に美緒は他の生徒にこれまでしてきた仕打ちを思い返して、震えていた。


「……許されるはずない。無理だ。謝ったって許してくれないよ。何を言われるか分かんないし、怖いよ」

「でも、謝らなかったら、その人達は許すことすらできないと思います」

「え?」

「謝罪があって、初めてその人は出来事を過去にできるかどうかを考えることができるんです。でも、ただ謝るだけでもだめです。自分の何が悪くて、どういう行動で相手を傷つけたのかを自覚して、心から謝罪しないと意味がありません。自分が楽になりたいからってだけで謝ってもダメです」

「それで、本当に許してくれるかな? 私は許されるのかな?」

「それは相手次第だと思います。きっときついことを言われたり、物を投げられたりするかもしれません。立花さんは耐えて、それでも謝らなきゃいけないんです。できますか?」


 強張った表情で美緒は力なく頭を横に振る。


「なら、私も一緒についていきます。一緒に謝りに行きます。怒られる時は一人よりも他に人が居た方が安心するでしょう? だから、一緒に怒られに行きましょう!」


 あまりに明るく透子が口にするので、美緒はしばらく呆然とした後で笑みを零した。


「……いい。大丈夫。一人で行く。これは私の問題だから。でも、きついことを言われたりしたら、話を聞いてくれる?」

「当たり前じゃないですか!」

「私と、普通に話をしてくれる?」

「はい。立花さんのこと、いっぱい教えて下さいね。私もいっぱい話しますから」


 美緒は何度も何度も頷いた後で、透子に腕を引かれる形で校舎へと戻っていく。

 残された椿は、乙女ゲームのヒロイン、マジでぱねぇ! と驚きのあまり固まってしまっていた。


 かくして、四歳の頃から椿を悩ませていた問題がひとつ、解決したのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ