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鳳峰学園高等部の裏庭へ、透子に手を引かれる形でばつの悪そうな表情の恭介が連れられてきた。
ほどなくして足を止めた透子は振り向いて、恭介の目をしっかりと見つめる。
だが、すぐに恭介は彼女から視線を逸らしてしまう。
「……いきなりなんだ」
「無理に連れてきてしまってごめんなさい。でも、私はこのまま水嶋君と話ができなくなるのが嫌だったんです」
恭介は透子の言葉に応えることもせずに黙っていた。
透子も無言になるのは予想していたのか構わずに話し続ける。
「最初は私の間抜けな姿を見て失望されたのかなって思ってたんです。でもそうだったら、絶対に水嶋君から何か言われるはずだから違うのかなとも思ったり……。何も言わずに水嶋君から避けられるっていうことは相当の理由があるんでしょうけど」
「悪いが、迎えを待たせてるんだ。話はそれだけなら僕は帰る」
何がどうあっても理由を話すつもりのない恭介は、無理に透子との話を切り上げて彼女に背中を向け歩き始める。
「お母さんのことが原因ですか!」
立ち去ろうとする恭介の背中に大声で透子が投げかけると、彼はピタリと足を止めた。
「それを誰に聞いた」
今まで聞いたこともないような低い声に透子は驚いて身を震わせる。
透子の反応を見た恭介は一瞬しまったという表情を浮かべたが、すぐに表情を戻した。
気持ちを落ち着かせるためか何度か深呼吸をした透子が口を開く。
「朝比奈様です」
「あいつ、余計なことを」
恭介は小さく舌打ちをしている。
「私が教えて下さいと言ったんです。だから朝比奈様を責めないで下さい」
「……別に話されて困ることじゃない。いや、今は困ってるけど秘密にしていた訳じゃないし、母が幼い頃に亡くなったことは大抵の人が知っていることだから椿を責めたりしない。ただ、タイミングが最悪だっただけだ」
「ということは、やっぱりお母さんのことがきっかけなんですね?」
理由を言い当てられて透子からジッと見られ、恭介は深いため息を吐いた後で観念したように口を開いた。
「……あの瞬間、夏目が階段から落ちていく光景がスローモーションで見えた。同時に母を亡くした時の色々な出来事がフラッシュバックして……夏目が、居なくなる未来を想像したら途端に怖くなったんだ。常識的に考えれば持病のない人間が事件や事故に巻き込まれる可能性は限りなく低いし、寿命を全うする人がほとんどだと頭では分かってる。けど」
「お祖母さんのことですね」
「それも聞いてたのか……。さすがに祖母、母と続けて亡くなれば、もしかしたらと思ってしまう。ただの偶然といえばそうなのかもしれないが、それでも僕は……君を、失うことが何よりも怖いんだ」
最後の言葉の時、恭介の声は震えていた。
それだけ彼は大事な人の死を恐れている。
「そ、れって……水嶋君とは、このままずっと話もできないし離れたまま、ということですか?」
「僕の側に居なければ危険な目には遭わないかも知れない。死なないかもしれない」
「そんなの可能性の話じゃないですか! 水嶋君の近くに居ても死なないかもしれないし」
「だったら! どうやってそれを証明するんだよ!」
反論する言葉が思い付かなかったのか、透子は言葉に詰まってしまう。
「大声を出して悪かった。でも」
透子へと視線を向けた恭介は、彼女の怒っているような表情を見て途中で口を閉ざした。
「み、水嶋君は、私を守ったつもりだから満足だろうけど、それは自分のことしか考えてないよ!」
「え?」
「優しくするだけ優しくして、期待させるだけさせておいて、いきなり手を離すなんてずるいよ! 大体、私のためとか言ってるけど結局、水嶋君は自分が傷つくのが嫌だから私を避けてるだけじゃない! 理由があるならちゃんと話して欲しかった! 勝手に一人で決めるんじゃなくて、私は水嶋君と一緒に悩みたかった! 私の未来を勝手に決めないで。私をのけ者にしないでよ!」
恭介は何も言えずに、ただ呆然と透子を見つめている。
普段は温和な透子が興奮している様子に驚いているようだ。
はぁはぁと息を切らせた透子は、幾分か落ち着いたようで穏やかな表情へと戻っていた。
「私は水嶋君から信頼してるって言ってもらえて嬉しかったです。水嶋君は、私がいつも利用するお店や食べている料理とかの話をしても馬鹿にしたりしないで、目を輝かせて聞いてくれたし、いつも私の意見を尊重してくれてました。私と一緒に子供みたいにはしゃいで楽しそうにしてる水嶋君を見るたびに、この人は私と同じ十六歳の男の子なんだって知って嬉しかったし、同じ時間を過ごせたことが幸せだと感じてました」
「夏目……」
「私は、水嶋君とのことを過去にしたくないです」
ジッと見る透子に気圧されたのか、恭介は狼狽えている。
しばらく無言の状態が続いていたが、透子から顔を背けた恭介が「ごめん」と一言口にしたことから、透子は涙目になってその場から走り去ってしまった。
追いかけようと足を踏み出した恭介であったが、そのまま立ち止まり下を向いた。
「この馬鹿! さっさと夏目さんを追いかけなさいよ!」
「うわああ! ビックリした! お前どっから出てきたんだよっていうか制服に草とか土とか付いてるぞ! 何してたんだよ!」
ガサガサッと音がして、茂みの向こうから突如現れた椿に恭介は腰を抜かさんばかりに驚いている。
驚きながらも全てにツッコミをいれているところは、椿の教育の賜物であると彼女は自画自賛をしそうになったが、今はそんなことをしている場合ではない。
「私のことはどうでもいいのよ! 早く夏目さんを追いかけて」
「お前には関係ないだろ」
「大ありよ! ここであんたらにくっついてもらわないと、私が恭介なんかと結婚する破目になるじゃない! そんなのごめんなんだからね!」
「とんでもなくひどい言いざまだな! 僕が結婚するとしても、相手は絶対にお前じゃないことは確かだ。安心しろ」
「ああ、そう。それは安心したわ。でも、今はその話は置いておいて。恭介が夏目さんを傷つけたのは事実なんだから、追いかけて謝らないといけないんじゃないの?」
「……」
追いかけろとせっつくと、恭介はそれまでの勢いはなんだったのかと思うぐらいに無言になった。
「追いかけないってことは諦めるのね。じゃあ、この先、夏目さんがこれまで恭介に向けていた笑顔を他の男に向けても平気だっていうの? 他の男の名前を口にして、手を繋いで微笑み合っても良いっていうのね」
「……仕方、ないだろ」
「架空の相手を殺しそうな目をしといて、どこが仕方ないのよ。未練たっぷりじゃない」
「だったら……だったらどうしろって言うんだよ! 僕の側に居たら」
「大丈夫よ」
「何でそんなに自信満々なんだよ! 他人事だと思って簡単に言うな」
「だって、付き合うだけだったら大丈夫でしょ? お祖母様もおば様も結婚してたじゃない。付き合ってる時はなんともなかったんだから、OKよ」
斜め上のことを椿から言われ、多少は冷静になったのか、恭介の表情が落ち着いたものになる。
「……その理論は一応理解できるけど、付き合ってしまったら結婚は避けられないだろ」
「だから、なんで付き合う=結婚に結びつけるのよ。付き合っていく内にお互いの価値観の差がどうしても埋められないってことに気が付いて別れることだってあるでしょう? お互いに納得して別れた方が未練は残らないし、後悔もしない」
椿の言うことに納得する部分があると思ったのか、恭介は考え込んでいる。
だが、やはり彼の考えを変えることは難しく、ゆるく頭を横に振っていた。
「そう。だったら将来、夏目さんがろくでなしと結婚してボロボロになってる所に遭遇しても手を差し伸べたりしないと言える? 弱っている夏目さんを見て守ってあげたいとか、側で支えてあげたいって感情を抱かないと本当に言える?」
「…………しない」
しないと言いつつ、恭介は唇を噛みしめて苦しそうな表情を浮かべている。
言ってることと表情が全く違うことに本人は気付いているのか、と椿は呆れてしまう。
「その時に恭介が私じゃない別の人と結婚していたとして、その人を裏切らないって言えるのね。不誠実な真似はしないって誓えるのね」
「……お前は! 困ってる相手を見捨てろって言うのか! どうせ結婚したとしても政略結婚なんだから互いに恋愛感情なんてないだろうし、僕がどこで何をしようと相手は気にしないはずだ」
「政略結婚だと納得したとしても、夫が妻以外の女を大事にするなんて女としてのプライドが許すはずないでしょう? そこまで心の広い人なんてそうそう居ないわよ」
恭介は自分が都合のいい話をしていることに気が付いたのか、居心地が悪そうにしていた。
「ねぇ、恭介。今度はあんたが私と立花美緒をつくるつもりなの?」
そうして負の連鎖を続けていくつもりなのかと椿が問うと、恭介はハッとして彼女を見つめてくる。
相当混乱していたのか、彼は椿にここまで言われなければ気付けなかったようだ。
「取りあえず付き合うだけ付き合ってみたら? 夏目さんだって結婚したいとまでは、まだ思ってないでしょう。未練も後悔も残さないように動くのが一番よ」
ここまで言っても二の足を踏んでいる恭介に椿は苛立ってくる。
夏目を傷つけたこと、自分を無視していたことを踏まえて、椿は追いかけようか悩んで背中を向けていた恭介にお尻に向かって思いっきり膝蹴りを入れた。
「いって! いきなり何するんだよ!」
「恭介の馬鹿! ヘタレ! 弱虫! 腑抜け! 意気地なし! 小心者! 短足! 服のセンス最悪! 格好つけマン! 将来的に恥ずかしい禿げ方して水虫になった挙げ句に通風になってメタボで苦しめ!」
「それは言い過ぎだろ!? あと途中からただの呪いになってるじゃないか!」
「いちいちツッコミいれてる場合!? いい加減に腹をくくりなさいよ! 他の男に渡したくないんだったら、さっさと追いかけろ!」
「……追いかけてどうすればいいんだよ」
「逃げる夏目さんの腕を掴んで引き寄せて抱きしめた後にキスでもすりゃ一発よ!」
「それ一発で嫌われるやつだろ!?」
「グダグダ言わずに行きなさい!」
椿は恭介の背中を全力で押すと、あっさりと動いたことから彼も覚悟を決めたようである。
「椿……もし振られたら」
「あーもう! グチグチ言ってないで。ほら、行った行った」
背中を押し続けて椿は恭介を送り出した。
走り出した恭介の背中が見えなくなると、椿はその場に座り込んで息を吐く。
「なんであそこまで拗れるのよ……。ほんっとうに疲れた」
椿はすぐに帰ろうかとも思ったが、恭介と透子がどうなるのか気になってしまい中々その場から動くことができない。
そうして座って待つこと三十分ほど経った頃に、椿の元へ恭介と泣き腫らした目をした透子が二人揃ってやってきた。
こちらに来た時とは逆に恭介が透子の手を引いている。
手を繋いで二人揃っているということはそういうことである。
「透子と付き合うことになった」
「恭介君と付き合うことになりました。心配を掛けてごめんなさい。それからありがとうございます」
「おめでとうの前に一言言わせてもらえる? どういう話し合いを経たら下の名前で呼び合うまでの仲になれるのよ!?」
椿の言葉に透子は頬を赤く染めて嬉しそうに笑っており、恭介も恥ずかしそうにしているだけで、全く応えになっていない。
だが、二人が無事に付き合うことになって、これまで色々とサポートしていた椿は本当に良かった、と満面の笑みを浮かべていた。