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恭介に対して、後は勝手にフラグ回収しやがれ、と思いながら学校生活を送っていた椿であったが、遠足の後で難問にぶち当たることになってしまう。
それは、遠足が終わり中間テストが近づいてきたある日のこと。
椿が昼食を終えて教室へと戻っている最中に目の前を白雪におんぶされた透子が横切っていった。
周囲の生徒は顔を見合わせて、白雪と透子を見てはヒソヒソと囁き合っている。
いくら何でも鳳峰学園でおんぶで移動など誰もやらないと思った椿は透子に何があったのではないかと思い、白雪の背中に向かって声を掛けた。
「白雪君。彼女、どうなさったの?」
「ああ、透子ってば階段から落ちそうになったのよ。すぐに階段の手すりを持ったから、二段くらい飛ばして半回転して尻餅をついただけで済んだんだけど。腰が抜けたって言ったから、おんぶして保健室に向かってるってわけ」
「え!? だ、大丈夫ですの?」
「ちょっと足を捻ったみたい。あと落ちるかもって恐怖もあったみたいで、口数も少なくてねぇ。心配だから一応、保健室に運んでるのよ」
軽い口調で白雪は言っているが、透子が咄嗟に手すりを持たなければ大けがをする可能性もあったことから椿は青ざめる。
透子は白雪の言葉通り怖かったのか、一言も喋らずに下を向いていた。
「事情を存じ上げずに声を掛けて、足を止めさせてしまい申し訳ございませんでした」
「気になるのは仕方ないわよ。じゃあ、保健室に行くから」
透子をおぶった白雪とそこで別れた椿は、遠ざかる彼女の背中を心配そうに見つめていた。
椿が立ち止まっていると、ポケットに入れていた携帯が震えていることに彼女は気付く。
携帯の画面を見ると、佐伯から『四組の方の階段に来て』と短いメールがきていた。
椿は佐伯に何があったのかと心配になり、メールに記された場所へと向かう。
階段へと到着した彼女が上を見上げると、階段の下、つまり椿の方を呆然と見ている恭介が目に入った。
近くには困った様子の佐伯が立っており、彼はやってきた椿に気が付くとどこかホッとしたような表情を浮かべている。
普段とは違う様子の恭介に通りがかった生徒達は彼に視線を向けては通り過ぎていく。
「恭介さん?」
階下から椿が声を掛けてみるが、彼の反応は全く無い。
「恭介さんってば!」
先ほどよりも大きな声を上げてみるが、またもや恭介からの反応は無い。
一体どうしたというのかと椿が階段を上がって恭介に近寄ったが、顔を真っ青にしてただ一点を見つめ、思い詰めたような表情の彼を見て彼女は言葉を失った。
この状態の恭介から話を聞くのは無理だと悟った椿は、隣で狼狽えている佐伯に理由を訊ねる。
「佐伯君、一体何がありましたの?」
「……実はさっき、夏目さんが階段から落ちそうになったのを見てから、ずっとああなんだよね」
「恭介さんもご覧になっておいででしたのね」
人が階段から落ちそうになったところを見れば誰だって驚くことから、恭介も衝撃を受けたのだろうと椿は思った。
大きなため息を吐いた恭介を見て、椿はようやく我に返ったかと彼に声を掛ける。
「恭介さん。夏目さんは」
「……分かってる。放っておいてくれ」
まるで透子の話を聞きたくないというような恭介の態度に椿は違和感を持つ。
彼はそのまま階段を下りて、足早にどこかへと行ってしまう。
残された椿と佐伯は恭介の行動が理解できずに首を傾げたのだった。
そして、この日から恭介は透子に話し掛けることはおろか、彼女を徹底的に避けるようになってしまった。
元々、恭介は頻繁に透子と話をしていた訳ではないが、創立記念パーティーの一件から彼女と親しくしていると生徒達からは認識されていた為、彼の突然の変化に生徒達は驚いていた。
だが、きっと恭介が透子に飽きたか嫌いになったのだろうということに落ち着き、女子生徒達からは喜ぶ声も聞こえてきたのである。
一方で、ついに椿が動いたとも言われていたが、当人は目の前で落ち込んでいる透子を見て胸を痛めていた。
ついこの間まで親しくしていた相手から急に避けられるようになり、透子はひどく落ち込んでいる。
透子にここまで悲しい顔をさせるなんて、恭介は一体何を考えているのかと椿は彼を問い詰めようとしたが、彼は透子のみならず彼女のことも避けていた。
話し掛けようとしても逃げられ、メールも電話も無視されている状態であったことから、椿は恭介の出掛け先まで押しかけることにしたのである。
休日に椿は志信を連れて、恭介が居るであろうホテルのロビーで待ち伏せし、用事を終えた彼の前に立ちふさがった。
恭介は突然現れた椿を見て険しい表情になる。
「どうして私のメールや電話を無視するのかしら?」
「……忙しかったんだ」
「嘘ですわね。その時に忙しくとも時間ができた時に必ず恭介さんは折り返し連絡して下さるもの。それもなさらないなんて、そんなに夏目さんのことを尋ねられるのがお嫌でしたの?」
恭介は何も答えず黙ったままだが、沈黙は肯定にしかならない。
「どうして彼女を避けておいでですの? 彼女が何か気に障ることをなさいました? 理由も話さずに避けるなど、人としてどうかと思いますわ。彼女を悲しませて何が楽しいのですか?」
途端に恭介は椿を睨み付けると、彼女の腕を掴んで物陰へと引っ張っていく。
ロビーで話すことでもなかったので、椿は大人しく引きずられていった。
「……お前に何が分かる!」
「理由を知らないんだから分かるわけないでしょ! 分かって欲しかったら、ちゃんと理由を話せばいいだけよ!」
椿にキレ返され、恭介は勢いを削がれてしまう。
気まずくなり、彼は椿の腕から手を離して目を逸らした。
「夏目さんに何か問題があったの? 何かされたの?」
「……夏目は何もしてないし、何も悪くない」
「じゃあ、どうして」
「それは言えない。言いたくない」
「一体、何なのよ。理由も言わずに無視するなんて、夏目さんから嫌われるだけでしょ? いいの?」
「むしろ嫌ってくれた方がいい」
恭介の言葉に嘘はなく、彼は本気でそう思っていると椿は感じた。
何がどうなってそう思うようになったのか、彼女は全く分からない。
「どうしてそういう思考になるのよ」
「椿には関係のないことだ。何を聞かれても僕は答える気はない」
「四歳からの付き合いがある私にすら言えないって言うの!?」
「……お前に言ったら夏目に伝えるだろうが!」
「夏目さんのせいじゃないなら、伝えるに決まってるでしょ! あの子がどれだけ傷ついてると思ってるのよ」
恭介は固く唇を閉ざしていて、理由を口にしようとはしない。
あまりの頑なな態度に椿は息を吐き出した後に緩く頭を振った。
「何を言われても僕は理由を話すつもりはないし、これ以上夏目のことで話すこともない」
「……態度が変わったのって夏目さんが階段から落ちかけたのを見てからよね?」
恭介が眉を微妙に動かしたところを見ると、椿の言ったことは合っているようであったが、彼はその問いに答えぬままその場を後にする。
椿は恭介が階段から落ちかけた透子を見たことと、彼女を避けることがどうしても繋がらず途方に暮れた。
帰宅後、椿は杏奈へと電話を掛けて先ほどの出来事を話し始める。
「突撃かましたけど、結局何も分からずに終わったわ」
『思ったんだけど、これもイベントなんじゃないの? ほら『恋花』の夏目さん主人公の水嶋様ルートで似たように避けられたことあったじゃない?』
「確かにあったのはあったけど、あれは伯父との仲が拗れたままだったし、自分のせいで母が死んだと思っていたからでしょう? だから自分は幸せになる権利がないって夏目さんを好きだと自覚してから避け始めたんじゃない。でも今は伯父との仲は修復されてるし、母親のこともフォローがあったし、あっちほど追い詰められてる訳じゃないもの。だから違うと思う」
『じゃあ、別の理由ってことよね?』
「そうなるんだろうけど、夏目さんから嫌われたい理由が分からない」
杏奈と話して何かヒントを得られればと思った椿であったが、彼女も見当がつかないのか何も分からずに電話を終えた。
この日以降、恭介はこれまで以上に椿のことも避け始め、水嶋家に行っても居留守を使われたりして会えなくなってしまう。
ならば、と椿は佐伯や篠崎に話を聞いてみるが、彼らも分からないということで、彼女はどうすることもできずにいた。