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バレンタインの後は特に大きな出来事は何も起きず、椿達は無事に一年目を終える。
合間にあったホワイトデーの時は、恭介が透子へ何を贈ればいいのかを椿に聞いてきたので、彼女は全力で『好きです』という意味のあるキャンディを推したのだが、あまりの必死さに何かあると勘違いされて彼には聞き入れてはもらえなかった。
結局、恭介はいつも利用している洋菓子のお店でフィナンシェとマドレーヌのセットを買って透子へ贈ったようだ。
一方、椿の元にはレオンから世界中の観光名所の写真集とお菓子の詰め合わせが届いた。
贈られたお菓子を椿は食べながら、写真集を見ているといくつかのページに封筒が挟まっており、中には恐らく写真の場所近辺を写したであろう風景の写真が入っていたのである。
写真の裏には、どこで撮ったものかが詳しく書かれており、レオンがその場所へ旅行に行った際に撮った写真なのだと椿は知る。
「いつかイタリアのヴェネツィアと青の洞窟は行ってみたいのよね。写真でこれだけ綺麗なんだもの。きっと実際に見たらとんでもなく感動するんだろうなぁ」
ベッドに横になった椿は、青の洞窟の写真を見ながらイタリアに思いをはせた。
こうして旅行に行きたいと思わせ、また海外旅行に行った気分にさせてくれるのだから写真とは偉大である。
というようなことがありつつ、のんびりとした春休みを過ごした椿は二年生となり新学期を迎えた。
始業式の日、椿は人混みの中でクラス分けを見たくないという理由からいつもよりも早めに学校へと向かう。
椿の予想通り生徒はほとんど居らず、彼女はじっくりとクラス分けを見ることができた。
「あれ? 朝比奈さん。相変わらず早いね」
「……ごきげんよう、篠崎君。貴方もいつも通り早いですわね。もうクラス分けはご覧になりまして?」
「見たよ。朝比奈さんが何組かも知ってるけど」
「あ、ちょっとお待ちになって! 自分で見つける楽しみを奪わないで下さいな」
「そう言うと思ったよ」
椿の拗ねたような言い方に篠崎は苦笑している。
彼女はクラス分けに視線を戻して一組から順番に見ていき、四組まできた所で女子の一番目に朝比奈椿の名前を見つけた。
他に知り合いの名前は無いかと見ていると、な行の所で椿は全ての動きを止める。
『夏目透子』
四組の所にはそう書かれていた。
まさか彼女と同じクラスになるとは、と椿は戸惑いを隠せない。
「あれ? 鳴海さんと同じクラスになれたのに、嬉しくないの?」
背後から篠崎に声を掛けられた椿は、すぐに透子の名前の下に視線を移動させる。
そこには篠崎の言った通り、清香の名前も書かれており、椿は再び彼女と同じクラスになれたことを素直に喜んだ。
だが、篠崎は椿が清香と同じクラスであるということをどうして知っていたのだろうか、と彼女は疑問に思う。
「何故、篠崎君が御存じなのですか? さすがに誰が誰と同じクラスなど、まだ覚えられませんでしょう?」
「四組の男子の所を見てみて」
篠崎に言われて椿は四組の男子の名前を見てみると、さ行の部分で篠崎の名前があることに気付いた。
ついでに白雪の名前も彼女は見つける。
「あら、同じクラスでしたのね。篠崎君とは中等部の三年生以来になりますわね。今年一年よろしくお願い致します」
「こちらこそよろしく。朝比奈さんは行事とかで協力してくれる人だから、今年は楽なクラスになりそうで良かったよ」
「できることは致しますが、他の方が私を怖がって畏縮してしまいますから、楽かどうかは」
「そうかな? 鳴海さんも夏目さんも居るから、そこまでにはならないんじゃない?」
「だとよろしいのですが」
篠崎と話している間に、生徒達が登校し始め徐々に人が増えてくる。
人混みに巻き込まれる前に友人達のクラスも確認した椿は、いつまでもここに留まっている訳にはいかないと椿は思い、四組の教室へと移動した。
窓際の一番後ろに座って本を読んでいた椿は、集中していた為に周りの席に誰が座ったのかすら分かっていなかった。
ようやく椿が知ったのは、何時だろうかと教室内の時計を見上げた時である。
椿の前の席には清香が、その隣には透子が座っていることに彼女は気付いた。
会話していた清香と透子は椿が顔を上げたことに気付き、こちらに視線を向けてくる。
「いらしたのなら声を掛けて下さればよろしかったのに」
「申し訳ございません。本を読んでいらしたので邪魔をしてはいけないと思いまして」
「あら、気を使わせてしまってごめんなさいね。それと同じクラスになれて嬉しいですわ。一年間、よろしくお願い致します。清香さん、夏目さん」
「はい。こちらこそ」
「同じクラスなんて光栄です。よろしくお願いします!」
目をキラッキラさせている透子に、椿は相変わらず好感度は高いままなのかと笑顔のまま口元を引き攣らせる。
そのまますぐに担任が教室へとやってきたことで会話が終わり、始業式を終えて午前中で生徒は下校となった。
数日後、椿は清香に声を掛けて透子にサロン棟を体験してもらう為、サロン棟の個室を利用していた。
透子や清香が居るので水嶋の伯父が貸し切っている個室を使用することはできないが、給仕は真人にお願いしてあるので話が外に漏れることはない。
個室内には椿達の他に千弦と杏奈も居て、女子会となっていた。
「サロン棟の個室ってこういう風になってるんですね」
初めて来たサロン棟の個室内を透子は物珍しそうに見回している。
「お菓子もああやって並べられてるんですね。あれって自分で取りに行くスタイルですか?」
「給仕に頼むスタイルですわ。私達が動く必要はございません」
「至れり尽くせりですね」
「折角ですから、何か召し上がったら? 甘い物はお好きかしら?」
「甘い物は大好物です! でもあれだけ並んでると、どれを食べようか悩みますね」
テーブルに並べられているケーキやスコーン、マカロンなどを見てどれにしようかと透子は真剣に選んでいたが、彼女はモンブランを選んだ。
「……冗談抜きで美味しいですね。朝比奈様達は、いつもこういうケーキを食べてるんですか?」
「まぁ、そうですわね」
椿に肯定されたことで透子は急に慌て始め、千弦に視線を向ける。
「あ、あの! 藤堂様! 春休みに神社で食べた団子とか、やっぱり口に合わなかったんじゃ」
「夏目さん、落ち着いて下さい。頂いたみたらし団子はとても美味しいと思いましたし、他のお団子も頂きたいと思っていたくらいですのよ?」
「本当ですか?」
「もちろんです」
千弦の幼子に諭すような優しい口調に透子も落ち着いたのか、ソファの背もたれに背中を預け息を吐く。
マカロンを食べようとしていた椿は、目の前の会話を聞いて口を開けたまま止まった状態になっていた。
「椿さん? 止まっておりますが、どうなさったの?」
「……いえ、あの、春休みにお二人で遊びに出掛けたのですか?」
「二人きりという訳ではなかったのですが、夏目さんのご自宅の近所にある神社で春祭りが行われるので、一緒にどうかと水嶋様に誘われまして」
「それで、私と水嶋君と藤堂様と篠崎君で出掛けたんですよ」
「へぇ……」
ダブルデートかよ! と突っ込みたかった椿であったが、それよりも透子が恭介を水嶋君と呼んだことに少なからず驚いた。
確か、君付けで呼べる選択肢が『恋花』内であったはず。あれは好感度を満たしていないと、一気に好感度が減る地獄のイベントだった。
それをクリアするなんて、さすがヒロイン……! と椿は尊敬の眼差しで透子を見つめる。
ちゃんと順調に仲良くなっているんだな、と彼女はホッとすると同時に、その現場を間近で見たかったなぁとも思っていた。
「それで、春祭りには境内にお店も出てたのでしょう? どのような感じでしたの?」
「色々とお店が出てましたよ。甘酒が振る舞われたり、さっきも言ったお団子とかもありましたし。あと近所の和菓子屋さんが大福とかお餅とか売ってるんです。地元の人しか来ないので、地味なんですけど、物心ついた頃から春と言えばそこの神社のお祭りってことで毎年楽しみにしてるんです」
「お祭りも楽しかったのですが、境内のソメイヨシノが本当に綺麗でしたのよ? 誘って頂けて幸運でした」
「本当ですか? 楽しんでもらえて良かったです」
千弦は本当に楽しかったようで、満面の笑みを浮かべている。
椿は和やかに会話をしている千弦と透子を見て、いいなーと羨ましくなった。
ちなみに椿の良いなーは、一緒に出掛けられて良いなーではなく、団子などの美味しい物を食べられて良いなーという方である。
「そういえば、春休みは水嶋様とお二人で植物園にも行かれたのでしょう? どうでした?」
「すごかったですよ! すっごい大きなヤシの木が何本もあって、見上げすぎて首が痛くなりましたもん。あと植物園限定のガチャをやったんですけど、水嶋君が欲しかった物が中々出てこなくて、五回以上回してようやく出てきた時は思わずハイタッチしちゃいました」
初めてのガチャを前にテンションが上がってしまった恭介の姿を椿は簡単に想像できた。
それにしても、水嶋家の車で出掛けられるようになった恭介は水を得た魚のように動いている。
このままの調子で頑張れ、と椿は恭介に心の中でエールを送った。
椿達はその後、春休みの思い出話をしていたが、次第に学校行事の話題へと変わり、二年生の一番大きな行事である修学旅行の話になった。
「それで、椿さんは修学旅行の自由行動はどうなさいますの?」
「私は杏奈さんと行動しようかと思っております。中等部の時と同じですわね。今から色々と調べなければなりませんから、楽しみですわ」
十二月にある高等部の修学旅行はドイツ・オーストリアでのリバークルーズである。
メジャーな所は行き慣れている生徒が多いので、ゆっくりと船旅を楽しみながら観光しつつ、その土地の歴史を学ぶのだそうだ。
ちょうどクリスマスマーケットの時期ということで、そちらに行くこともスケジュールに組まれていることから、椿は十二月がとても楽しみなのだ。
けれど、椿が一番気になっているのは、やはり恭介と透子のことである。
『恋花』内で、修学旅行の自由行動時に二人で出掛けるというイベントがあるのだ。
修学旅行の自由行動で二人が一緒に出掛けるまでに仲が進展して欲しいと願いつつも、そうなった場合に美緒や他の生徒にバレないようにどう行動するかを彼女は考えていた。




