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 図書当番もないある日、椿は高等部に入学して初めてサロン棟の個室へと足を向けた。

 高等部のサロン棟も中等部の時と同じく、伯父が個室を三年間貸し切っており、給仕も中等部の時と同じく不破真人がしている。


 今日のスイーツは何かな? と椿はワクワクしながらサロン棟の個室に入ると、中にはいつものメンバーが勢揃いしていた。

 

「あら? 良かった。全員居たのね」

「お前な……事前にサロン棟へ行くかどうか聞けば良かっただろ? 今は携帯っていう便利なものがあるんだから」

「誰かしら居るとは思ってたけど、全員が居るなんて思わなかっただけよ。中等部の二年と三年の時は千弦さんが生徒会に入ったからほとんどサロン棟に来られなかったし」

「中等部の頃は、多少は時間が作れるとは思っておりましたが、想像以上の忙しさでしたからね。ですが、今年の選挙があるまでは時間に余裕がありますから、こうしてお邪魔させて頂いておりますの」

「ってことは、今年の選挙に出るんだ?」


 ニッコリと微笑んだ千弦は「えぇ」と口にする。

 彼女は中等部と同じく、高等部でも弓道部に入部しており、これで一年から生徒会に入るとなると忙しくてサロン棟には中々来られなくなる。

 充実した日々を送る千弦を羨ましく思いつつも、椿はどこか寂しさを感じていた。

 勿論、やる気に満ちあふれている千弦の前でそのように感じていることなど、彼女はおくびにも出さない。


「生徒会の仕事は大変やりがいのある仕事でしたから。高等部では一年の時から携わりたいと思っておりますの」

「そっか。千弦さんにぴったりの仕事だもんね。いきなり副会長は無理だから書記か会計あたり?」

「えぇ、私は書記を考えております。会計は篠崎君が狙っているそうなので」

「……篠崎君も生徒会に入る予定なんだね」

「ふふっ。張り切っておりましたわ。私もよく存じ上げている篠崎君が一緒なら安心ですから」

「ほほぅ」


 篠崎の話を出した辺りで千弦の口調や態度が穏やかでどこか嬉しそうなものに変わったことから、何やらラブの気配を感じる、と椿は顎に手を添えて千弦を見る。

 ニヤニヤしている椿を見て、彼女が何を思っているのか察した千弦は慌て始める。


「ち、違いますわよ! 篠崎君とは去年まで生徒会で一緒に仕事をしていた仲ですから、気心が知れているという意味であって、他意はございませんわ!」

「えー。でも千弦さんが特定の男子と仲良くなるとか珍しいっていうか、初めてじゃない? 恭介や佐伯君とだって二人で話したりしないのに」

「ですから、それは仕事の話をしているだけですわ! 水嶋様とも佐伯君とも普通にお話ししておりますでしょう! 何も篠崎君だけが特別だということはございません!」

「必死になってるところが怪しい」

「椿さん!」


 顔を真っ赤にした千弦が必死に言い訳をしているが、椿には墓穴を掘っているようにしか見えない。


「椿、あんまり藤堂さんを困らせるのはどうかと思うわよ?」

「全くもう。八雲さんの仰る通りですわ」

「余計なことをしたら上手くいくものが上手くいかなくなるでしょ。序盤でそれを言うのは野暮ってもんよ」

「八雲さん!?」


 味方だと思っていた杏奈にあっさりと裏切られ、千弦は彼女の肩を掴み「どういうことですの!?」と口にしている。


「ごめんね。杏奈。私、余計なことしちゃったね。千弦さん、陰からそっと見守るようにするから」

「そのような問題ではございませんわ! まずはその考えを改めて下さい!」

「陰からそっと見守り、そして上手くいったら美男美女のイチャイチャをニヤニヤしながら見るのよ」

「ラジャー」


 千弦の突っ込みを全てスルーした椿は、杏奈に向かって綺麗な敬礼をする。

 一連の会話を聞いていた恭介は、まったくこいつらは……という表情を浮かべながら、椿達に向かって口を開く。


「椿も八雲も落ち着け。あと藤堂もだ。ムキになって反論したら尚更そうだと思われるだろう? 椿もあまり遊ぶな」

「分かったよ。ごめんね、千弦さん」

「……いえ、私も過剰に反応しすぎましたわね」

「で、恭介。篠崎君はどうなの?」

「椿さん!」

「あいつはよく藤堂の話題を口にしてるな。しっかりしている分、周りに頼ろうとしないから心配だとも言っていた」

「え?」


 篠崎から自分の話が出たことに驚いたのか、千弦はやや挙動不審になっている。


「僕から言えるのはそれだけだな。篠崎も秋の選挙に向けて気合いが入っていたし、おそらく藤堂と篠崎は無事に生徒会役員になれるんじゃないか?」

「……そ、そうだとよろしいのですけれど」


 頬を赤らめた千弦が柔らかな笑みを浮かべながら呟いたが、そんな表情をした時点で篠崎の事が好きだと言っているようなものである。

 

「そういえば、恭介君は選択科目の第二外国語は何にする予定?」


 椿や杏奈に色々と言われている千弦を不憫に思ったのか、それとなく佐伯が話題を変えてきた。

 高等部では一年から選択科目としてドイツ語、フランス語、中国語、ロシア語、イタリア語、スペイン語から第二外国語を学ばなければならない。

 二年になると自由選択科目として華道、茶道、日本舞踊、日本画、西洋画、刺繍・編み物、声楽、器楽、料理、乗馬、クリケットから選ばなければならなくなる。

 女性向けの科目が多いのは、花嫁修業を兼ねていた昔の名残である。

 明らかに乗馬とクリケットは後から追加されたとしか思えないし、実際男子生徒はこの二つに集中するのだ。

 椿はまだ第二外国語科目の紙を提出していなかったので、恭介が何を選んだのか純粋に気になった。


「僕はロシア語にした。ドイツ語もフランス語もイタリア語も読み書きも喋るのも問題ないからな。貴臣はどれにした?」

「僕はちょっとだけ分かってるフランス語かな。〇から始めるのはさすがに勇気がいるからね」

「冒険心のない奴だな。……で、僕をジッと見ている椿は何にしたんだ?」

「私はフランス語にしようかと思ってるわ」

「ドイツ語にしろ」

「ドイツ語にしておきなさい」


 恭介と杏奈から同時に言われ、椿はプイッと顔を逸らす。

 彼らが言いたいのはレオンのことだと分かりきっている。ドイツ語を理解出来ない椿は彼が時たま洩らすドイツ語やたまに手紙に書いてあるドイツ語に全く反応出来ないのだ。

 それに関して、恭介と杏奈はレオンから愚痴を毎回聞いているので、さっさとドイツ語を理解して欲しいと思っている。

 だが、椿はドイツ語を理解した瞬間に負けだと思っているので、プライドが邪魔をしてドイツ語を習得しようという気にならない。


「大体、お前フランス語出来るのか?」

「出来るよ! ペラペラだよ!」

「じゃあ、何か喋ってみろよ」

「……ア、アザブジュヴァーン」

「八雲、選択科目の紙にドイツ語って記入しろ」

「了解」

「ちょ! ちょっと待ってよ! 軽いジャブでしょ! 冗談だって!」

「じゃあ、フランス語を話してみろ」


 腕を組んだ恭介に言われ、椿は視線を彷徨わせる。

 フランス語など椿は喋れない。精々、メルシーとウィとノンぐらいしか知らない。

 だが、ドイツ語は厨二心をくすぐられる単語が目白押しで興味があるのはあるのだが、やはりレオンのことを考えるとドイツ語を選ぼうという気にはならない。

 対してフランス語はほぼ知らないが、昔フランスに椿が恭介と伯父と旅行した際にボディーランゲージで何とかなったことから考えて、何とかなると楽観視している部分もある。

 だが、ここでフランス語を話せないと恭介によって強制的にドイツ語選択にさせられてしまう。。

 椿は知っているフランス語を思い出そうとするが、単語が全く出てこない。追い詰められた彼女は、再びフランス語とは言えない言葉を口にしてしまう。


「ハ、ハダジュヴァーン」

「八雲、ドイツ語って書いたな」

「書きました。すぐに先生に提出してきます」

「あ、ちょ! 選択肢がドイツ語しかないことに悪意しか感じないんだけど!」

「八雲! 椿は僕が押さえておくから、今のうちにその紙を担任に渡しに行くんだ!」

「いってきます!」


 椿の制止も聞かずに杏奈は個室を飛び出して行ってしまう。

 これで、椿の第二外国語はドイツ語となってしまった訳である。


「……言葉の意味が分かるようになったらどうしてくれるのよ。どうせ恥ずかしいことしか言ってないって分かるのに。あと赤点取ったら責任取ってくれるわけ!」

「そこはお前が頑張るところだろう? 僕だって忙しいんだ。レオの愚痴に時間を割けない。だから椿に改善してもらう。僕も八雲も助かる。双方が満足できる結果だ」

「あんたらが満足出来ても、こっちが不満足なんですけど! 全然Win-Winじゃないよ!」

「誰かが得をすれば誰かが損をするのが人の世の理だ。諦めろ」

「上手いこと言ってるけど、自分が嫌になっただけじゃない!」

「元はと言えば椿が責任を負わなければならないことだろ? ずっと僕と八雲が肩代わりしてきたんだから、そろそろお前にバトンタッチしてもいいじゃないか」


 それを言われてしまうと椿は返す言葉がない。

 グッと言葉を飲み込んだ彼女は諦めるしかなかった。


「椿さん。私もドイツ語を選びましたから、同じクラスになれたら色々とフォローは致しますわ」

「ち、千弦さーん」


 優しい言葉に椿は千弦にガシッと抱きついた。


「でも、ドイツ語とフランス語は人数が多いから三クラスくらいになるよな」

「希望を打ち砕くようなこと言うの止めてくれる!?」


 一人になることは考えたくない椿は即座に恭介に向かって文句を言う。


「私の友人もドイツ語を選ぶ方が多いですから、きっと椿さんと同じクラスになりますわ。ちゃんと同じクラスになったら近くの席に座って頂けるように話しておきますから、安心して下さいね」

「ち、千弦さーん!」


 椿は先程よりも強い力で千弦に抱きついた。

 優しい千弦は先程の件も忘れて椿の背中をさすっている。

 本当に彼女は優しい人である。


「ところで、朝比奈さん。入学式の時にトラブルに巻き込まれてたけど、大丈夫だった?」

「トラブル?」


 佐伯の言葉に心当たりの無かった椿は首を傾げる。


「ほら、外部生の子の袖ボタンだっけ? 髪の毛が引っかかってたじゃない?」

「……あぁ、あれね。そんなに噂になってる?」

「あー、うん。クラス内の女子が色々と言ってたよ。夏目さん、だったよね? 入学早々に目を付けられて可哀想にって。あとはまぁ、恭介君が気に掛けてるってこともね」

「夏目透子さんね。あれは、夏目さんが良い人だったから、変な騒ぎにならなくて良かったとは思ってるけどね。私が目立つから、良い意味でも悪い意味でも彼女が有名になっちゃって罪悪感が半端ないわ」

「水嶋様との一件で、周囲から色々と言われているようですが、大丈夫でしょうか? 椿さんは彼女と同じ図書委員でしたわね。どのような性格の方なのですか?」


 佐伯や千弦から聞かれたことで、椿は自分のことのみならず、透子が恭介に興味を持たれていることに関して、彼女のことを心配しているのだと気が付いた。


「そうね、少しおっちょこちょいな面もあるけれど、明るくて優しい人だって印象ね」

「人を見る目が厳しい朝比奈さんがそう言うんだから、相当良い人なんだろうね」

「滅多に人を褒めない椿さんが褒めましたからね」


 佐伯と千弦の言い種に、何とも失礼な話であると椿はむくれる。

 けれど、二人は椿の態度には一切触れない。触れたが最後、収拾がつかなくなるということを理解しているからだ。

 

「そういえば、彼女も"とうこ"さん、なのですね」


 透子のフルネームを聞いた千弦は、中等部二年の頃に起こった小松の件を思い出したようだ。


「彼女と小松さんは別よ」


 実際は透子と名前が一緒だから小松が攻撃されたのだが、椿にはその説明をすることは出来ない。

 まず、千弦達に前世の話からしなければならないし、そうなると、椿が頭がおかしい人に思われてしまう。

 まず、前世の記憶があるということを信じて貰えない。


「分かっておりますわ。ただ、同じ名前でしたから」

「偶然でしょう?」

「偶然でも、恭介君は彼女を気にしてたみたいだけど?」


 佐伯の一言に、千弦の視線は恭介へと移る。

 注目された恭介はため息を吐いて一年前に起こった出来事を説明し始めた。


「と、いうことで、僕が顔を知っている状態だっただけだ。礼を言いそびれて気持ち悪かったから早く感謝の言葉を言いたかったってだけだよ。だからあの場で夏目に覚えているかどうかを聞いたんだ」

「そうだったんだね。人と積極的に交流を持とうとしない恭介君が、自分から話し掛けるなんて天変地異の前触れなんじゃないかと思って心配してたんだ」

「お前、割と言う様になったな! 昔のオドオドしてた貴臣が懐かしいよ!」

「さすがに五年以上一緒に居れば慣れるよ」


 のほほんと佐伯は口にしているが、椿から見ても彼はかなり神経が太くなったと言える。

 彼が自信を持てたのか、恭介がそんなに怖くない、意外と親しみやすいと分かったのかは分からないが、かなりズケズケと物を言うようになった。


 こうして夏目の話をしていると、担任に選択科目の紙を渡し終えた杏奈が個室へと戻ってきた。


「何の話をしてたの?」

「入学式の時に、椿さんの髪が袖のボタンに引っかかった女子生徒のことについて話しておりましたのよ」

「夏目さんは良い人だという話をしていただけよ。あと一昨年と去年のことを説明しただけ。同じ美術部なんだから、杏奈の方が夏目さんのことに詳しいんじゃない?」

「まぁ、裏表のない子よね。あとおっちょこちょいね。あの子が「あっ」って言う時は、大体何かをしでかした時だって部員の中ですでに周知されてるから」


 美術部での透子の話を聞いた椿と恭介は同時に遠い目をする。

 これまで、何をしでかしたのかを聞いてみたい気もするが、自分の失敗を自分が知らない場所で話されるのは嫌だろうと思い、椿は深く聞くことはしなかった。


「それにしても、入学式の時に夏目さんが躓いたのはわざとじゃないのに、たまたま私と色々あって、恭介が話し掛けたってだけだけで噂になるなんて、下らないわよね。よほど暇なのかしらね。全く、誤解されてしまう夏目さんが可哀想だわ」

「……随分と夏目さんに肩入れしておりますが、出会ったばかりの方ですわよね? 話を伺う限りでは、気立ての良い方だという印象は持ちましたが、人の好き嫌いの激しい椿さんが、そこまで彼女のことを信用しているのは何故ですの?」


 元々、ゲーム内で透子のことを知っていたからということもあるのだが、それは口には出来ない。

 なので、椿は中等部二年の時に彼女と透子との間にあったことを千弦に説明する。


「と、いうことで、入学前から私は夏目さんを知っていたのよ。それもあって私は夏目さんに悪い感情は一切抱いてないって訳。実際に図書委員の当番とかで彼女と話をしたけど、演技してるとは思えなかったし、私の友人である鳴海さんと親しくしている人だもの、問題があるとは思えないわ」

「それだけで、信用するのは早すぎるのではなくて?」

「大丈夫だって。中等部二年の頃に父と伯父が彼女と彼女の家のことを調べてるはずだもん。高等部での出来事も父や伯父に報告されているだろうし、それでも二人から何も言われてないんだから、夏目さんに問題が無いってことでしょう?」


 椿の説明に、というよりも彼女の父親や伯父が何も言ってないと聞いた千弦は、納得したような表情を浮かべる。


「……確かにそれもそうですね。疑ってしまい申し訳ございません」

「千弦さんは夏目さんと話したことが無いんだもの。相手のことをよく知らないんだから、疑って当然だと思うわ」


 椿は、透子の性格をある程度知っていたし、事前に会話もしていたのであまり疑うこともしなかったが、何も知らなかった千弦は違う。

 もしかしたら椿を利用しているのかもしれない、という気持ちが少なからずあったのだ。

 その誤解を早めに解くことができた椿は、透子が他の生徒から嫌みやらを言われていた場合、千弦が手助けしてくれることになるだろうと思い、力強い味方が増えたことに安心する。

 表だって透子を助けると、女子生徒達の嫉妬が彼女に向かってしまうことを理解している恭介も、どこかホッとしたような表情を浮かべていた。

アリアンローズ様の公式HPにて、2巻の詳細と書影と人物紹介が公開されております。

宜しければご覧下さい。

椿がとても可愛いです。可愛く描いて頂きました。他のキャラクターも素晴らしくて、本当にありがたいことです。

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