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90-2

 コンコンと軽く扉をノックするとすぐに中に居る祖父の「入りなさい」という声が聞こえてきた。

 扉の前で深呼吸をした椿はドアの取っ手を強く握り、扉を開ける。


「失礼します。お話はもう終わったのですか?」

「何、大した話ではなかったからな。……それよりも、そちらに座りなさい」


 祖父の近くにあるソファを指差され、椿は大人しくそこへと座る。

 

「椿、学校は楽しいか?」

「はい。友人も居りますし毎日楽しく過ごしています」

「……何か余計なことを言ってくる愚か者はおらんのか?」

「居りませんよ」


 祖父は明らかに美緒のことを言っているのだと椿はすぐに気が付いた。

 学校内でのことは水嶋家にも朝比奈家にも報告されているはずであるが、祖父の口ぶりから察するに、報告を最初に受けているのは伯父で、彼がマズイと判断したことは報告されていないのではないだろうか。

 特に、美緒の母親の実家である秋月家に対して伯父よりも憎しみを持っている祖父のことだ。美緒が椿にしたことを全て報告すると、感情で動いてしまうと伯父は不安に思っているのかもしれない。

 もしも『今日は何も無い平凡な一日でした』的な報告しか祖父にしていないのだとしたら、秋月家の孫である美緒の動向を気にするのも分かる。

 

「皆さん、親切にして下さいますから」

「そうか、なら良い。それと、恭介とは仲良くしとるか?」

「えぇ。放課後に良くサロン棟でお話しております」

「休日はあまり一緒に出掛けたりしておらんようだが?」

「恭介さんは忙しい方ですから仕方ありません。今は携帯電話もございますし、時間がある時はお話したりメールをしたりしております」


 椿の返答に祖父は満足そうに頷いている。


「親しくしとるようで何よりだ。仲が悪いと思われると、それにつけ込んだ愚か者が寄ってくるからな」

「……恭介さんは警戒心が強い方ですので、そのような方が近寄って来られても袖になさいますよ」

「恭介はそうかもしれんが、椿はそうでもないだろう? ほれ、グロスクロイツの孫息子とか」


 瞬間、椿は言葉に詰まる。

 あれだけ恭介を交えて出掛けたりしているのだから祖父の耳に入っていない訳がない。

 身内以外には婚約者同士だと思われている恭介と椿であるが、友人の婚約者と仲良くしているというよりは、レオンが彼女にちょっかいをかけてきていると祖父は判断している。

 椿達が嘘の婚約者同士だということをレオンが知っているとは祖父も思っていないし、知らないからこその言葉だ。


「……彼は、恭介さんの友人ですからね。一応、私の義理のはとこにも当たりますし、会話くらい普通にします。それよりも、恭介さんの友人を愚か者呼ばわりするのはどうかと思いますが」

「義理のはとこがわざわざ日本語を習得するものか?」

「売り言葉に買い言葉です。昔、日本にいらっしゃるなら日本語を話すのが礼儀だと口にしたことがございまして、それで相手もムキになってしまわれたのです」


 そんな過去があったことは全くない。嘘であるが、祖父がレオンに対して良い感情を持っていない以上、彼に対して攻撃とまではいかないが嫌みのひとつでも言うかもしれない。

 その場だけで収まってくれればいいが、グロスクロイツ家にまで『恭介の婚約者である椿にちょっかいを出すな』と言ってしまうと、全ての関係にヒビが入る。

 それはちょっとなぁ、と思った椿は嘘をついてフォローしたのだ。

 というか、祖父は椿の愚か者呼ばわりはどうかという言葉を華麗にスルーしている。


「お前は軽く考えすぎだ。少なくとも友人の婚約者に必要以上に接触を持ったりはしない。気を付けなさい」

「心しておきます」

「恭介にもむやみやたらと近寄ってくる人間には気を付けるように言ってあるが、どこまで分かっておるのやら」

「大丈夫ですよ。恭介さんは人を見る目はお持ちですから」


 警戒心が強すぎて仲良くなるまでに時間が掛かるだけである。

 仲良くなるまでの間に相手の人となりを知ることが出来るので、結果的にまともな人間だけが残るという訳だ。


「だが、あれは世間知らずなところがあるからな。どこの馬の骨か分からない人間にコロッと騙されるやもしれん」


 確かに恭介は抜けている部分があるが、騙されるほど愚かではない。


「椿、恭介に変な輩が寄りつかぬようにしっかり見ておきなさい」

「……はい。分かりました」


 頑固な所がある祖父の言葉に反論した所で彼は椿の言葉に耳を貸してはくれない。

 祖父はそういう人だと椿は分かっているからこそ、余計なことは口にしないし出来ないのだ。


「春生や恭介と話していたのに呼び出して済まなかったな。まだ時間はあるのだろう?」

「えぇ。この後の用事も特にございませんので、帰宅時間は決めておりません」

「そうか。ならば夕食も一緒にどうだ? 薫君にはこちらから話をしておくが」

「そうですね。では、ご一緒させて頂きます。それでは失礼します」


 椿は立ち上がり一礼して祖父の書斎から出て行った。

 廊下を歩きながら椿は大きなため息を吐く。

 とても緊張する会話であった。やはり椿は祖父が苦手だと再確認する。


 リビングへと再び帰ってきた椿は瀬川に紅茶を頼みソファに深く腰掛けた。

 その様子を見ていた伯父と恭介は口を揃えて「お疲れ様」と話し掛けてくる。


「伯父様、学校でのことはお祖父様に報告なさってないのですか?」

「余計な情報を与えていないだけだ。それに、最近は報告するようなこともされていないだろう? だから親父が勝手に調べようと困ることもない」

「……ご苦労をお掛けしまして」

「あの人は身内を外敵から守るのに必死だからな。昔、自分と妻以外の人間全てが敵に回ったことが尾を引いているのだろう」


 それは祖父母の自業自得であるのだから仕方が無いとしか言い様がない。


「おまけに百合子の件があって、更に悪い方に加速した感じだな。年を取ってより頑固になった分厄介だ。引退したものの影響力の大きさは変わらないし、私よりもよほど権力を持っている」

「お疲れ様です」

「本当にな。椿も何かあれば親父じゃ無くて私に報告するように。特に椿はお袋に似ているから深く考えずに実行に移しかねない」

「それはよく理解しておりますとも」


 椿が「えーん、お祖父様ぁ。あいつにいじめられたよぉ」なんて言おうものなら、祖父は考えもせずにさっくりと相手に対して手を下すだろうと予想が出来る。

 これが伯父であれば、背後関係を調べて椿にも非がある場合は注意だけで済ます。非がない場合は被害の程度にもよるが、相手と相手の親に盛大に嫌みをぶちかまして注意をするだけで終わるだけだ。

 

「椿が周囲の人間をよく観察してくれる子で助かるよ」

「私は伯父様が冗談の通じる方で助かっております」

「僕はお前が父さんに対して軽口を叩くのをヒヤヒヤしながら見てるんだけどな」

「悪意のない冗談ならいくらでも。子供の頃から冗談を言うヘタレ代表が側に居たからな」


 伯父は意味ありげに椿に向かって口にするが、彼女はすぐにそれが誰かを察する。


「あぁ、お父様ですか」

「お陰で学生時代は退屈しなかったが」


 楽しそうに話している伯父を見ていると、本当に学生時代は充実した日々を送っていたのだろう。


「伯父様、いつか学生時代の思い出話を教えて下さいね」

「いくらでも。特に薫の話を聞かせてやろう」

「それは楽しみです。私の口から思い出話が出て、慌てるお父様の姿が目に浮かびますね」

「是非そうしてくれ」


 良い悪戯を思い付いた二人はニヤニヤと笑い合っているが、椿は祖父との会話であることを思い出して伯父に訊ねる。

 

「あ、そういえばお祖父様から夕食を一緒にどうかと言われていたのを思い出しました」

「瀬川、聞いているか?」


 控えていた瀬川に伯父が声を掛けると、彼は控え目に「はい」と返事をした。


「すでに親父から話はしてあるみたいだな。帰りは水嶋の車で送ろう」

「よろしくお願いします。ところで、今日のメニューは?」


 椿は振り返り、ワクワクした様子で瀬川に聞いてみる。


「本日は大旦那様のリクエストで懐石料理となっております」

「お祖父様は和食かフレンチですものね」

「本当にお前は食べ物のことになると目の色を変えるよな」


 呆れたような恭介の言葉に椿は口を尖らせると伯父にまぁまぁと間を取り成された。


 水嶋家での夕食はそれはもう静かなものであった。時たま祖父と伯父が仕事の話をするだけで世間話が出来ない雰囲気である。

 普段は祖父が別宅の方に居ることが多い為、ここまで静かではないのだと恭介に教えられた。


 夕食後、椿は水嶋の車で自宅まで送ってもらい、祖父と伯父にお土産を渡すというミッションをこなしたのだった。

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