第03話 接近遭遇
とりあえずここまで。
「ガルルルルルゥゥゥゥ!」
「ひいいぃぃぃ!」
なにこれこの状況。
小屋の外から聞こえてくる大型犬の群れっぽい獣の威嚇の声と、その声におびえる毛皮を着た猟師らしきおっちゃん。
獣は小屋を取り囲み、何頭かが爪かなんかで板壁をガリガリと掻いている。
その音にますますおびえたおっちゃんは小屋の真ん中で頭を抱えて震えていた。
えーと。
外をうろつく獣の音と小屋の中で震えるおっちゃんを視界の隅に納めながら、俺はこの状況に至る直前のことを記憶から引っ張り出した。
火を起こしたのち、俺はアイテムボックスの食料アイテムで夕食を済ませて一服していた。
小屋の窓から外を覗くと太陽は完全に木々の向こうに沈み、森は夜の帳が降りて闇に包まれている。村に急ぐより夜営場所探しを優先して正解だったと自画自賛し、俺は淹れたてのコーヒーを啜った。
ふと耳を澄ませば木々を凪ぐ風の音と虫の音、それと獣の声が聞こえてくる。
「あれはイヌ科の動物の声だな。狼―――この辺にいるのはたしかボウウルフだったか……やはり夜営場所探しを優先してよかった」
この小屋なら狼程度の相手なら充分持ちこたえるだろう。
いざとなれば小屋の中から応戦すればいい。そう思い、コーヒーを注いだキャンティーンカップと憶えてしまった煙を出すイケナイ習慣の物体とを交互に口に運ぶ。
煙を出す物体が燃え尽きた頃、焚き火にくべる薪を補充すべく薪の山に向かおうとして足がぴたりと止まる。
「……鳴き声が近づいてきている?」
ふと耳を澄ませば、遠くから聞こえていた獣の声がだんだん近くなっている気がした。
薪を抱えて炉に戻ると数本火に加えておく。そして傍らにおいてあったライフル銃―――銃剣を装着したM1ガーランドを手に壁際に取って返した。
格子状の小さな窓から外の様子を窺い、ガーランドのボルトを引いて8発の実弾がまとめられたクリップを装填する。その際、左腕に巻いたマギスジェムの表面に光が走った気がした。
なんだろうと覗き込むと、ジェムの表面に「射撃モード変更:実弾」の文字が浮かび上がっている。それは日本語ではありえないがなぜか理解できた。
「……おおう、さすが異世界。言語翻訳能力とは侮りがたし」
……深く考えるのは後にしよう。
実弾を装填したことで"銃"と連動しているマギスジェムが自動で射撃モード変更したみたいだ。
魔動小銃M1ガーランドは実弾と魔法弾どちらも使用できる併用型だ。
『パンツァー・リート』には第二次世界大戦前後の実際に使用されていた武器をモデルにした物が多く登場する。このガーランドもそのひとつで、第二次世界大戦でアメリカ軍が実際に使っていた。大戦時のアメリカ軍を扱った戦争映画ではおなじみの小銃といえる。
他にない独自の機構を持つこの銃を勧めたのはミリタリーマニアの悪友だ。
マニアックな彼の心の琴線に触れる銃らしく、なにせヤツの部屋には実物(無稼動銃)のM1ガーランドがあるくらいだ。マニアめ。
M1ガーランドに頬ずりしつつ、ボルトアクションライフルに匹敵する薬室閉鎖性と、自動銃としては他の銃に比べ高い命中率が望める小銃なのだと溢れんばかりのオタ知識をそれはもう嬉しそうに披露していた俺の悪友。
ゲームの中でもそうらしいし、俺としては命中率高いのならいいやと軽い気持ちだったんだけどな。
ゲームが始まった当初、『パンツァー・リート』におけるすべての"銃"は、すべて攻撃魔動術を撃つための魔法杖だった。
モデルになった銃がどうであれ、魔動術を介さない実弾など撃てない仕様であった。
これに強い異を唱えたのが、悪友のようなマニアなプレイヤーたちだ。
―――現実の銃をモデルにしておきながら実弾撃てないとは何事か!
まあ、そういうことである。
一斉に抗議の声をあげたプレイヤーたちに対し珍しく――本当に珍しく――方針を変えた運営は、一部を除きアップデート時に既存の魔動銃を実弾射撃可能な仕様に変更した。
今の俺にはありがたい仕様変更だ。
おかげで実弾なら職業【魔動術師】無くても撃てるからな。
ウンチクを語る悪友はうっとうしいが、偶にはミリタリーマニアな連中も役に立つ。
偉いぞマニア。
格子窓から外を窺っていると、聞こえていた獣の声が確実に近くまで来ているのが分かった。これはもう聞き間違いなどではない。
同時に獣の声以外の別の音も聞こえてきた。なんだ?
「た、助けてくれーー!」
それは助けを求める人の声。
俺は飛び跳ねるように動く。
入り口の閂をはずし、扉を開いて小屋の外に躍り出た。視線と銃口の先を合わせながら周囲を警戒し、声が聞こえてきた方向の様子を伺う。
がさがさと藪を掻き分け夜の森から現われたのは人のものと思しき影。その向こうから、イヌ科の動物特有の息遣いが幾つも影を追うように迫ってくるのを感じた。
「止まらずに走れ! 早く小屋の中に!」
いきなり声をかけれれた影は一瞬身体を硬直させたものの、すぐさま意味を理解したのかその場に崩れ落ちそうになる身体に鞭打ってよたよたと向ってくる。
影の正体は30代半ばくらいの毛皮を着た男だった。途中でなくしたのか弓は持っていないが背に空の矢筒を背負っていた。村の猟師か?
小屋の明かりが届かぬ森の木々の間に小さな光点がいくつも輝いて見える。
しばしこちらの様子を窺っていたその光はやがて藪の中から姿を現した。
ハスキー犬より一回り大きな体躯の灰色の毛皮をもつ獣、ボウウルフ。下級とはいえ魔獣に分類されるその獣は漂う魔素に犯され変化した狼の成れの果てだ。
狼よりより凶暴で手ごわい森の厄介もの。
駆け出しの冒険者でも一対一なら勝機はある―――ゲームでは。
その魔獣に向けガーランドの引き金を引いた。静寂を破る発砲音が響き渡り、ストックを当てていた俺の肩にガツンと衝撃が加わる。
おお!? 銃の反動って思ったより強い!?
生まれてはじめて知った銃の反動の強さに顔を顰めながらもそのまま三連射を叩き込む。
べつに中るのを期待している訳じゃない。そもそも【銃士】の職業も持ってない素人が撃ったところで中る筈がない。あくまで威嚇だ。
発砲を続けながらじりじりと後退し、最後の弾を撃つと同時に吐き出されたクリップの独特な金属音が耳を打つ。俺はきびすを返して小屋にかけ戻り閉じた扉に閂をかける。
よかった。うまくいった。
額に浮かぶ汗を腕でぬぐい、ふうと息をつく。
ただしガントレット付の腕で拭うもんじゃないな。こすれて痛い。
ゲームじゃあるまいし、リアルでボウウルフの群れと正面から戦って生き残る自信はない。逃げ込める小屋がなかったらと思うと背に嫌な汗が流れた。
ガーランドに予備弾をセットし、俺は地面に両手を付いて激しく肩を上下する男に声をかけた。
「大丈夫か?」
「―――あ? ……あ、ああ……あ……あ、ありがとう。お、おかげで助かったよ……」
おっちゃんは疲労困憊といった有様だ。
なんとか頭を上げて礼を言ってくるが乱れた息が整うにはまだ時間が掛かりそうだ。
地面に置いていた肩掛けカバンから水筒を取り出し、キャップを開いておっちゃんに渡してやる。
「水だ。飲むかい?」
「す、すまない。頂くよ」
震える手で水筒を受け取り一気に煽る。ときおり口の端から洩れた水が男の襟元をぬらす。
まだ半分以上残っていた中身を僅かの間で飲み干してしまった。
カラになった水筒を名残惜しそうに眺めつつ、濡れた口元を袖で拭っておっちゃんは改めて礼を述べた。
「……本当に助かったよ。森でヤツラに襲われたとき本気でもうダメだと思った」
「よく無事だったね」
「運がよかった。思わず撃った矢が群れのリーダーらしきボウウルフの目に中ってね。怯んだ隙に逃げ出して、必死で逃げて……」
ようやく助かった自覚が出たのかおっちゃんは涙目だ。恐怖がぶり返したか震えが大きくなる。
だが、まだなんだな。
「おっちゃんには悪いが、まだ助かったってわけじゃないよ?」
「おっちゃんて、俺まだ30―――って、どういうことだい!?」
「やつらまだ小屋の周りをうろついてるよ。よほど腹が減っているのか、傷つけられて気が立ってるのか……」
おっちゃんに指で外を示してやった。
耳を澄ませば小屋の周りを囲むように獣の息遣いが聞こえてくる。
素人の俺でも分かるくらいだ。猟師であれば普段ならすぐに気がついただろう。ボウウルフに追いかけられたのがよほど怖かったのか。
ドンッ!
ギシッ!
「う、うわあ!」
ボウウルフの体当たりを受け、入り口の木の扉が軋んで揺れる。
その衝撃と音に驚いたおっちゃんは飛び上がり、焚き火の燃える炉近くまで後ずさって震え始めた。
ドドンッ!
ギシツッ!
何度も何度も体当たりを敢行するボウウルフ。
5センチ以上の太い閂のおかげで魔獣の体当たりといえど扉が開くことはないが、衝撃で金具のほうがやばそうだ。
別のボウウルフは小屋の壁をカリカリと爪で掻き毟っている。なんとか中に入って獲物に喰らい付こうとしているのだろうが―――。
「―――馬鹿?」
魔獣といえど所詮は獣らしい。
俺は慌てず騒がず、腰だめにしたガーランドを扉に向けて引き金を引いた。さらに続けて3連射する。
キャウンッ! という獣の悲鳴と重い何かが倒れる音。
お、うまく中ったか。
たとえ姿が見えなくとも扉の向こうに居る事が分かってるなら撃てばいい。木の板程度で軍用30口径弾を止められるはずがなく、何発中ったかは判らないが小銃弾くらえば魔獣といえど只ではすむまい。
身体の向きを変え、壁を引っかいていたボウウルフに向けても発砲する。
最初の銃声で驚いたのか壁を掻き毟るのはすでに止めているが、その辺にいることは間違いない。一発ごとに微妙に銃口をずらして小刻みに引き金を引く。
3発目で手ごたえがあった。獣の悲鳴が上がる。止めとばかりに最後の弾をぶち込んでやった。銃声止まぬ山小屋の中にクリップが飛ぶ金属音がやけに鮮明に響く。
うむ、悪友よ。このクリップの音は癖になりそうだ。
空になった弾倉に新しいクリップを押し込んでいると、小屋周辺からなにかが離れていく気配と音がした。壁に寄って格子窓から外の様子を窺う。
見ればボウウルフの群れが森に逃げ帰る姿が窺えた。
「逃がすか!」
俺は逃げる相手にはめっぽう強いぜ!
窓から銃を突き出して森に走る群れに全弾叩き込む!
連続する銃声の間に獣の悲鳴が聞こえてきた気がするもかまわず撃ち続ける。仕留めたかどうかは気にしない。ぶっちゃけそんな余裕もないしな。
銃声が消えた後はしんとした静寂が森に戻ってきた。
しばらくして虫の音も再開される。
「た、助かったのか……」
「なんとか追い払えたようだよ」
へなへなと崩れ落ちるおっちゃんに俺は笑顔で告げてやった。