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3話 デートみたいです

 

「あれ、春名さん、もう帰るの?」

 

 終業のベルが鳴り、机の上を片付け始めた春名智美(はるなともみ)に、隣の席から声が掛かる。

 彼女が慌てたように顔を向けると、ニヤニヤした不適な笑みを浮かべた青山晃一(あおやまこういち)の顔があった。

「ええ、まあ…」

 智美は努めて自然に見えるように振る舞う。

「今日は友人と約束しているんです」

「へえ、友達と?」

 晃一はパソコンのキーボードの上に軽く肘をつくと、彼女の方に頭を向けて微笑んだ。

「それ、女の子?」

「あ、当たり前です。女友達です」

「美人?」

「び、美人じゃないですよ。普通です」

 智美は片付けの速度を早めた。今日の晃一は変である。何だかしつこくないか?

 だが、この男はお節介の世話焼き体質だった。この程度は彼にとって標準装備かもしれない。

 とにかくこれ以上絡まれるのはまずいようだ。ボロが出そうで智美は酷く落ち着かない。

「怪しいなあ…」

 晃一は含み笑いを残したまま、まだ彼女を見つめていた。

「美人の友達を俺に会わせたくないとか? そうだ! 俺も春名さんに便乗しちゃおっかな」

「ちょ! だ、駄目です!」

 大声を出して急に立ち上がった智美は、晃一以外のフロアにいる全員から、一斉に視線を投げ掛けられた。

 

「ちょっと、春名くん。何なの?」

 前頭部から後頭部へと生え際が徐々に後退し続けている髪型の課長が、引きつったような顔で睨んでくる。中年の課長は相当驚いたらしく、目を丸くして胸の辺りを押さえていた。

 

「すみませんでした」

 

 智美は真っ赤な顔で謝ると急いで席に腰かけた。

 椅子に座る時に、クスクスと笑う同僚達が視界に入ってくる。彼女に視線を向ける、辻村真平(つじむらしんぺい)の顔もちゃっかり盗み見してしまった。

 彼の顔を見た瞬間、智美の心臓がドキンと飛び跳ねる。

 

「怒られちゃったね」

 晃一はのんびりした声でからかうように呟いた。

「青山さんのせいですからね!」

 智美は片付けが終わると勢いよく立ち上がって、それから乱暴な仕草で椅子を机に叩きつけるようにしまった。

 

「お疲れ〜」

 

 ムッとして立ち去る彼女に向かって、晃一は最後までにこやかに笑っていた。

 

「…お先に失礼します」

 智美は罰が悪くなって小声で返事を返した。

 先輩に向かってとった自分の態度に、後ろめたさを感じながら。

 

 

 

 

 

『行きましょう!』

 

 智美は、今朝弾みのように叫んだ言葉を思い出していた。

『あ、ああ…』

 彼女の勢いに押されるように返事をくれた真平。

 どんな状況だろうと、答えはイエスだ。智美の顔は自然とにやけてくる。

 面食らったような顔をしていた真平。だけど、その顔は迷惑がったりはしていなかった。

 彼の見せた小さな表情の欠片から、彼女は真平の心情を推し量る。だけど、智美にはよく分からない。彼は眼鏡をしているから表情が隠れがちなのだ。

 でも、これだけは言えるだろう。

 

 彼は、彼女を嫌っていない。

 

 嫌いな人とは、いくら何でも一緒に出掛けたりはしないだろうから。

 今の彼女にはそれで充分だった。

 

 

 真平と待ち合わせをしたのは、駅の改札口である。智美が彼と偶然出会った場所だ。

 彼女は一旦家に帰り、電車で駅まで出て行くことにした。

彼と同じ電車で駅まで向かうのもいいが、真平はすぐには会社を出れないだろう。

 必然的に駅には別々に行くことになった。

 

 でも、逆にそれがいい。

 

 だって、デートみたいではないか…?

 

 智美は家で着替えたお気に入りのワンピース姿で、彼が現れるのをドキドキしながら待つ。

 

(ああ、緊張する……)

 彼女の手は、うっすら汗ばんでいた。

 

 それから、どのくらい待っただろうか?

 

 

「春名さん! 後免、遅くなって」

 

 彼女に向かって走って来る彼の姿が見えた。



 彼は智美の前に立つと腰を曲げて荒い息を吐く。

「本当に後免、…帰ろうとしたら…課長に捕まって…」

 ハアハアと苦しそうな息づかいが聞こえた。

「…随分、待った?」

 そして眼鏡を取ると、額から落ちる汗をハンカチで拭き取りながら智美に笑いかけてきた。

「いいえ、全然」

 やばい…、笑顔をまともに見てしまったかも。

 智美は赤くなる頬を必死で隠そうとする。

 だが、眼鏡を外した真平は、彼女の微妙に変化した顔色など、全く気づかないで遅れた理由の説明を続けていた。

「もう少しで残業になるとこだったよ…」

「えっ、大丈夫だったんですか?」

 智美は課長の嫌味な顔を思い浮かべた。あの課長があっさり解放してくれるとは、到底思えないが…。

「ああ、青山が…」

 そこまで言うと、真平は何故か口をつぐむ。

「えっ、青山さん?」

 しかし、彼女のびっくりしたような声に我に返ったのか、話を再開した。

「あ、うん。青山が代わってくれたんだ。…だから大丈夫」

「そうだったんですか…」

 青山さんの世話焼きも役に立つことがあるんだ、と智美は大変失礼なことを考えて笑った。

 その時…、

「後免…」

 真平の小さな呟きが聞こえて彼女は振り向く。

「辻村さん、何か?」

「いや、何でもない。それより腹が空かないか? 甘いものもいいけど今夜はメシにしよう?」

「え? でも…」

 智美は真平の突然の提案に戸惑った。

 彼は微かな笑みを口元に湛えて明るい声を出して彼女を誘う。

 

「今夜は僕が奢るよ。ケーキは今度、ご馳走になるから」

 

 真平の強引さに、結局智美は負けてしまった。




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