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『孤児院の十歳が銀貨三枚を稼ぎに来た結果、教会の不正会計が丸裸になった』 ~悪くなかった、の一言で三年分が溶けた話~ ep-8

掲載日:2026/04/29

数ある作品の中から見つけてくださりありがとうございます!

本作は【異世界定食】〜とんかつ屋「揚太郎」に集う、ワケありな人々〜シリーズ読み切りです。

 銀貨三枚。孤児院の子供が一人で稼げる金額じゃない。だからハンスは、稼ぎに行くことにした。

 十歳の判断力で考えた結果がそれだった。

 孤児院の院長シスター・マルガレーテは、今朝から頭を抱えている。


 理由は二つだ。

 一つ目。先週から子供たちの間で噂が広まっている。


「路地裏にすごい飯屋がある」


「黄金色の肉が、銀貨三枚で食べられるらしい」


「食べた大人が全員泣くらしい」


 二つ目。今月も孤児院の食費が足りない。

 王都教会から孤児院への賜付金は、毎月金貨二枚と決まっている。だが実際に届くのは、いつも銀貨八枚だ。

 そして今朝、ハンスが言った。


「稼いでくる」

 シスター・マルガレーテが止める間もなく、ハンスは走り去った。


 ◇


 揚太郎の店の暖簾の前で、ハンスは立ち止まった。

 路地裏は薄暗い。暖簾の奥から、信じられない匂いがしている。

 腹が、盛大に鳴った。

 暖簾をくぐった。


 カウンターの端に、地味な事務服の令嬢が書類を広げながら定食を食べていた。几帳面な手つきで、箸を置くたびに手帳に何かを書き込んでいる。数字を見る目だ、とハンスは思った。

 カウンターの奥で、男が振り向かずに言った。


「いらっしゃい。ロースかつ定食だけです」


「あの」


「なんだ」


「お金がないんですけど、働いたら食べさせてもらえますか」

 沈黙。

 揚太郎が振り向いた。

 十歳の子供が、背筋を伸ばして立っている。目が真剣だ。


「何ができる」


「なんでもします」


「皿洗いは?」


「できます」


「床掃除は?」


「できます」


「重い荷物運びは?」


「……できます、たぶん」


「たぶん、はいらない」


「できます」


 揚太郎は三秒、ハンスを見た。

「名前は」


「ハンスです。孤児院から来ました」


「何歳だ」


「十歳です」


「銀貨三枚分働けるか」


「働けます」

 揚太郎は布巾を一枚、カウンターに置いた。


「まず皿を洗え。終わったら飯を出す」

 ハンスの目が、輝いた。


「はいっ」


 ◇


 問題が発生したのは、五分後だった。

 ガシャン。

「……す、すみませんっ」

 皿が一枚、床に落ちていた。

 割れていなかった。

 揚太郎が覗いた。


「怪我は?」


「ないです」


「拾え」


「はいっ」

 ハンスが皿を拾おうとして、桶を蹴った。

 ザバァッ。

 洗い水が床に広がった。

「……す、すみませんっ」


 揚太郎が無言で雑巾を投げた。

「拭け」


「はいっ」

 ハンスが雑巾で床を拭きながら、涙目になっていた。

 泣くな、と思った。泣いたら負けだ。銀貨三枚分、絶対に働くと決めた。

 そのとき、店の奥から声がした。


「あら、お客さんですか?」

 リーネだ。

 仕込みの途中で顔を出したリーネが、床を拭いているハンスを見て、目を丸くした。


「子供!? かわいい! 何してるんですか!?」


「皿洗いしてます」


「えっ、お手伝いさんですか!?」


「銀貨三枚分働いたら、とんかつを食べさせてもらえることになりました」


 リーネの目が、みるみる潤んだ。

「えらい……! すごくえらい……!」


「リーネ、仕込みを続けろ」と揚太郎が言った。


「でもお兄さん、この子えらいじゃないですか!」


「仕込みを続けろ」


「はいっ……でもえらい……」

 リーネが厨房に戻りながら、何度もハンスを振り返った。

 アル爺が奥から顔を出した。


「なんだ、子供か」


「孤児院から来ました。働いてます」


「ほう」


 アル爺はハンスの手元を一瞥した。

「雑巾の絞り方が甘い。こうやるんだ」


 アル爺が雑巾を受け取り、力強く絞った。水がバシャバシャと流れた。

「見たか」


「はいっ」


「やってみろ」


 ハンスが絞った。水が少し出た。

「まだ甘い。もう一回」


「はいっ」


 揚太郎が厨房から言った。

「爺さん、仕込みを続けろ」


「教育も仕込みのうちだ」


「違う」


「似たようなもんだ」


 ◇


 昼時になった。

 客が来始めた。

 ハンスは皿洗いを終えて、床を掃いていた。

 揚太郎が肉を揚げ始めた。


 ジュワァァァ……バチバチバチッ。

 匂いが、店中に広がった。

 ハンスの手が、止まった。

 腹が、また盛大に鳴った。

 今度は客にも聞こえた。

 客がハンスを見た。

 ハンスは真っ赤になって、猛烈に箒を動かした。

 客が笑った。

 カウンターの端でシルヴィアが、手帳から目を上げてハンスを見た。

 一瞬だけ。

 それからまた手帳に視線を戻した。


 その頃、店の外から声がした。

「ハンス! ハンス、いるか!?」


 暖簾をがばっと開けたのは、孤児院の子供が三人だった。

 七歳のグレタ、八歳のペーター、九歳のマックスだ。


「ハンス、シスターが心配してた! どこ行ったんだって!」


「ここで働いてる」


「働いてる!?」

 三人が店内を見回した。

 匂いが、三人の鼻を直撃した。

 三人の腹が、同時に鳴った。

 客がまた笑った。


 揚太郎が振り向いた。

「何人だ」


「え?」


「お前の仲間、何人いる」

 ハンスは固まった。

「……四人、今日来てるのは」


「孤児院に何人いる」


「……十二人です」

 揚太郎は鍋を火から下ろした。

「全員呼んでこい」


「え?」


「全員来い。飯を出す」


 ハンスの目が、見開かれた。

「……で、でも、銀貨三枚、十二人分は——」


「今日は別の話だ」

 揚太郎は布巾で手を拭いた。


「お前は今日、銀貨三枚分以上働いた。皿洗いと床掃除と、洗い水をこぼしてちゃんと拭いた。全部仕事だ」


 ハンスの喉が、ぐっと鳴った。


「……ありがとう、ございます」


「礼はいい。仲間を呼んでこい」


 ◇


 三十分後。

 揚太郎の店に、十二人の子供が並んでいた。

 カウンターには座りきれないので、外にも椅子を並べた。

 アル爺が「なんだこの騒ぎは」と言いながら、蒸籠の手を止めなかった。

 リーネが「わあわあ」と言いながら、味噌汁の碗を十二個並べた。

 途中で碗が足りなくなって、リーネが「お兄さん碗がないです」と言い、揚太郎が「棚の一番上」と言い、リーネが「届かないです」と言い、アル爺が「どけ」と言って取った。


 揚太郎は無言で、十二枚のとんかつを揚げ続けた。

 ジュワァァァ……バチバチバチッ。

 ドォン、ドォン。

 重低音が路地裏に響いた。


 子供たちが、揚げ物の匂いに圧倒されて黙っている。

 皿が、一枚ずつ出てきた。

 黄金色の衣。湯気。白い米。味噌汁。

 七歳のグレタが、一口食べた瞬間、固まった。


「……おいしい」

 それだけ言って、泣き始めた。

 隣のペーターが「なんで泣くんだよ」と言いながら、自分も泣いていた。

 マックスが「泣くなよ」と言いながら、盛大に鼻をすすった。

 十二人全員が、泣きながら食べていた。

 ハンスだけが、泣かなかった。

 泣くと負けだと思っていたから。

 だが目の奥が、じわりと熱くなった。

 カウンターの端で、シルヴィアが静かに手帳を閉じた。


 ◇


 その夜。

 シスター・マルガレーテが、揚太郎の店の暖簾をくぐった。


「子供たちが大変お世話になったようで。銀貨を——」


「要りません」


「ですが——」


「ハンスが今日、銀貨三枚分働きました。それで清算済みです」

 シスター・マルガレーテは、しばらく揚太郎を見た。

 それから、目を伏せた。


「……ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」

 声が、少し掠れた。

 揚太郎は何も言わなかった。

 シスターが帰り際、振り返った。


「あの子は、今日初めて泣きました。孤児院に来て三年間、一度も泣かなかったのに」


「……そうか」


「ハンスの両親は、二年前に流行り病で亡くなりました。あの子はそれ以来、泣くことを自分に許していなかったんです」


 揚太郎は鍋に出汁を足した。

 ぐつぐつという音だけがした。


 シスターが出口に向かいかけたとき、カウンターの端から声がした。

「少しよろしいですか」

 シルヴィアだった。

 まだいたのか、とシスターが驚いた顔をした。


「先ほどから気になっていたのですが」

 シルヴィアは手帳を開いた。


「孤児院への王都教会からの賜付金、毎月いくら届いていますか」

 シスターの顔が、一瞬強張った。


「……銀貨、八枚です」


「規定では金貨二枚のはずです。差額の銀貨十二枚、どこへ消えているかご存知ですか」

 シスターが黙った。


「……わかっては、いるのですが、教会に対して何も言える立場では」


「わかりました」

 シルヴィアは手帳に何かを書き込んだ。


「正式な調査が必要ですね。賜付金の支出記録と、孤児院への着金記録、両方を照合すれば差額の流れが特定できます。教会の会計記録は公文書ですので、開示請求が可能です」


「そ、そんなことができるのですか」


「私の本業です」

 シルヴィアは眼鏡を押し上げた。


「一週間ほどお時間をください。調査と書類の準備が整い次第、ご連絡します」

 シスターの目が、潤んだ。


「……どうして、こんなに」


「業務効率化です。子供たちが銀貨三枚のために働かなくて済む社会の方が、私の手帳の仕事も減ります」

 揚太郎が鍋を火から下ろす音がした。

 シスターが深々と頭を下げて、店を出た。


 ◇


 一週間後。

 王都教会の会計担当司祭、フリードリヒ神父が執務室で書類を広げていたとき、扉がノックされた。


「どうぞ」

 入ってきたのは、地味な事務服の令嬢だった。

 手には分厚い書類の束。


「フリードリヒ神父様ですね」


「そうだが、貴女は?」


「シルヴィア・ヴェルナーと申します。元王太子妃で、現在は財務コンサルタントです」


「……なんの御用かな」


 シルヴィアは書類を一枚、神父の机に置いた。

「こちらは過去五年間における、王都内孤児院十三施設への賜付金支出記録と、各施設への実際の着金記録の照合表です」


 神父の顔が、少し強張った。


「差額の総計は、金貨三百八十二枚と銀貨六枚です」


「……それは」


「神父様の個人口座への入金記録とも照合済みです。こちらが証拠書類の写しになります」


 書類をもう一枚、置いた。

「王都教区の監査委員会への報告書は、明朝提出します。その前に神父様から自主申告していただければ、手続きが簡略化できますが、いかがですか」


 神父の額に、汗が浮いた。

「き、君は一体——」


「元王太子妃と申し上げました」

 ここに一行足します。


「き、君は一体——」


「元王太子妃と申し上げました」


「……そんな方が、なぜこのような案件に」


「孤児院の子供が、銀貨三枚を稼ぎに路地裏へ行ったからです」


 神父が黙った。


「それだけです」


「……わ、わかった。自主申告する」


「ありがとうございます。では署名をこちらにお願いします」

 書類を三枚、静かに差し出した。


「なお、今後の賜付金は各施設への直接振込に変更します。手続き書類はこちらです」


「……それも持ってきたのか」


「当然です。解決と同時に再発防止まで済ませるのが私の流儀ですので」


 ◇


 翌週。

 孤児院に、初めて金貨二枚が届いた。

 シスター・マルガレーテは封筒を開けたまま、しばらく動けなかった。

 その夜、シスターは子供たちに言った。


「今月は少しだけ、いいものが食べられます」

 子供たちが歓声を上げた。

 ハンスだけが静かに言った。


「シスター、揚太郎の店に行っていいですか」


「もちろんです」


「銀貨三枚、今度は自分で払います」

 シスターは微笑んだ。

「来週からハンスが仕込みを覚えに来ます、と店主さんに言われています。その時に払えばいいですよ」

 ハンスの目が、少しだけ丸くなった。


「……覚えに来ていいって言ってくれたんですか」


「ええ」

 ハンスは窓の外を見た。

 路地裏の方角だ。


「……行きます」

 それだけ言って、また泣きそうな顔をした。

 今度は、泣いていいと思った。


(完)


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