猫好き令嬢と侯爵子息
シャンデリアの柔らかな光が降り注ぐ小規模な夜会の広間。
四重奏の穏やかな調べが、貴族たちの談笑を心地よく包み込んでいる。
広間の中央付近で、ロンドルフ・ベイリーフはこの夜会の主催者である新興の子爵家当主と挨拶を交わしていた。
代替わりをしたばかりだという若き子爵は、緊張に額にうっすらと汗を滲ませながらも、上位貴族である侯爵家次男の来訪を精一杯もてなそうと言葉を尽くしている。
「本日は当家のささやかな夜会へお運びいただき、光栄の至りに存じます。ベイリーフ侯爵子息様」
「ご招待に感謝する。代替わりと聞いていたが、素晴らしい手腕だな。集まっている顔ぶれも興味深い」
ロンドルフはグラスを片手に、社交辞令を淀みなく返す。
だがその実、彼の意識は目の前の若い当主の言葉に半分も向いていなかった。
(ここにも『レベッカ』はいないか……)
挨拶を交わしながらも、ロンドルフの鋭い視線は広間を行き交う令嬢たちの髪の色を無意識のうちに選別していた。
金髪の令嬢。
そして、あの猫パーティーで言葉を交わした時に感じた愛情深い気配を纏う人物。
今夜もまた、その条件に合致する女性の姿は見当たらない。
若き子爵家当主は、ロンドルフの視線が上の空であることに気づいていたのだろう。
最近の社交界を席巻している「侯爵家次男の令嬢探し」の噂を耳にしているのか、彼は気分を害した様子も見せず、むしろ気を遣うようにそっと提案してきた。
「ベイリーフ侯爵子息様。よろしければ、来場の皆様ともご挨拶なさってはいかがでしょう」
子爵は広間を見渡し、控えめに手を示す。
「当家の夜会は小規模ではありますが、様々な方々が多く集まっております。見知った顔があるやもしれません」
その言葉の裏にある深い配慮。
ロンドルフはハッとして子爵の顔を見た。
探している令嬢がいるのなら、自由に動いてくださいというメッセージだ。
主催者に対する己の不誠実な態度を恥じ、ロンドルフは静かに頭を下げる。
「……そうだな。お気遣いに感謝する」
彼は短く礼を述べ、内心で深く反省する。
いくら探し人がいるとはいえ、夜会の主催者に対して心ここにあらずの態度をとるなど貴族としてあるまじき失態だ。
女性嫌いで通っていた自分が、血眼になって特定の令嬢を探し回っている。
その焦りが表に出すぎて、周囲から見れば滑稽なほどに必死な男に映っているのだろうか。
これでは侯爵家の名に傷をつけるばかりか、当主である兄クロイツの顔にまで泥を塗ることになりかねない。
(少し落ち着かねばな。あまり露骨すぎる態度は慎もう)
ロンドルフは小さく息を吐き、昂る心を鎮めるようにグラスの果実水を一口飲んだ。
そう自省を促した矢先のことである。
ふと、広間の端から視界の隅に入り込んできた鮮やかな色彩が、彼の意識を強制的に引き寄せた。
(金髪……)
ロンドルフは思わず、その方向へと視線を固定してしまう。
広間の少し奥まった場所。
そこには濃紺のドレスを纏った一人の令嬢が、友人と覚しき桃色のドレスの令嬢と談笑しているようだ。
シャンデリアの光を受けてきらきらと輝く、流れるような美しい金糸の髪。
すっと通った鼻筋、氷のように澄んだ青い瞳。
感情の起伏を感じさせない、彫刻のように整った近寄りがたい美貌。
同じように周囲から冷たい顔立ちだと言われている自分がそう思うのもおかしな話だが、一見して動物好きや猫好きには見えない隙のない令嬢である。
おそらく彼女は『レベッカ』ではないだろう。
あの木陰のベンチで溢れんばかりの愛情を愛猫に注ぎ、無邪気な声でその愛らしさを語っていた女性。
その温かな人物像と、目の前に立つ氷のような令嬢の姿はどうしても結びつかなかった。
(自省しようと決意した途端に、金髪というだけで関係のない令嬢にまで目が行くとは。俺もよほど参っているらしいな)
ロンドルフは自嘲気味に口元を歪め、グラスを傾ける。
だが、視線を外すのが少し遅かった。
金髪の令嬢と桃色のドレスの令嬢が、こちらをチラチラと見ながら何やら小声で談笑していたかと思うと、揃ってこちらへ向かって歩みを進めてきたのだ。
(しまった……。考え事をしながら不躾に見つめすぎてしまったか)
ロンドルフは内心で舌打ちをする。
高位貴族の男性が特定の令嬢をじっと見つめ続ける行為は、社交の場において明確な「興味のサイン」あるいは「挨拶の要求」と受け取られかねない。
彼女たちは礼儀作法に則り、目上の存在であるロンドルフに対して挨拶をせざるを得なくなってしまったのだろう。
(令嬢たちに無理やり挨拶を強要するような真似をしてしまった。申し訳ないことをしたな)
ロンドルフは再び反省しつつ、真っ直ぐに向かってくる二人を静かに迎え入れる態勢を整える。
やがて二人の令嬢はロンドルフの目の前で立ち止まり、美しい所作で優雅なカーテシーを披露した。
洗練された美しい所作である。
「お初にお目にかかります、ベイリーフ侯爵子息様。クローニア伯爵家のエリザベスと申します」
金髪の令嬢が涼やかな声で名乗る。
感情の揺れを感じさせない、透き通るような声だ。
「同じくお初にお目にかかります、ベイリーフ侯爵子息様。フィレンツィア伯爵家のアリアと申します。今日は良い夜ですね」
隣の桃色のドレスの令嬢が、愛想の良い笑顔を浮かべて言葉を添える。
クローニア家とフィレンツィア家。
どちらも王都で名を知られる由緒正しき伯爵家である。
「ああ、良い夜だな。ベイリーフ侯爵家次男のロンドルフだ」
ロンドルフもまたグラスを軽く掲げて名乗りを返す。
そして、先ほどの己の非礼を素直に詫びることにした。
「その、すまない。クローニア伯爵令嬢の金髪が見事だったので、つい見入ってしまっていた」
自分の非礼を率直に詫びつつ、相手の美点を褒めることで場を取り繕う。
無難な言い訳ではあるが、彼女の髪が美しいというのは紛れもない本心だ。
エリザベスは少しだけ驚いたように瞬きをし、やがて柔らかな笑みを浮かべた。
「まあ、ありがとうございます。私も髪が自慢ですので、嬉しく思いますわ」
冷たい印象だった彼女の顔が、笑うとふわりと花が咲いたように華やぐ。
その落差にロンドルフは少しだけ目を奪われる。
(……笑うとイメージが変わって愛らしいんだな)
しかし、これ以上彼女たちの時間を奪うのは本意ではない。
ひとまずロンドルフは、当たり障りのない世間話をして早々にこの場を切り上げようと考えた。
「お二人は幼い頃からのご友人かな? 息が合っているように見受けられる」
「ええ、領地が隣同士でして、昔からよく一緒に……」
アリアが楽しげに答えようとした、その時。
ロンドルフの視線が、ふとエリザベスの濃紺のドレスの胸元に留まった。
「……ん?」
ロンドルフは思わず眉をひそめ、その一点を凝視してしまう。
そこには、銀細工で作られた小さなアクセサリーが飾られていた。
「そのアクセサリーは……」
ロンドルフは思わず問いかける。
しなやかな曲線を活かしたシルエット。
サファイアの小さな宝石がはめ込まれた瞳。
それは間違いなく「猫」をモチーフにしたブローチだ。
それも、ただの猫のデザインではない。
耳の形や尻尾のカーブ、整った毛並みを思わせる銀の磨き分けの意匠。
どうにも造形に強烈な既視感がある。
(そう、あの時に『レベッカ』が大事そうに抱えていた、あの愛らしい雑種の猫に……どことなく似ているような)
ロンドルフの心臓がドクリと大きく脈打つ。
金髪の令嬢。
そして、あの猫によく似たブローチ。
偶然にしては、あまりにも出来すぎているのではないか。
突然ブローチに注目されたエリザベスは自身の胸元に手を当てた。
「ああ、こちらですか」
「ええ、とても精巧な作りで美しい猫の姿ですね」
ロンドルフは平静を装いながら、言葉の端々に探りを入れる。
だが、エリザベスが口を開くよりも早く、隣のアリアが嬉しそうに胸を張って言葉を繋いだ。
「私たち、昔からの幼馴染でして。一緒の夜会に出るときは、こうして揃いのアクセサリーを付けて夜会に出ようという約束をしているのです」
アリアが自身の桃色のドレスの胸元を指し示す。
見れば、彼女の胸にもエリザベスと全く同じ、あの猫のブローチが輝いていた。
エリザベスもまた、アリアの言葉に微笑みながら同意する。
「とてもお気に入りなんですよ。このデザイン、本当に可愛らしいでしょう?」
「そうでしたか。お二人にとてもお似合いだ」
ロンドルフは静かに相槌を打ちながら、自身の胸の内で急速に冷えていく期待の炎を感じていた。
(なんだ、そういうことか)
二人が揃いで着けている友情の証。
おそらくはフィレンツィア伯爵令嬢のアリアが、あるいは二人が街の宝飾店で偶然見つけた既製品のアクセサリーなのだろう。
(フィレンツィア伯爵令嬢の趣味、あるいは二人の共通の趣味なわけか。猫のアクセサリーなんて王都の店を探せばいくらでもよくあるものだしな。あの猫に似ていると感じたのも、俺の勝手な思い込みと偶然の重なりか)
ロンドルフは心の中で己の早合点を嘲笑する。
社交シーズン中に急いで探し出さねばならないという焦りがあるとはいえ。
金髪を見ただけで、あるいはありふれた猫のアクセサリーを見ただけで、なんでもかんでも『レベッカ』に繋げて考えるのは良くない傾向だ。
冷静な判断力を失っている証拠である。
「貴重なお時間をいただいてしまった。お二人の友情がこれからも末長く続くことを祈っているよ。それでは歓談の邪魔をしては悪いので、俺はこれで」
ロンドルフは優雅な一礼を残し、二人の令嬢の元から離れた。
「ええ、またお会いできますことを。ごきげんよう、ベイリーフ侯爵子息様」
エリザベスとアリアの涼やかな声に見送られながら、ロンドルフは広間の端へと歩みを進める。
(少し、頭を冷やすか)
これ以上この熱気と香水が入り混じる広間にいても、空回りを続けるだけだ。
焦りは禁物である。
ロンドルフは広間を巡回していた子爵の元へ歩み寄り、「少し夜風に当たってくる」と一言断りを入れた。
子爵は快く頷き、バルコニーへと続くガラス扉を開けてくれる。
冷たい夜風が火照った頬を撫でていく。
ロンドルフは一人、静かなバルコニーの手すりに寄りかかり、見上げる夜空に浮かぶ月を見つめながら、長いため息を吐くのであった――。
このギリギリのラインですれ違う感




