猫好き令嬢と熱い猫語り
中庭の喧騒から逃れるようにして、エリザベスはレベッカを胸に抱いたまま静かな木陰を目指す。
手には白身魚のテリーヌと鶏肉のパテが乗った小さな銀の皿を持っている。
色とりどりの花が咲き乱れる庭園の隅。
枝葉が日差しを遮る大きな樫の木の下に、白い石造りのベンチがひっそりと置かれていた。
「レベッカちゃん、ここでおやつにしましょうね」
エリザベスが優しく語りかけながらベンチへと近づく。
だがそこには既に一人の先客の姿があった。
仕立ての良いダークネイビーのフロックコートに身を包んだ、長身の若い男性だ。
顔の上半分は黒を基調とした鋭角的なデザインの仮面で覆われているため、素顔を窺い知ることはできない。
仮面の隙間から覗く切れ長の瞳は、どこか近寄りがたい鋭い光を放っているように見えた。
男性はベンチの端に腰を下ろし、華やかな談笑が交わされる中庭の中心を静かに眺めている。
その膝元にも足元にも、猫の姿はない。
(あら、愛猫家の集まりなのにご自身の猫ちゃんを連れていらっしゃらないのかしら)
エリザベスは少しだけ不思議に思った。
だが猫は気まぐれな動物である。
きっと見知らぬ場所に興奮して、中庭のどこかで蝶でも追いかけて遊んでいるのか、花壇の隅で昼寝でもしているのだろう。
そう納得し、エリザベスは会釈をしてベンチの反対側に腰を下ろした。
「にゃあ」
腕の中から解放されたレベッカが、ベンチの上をトコトコと歩き回る。
エリザベスは横に置いた銀の小皿をそっとレベッカの鼻先に差し出した。
美味しい魚と肉の匂いを嗅ぎつけたレベッカは、嬉しそうに喉をゴロゴロと鳴らす。
そして小さな舌を出して、上品におやつを食べ始めた。
ペチャ、ペチャ、という可愛らしい咀嚼音が木陰に響く。
美味しそうに食事に夢中になるその愛らしい姿にエリザベスの心は溶けそうになる。
その姿を間近で見下ろしながら、エリザベスは内心で盛大に身悶えしていた。
(ああん、もう! ごはん食べてるレベッカちゃん、きゃわゆい! お耳がぴくぴく動いてるのも、小さなお口でもぐもぐしてるのも、全部がきゃわゆい! 天使! うちのレベッカちゃんは地上に舞い降りた天使だわ!)
本当なら今すぐレベッカに向かって「美味しいでちゅか~?」と赤ちゃん言葉で語り掛け、頭を撫で回したいところだ。
だが今は公の場であり、すぐ隣には見知らぬ殿方が座っている。
令嬢としての矜持を保つため、エリザベスは必死に顔の筋肉を制御して涼しげな微笑みを浮かべるに留めた。
(こんなに可愛いのに、血統書がないってだけで見向きもされないなんて、本当にこのパーティーの参加者たちは見る目がないわね)
エリザベスが心の中で周囲の貴族たちへ不満を募らせていると。
不意に横から、微かな視線を感じた。
見ると、ベンチの端に座っていた先客の男性が、おやつを食べるレベッカの姿をじっと見つめているのだ。
鋭く見えた仮面の奥の瞳が、今はとろけるように優しく細められている。
口元も心なしか、柔らかく綻んでいるように見えた。
そして男性は誰に言うともなく、ただ思わずといった風にぽつりと呟いた。
「……可愛いな」
飾らない本心からの感嘆。
エリザベスはそれを聞いた瞬間、心の中で「わかるわ!」という歓喜のファンファーレが鳴り響いた。
「ええ、とても可愛いですよね!」
エリザベスは思わず身を乗り出し、男性に向かって弾むような声で反応してしまった。
男性は不意に声をかけられたことにハッとし、仮面の奥で目を瞬かせる。
そして慌てたように居住まいを正し、少しだけ身を引いた。
「あ、いえ。すみません。あまりにも愛らしい猫だったので、思わず口をついて出てしまった」
「まあ。何か問題がありますの? うちの子は可愛いでしょう?」
男性が少し気まずそうに弁解するが、エリザベスは誇らしげに胸を張ってレベッカを見下ろす。
愛する家族を褒められて腹を立てる飼い主など、この世には存在しない。
彼は少し驚いたように沈黙し、やがてレベッカから視線を外せない様子で、しみじみと同意した。
「……ええ。とても可愛らしい。毛並みも艶やかで、何より食べている時の無防備な姿がたまらない」
その言葉に、エリザベスの中にくすぶっていた猫バカの魂が点火した。
これまで血統や値段の話ばかりで溜まっていた鬱憤を晴らすかのように、彼女の口から愛猫への賛辞が滝のように溢れ出す。
「わかっていただけますか! そうなんです、この子は本当に表情豊かで可愛らしいんですの! ご飯を食べている時の幸せそうな顔も最高ですが、落ち着く時の仕草がまた格別でして! 前足をキュッと丸めて身体の下に隠して香箱座りをするんです。その姿を見ていると、日頃の疲れなんて一瞬で吹き飛んでしまいますの!」
男性は圧倒されたように目を瞠りながらも、うんうんと深く頷いている。
「わかります。猫の仕草には不思議な安らぎの力がありますからね」
「でしょう!? それにこの子はとっても賢くて、私が名前を呼ぶと、どこにいても必ず『にゃん』とお返事をして駆け寄ってきてくれるんです。おもちゃのネズミを投げれば得意げに咥えて持ってきますし、私が少し落ち込んでいる時は、そっと寄り添って頬を舐めて慰めてくれるんですよ。それに甘えん坊で、私が部屋に帰ると必ず小さな足音を立ててお出迎えに来てくれるのです。それに寝る時に無防備にお腹を見せてごろんと仰向けになることもあって。その姿がまた愛らしくて。遊ぶ時も少し不器用で、猫じゃらしを捕まえようとしてよく自分の尻尾にじゃれついて転がってしまうのですこんなに愛情深くて愛くるしい存在が、この世の他にあるでしょうか! いいえ、ありませんわ!」
息継ぎも忘れる勢いで熱弁を振るうエリザベス。
普段の冷淡な令嬢の仮面はどこへやら、今の彼女はただの重度な愛猫家でしかない。
男性はそんなエリザベスの熱量に少しだけ驚いた様子を見せたが、やがて仮面の下で柔らかく、そして心底楽しそうな笑みを浮かべた。
「それは素晴らしい。お腹を見せて眠るというのは、あなたに深い信頼を寄せている証拠ですね」
「ええ、そうですの!」
「不器用な遊び方もまた、その子ならではの愛嬌でしょう。これほど艶やかな毛並みを見れば、あなたがどれほど深い愛情を持って日々お世話をしているかがよくわかります」
男性の言葉は一つ一つが的確で、猫への理解と愛情に裏打ちされたものだった。
エリザベスは自慢の我が子を褒められ、有頂天になって頷き続ける。
猫もまた自分を褒めていることがわかるのか、男性の方を向いて短い声で鳴いた。
「……あなたのその深い愛情。お話を聞いているだけで、どれほど大切に育てていらっしゃるかが伝わってきます。本当に素晴らしいことだ」
男性の真摯な言葉に、エリザベスはハッと我に返った。
(しまっ……! 初対面の殿方の前で、はしたなく語りすぎてしまったわ……!)
エリザベスは少しだけ頬を赤く染め、咳払いをして姿勢を正す。
「……お見苦しいところをお見せしてしまいましたわね。つい、愛らしさを語るのに熱が入ってしまって」
だが、これほどまでに話が通じる相手がいることにエリザベスは深い喜びを感じていた。
そして気が緩んだのか、本来ならば見知らぬ相手に言うべきではない今回の催しへの不満が思わずぽつりと口からこぼれ落ちてしまった。
「もっと持ち寄った猫の愛くるしい仕草や、日頃のちょっとした失敗談なんかをいろんな方と語り合いたかったわ」
エリザベスは中庭の華やかな喧騒に視線を向け、小さく息を吐き出した。
華美な衣装を纏い、高価な猫を見せびらかし合う参加者たち。
そこにあるのは愛情の共有ではなく、ただのステータスの誇示でしかない。
そんな空気に彼女はすっかり疲れ果てていたのだ。
その言葉を聞いた男性は、深く同調するように力強く頷いた。
「わかります」
男性の声にはエリザベスと同じような落胆の色が滲んでいた。
「猫の可愛いところを見たくて参加したんですが、参加者の方々は猫の血統や掛けた費用を愛でるばかりで。あなたのような愛猫の話を聞く機会が無かったのを残念に思っていたのです」
男性もまたこの会場の空気に違和感を覚え、喧騒から離れてこのベンチで一人静かに過ごしていたのだろう。
彼の言葉を聞いてエリザベスは目を見張った。
「まあ!」
自分と同じ思いを抱いている人がこの会場にいたという事実。
それはエリザベスにとって思いがけない幸運であった。
エリザベスは目の前の男性に強烈な親近感を覚え、ふと先ほど令息に冷たくあしらわれたことを思い出す。
先ほどの貴族のように、真実を知って態度を変えるかもしれないという不安が微かに胸をよぎる。
「ちなみに、この子は血統書などない、普通の雑種なのですけど。そこに何か思うところはありますか?」
エリザベスは少しだけ身構えながら、試すように男性の反応を窺った。
だが男性はそんなエリザベスの不安を吹き飛ばすように、心底不思議そうな顔をして首を横に振った。
「まさか。雑種だろうと高価な血統だろうと、猫は猫です。等しく愛らしく、尊い存在に変わりはありません」
迷いのないきっぱりとした断言。
血統や値段など関係ない。
その言葉を聞いた瞬間、エリザベスの中でこの男性への好感度が跳ね上がり、嬉しさのあまり思わず身を乗り出した。
ドレスの裾が翻り、レベッカが驚いて「にゃっ」と短い声を上げる。
「全く同感だわ! あ、失礼……。少しはしたなかったですわね」
エリザベスは慌ててベンチに座り直し、興奮のあまり淑女らしからぬ大きな声を出してしまったことが恥ずかしく、慌てて口元を手で覆った。
だが男性は気分を害するどころか、嬉しそうに目を細めて首を横に振った。
「いえいえ。俺と同じ意見の方がいてくれて、本当によかった。おかげでこのパーティーに参加した甲斐がありました」
男性は楽しげに笑い、二人の間にはすっかり打ち解けた和やかな空気が流れ始める。
それからというもの、二人の会話は途切れることがなかった。
エリザベスはレベッカが初めて猫じゃらしを見た時の驚いた顔や、ブラッシングの際に見せるうっとりとした表情について語り、男性は聞き上手であったためエリザベスの言葉に適切な相槌を打ち、時折自身の知識を交えて楽しそうに話を聞いている。
男性は猫を飼っていないようだったが、猫の習性や生態については驚くほど詳しかった。
きっと猫が好きで好きでたまらないのに、何らかの事情で飼うことができないのだろう。
エリザベスはそう推測し、ますます彼に対する親しみを深めていった。
「そういえば、猫は高いところが好きだと聞きますが、あなたのご自宅でもよく家具の上に登ったりするのですか?」
「ええ、もう大変ですのよ! この間なんて書斎の背の高い棚の上に登ってしまって、降りられなくなってずっと鳴いているものだから、使用人を総動員して救出劇を繰り広げましたの」
「ははは、それはさぞ大騒ぎだったでしょうね。怪我がなくて何よりだ」
この木陰のベンチだけが、華やかなステータス自慢の会場とは切り離された愛猫家の楽園となっていた。
レベッカもおやつを食べ終え、エリザベスの膝の上で丸くなって心地よさそうに喉を鳴らしている。
楽しい時間というものは、残酷なほどに早く過ぎ去っていく。
やがて中庭の奥から、パーティーの終わりを告げる穏やかな鐘の音が響き渡った。
参加者たちが名残惜しそうに立ち上がり、出口へと向かい始める。
「あらやだ。もうこんな時間。楽しい時間というのは、過ぎるのが本当に早いものね」
エリザベスは名残惜しそうに立ち上がり、膝の上のレベッカを抱き上げる。
「ええ、本当ですね。俺も、あなたとのお話が楽しくて時間を忘れておりました」
男性もベンチから立ち上がり、優雅な所作で一礼をした。
彼にとってもこのベンチで過ごした時間は、会場の喧騒を忘れさせる特別なものであったのだろう。
「では、私はこれで失礼いたしますわ。今日は本当に楽しいひと時をありがとうございました」
エリザベスが立ち去ろうと踵を返した、その時。
「お待ちください。最後にもう一つだけ」
男性が少しだけ引き留めるような声を出した。
「お名前は?」
その問いかけに、エリザベスは一瞬だけハッとした。
そういえば出掛ける前にメイドのアニスが言っていた言葉が脳裏をよぎる。
『猫の名前を聞かれることがあるかもしれません。なにしろ猫がメインのパーティーですので』
(そうか、この方はうちの可愛い愛猫の名前を知りたがっているのね)
そういえば随分長いこと話をしていたが、ついつい愛らしさにばかり目が向いてレベッカの名前を伝え忘れていたかもしれない。
エリザベスは腕の中で眠っている愛猫の背中を優しく撫でながら、誇らしげにその名を口にした。
「そういえば伝え忘れておりましたね。レベッカといいます」
男性は仮面の下で目を細め、その名を慈しむように反芻した。
「レベッカ……。響きが良く、とても気品のある良い名ですね」
「でしょう?」
エリザベスは満面の笑みを咲かせた。
出会ったあの日、震える小さな命に彼女自身が悩み抜いて授けた大切な名前だ。
それを褒められて嬉しくないはずがない。
「ええ。とてもよく似合っている」
「ふふ、ありがとうございます。それでは、ごきげんよう」
エリザベスは眠るレベッカをそっと抱き上げ、男性に向かって優雅に一礼した。
男性もまた深く頭を下げて彼女を見送る。
こうして心地よい余韻を胸に抱きながら、エリザベスとレベッカはベイリーフ侯爵邸を後にした。
エリザベスは帰りの馬車に揺られ、窓の外を流れる王都の景色を眺めながら、膝の上にいるレベッカの柔らかな頭を指先で優しく撫でる。
「他の猫ちゃんたちと遊ぶ機会が無かったのは少し残念だったけど……でも、猫の可愛さを本当にわかってくれる良い人もいたし、今日はとっても楽しい一日だったわね。レベッカちゃん」
「にゃーん」
馬車に揺られて目を覚ましたレベッカが心地よさそうに目を細め、エリザベスの手の中で喉をゴロゴロと鳴らす。
仮面越しの短い交流。
名前も顔も知らない相手だったが、エリザベスにとって王都での素晴らしい思い出の一つとなったことは間違いない。
彼女は上機嫌で、クローニア家のタウンハウスへと帰っていくのであった。
◆◆◆◆
一方、猫パーティーの会場となったベイリーフ侯爵家。
招待客たちが全て帰路につき、静けさを取り戻した本邸の一室。
重厚な執務机に向かって書類に目を通していた若い男が、扉を開けて入ってきた人物に声をかけた。
「ロンドルフ。今日の猫パーティーはどうだった? 今回は各家から、色々な猫が集まっていただろう」
ロンドルフと呼ばれた長身の男性。
彼は先ほど中庭のベンチでエリザベスと話し込んでいたダークネイビーのコートの男だ。
彼は顔の上半分を覆っていた仮面をゆっくりと外しながら、執務机の方へと顔を向けた。
「兄上」
彼が兄上と呼んだ若い男はベイリーフ侯爵家の跡目を継いだばかりの若き当主にして長男のクロイツ。
そして仮面を外した男性こそはベイリーフ侯爵家の次男であり、クロイツの実の弟ロンドルフであった。
仮面の下から現れた素顔は、鋭く整った目鼻立ちを持つ冷ややかな美貌の青年。
その表情はどこか近寄りがたい鋭さを帯びており、不用意に近づけば切り裂かれそうな雰囲気を纏っている。
ロンドルフは仮面をサイドテーブルに置き、少しだけ口元を緩めた。
「おかげさまで、心癒される素晴らしいひと時でしたよ」
「それはよかった。お前が楽しめたのなら主催した甲斐があったというものだ」
クロイツは書類から目を離し、弟の顔を見て苦笑を漏らす。
「まったく、可愛いものが好きなのは悪いことではないぞ。自分の家が主催するパーティーで、わざわざ素性を隠してコソコソと参加するような真似はしなくとも良いだろうに」
そう、この冷徹な容貌を持つ侯爵家の次男ロンドルフは、無類の「可愛いもの好き」であった。
ロンドルフは幼い頃から小動物や愛らしいものを好む気質を持っていた。
特に小さくてふわふわとした動物、中でも猫に対する愛情は大変なもので、街角でも野良猫を見かければ時間を忘れて見とれてしまうほどだ。
だが、彼は自身のその嗜好を周囲にひた隠しにしていた。
「俺にも貴族としての体面というものがありますので」
ロンドルフは表情を引き締め、真剣な声で答える。
「俺のように冷たく威圧的な容貌の男が、猫を見てデレデレと顔を崩していると知られれば社交界でどのような噂が立つか。不用意な隙を見せれば、下手したら当主を継いだばかりの兄上を攻撃する材料にされるかもしれませんからね」
「お前は少し周りの目を気にしすぎで考えすぎだと思うがな……。とはいえ、お前のその真面目さは長所でもある。まあ、私への心遣いはありがたく受け取っておこう」
クロイツは肩をすくめ、弟の不器用な優しさに微笑んだ。
「ところで、兄上」
ロンドルフが少しだけ居住まいを正し、改まった声で切り出した。
「今回招待された令嬢たちの名前をリストで確認することはできますか」
「ん? それはもちろん主催者だから名簿はあるが……」
クロイツは不思議そうに弟の顔を見つめ、やがてニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「まさか、お前のお眼鏡に適うような良い令嬢でもいたか?」
弟は日頃から身分や家柄の自慢ばかりをする令嬢たちを毛嫌いしており、夜会や茶会などの社交の場には滅多に顔を出さない男だ。
そんな彼が自ら女性の名を知りたがるなど前代未聞の出来事である。
それゆえに思わずからかうようなクロイツの言葉に対し、ロンドルフは照れることもなく、大真面目な顔で深く頷いた。
「ええ。とても熱心に猫に愛情を注ぐ、素晴らしい女性に出会いました」
ロンドルフの脳裏に、木陰のベンチで愛猫の魅力を熱弁していた金髪の令嬢の姿が蘇る。
高価な血統など気にも留めず、拾ったという雑種の猫を心の底から愛おしそうに撫でていた彼女。
猫の寝顔や仕草を語る時の、仮面越しでもわかる柔らかな笑顔。
そして、自分と同じ価値観を共有できた時の嬉しそうな声。
命そのものを尊ぶ彼女の真っ直ぐな言葉は、ロンドルフの心を強く惹きつけていた。
「一度、仮面を取った素顔の彼女に、きちんとお会いしてみたいと心から思っております」
「なんと。あのお堅いお前が本当に気に入った女性を見つけるとは。……わかった、後で招待客のリストを渡そう」
想像以上に真剣な返答にクロイツは驚きのあまり声を上げたが、すぐに当主としての顔に戻り鷹揚に頷いた。
「しかし、身分や家柄の自慢話ばかりする女性が嫌だと、普段は夜会にもあまり顔を出さないお前がなあ。そんなお前を射止めたのは一体どこのなんという令嬢なんだ?」
クロイツの興味津々な問いかけにロンドルフは少しだけ誇らしげに、そして慈しむような声で答えた。
「『レベッカ』という名前の女性です」
「レベッカ……?」
クロイツは記憶を探るように視線を宙に泳がせた。
招待客のリストは事前に全て目を通している。
「……そのような名前の令嬢が、今日の招待客の中にいたかな……?」
クロイツが首を捻るのも当然である。
招待状を送った令嬢のリストの中に、レベッカという名前の女性は存在しないのだから。
そう。
ロンドルフは別れ際に令嬢自身の名前を聞いたつもりであった。
だが、エリザベスの方は「猫を口実に言い寄ることは禁止されている」「猫の名前を聞かれることがある」というアニスの事前の情報によって、彼が尋ねてきたのは愛猫の名前だと思い込んでいたのだ。
互いの誠実さとルールの解釈の違いが生んだ、奇妙な勘違い。
こうして、冷徹な容貌に隠された熱い猫愛を持つ侯爵家次男ロンドルフは、愛しの令嬢エリザベスの名を『レベッカ』だと勘違いしたまま、彼女の行方を捜し求めることになるのであった――。
作者は飼ってる犬の名前を作者の名前に間違われたことがあります。
犬の名前が人名だったので。




