猫好き令嬢と事件解決
薄暗い路地に突然現れたロンドルフと侯爵家の騎士たち。
その予想外の事態に、木箱を担いで逃げようとしていた男たちは狼狽していた。
先頭の男が虚勢を張って怒鳴り声を上げる。
「な、なんだァてめえは!」
「それはこちらの台詞だな」
彼の視線が男たちの身なりを値踏みし、次いで彼らが担いでいる不自然なほど大きな木箱へと向けられた。
「その粗野な身なりからして、この辺りの住人ではないな。加えてその不自然な木箱……随分と大きい荷物ではないか。中身は何だ?」
ロンドルフの問いに男たちは顔を見合わせて一歩後ずさる。
そのやり取りは、木箱の中に閉じ込められているエリザベスの耳にもしっかりと届いていた。
(ロンドルフ様!)
エリザベスは心の中で歓喜の声を上げる。
彼が助けに来てくれたのだ。
猿轡を噛まされて声は出せないが、どうにかして中に自分がいることを伝えなければならない。
彼女は隣に押し込まれているアニスに目配せをし、二人で示し合わせて木箱の内側から何度も縛られた身体を思い切り木箱の内壁へと打ち付けたのだ。
木箱が内側から激しく揺れ、鈍い音を立てる。
「うお、くそ! 大人しくしろ!」
「ほう。木箱が中から自発的に揺れ動くとは奇怪だな。中身は生き物か?」
ロンドルフが皮肉交じりに問い詰めると、男は冷や汗を流しながら引きつった愛想笑いを浮かべた。
「いやあ、へへへ……これはちょっとした生き物を運んでるだけでしてね……」
「――改めさせてもらう」
ロンドルフは男の言い訳を切り捨てて一歩前へと踏み出すと、追い詰められた男の目に凶悪な光が宿った。
「うるせえ!」
先頭の男が懐から鋭いナイフを取り出し、なりふり構わずロンドルフへと斬りかかった。
銀色の刃が空気を切り裂いてロンドルフの顔を掠め、微かな音がして彼の整った頬に一筋の浅い赤い線が引かれた。
「ロンドルフ様!」
「何をしている! 木箱を担いだ者たちを捕らえろ!」
ロンドルフは自身の頬の傷など意に介さず、背後の騎士たちへ鋭く指示を飛ばす。
「は、はい!」
騎士たちが一斉に動き出し、木箱を担いでいる二人の男へと向かって駆け出した。
ロンドルフの頬に傷をつけた男は相手が全く怯んでいないことに焦り、再びナイフを突き出そうとする。
だが、ロンドルフは冷静にその刃の軌道を見切り、最小限の動きで軽々と躱す。
「取るに足らんな」
ロンドルフは呟くと同時に男のナイフを持つ手首を捉えて強く捻り上げた。
そして男の体勢を崩してそのまま地面へと容赦なく押さえつけ、関節を極められた男が苦痛の悲鳴を上げる。
「ぐあっ!」
「俺とて護身術程度は心得ている。貴族を甘く見るな」
「く、くそぉ!」
地に伏せた男が悔しげに毒づく。
一方、木箱を担いでいた残りの二人の男は侯爵家の精鋭騎士たちに追われ、逃亡を余儀なくされていた。
「どうすんだ!? 荷馬車にのんびり乗せて逃げるとかできねえぞ!」
「こうなったら一度大きく迂回して撒いた後に、戻って来るしか……」
男たちは木箱を担いだまま焦燥に駆られ、大通りの中で逃げ道を探して右往左往する。
彼らが重い木箱を抱えて焦燥に駆られていると。
「少しは頭が回るようだが、まだ甘い。ここをどこだと思っている?」
声とともに男たちの目に飛び込んできたのは、彼らの進路を塞ぐようにして整列した何十人もの王都の衛兵たちの姿。
金属製の鎧がぶつかり合う重々しい音が大通りに響き渡る。
「な、なんだ!?」
木箱を担ぐ男たちが衛兵たちに姿に思わず声を上げる。
完全に包囲されてしまった。
ロンドルフが押さえつけていた男も、すぐに駆けつけた衛兵の手によって後ろ手に縛り上げられていく。
「兄上!」
ロンドルフが衛兵たちを率いて現れた人物に向けて声をかけた。
そこに立っていたのは、ベイリーフ侯爵家当主クロイツである。
「いかんぞロンドルフ。騎士数名では威圧が足りん」
クロイツは弟をたしなめるように、ゆっくりと歩み寄りながら語る。
「少しでも隙を見せれば小悪党は逃げ道を探して足掻こうとする。こういう時には数で圧倒して戦意を削ぐのが良い。それに我が家の騎士だけではなく、王都の治安を守る衛兵にもしっかりと仕事をさせてやらねばな」
彼の言葉通りに男たちは周囲を厚い人の壁に塞がれて足が止まり、顔を青ざめさせている。
「観念しろ。そしてどうやってこの警備の厳しい区画へ忍び込んだか、後でたっぷりと吐いてもらう」
クロイツが宣告を下す。
これで事件は無事に解決するかと思われた。
しかし窮鼠猫を噛む。
追い詰められた鼠、追い詰められた悪党は時に予想外の凶行に走る。
「く、くそぉぉぉっ!」
木箱を担いでいた男の一人が自暴自棄になり、担いでいた木箱を石畳の上に乱暴に叩き落とす。
ガタンッ! と鈍い音が響いて衝撃で木箱の蓋が外れ、中から猿轡を噛まされて縛り上げられたエリザベスとアニス、そしてランデルが床に転がり出た。
そして男は素早く懐からナイフを抜き出し、一番近くに転がっていたエリザベスの首元へとその刃を突きつけたのだ。
「く、来るんじゃねえ! 道を開けろ!」
男が血走った目で周囲を威嚇する。
状況が一転し、空気が張り詰めた。
ロンドルフが一歩前に出て、鋭い声で男を威圧する。
「状況が見えていないのか? お前たちに逃げ場はない。大人しく投降しろ」
「うるせえってんだよ! 道を開けろ!」
男はナイフを持つ手を震わせながらエリザベスの首元に刃をさらに押し当てる。
エリザベスは声を出せないまま、恐怖に顔を強張らせていた。
「ど、どうされますか!」
衛兵の一人がクロイツとロンドルフに判断を仰ぐ。
ロンドルフは内心でギリッと歯噛みした。
今すぐあの男を叩き伏せたい衝動に駆られるが、ここで下手な動きをすればエリザベスの命に関わる。
彼は苦渋の決断を下しながら、なんとかしてエリザベスを助けようと思考を回転させる。
「……道は、開けるな。相手にこの手が通じると思われると厄介だ」
「とはいえ困ったな。あの男が焦れて自暴自棄になると令嬢が危ない。どうにかして早急に手を打たねば」
クロイツも顎に手を当てて思案し、男はエリザベスにナイフを突きつけたまま周囲を睨みつける。
「動くな、動くなよ……! この娘がどうなるかわかんねえぞ!」
人質作戦は卑劣だが確かに有効だった。
一人がエリザベスにナイフを突きつけて盾にし、もう一人が周囲を警戒して牽制する。
同時に二人を無力化できなければエリザベスの命が危ない。
周囲を大勢で取り囲んでいるとはいえ、刃先との距離が近すぎる。
不用意に距離を詰めれば男のナイフがエリザベスの柔らかな肌を切り裂いてしまうだろう。
一瞬でエリザベスを助け出し、二人を同時に制圧するのは至難の業だ。
衛兵たちも手出しができず、膠着状態に陥ってしまった。
――そう、人質作戦は有効だった。
人間同士で言葉が通じるのであれば。
「フシャ――――!!」
突如、男たちに小柄な猫が襲い掛かる。
レベッカだ。
「ぐあっ!」
エリザベスにナイフを突きつけていた男が、悲鳴を上げて顔をしかめる。
先ほどから虎視眈々と隙を窺っていたエリザベスの愛猫レベッカが、ナイフを持つ手に向かって飛び掛かり、鋭い爪を深く突き立てたのである。
予想外の痛みと獣の襲撃に驚いた男はたまらずナイフを取り落としてしまう。
「このクソ猫また……いい加減にしろ!」
周囲を警戒していたもう一人の男も相棒の悲鳴とレベッカの行動に驚き、一瞬だけ注意がそちらへと向いた。
ほんの一瞬の隙。
ロンドルフがそれを見逃すはずがなかった。
「今だ! 確保せよ!」
「おおおおっ!!」
彼の号令に待機していた衛兵たちが一斉に雄叫びを上げ、男たちに向かって突貫した。
「うわあああ!」
「ち、ちくしょう!」
ナイフを失い、注意をそらされた男たちに抵抗する術はない。
あっという間に衛兵たちに取り押さえられ、地面に押さえつけられて無力化される。
これで全ての脅威は排除された。
衛兵たちの手によって縄を解かれ、猿轡を外された三人はようやく自由を取り戻す。
「た、助かった……」
一番最初に解放されたランデルが、猿轡を外されて情けない声で安堵の息を漏らした。
クロイツが彼を見下ろし、眉をひそめる。
「大丈夫か? 災難だったな。どこの家の者だ?」
「感謝します。私はへイングラフ伯爵家のランデルと申します」
ランデルは目の前の相手が自分より上の高位貴族であることを察して名乗る。
「なるほど、へイングラフ家の……。立てますかな? 手を」
名乗りを聞いたクロイツは柔和な笑みを浮かべ、ランデルに向かって右手を差し出した。
ランデルも疑うことなく、その手を取って立ち上がろうと自身の右手を差し出す。
だが、クロイツはランデルの右手と握手をするのではなく、彼の手首をガシッと力強く掴み、乱暴に上へと引っ張り上げた。
突然の粗暴な振る舞いに、ランデルが驚いて顔を歪める。
彼が掴んだランデルの右手の甲には、酷い火傷の跡がくっきりと残っていた。
「痛っ! 何を!?」
「君、この手の甲に見覚えは?」
すると、クロイツの後ろから、おずおずと一人の少女が進み出てきた。
先ほどまでベイリーフ侯爵邸で尋問を受けていた、男爵令嬢レベッカである。
彼女はランデルの手の甲にある痛々しい火傷の跡を見るなり、鋭い声で叫んだ。
「間違いありません! この手の甲の火傷は、あの時の相手だわ!」
「は? 何が……」
ランデルは状況が理解できず、ポカンと口を開ける。
「あの時は仮面をしてたからわかんないってわけ!? 夜会でロンドルフ様の名前を騙って、あんたが好き放題した女よ!」
「げっ!?」
ランデルの顔から一気に血の気が引く。
まさか、こんなところで自分の夜遊びの被害者と遭遇するとは夢にも思わなかったのだろう。
「弟の名を騙って随分好き放題したようだな。少しばかり話がある」
クロイツの瞳が冷ややかに光る。
侯爵家の名誉を傷つけた罪は重い。
そこへ縄を解かれたアニスが進み出て、さらに決定的な証言を追加した。
「この男が、あの人攫いたちをこの区画に招き入れていたようです。誘拐を自作自演してエリザベス様に取り入ろうとしていたようですね」
「ほほう。余罪もありそうだな。衛兵詰め所に行って、じっくり話を聞こうじゃないか」
クロイツは冷笑を浮かべ、衛兵に指示を出してランデルを連行させる。
ランデルは真っ青な顔で「違う、誤解だ!」と喚きながら、衛兵たちに引きずられていった。
そして最後に木箱から解放されたエリザベスも安堵の息を長く吐き出した。
衣服に少し土埃がついているが、怪我はないようだ。
ロンドルフは足早にエリザベスの元へ駆け寄り、心配そうに顔を覗き込む。
「エリザベス嬢。怪我はないか?」
「ええ。駆けつけてくださり感謝しますわ、ロンドルフ様」
エリザベスは少し乱れた髪を整えながら、彼に向かって微笑みを向けた。
彼が来てくれなければ今頃どうなっていたかわからない。
そこに、男を撃退するという大立ち回りを演じた愛猫が得意げな足取りで駆け寄ってきた。
「にゃーん!」
「レベッカちゃん! ありがとうね、助けてくれて!」
エリザベスはしゃがみ込み、愛猫をしっかりと抱きしめてその頭を撫でる。
レベッカもまた主人の無事を喜ぶように喉をゴロゴロと鳴らす。
「……んん?」
どこかで見覚えのある猫。
しかも彼女は今、その猫を『レベッカ』と呼んだ。
「エリザベス嬢、その猫は」
「あ、紹介が遅れましたね。この子はレベッカちゃん。我が家で飼っている雑種の猫ですの」
「雑種の猫」
ロンドルフは、その言葉を反芻する。
あの日の猫パーティーで出会った『レベッカ』もまた、保護した雑種の猫を溺愛していた。
貴族社会において血統を重視する者が多い中、あえて雑種の猫を連れ歩き、これほどまでに愛情を注いでいる家など、そうそうあるものではない。
ロンドルフの中で「まさか」という思いが急速に膨らんでいく。
彼は緊張で喉を鳴らしながら、核心を突く質問を投げかけた。
「エリザベス嬢。こんな時に聞くのもなんだが……最近、猫パーティーに出席したりしていなかったか」
「え? ええ。そうですね、ベイリーフ侯爵家主催のところに」
エリザベスは隠す理由もないため、素直に答える。
「……猫の仮面を被っていた?」
「その通りです。よくご存じですね」
エリザベスの肯定に、ロンドルフの鼓動が早鐘のように激しく鳴り始めた。
そして最後の答え合わせをするように息を呑んで尋ねる。
「男と話し、別れ際に……猫の名前を聞かれた?」
「はい。そういえば話し忘れてたなって思って、お伝えしましたわ」
エリザベスのその言葉を聞いた瞬間。
ロンドルフは天を仰いで思わず笑ってしまった。
「はは。はははははは!」
「え、ロンドルフ様?」
突然笑い出した彼に、エリザベスは不思議そうな顔をする。
ロンドルフは笑いを収めるとエリザベスの腕の中にいるレベッカを引き取り、優しく抱き上げた。
「君か! 君だったのか、『レベッカ』というのは!」
「にゃーん?」
突然抱き上げられたレベッカは、きょとんとした顔で短く鳴く。
「え? え? どういうことです?」
エリザベスは状況が全く理解できず、目を丸くしてロンドルフとレベッカを交互に見つめている。
そしてロンドルフは愛おしそうにレベッカの背中を撫でながら、二人を取り巻いていた状況を笑いを含んだ声で説明する。
「あの猫パーティーの時に、木陰のベンチで君と話していたのは俺だ。そして最後に俺は君自身の名を聞いたつもりでいたんだ。その時に君は猫の名前を答えたものだから……俺は今日までずっと、君の名前を『レベッカ』だと信じ込んで夜会を探し回っていたというわけだ」
「へ? え? ……ええっ!?」
自分の勘違い。
そして彼の勘違い。
それが奇跡的に絡み合い、とんでもないすれ違いを生んでいたのだ。
(やだ、てっきり私はレベッカちゃんのことを聞かれたとばかり……)
エリザベスは両手で顔を覆い、耳の先まで真っ赤に染め上げた。
そしてふと、頭の冷静な部分がこれまでの情報を繋ぎ合わせていく。
(あれ? ロンドルフ様って、夜会で恋焦がれた令嬢を探していたって言ってなかったかしら? あれ? こうなると私がその探されていた『レベッカ』ということになって……)
「エリザベス嬢」
ロンドルフはレベッカをそっと地面に下ろし、片膝をついて、へたり込んでいるエリザベスの手を取った。
「ずっと、君を探していた」
彼の漆黒の瞳がエリザベスを真っ直ぐに射抜く。
「君の猫に対する深い愛情と、楽しげに笑う姿に惹かれていた。仮面をしていた時も、そして仮面を外して素顔の君と過ごしたこの数日間も」
ロンドルフの言葉には一片の迷いもない。
ただ彼女への熱い想いだけが込められている。
「どうか、俺と婚約していただけないだろうか」
夜会の喧騒でもなく、豪華なレストランでもなく、誘拐騒動の事後処理が行われている大通りの石畳の上。
だが、その言葉はどんなロマンチックな演出よりもエリザベスの心に深く、強く響いた。
エリザベスは顔を真っ赤にして、視線を泳がせる。
彼が恋い焦がれていた相手が自分自身であったという、あまりにも恥ずかしくも嬉しい事実。
彼の手の温もりが彼女に決断する勇気を与えてくれた。
「よ、よろこんで……」
消え入りそうな、しかし確かな承諾の声。
「本当か!」
ロンドルフの顔に今までで一番の輝かしい笑顔が咲き誇る。
彼は嬉しさのあまりエリザベスの手を握りしめ、エリザベスもまた恥ずかしげに、しかし幸せそうに微笑み返した。
夕暮れの光が二人を優しく包み込む。
足元にいる猫のレベッカは幸せそうな二人を交互に見上げた後。
まるでこの結末を祝福するかのように「にゃーん!」と満足げに、誇らしげに鳴くのであった――。
次回エピローグ。




