猫好き令嬢とレベッカ
王都の大通りを少し外れ、一行は小ぢんまりとした隠れ家的な喫茶店へとやってきた。
先ほどの喧騒に満ちた『猫まっしぐら』とは趣が異なり、男女がゆったりと語り合うのに適した空間である。
案内されたオープンテラス席。
上品なティーセットと共に、エリザベスが注文した特別メニューが運ばれてきた。
「ロンドルフ様、見てください! 小さくて可愛いと思いませんか!?」
エリザベスの声が明るく弾む。
彼女の前に置かれたのは、小さなカップケーキが三つ並んだプレートだ。
だが、ただのカップケーキではない。
それぞれの表面には色とりどりのアイシングで精巧な猫の顔が描かれている。
一つはウインクをしており、一つは舌を可愛く出し、もう一つは眠っている表情だ。
「本当だ、様々な表情をしていてとても可愛らしいな」
ロンドルフはカップケーキを覗き込み、自然と口元を綻ばせる。
食べるのが惜しくなるほどの出来栄えだ。
「でしょう!? 食べるのがいつももったいなくて……絵に残したいわ……」
エリザベスは悩むように眉を下げ、愛おしそうにカップケーキを見つめる。
その姿がなんとも微笑ましく、ロンドルフは思わずからかうような言葉を口にする。
「絵を描くまで食べるのを我慢するのか?」
「それはそれで難しいですね!」
エリザベスがコロコロと笑い声を上げる。
ロンドルフもまた、彼女の飾らない素直な反応に声を出して笑った。
二人の間には、初対面の頃のような探り合いの空気はもう存在しない。
エリザベスは躊躇いがちに、しかし嬉しそうに猫のカップケーキを一つ手に取り、小さく口へと運ぶ。
その様子を少し離れた席から見守っていたアニスは、静かに紅茶を啜りながら内心で頷いていた。
(これは……ひょっとしたら、このままお二人はくっつくのでは?)
主人のあんなに自然で心からの笑顔を引き出せる殿方はそうそういない。
相手は由緒正しきベイリーフ侯爵家の次男。
身分も釣り合ううえ、あの冷たい容貌の青年が主人の前でだけ楽しそうに表情を崩すのだ。
これは良いご縁になるかもしれない。
アニスが主人の明るい未来を予感して密かに祝福の準備を考えた、その矢先。
テーブルの傍らに、ふつりと一つの影が落ちた。
「あの……」
おずおずとした、しかしどこか甘ったるい声。
ロンドルフとエリザベスが同時に声の方向へと視線を向ける。
そこに立っていたのは、エリザベスとは少し異なる柔らかな色合いの金髪をふんわりと結い上げた、可愛らしい顔立ちの少女。
身に纏っているドレスの質や仕立てからして、どこかの貴族令嬢であることは間違いない。
少女はロンドルフを見つめ、頬を少し赤らめながら問いかけてきた。
「馬車の紋章を見て、もしかして、って思ったんですけど……あなたはベイリーフ侯爵家のロンドルフ様……ですか?」
「そうだが、君は?」
社交の場において、面識のない高位貴族に許可なく突然話しかけ、あまつさえ名を呼ぶなど無作法な真似だ。
だが、彼女はそんな彼の警戒心を意に介する様子もなく、むしろ嬉しそうに顔を輝かせた。
「やっぱり! わあ、素顔もイケメンだわ!」
少女は両手を胸の前で組み合わせて無邪気な歓声を上げる。
そして勢いのままに自己紹介をしてきた。
「私はバルクホルン男爵家のレベッカといいます! 私を探してくださっていたんですよね!?」
「――!」
その名前が出た瞬間。
エリザベスの息が思わず止まり、硬直した。
「な、に?」
ロンドルフの口からも予想外のような声が漏れ出す。
そして信じられないものを見るような目で、目の前でニコニコと笑う少女を凝視した。
「君が、レベッカなのか……?」
「はい! 私、最近ロンドルフ様が私を探しているって噂を聞いてたんですけど、馬車を見てもしかしたらって……ケーキを食べに来て出会えるなんて運命ですね!」
少女――レベッカは嬉しそうに身をよじらせる。
その無邪気な言葉の数々が、エリザベスの胸を鋭い刃で抉っていく。
彼女の頭の中で、先ほどまでの甘く楽しい時間が崩れ去る気配がした。
(そうよ。彼は……『レベッカ』様を探していたのよ)
猫好きの同好の士として楽しい時間を共有できた。
自分と相性が良いのではないかという淡い期待。
だがそれは、彼が本当に探している運命の女性が現れるまでの、ほんの短い間の仮初の時間に過ぎなかったのだ。
本命が現れた今、自分は無用の長物である。
エリザベスはそう思考を取り戻し、ゆっくりと席を立った。
そして令嬢としての張り付けたような、しかしどこか寂しげな笑みを浮かべる。
「……よかったですね、ロンドルフ様。お探しのレベッカ様が見つかったご様子で」
「あ、ああ……いや、しかし……」
ロンドルフは突然の事態に混乱し、言葉を紡ぐことができない。
そんな彼に対し、エリザベスは未練を断ち切るようにロンドルフに告げる。
「私たちはお邪魔でしょうし、こちらで失礼させていただきますわ。行きましょう、アニス」
「……承知いたしました」
エリザベスはロンドルフの制止を待つことなく、静かに踵を返す。
アニスもまた主人の痛切な心を察し、静かに頭を下げてその後に続く。
残されたロンドルフは遠ざかるエリザベスの寂しげな後ろ姿に手を伸ばしかけたが、動くことができなかった。
喫茶店の外に出たエリザベスは振り返ることなく足早に大通りを歩いていく。
その背中があまりにも痛々しく、アニスはたまらず小声で問いかけた。
「……よろしかったのですか?」
せっかく良い雰囲気になりかけていたのだ。
それなのに、自ら身を引くような真似をして。
「よろしいもよろしくないもないわ。これが正しいのよ」
エリザベスは足を止めず、前を向いたまま淡々と答える。
「……アニスも察していたと思うけど。私、ロンドルフ様に惹かれていたわ。初恋だったかもしれない」
エリザベスの口から恋心がこぼれ落ちる。
彼が猫を愛でる時の優しい笑顔や、少し不器用な気遣いに確かに心惹かれていた。
「でもね、ロンドルフ様にはレベッカ様がいるの。彼は彼女を探すために、夜会を巡り歩いていたのだから。……私の入り込む隙なんてない、実らせてはいけない恋だったのよ」
「エリザベス様……」
「気にしないで!」
エリザベスは振り返ってアニスに笑いかけた。
気合を入れ直すように無理やり明るい声を作る。
「それより気分転換がしたいから、もう少し街を散策したいと思うの! 付き合ってくれるかしら!」
「……承知いたしました。お気の済むまでお付き合いいたします!」
アニスは主人の気丈な振る舞いに応えるように、力強く頷いた。
「じゃあロンドルフ様に紹介しきれなかったお店から行きましょう! 今度あのお二人にも改めて教えてあげないとね!」
エリザベスは空元気を出しつつ歩き出す。
その背中を追いかけながら、アニスは心の中でそっと祈る。
どうか心優しき主人の心が、これ以上傷つくことがありませんように。
◆◆◆◆
一方、エリザベスが去った後の喫茶店。
ロンドルフは向かいの席に座り直した少女、レベッカと対面していた。
彼はテーブルの上に組んだ手を見つめ、低い声で確認するように問いかける。
「君が……あのレベッカなのか……?」
「はい! あなたのお探しのレベッカです!」
レベッカは悪びれる様子もなく満面の笑顔で答える。
ロンドルフは目の前の少女を、じっと見つめた。
彼が探している『レベッカ』は素性を隠すというルールのパーティーで出会った女性だ。
名前以外に確たる証拠はない。
「俺たちがどこで出会ったのか、覚えているか?」
「仮面パーティーですよね? お疑いなんですか?」
レベッカはくすくすと笑いながら、ロンドルフのカマかけに対してあっさりと正解を口にした。
(仮面パーティーで出会ったことは公表していない。それを知っているということは本物か……? だが、何か違和感がある)
あの木陰のベンチで言葉を交わした『レベッカ』と目の前にいるレベッカ。
同じ名前を持ち、仮面パーティーという接点もある。
だが、直感が「何かが違う」と告げているのだ。
観察しながらその違和感の正体を見定めようと、彼は黙って彼女をじっと見つめ続ける。
するとレベッカは、その視線をどう勘違いしたのか照れたように身をよじらせた。
「やだもう、そんなに穴が開くように見つめちゃってぇ~。私の素顔に見蕩れちゃったんですかぁ~?」
レベッカは嬉しそうに自分の柔らかな金髪の毛先を指でくるくると弄ぶ。
その甘ったるい声と媚びるような仕草を見た瞬間。
ロンドルフの脳裏に違和感の正体が現れ始める。
(そうだ、金髪……)
夜会でエリザベスの髪を見た時、彼女を『レベッカ』だと錯覚しかけた。
それほどに『レベッカ』の髪は透き通るような美しい金糸だったはずだ。
しかし目の前の少女の金髪はそれよりもずっと淡く、少し色味が異なっている。
(それに、所作がどうにも拙い)
男爵家であれば礼儀作法は学んでいるはずだが、この態度は上位貴族に対するものとしてはあまりにも軽薄すぎる。
あの『レベッカ』は猫愛に若干暴走しながらも、知性と気品を保った令嬢であったはずだ。
ロンドルフはそこまで思い至ったところで更なる疑念に気付く。
(……男爵家?)
いつだったか兄クロイツは言った。
『伯爵家を中心に子爵家まで含めると、あの日の参加者は100名近い』
そう、あの愛猫家の集いはベイリーフ侯爵家が主催する格式高いパーティーだ。
無礼講とはいえ、参加者には相応の家格が求められる。
招待客のリストには伯爵家から子爵家までの名前しか記載されていなかったはずだ。
男爵家の令嬢が、あの場に招待されているわけがない。
「ときに、君は猫が好きだろうか」
ロンドルフは最後の一手として、最も重要な質問を投げかけた。
もし彼女が本当にあの『レベッカ』であるならば、この質問に対してどのような反応を示すか。
レベッカは小首を傾げながら答える。
「相応ですね。ロンドルフ様は猫がお好きなんですか? 可愛い!」
(――違う)
彼女は、自分が探している『レベッカ』ではない。
もし彼女が本物の『レベッカ』ならば猫が好きかと問うことはあり得ない。
あの日のベンチで二人でどれほど猫談義で盛り上がったことか。
『レベッカ』はロンドルフが猫好きであることをすでに知っているはずなのだ。
(だが、彼女は俺に会った事があるような言い草だ。しかも仮面パーティーで。これはいったい……どういうことだ?)
ロンドルフが疑念を深めていた時、目の前のレベッカがとんでもない爆弾発言を投げ込んできた。
「でも嬉しいです。一夜だけの関係だと思っていましたから……。本気で私を求めて探し出してくださっていたんだなって、すっごく嬉しくなりました」
「……ん?」
一夜だけの関係、という不穏すぎる言葉にロンドルフの脳裏に嫌な予感と疑問符が浮かび上がった。
なんて?
レベッカは恥じらうように頬を染めながら、さらに言葉を重ねていく。
「ほら、貴族の遊びで手を出されたけど、実は責任を取るつもりが無くてそのまま捨てられるって、よくある話じゃないですか。私もあの時のノリと雰囲気に身を任せちゃいましたけど、流石に初めてを捧げたのはやりすぎだったかなって、後悔してたんです……」
「待て待て待て待て」
ロンドルフは冷静沈着な態度をかなぐり捨てて思わず身を乗り出す。
「俺と君とで、そんな関係を持った覚えはないぞ」
彼は女性嫌いで通っていたうえに、侯爵家に不利益になるかもしれないからと可愛いもの好きの趣味まで隠し通していた男だ。
そんな彼が出会ったばかりの貴族女性にふしだらな真似をするはずがない。
レベッカは不思議そうに目を瞬かせる。
「え? 何を言っているんです? あんなに激しく愛し合ったじゃないですか。貴族の夜会ってあんなに情熱的なんだなあと、私びっくりしちゃいましたけど……」
「――夜会?」
ロンドルフは、その単語に引っかかりを覚えた。
「ええ。少し前の仮面舞踏会で。仮面を付けて身分を隠し、一夜だけの関係をって触れ込みの少し大人向けの夜会です。そこで鳥の仮面を付けていらっしゃいましたよね?」
その言葉でロンドルフは全貌を理解した。
彼女が参加したのは昼下がりに開催された穏やかな猫パーティーではない。
夜に行われた、いかがわしい享楽の仮面舞踏会だろう。
そこで彼女に手を出した鳥の仮面の男が、おそらく自分の名を騙っているというわけか。
彼女は俺が探している『レベッカ』ではないし、自分も彼女が探している男ではない。
名前が同じなのは偶然か。
だが、この厄介な勘違い女を、このまま「人違いだ」と言って店に置き去りにするわけにはいかない。
ロンドルフは深く息を吐き出し、冷静な声を取り繕う。
「――話はよく分かった」
「本当ですか!?」
「ああ。君を当主である兄に紹介しようと思う。侯爵邸に来てくれないか」
「わあ、本当に侯爵邸に行けるんだ!」
レベッカはうきうきとした足取りで席を立ち、ロンドルフが用意した馬車へと乗り込んでいく。
ロンドルフもまた後に続いて自身も乗り込むと、御者に「本邸へ戻れ」と短く指示を出した。
エリザベスとの甘い時間から一転。
馬車は王都の石畳を重々しい音を立てて走り出すことになった――。
ストレス回はさくっと消化していくスタイル。




