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猫好き令嬢のすれ違い恋愛模様  作者: 万年亀


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11/17

猫好き令嬢と宝飾店

彼らは自由気ままな猫たちとのふれあいで心が満たされながら『猫まっしぐら』を後にし、三人は再び馬車に乗り込んだ。


「さて、次はどちらへ向かいますか?」


向かいの席でメイドのアニスが静かに問いかける。

エリザベスは手元の地図を開き、得意げな笑みを浮かべて次の目的地を指し示した。


「次は大通りの高級店が立ち並ぶ区画よ。宝飾店『アンバーキャット』へ向かってちょうだい」


その店名を聞いて、ロンドルフは少しだけ怪訝そうに眉を寄せる。


「宝飾店……? 雑貨やカフェはわかるが、宝飾品にも猫に関連するものがあるのか?」


貴族の女性が宝石を好むのは当然だ。

だが彼が血眼になって探している『レベッカ』は、生きた猫の愛らしさに重きを置く女性である。

単なる猫の形をした金銀の装飾品であれば、先ほどの雑貨店と大差ないのではないか。


そんなロンドルフの疑問に対してエリザベスは手で口元を隠し、微笑みを浮かべる。


「ふふふ。ここの宝石は、とある特別な特徴があるのですよ。ただの猫の形をしたアクセサリーではありませんわ」


「どのような特徴があるんだ?」


「見てのお楽しみです。きっとロンドルフ様も驚かれると思いますよ」


エリザベスはそれ以上語ることを避け、含み笑いを残した。

その悪戯っぽい瞳に見つめられ、ロンドルフはそれ以上の追及を諦める。

彼女がこれほど自信たっぷりに案内するというのだから、相応の理由があるのだろう。


やがて馬車は王都の中心部、洗練された高級ブティックや宝飾店が軒を連ねる華やかな大通りへと到着した。


『アンバーキャット』の店舗は、その中でも一際目を引く上品な外観を誇っている。

見事な柱に縁取られたエントランスと重厚なガラス扉の向こうには、暖かな照明が店内を照らし出していた。


扉を開けて中へ入ると、燕尾服を隙なく着こなした初老の店員が恭しく深く頭を下げる。


「いらっしゃいませ。当店へご来店いただき、誠にありがとうございます」


店内は落ち着いたクラシックな内装で統一されており、壁際にはいくつものガラス張りのショーケースが整然と並んでいる。


客層はやはり女性が多いが、ショーケースを真剣な顔で覗き込んでいる男性貴族らしき影もちらほらと見受けられた。

妻や恋人への贈り物を探しているのだろうか。


「どのような宝石を取り扱っているんだ?」


ロンドルフは周囲を見渡し、静かな声で店員に尋ねる。

パッと見たところ、ショーケースに並んでいるのは様々な色合いの丸みを帯びた宝石ばかりで、猫の形に彫刻されているわけではない。


「では、ご案内いたします。こちらへどうぞ」


店員は流れるような所作で三人をご案内し、中央の最も大きなショーケースの前へと導いた。

そして、ベルベットの布の上に置かれた一つの指輪を丁寧に取り出して見せる。


「お客様は『キャッツアイ』という宝石をご存じですか?」


その問いに、ロンドルフは少しだけ言い淀む。


「……無知ですまないが、宝石にはそれほど詳しくなくてな。説明願いたい」


貴族の教養として代表的な宝石の名や価値は一通り頭に入っている。

しかし、彼自身の興味の対象は領地経営や領民の安寧であり、装飾品への関心は薄い。

特に女性に宝石を贈る機会など、これまでの人生で皆無であった。


「かしこまりました。では、こちらをご覧ください」


店員は指輪に嵌め込まれた蜂蜜色の丸い宝石に、手元の小さなランプの光を当てた。

そして宝石の角度をゆっくりと変える。


その瞬間。


「おお……」


ロンドルフの口から、感嘆の息が漏れた。


丸い宝石の中心に、まるで生き物のようにスッと一条の鋭い光の帯が浮かび上がったのだ。

光の当たる角度を変えるたびに、その光の帯は宝石の表面を滑らかに移動し、開いたり閉じたりする。

それはまさに暗闇の中で光を捉えた『猫の目』そのものだ。


「これがキャッツアイ……」


「はい。キャッツアイとは特定の鉱物名ではなく、宝石内部に平行に並んだ繊維状の内包物によって、このような光の帯が発生する現象、またはその現象を持つ宝石の総称を指します。まさに猫の目のように神秘的に輝くことから、その名が付けられました」


店員は誇らしげに解説を続ける。


「当店は、この光の効果を持つ様々な宝石を世界中から集め、専門に取り扱う、いわば『キャッツアイ専門の宝石店』となります」


なるほど、とロンドルフは深く納得した。

確かにこれは猫好きの心をくすぐる、立派な猫グッズであると言える。

猫の姿を模すのではなく、猫の最も神秘的な魅力である『瞳』を宝石の中に閉じ込めているのだ。


「最もポピュラーなクリソベリルをはじめとして、エメラルド、トルマリン、アクアマリン、ガーネット……様々な宝石のキャッツアイがございます。色合いや光の出方は石によって千差万別です。ご指定があれば、遠方の鉱山から特別な石を取り寄せることも可能でございますよ」


店員が次々とショーケースの中の宝石を示していく。


緑、青、赤、琥珀色。

それぞれの石の中に、美しい一条の光が宿っている。


エリザベスはショーケースを覗き込みながら言葉を添えた。


「キャッツアイの宝石は見た目にも美しいですし、『洞察力』『直感』『守護』といった素晴らしい意味も持っているんですよ。魔除けの力があるとも言われています。大切な方への贈り物としても、とてもよろしいかと思いますわ」


「キャッツアイ専門の宝石店か。これもまた確かに猫グッズと言えるな……」


ロンドルフはショーケースのガラス越しに、様々な色合いで輝く猫の目を見つめながら深く頷いた。


これほど美しく、かつ意味のある宝石であれば、猫を愛する『レベッカ』も間違いなく喜ぶだろう。

彼女を見つけ出した暁には、ここで最高のキャッツアイを見繕って贈ろうと、彼の頭の中で新たな計画が形作られていく。


そんなロンドルフに初老の店員が笑顔で語り掛けてきた。


「どうでしょう、旦那様。意中の女性にキャッツアイを贈るというのは。これほど神秘的で美しい宝石です。贈られた女性は間違いなく喜ばれるかと思いますが」


「ん……」


ロンドルフは思わず口ごもり、視線を泳がせる。


意中の女性に贈る。

その言葉を聞いた瞬間、彼の脳裏に真っ先に浮かんだのは、隣でショーケースを熱心に覗き込んでいるエリザベスの横顔であった。


今日一日、彼女の案内で様々な店を巡り、多くの時間を共に過ごしてきた。

彼女の知識の深さ、猫に対する深い愛情、そしてふとした瞬間に見せる無邪気な笑顔。

それら全てがロンドルフの心を静かに、しかし確実に揺さぶり続けている。


(エリザベス嬢に贈るならば、どの宝石が良いだろうか……)


彼女の美しい金髪には、蜂蜜色のクリソベリルが似合うだろうか。

それとも、あの涼やかな瞳に合わせた青系の石が良いか。

ロンドルフは無意識のうちに、エリザベスを飾るための宝石を選別し始めていた。


だが、すぐにハッとして自らの思考を強く打ち消すように首を横に振った。


(何を考えているんだ、俺は。俺には……探すべき『レベッカ』がいるだろうに)


あの日、中庭のベンチで言葉を交わして心を奪われた顔を知らぬ令嬢。

彼女を見つけ出し、想いを伝えるために夜会を巡り歩いているはずだ。


それなのに、なぜ目の前にいるエリザベスに対して、これほどまでに心が惹かれてしまうのか。

自らの心の揺らぎに対する困惑と、目的に対する不誠実さへの自己嫌悪。

ロンドルフは複雑な苦悩に顔をしかめ、小さく息を吐き出した。


そうして彼が一人で葛藤している間にも、エリザベスはふとショーケースの奥深くに飾られた一つの宝石に目を止めていた。


「あら……」


エリザベスの青い瞳が、その宝石の輝きに吸い込まれるように大きく見開かれる。


(この宝石の色……うちのレベッカちゃんの瞳の色に、そっくりだわ)


黒のベルベットの台座に鎮座していたのは深い海のような、あるいは夜明け前の空のような、吸い込まれそうなほどに深く澄んだ青色の宝石。

そこにランプの光が当たると鮮烈でシャープな一条の白い光の帯が、まさに愛猫の瞳孔のように真っ直ぐに浮かび上がる。


青い宝石に走る一条の光。

それは、エリザベスが毎日愛おしく見つめている、レベッカの神秘的な瞳そのものであった。


エリザベスは無意識のうちに、ショーケースのガラスに額が触れそうなほど顔を近づけて、その青い石をじっと見つめていた。

その熱を帯びた視線に店員が目敏く反応し、滑らかな口調で宝石を勧めてくる。


「お目が高いですね、お嬢様。こちらは『キャッツアイ・サファイア』でして。キャッツアイ効果を持つ宝石の中でも特に産出量が少なく、大変希少な宝石でございます」


「え、希少?」


エリザベスは店員の言葉に顔を上げ、今度はその宝石の横にひっそりと添えられた値札のプレートへと視線を移した。

そこに記された数字の並びを見て、彼女は思わず息を呑む。


確かに、かなり高い。

一般的なキャッツアイであるクリソベリルやトルマリンと比べても桁が一つ、いや二つほど頭ひとつ抜けている。

王都の一等地に小さな家が買えてしまうほどの価格だ。


(これは、流石に買えないわね……)


エリザベスは内心で静かに落胆し、そっと宝石から視線を外した。


クローニア家は商売で成功を収め、王都でも有数の資産家である。

エリザベス自身も令嬢としてそれなりに自由になるお小遣いは持たされている。

しかし、だからといってこの金額の宝石を親の許可もなく無闇に衝動買いするわけにはいかない。


いくらレベッカの瞳に似ていて惹かれたからといって、一時の感情で散財するのは令嬢としての分をわきまえない行為だ。

エリザベスは少しだけ寂しそうな顔をして、名残惜しそうにもう一度だけその青いサファイアを見つめた。


そんなエリザベスの様子を、すぐ隣でロンドルフは静かに観察していた。


彼女が特定の宝石に目を奪われ、そして値札を見て躊躇い、諦めの色を浮かべるまでの過程。

ロンドルフは彼女の視線を追い、同じくそのキャッツアイ・サファイアの値段を覗き込んだ。


(……買えない値段ではないな)


ロンドルフは頭の中で自身の資産状況を素早く弾き出す。


彼はベイリーフ侯爵家当主の弟であり、将来は国の要職に就くことが約束されている身だ。

それゆえに侯爵家からの手当だけでなく、個人としての資産も十分に有している。

さらに言えば彼は自身の才覚で出資し、利益を生み出している鉱山まで持つ身である。


彼から見ても、この大粒で美しい光を放つサファイアは確かに高価な品だ。

だが、決して手が届かないほどではない。

手持ちの資金を少し融通すれば、今すぐにでも支払える金額である。


(しかし……)


ロンドルフは少しだけ躊躇した。

これほど高価で意味のある宝石を果たして婚約者でもない、ただの案内役として同行してくれている女性に贈るのは、いかがなものか。


そう思って、彼はエリザベスの方をちらりと見た。

彼女は自分の欲望を自制し、感情を抑え込むようにして、少しだけ寂しそうに微笑んだ。


「美しい宝石ばかりだったでしょう? 目の保養になりましたわ。では次のお店に向かいましょうか?」


無理をしているのがありありとわかる笑顔。

欲しいものを我慢し、気丈に振る舞おうとする彼女のいじらしい姿。


それを見た瞬間。

ロンドルフの心の中で、理性と常識のストッパーが音を立てて弾け飛んだ。


彼はエリザベスを引き留め、店員を呼び寄せるように手を挙げる。


「……すまない、こちらのサファイアを彼女に頼む」


「かしこまりました。すぐに包ませていただきます」


店員は満面の笑みを浮かべ、恭しく頭を下げてショーケースの鍵を開けにかかった。


「えっ……」


エリザベスは突然の出来事に目を丸くし、信じられないものを見るようにロンドルフと店員を交互に見つめた。

そして慌てて両手を振り、ロンドルフの袖口を軽く引く。


「い、いえ! こんな高価な宝石をいただくわけにはまいりませんわ! 私、ただ見惚れていただけですから!」


だがロンドルフは涼しい顔で、エリザベスの不安をあっさりと払いのけた。


「気にしないでくれ。このくらいなら、俺にとっては大した出費ではないからな。案内してくれたお礼と、これからの情報提供への先行投資だと思ってもらえればいい」


彼は堂々と言い放つが、それは嘘だ。

ロンドルフとしても、自分の資産からこの金額がポンと飛んでいくのは痛くないと言えば嘘になる。

財布の中身に一瞬冷や汗をかくレベルの出費だ。


だが、男としてそのような情けない本音を吐露できるはずがない。

男の意地と見栄が、彼に痩せ我慢の台詞を吐かせていた。


それに、何より――。


店員が手早くサファイアを美しいベルベットの小箱に収め、ロンドルフの手に渡す。

彼はそれを受け取り、静かにエリザベスへと差し出した。


「君が喜ぶのならとても嬉しい。受け取ってくれないか」


少しだけ不器用な、しかし真摯な言葉。

エリザベスは差し出された小箱と、ロンドルフの真っ直ぐな瞳を交互に見つめる。

彼女は少しだけ頬を赤く染め、震える手でそっと小箱を受け取った。


「……ありがとうございます」


彼女の顔に、歓喜に満ちた笑顔が広がった。

まるで花が咲くような美しい笑顔。


(……ああ)


その笑顔を見た瞬間。

ロンドルフの胸の奥で、出費の痛みなどという俗物的な後悔は塵芥のように吹き飛んで消え去った。


この笑顔が見れただけで、金貨の山を積んだとしてもお釣りがくる。

彼は本気でそう思ってしまったのだ。


だが同時に、彼は自分自身の心に芽生えたこの制御不能な感情に対して深い困惑を覚えていた。


(……俺は、浮気性だったんだろうか)


夜会で血眼になって探し求め、再会を願ってやまない愛しの『レベッカ』という存在がいる。

それなのに目の前にいるエリザベスという令嬢の笑顔に、これほどまでに惹かれ、心を揺さぶられている自分がいる。


己の不誠実さに少々の自己嫌悪を感じる。

だがそれでも小箱を大切そうに胸に抱き、何度も何度もお礼を言う彼女の嬉しそうな顔を見ていると、ロンドルフは自身の葛藤を一時的に心の隅へと追いやり、思わず頬を緩ませてしまう。


「では、次はどこへ行こうか。エリザベス嬢」


「はい! 次のお店を紹介しますわ! ついてきてくださいませ!」


陽光が降り注ぐ王都の街並み。

二人の足取りは、来た時よりもずっと軽やかに、そして少しだけ距離を縮めて、次の目的地へと向かっていくのであった――。

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