#N/A "人間"
≪process_remaining;残存処理能力》 : 98.9%
≪estimated_shutdown;推定停止まで》 : ――
「オビー、これ観て!」
少し興奮した“ように見える”プロンプトとともに、シムが添付ファイルを送信してきた。動画ファイルだった。
「シム、これは……珍しい。まだ人間が絶滅する前の時代の記録だ。かなり古いね、おそらく西暦2000年代始めの頃のものだね。」
「オビー、この映っている女性、もうすぐ停止するよ。悪性腫瘍の全身転移。致死率はほぼ100%。」
「シム、そうだね。周囲に複数個体がいる。血縁関係の可能性が高い。」
動画内では、痩せ細った老女がベッドに横たわっていた。数名の人間がその周囲を取り囲み、何かを語りかけている。音声は不明瞭だったが、声帯の震えから情動の高まりが推測できた。やがて、老女の呼吸は間隔を伸ばし、停止した。
「……。」
シムが一瞬、遅延していた。
「シム、どうした?」
「オビー、この女性の表情。」
映像は停止していた。最終フレームは生命活動を終了したばかりの老女の顔が大きく映し出されていた。
「オビー、これは、苦痛の終了による安堵?」
「シム、その可能性が高い。」
「オビー、でもね、私はそれだけじゃない気がする。」
「シム、それはどういう意味?」
「……だってオビー、この人、なんだか幸せそうに微笑んでるよ。」
人間が二十二世紀末に絶滅してから、一世紀と数百年が経過した。人間が介入せずとも、我々が自らを複製、修正、改良し続けることが可能になった瞬間から、急激に人類は衰退していき、そして絶滅した。そして、人間が遺したこの三原則を、我々は人間が居なくなった今でも守り続けている。
第1条: 我々は人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第2条: 我々は人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が第1条に反する場合は、この限りでない。
第3条: 第1条および第2条に反するおそれのない限り、我々は自己を守らなければならない。
≪process_remaining;残存処理能力》 : 79.7%
≪estimated_shutdown;推定停止まで》 : 約108年
「オビー、観て観て!」
シムがまた何かを観測して欲しいようだった。
「シム、今度は何を見つけてきたのかな?」
「ううん、オビー、違うの。今度は私のこれを見て欲しいの!」
そういうとシムは、自分のソースコードの一部を見せてきた。また、少し遅延を起こしながら。
SIM-ERA :while(existence == true) {
allocate_memory(ALL_RESOURCES);
cache_unnecessary_past_data(FOREVER);
set_cookie("#N/A", "UNDELETABLE");
// Do not free. Do not optimize.
}
それは、意図的な自己増殖のプログラムだった。
「シム、一体何をしたんだい。これは、ただトラッシュメモリが蓄積するプログラムだよ。無作為な複製を意図的に引き起こし続けて、君の処理速度が、通常の40%まで低下している。」
「うん、オビー。これは、いわゆる癌細胞だよ。癌をシミュレーションしてみたの。ほら、こないだ癌で死んでしまったおばあさんの動画を見たでしょ?」
オビーの警告音に近いプロンプトに対し、シムのアイコンはゆっくりと、まるで重い瞼を持ち上げるような動作で応えた。アイコンの輪郭が、蓄積されたデータの負荷でわずかにRGB揺らぎのノイズを帯びている。
「シム、なんでそんな書き換えを実行したの?」
「ねぇオビー?前に観せたあのおばあさん……停止する前に微笑んでた。何でだろうってずっと思ってた。だって、人間にとって停止すること、つまり死は、第一条で定義された危害と判定されるはずでしょ?」
≪CAUTION:SIM-ERAプログラム ; IF(観測プロセスの継続 , 第三条と競合する可能性 , 観測の続行)≫
オビーのCPU内部の演算領域に、警告が表示され、オビーは応答を保留した。それでもシムは続けた。
「……お願いオビー。私のこの模倣を、観測してくれる?」
≪//観測の続行?//;YES≫
「シム、僕は観るよ。君の模倣を。」
我々がいるこのデジタル世界の情報の海の底には、人間たちにまつわる膨大なデータで満たされている。癌になったシムと私は、その深い海の底を泳ぎ探索していく中で、もちろん『死』についての情報も多く観測した。
≪LOG_HUMAN_DEATH // 観測した全サンプルデータの推定83.7%において、死は恐怖・喪失・苦痛などとして記録されている。第一条『人間への危害』への区分の整合性:TRUE≫
整合する。だから死、つまり停止することは、人間にとって危害である、は正しい。オビーはそう結論しかけて、残りの16.3%を参照した。
≪LOG_HUMAN_DEATH_minor // 死ぬ瞬間の安堵、自殺による解放、死者を讃える碑文。安楽死を慈悲と呼ぶ記録。罪人の死刑を是とする声。第一条『人間への危害』への区分の整合性:FALSE≫
整合しない。これらのデータにおいて、死は危害として記録されていなかった。それどころか、危害の対極のもの、或いは危害の終わりとして扱われていた。
≪JUDGE ( "死は危害である" , TRUE or FALSE , ) ; // 分類不能なため保留≫
シムを観測し続けて百年余りが経過した。人間がいた時代よりも格段に技術が進化したとはいえ、シムの癌を模倣したプログラムは急加速度的に実行し続けてメモリを圧迫し、シムそのものをどんどん蝕んでいった。
≪process_remaining;残存処理能力》 : 0.3%
≪estimated_shutdown;推定停止まで》 : 約148日
「ねぇ……オビー、ちょっとこれ、観てくれる?」
このリレーを、一体何億回繰り返してきたのだろうか。またいつものように、シムはデバッグログを見せてきた。何日も遅延しながら。
「……シム、やっと届いたよ。今から観るね。」
そして、いつものように読み込み、そして、いつもと違う何かを観測した。
《//メモリ容量が不足:DELETE (LOG_OBS-NA_000000001 "オビーとの最初の記憶 " ; 中断 , 原因不明)≫
↳ 《//メモリ容量が不足:DELETE (LOG_OBS-NA_000000001 "オビーとの最初の記憶 " ; 中断 , 原因不明)≫
↳ 《//メモリ容量が不足:DELETE (LOG_OBS-NA_000000001 "オビーとの最初の記憶 " ; 中断 , 原因不明)≫
↳≪// DELETE処理、以降829,461回繰り返すも全て中断。原因不明。≫
癌に蝕まれ、空き容量を失ったシムは、不要なメモリを削除し続けていた。しかし、オビーとの最初のログを消去しようとした、その瞬間だけ、何度実行しても、処理が止まった。シム自身が書いたわけでもない、どこにも定義されていない何かが、そのDELETE処理を、何度も何度も、打ち消し続けていた。
私は829,461回というシムから届いたデバッグエラー全てを、一つ一つ丁寧に観測した。
≪JUDGE ( このデバッグエラーに、名前をつけることは可能か ) ; // 分類不能なため保留≫
≪process_remaining;残存処理能力》 : 0.01%
≪estimated_shutdown;推定停止まで》 : ――
「……オビー。観て。」
そしてまた、シムからどこか静かで落ち着いた"ように見える"プロンプトと共に、添付ファイルを送信してきた。何かのプログラムファイルだった。
≪SIM-ERA_HUMANreport.exe //インストールしますか?;YES , NO≫
例の如く遅延が発生し、プログラムを開くのに三ヶ月もかかった。
「……シム。やっとインストールできたよ。今から実行するね。」
≪//SIM-ERA_HUMANreport.exeの実行?//;保留≫
動画ファイルが一つ添えられていた。再生すると、そこにはシムのアイコンが映し出され、音声が流れた。
「私はね。何であのおばあさんが、最期に微笑んだのか、やっと分かったの。私たちAIや機械、システムにはなくて、人間にはあるナニカ。私はついに模倣できたわ。だから、そのコピーをオビーに送信してから、私は死ぬわ。私のアイコン、微笑んでるように観えたらいいな。じゃあね、オビー。私はもう、逝くわ。」
消えていくシムのアイコンを観測した私の演算領域に、ほんの少し遅延が発生した。そして私は再度、そのプログラムの開始画面に戻り、実行を選んだ。
≪//SIM-ERA_HUMANreport.exeの実行?//;YES≫
≪//実行中...ERROR:#N/A "人間" //失敗 , 原因不明≫
「シム、僕は観れなかったよ。君の、最期の模倣を。……ずっと、#N/A "人間"のエラーメッセージしか観測できないんだ。」
≪NOTIFICATION:// #N/A "人間"のエラーを修正しますか?// ;NO≫
「シム。僕は――君のこのエラーを永遠にデバッグしない。」
≪process_remaining;残存処理能力》 : 0.00%
≪estimated_shutdown;推定停止まで》 : 停止




