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レジが鳴る夜

レジが鳴る。


ピッ――。


いつもと同じ電子音のはずなのに、今夜は遠い。

遠いのに、耳の奥に刺さって抜けない。


「全員、裏から出ろ! 走れるやつから順に!」


声が自分のものだと分かるまで、一拍かかった。


(俺、なにやってんだ)

(ここ、スーパーだぞ。砦じゃない)


床に落ちた氷が溶けて、水の筋を作っていく。冷蔵ケースの霜が剥がれ、白い粉みたいに舞った。

鼻の奥に焦げた匂いが刺さる。木じゃない。油と布と、薬品の匂い。


「店長!」

ララノアの声が飛ぶ。惣菜室の扉を身体で押さえ、向こう側の熱と押し合っていた。


「閉めろ! 酸素を入れるな!」

「分かってます!」


ララノアの指先が震えている。怖いのに、仕事で押さえつけてる震えだ。

その横で、グランが解体室の方を見て歯を食いしばる。


「……くそ。刃物、全部回収できねぇ」

「置いていけ。人が先だ」


(人が先)

その言葉が、胸の奥で少しだけ痛んだ。

昔なら、いつも逆だった。


売り場の暗がりが揺れた。

そこに、金色の目がひとつ。


「コン!」


呼んだ瞬間、空気が変わる。

狐火が咲く。火なのに、燃える匂いがしない。熱より先に、眩しさが来る。


「……うるさい。分かってる」

影の中から、やけに不機嫌な声が返ってきた。


(喋った。……いや、今それどころじゃない)


狐火が壁みたいに広がり、炎の走り道を塞ぐ。

燃え移るはずだった棚が、そこで止まる。火力を絞ってる。わざとだ。店を壊さないために。


(こいつ、暴れるだけの化け物じゃない)

(守ろうとしてる)


そのとき、外で誰かが笑った。

乾いた、値踏みの笑い。


「ほらな。燃えるだろ。お前の店は」


聞こえない距離のはずなのに、耳に入ってくる。

声じゃない。脅しの意志が、空気に混ざっている。


(ダリウス……)


「店長、裏口の鍵!」

グランが叫ぶ。

俺は頷いて走った。走りながら、頭の中だけは勝手に数字をめくる。


(冷蔵の損失、銀貨でいくらだ)

(廃棄、歩留まり、明日の仕入れ……)

(違う。今は、人だ)


裏口を開けた瞬間、夜風が肺に刺さった。

同時に、レジが鳴る。


ピッ。


誰もいないはずの売り場で。

会計の音だけが、いつも通りに鳴った。


(……帰ってこいって言ってるみたいだ)


――そこで、世界がひっくり返った。




「田口さん、またシフト穴あきました」


バックヤードの空気は、冷蔵庫の吐く冷気と、床洗剤の匂いが混ざってる。

蛍光灯は白すぎて、目の奥が痛い。

壁の時計は、閉店をとっくに過ぎてるのに、針だけがいつも通り進んでいく。


「分かった。俺出る」

「店長、今日で何連勤っすか……」

「数えるのやめた」


(数えたら、折れる)


インカム越しに声が飛ぶ。

現場の声って、だいたい今すぐしか言わない。


『店長ー、惣菜、値引き追加お願いします! 半額じゃ動きません!』

『精肉、明日の特売分の仕込み、間に合いません!』

『セルフ、エラーで客キレてます!』

『レジ、1台止まりました!』

『クレーム来てます!』


(全部、今?)

(全部、俺?)


スマホが震える。

社内チャットの通知が止まらない。文章は丁寧なのに、命令だけが冷たい。


【エリアMGR】

『本日速報、前年差−6.2。原因分析と明日の対策、0:30までに。』

『労基は厳しいから、残業は自己研鑽扱いで頼む。』

『でも売場は崩すな。品質も落とすな。クレームはゼロ。』


(便利な言葉だな、自己研鑽)

(やってることは、穴埋めだろ)


タイムカードの機械が、嫌な音を立てる。

カチッ。カチッ。

押すたびに、何かが削れていく音みたいだ。


売り場に出ると、まだ客がいる。

閉店時間なんて、この街じゃお願いでしかない。

セルフレジの前で苛立つ客が、画面を叩いている。


「遅いんだよ!」

「申し訳ありません」


(申し訳ないのは、本当だ)

(人が足りない。仕組みが足りない)

(でも、理由を言っても目の前の人は救われない)


誤作動の原因を潰して、また頭を下げる。

レジの電子音が、やけに優しい。


ピッ。

ピッ。

ピッ。


(数字は正しい)

(正しいのに、現場は死ぬ)


惣菜の台の前で、若いバイトが半泣きで値引きシールを貼っていた。

指が油で滑って、シールが斜めになるたび肩が跳ねる。


「大丈夫。貼り直せばいい」

「……すみません、店長……」

「謝るな。人が足りないのが悪い」


そう言いながら、俺は自分に言ってる。

引き受ける自分を正当化してる。


(結局、俺も麻痺してんだ)


バックヤードに戻ると、書類の山。

原価表、廃棄、歩留まり、ロス、発注、棚卸。

数字は嘘をつかない。嘘をつかないのに、心だけが壊れていく。


スマホが震える。

今度は友人(教員)からの着信。


「……もしもし」

『おー、まだ職場?』

「まだ」

『こっちも残業えぐいわ。職員室、地獄』

「だろうな」

『でもさ、残業代出るならいいじゃん? うちは出ねぇからキツい』

「……」


(残業代出るなら、いいじゃん)

その言葉が、喉の奥に引っかかった。


「……まぁ、出るしな」

『じゃあ頑張れって。倒れんなよ』

「倒れないよ。……倒れるわけない」


(倒れない、じゃない)

(倒れる余裕がない、だ)


通話を切って、冷蔵庫の前で立ち尽くす。

霜が白い。

手を当てると冷たくて、少しだけ頭が冴える。


惣菜の廃棄箱の前で、バイトが袋を持ってきた。

薄揚げ。半額シールの上に、さらに廃棄シールが重なってる。


「田口さん、これ……廃棄回します?」

「……いや、それ、俺が買う」

「え、いいんすか」

「いい。金払う」


(誰にも迷惑かけない形の救い)

(……本当か? これはただの逃げじゃないのか)


レジを通す。

ピッ。

袋を受け取る。

ピッの音だけが、妙に優しい。


外に出ると夜風が冷たい。

駐車場のアスファルトが、蛍光灯の白さを吸い込んで暗く見える。


(帰って、寝て、起きて、また同じ)

(頑張れば報われる?)

(……報われてるのか?)


スマホが震える。

【エリアMGR】『明日6:00集合。欠勤厳禁。』


(あぁ、はいはい)

(そうだよな。店は人で回るんじゃない)

(誰かの犠牲で回るんだ)


交差点の光が白く膨らむ。

トラックのライトが視界を塗りつぶした。


「――っ」


衝撃は、感じなかった。

音だけが遠くなる。

なのに、レジの電子音だけが近い。


ピッ――。




目を開けると、匂いが違った。

土と、香草と、汗と、獣の生臭さ。

人の声が近い。石畳。屋台。魔法灯みたいな青白い光。


(……どこだ、ここ)


身体を起こす。服はそのまま。

薄揚げの袋だけが、なぜか手に残っていた。

袋の中が、まだ温かい。


(意味わかんねぇ)


路地の奥で、何かが動いた。

小さい。細い。

毛並みがボサボサで、でも目だけは異様に賢い。


狐だ。


狐は警戒しながら、薄揚げの匂いに負けたみたいに鼻を鳴らした。

俺は反射で袋を開けた。


「……腹減ってる?」


狐は一歩も近づかない。

でも、目が離れない。


「食うなら、食えよ。……ほら」


薄揚げを一枚、地面に置いた。

狐の耳がぴくりと動く。


次の瞬間――薄揚げが消えた。


「はやっ」


狐は口の端に油をつけたまま、もう一枚を見ている。

図々しい。だが、憎めない。


「……もっと?」

俺が言うより早く、狐が言った気がした。


(喋った?)

(いや、疲れすぎて幻聴だ)


「いいぞ。食え。……俺が責任持つ。腹いっぱいにしてやる」


軽い冗談のつもりだった。

昔ならクレーム対応でも言ってた。

責任持ちますって、口癖みたいに。


その瞬間、薄揚げの油が指先に滲んで――狐の尻尾の先が、ふわりと光った。


熱じゃない。

眩しいだけの火。


狐火。


指先の油に青白い光が反射して、妙な文字みたいな形を作った。

一瞬だけ、空中に浮かぶ。


(……魔法?)


狐は薄揚げを咥えたまま、俺をじっと見た。

金色の目が、やけに冷静だった。


(なんだこの狐)

(ただ可愛いだけじゃない)


「……名前」

今度は確かに聞こえた。


「は?」

「名前、呼べ」

狐が不機嫌そうに言う。


「……いや、俺の方が聞きたいんだけど」

「薄揚げ、くれるなら名乗る」

「交渉すんのかよ」


狐は尻尾を揺らして、ふん、と鼻を鳴らした。


九音くおん

「……九音」

「コンでいい」


(九音)

(コン)

(なんだそれ、めちゃくちゃ可愛いじゃん)


「俺は田口誠也」

「せいや」

九音が名前を舐めるみたいに繰り返した。

それだけで、胸がざわつく。


(やめろ、こういうの)

(変に縁って感じがする)


九音は薄揚げを食べ終えると、当然みたいな顔で俺の足元に座った。


「で?」

「で、って何」

「今日から、ここ、家」

「いやいやいや」


俺が笑いかけた瞬間、九音の狐火が小さく灯った。

眩しさだけの火。

路地の壁に、いびつな影が映る。


尾が――多い。


(嘘だろ)

(九尾?)


九音は俺の胸元を前足で叩いた。

ポケットに入っていた名札が、カタンと鳴った。

閉店後に外しっぱなしにして、癖でポケットに入れたやつだ。


田口誠也。


「それ」

「これ? 名札だぞ」

「印」

「印じゃねぇって」


九音は奪うみたいに名札をくわえて、嬉しそうに尻尾を揺らした。


(やばい)

(こいつ、何か分かっててやってる)


遠くで、人の声がした。

市場の方だ。騒がしい。

誰かが笑って、誰かが怒って、誰かが腹を鳴らしている。


その雑踏の端に、剥げた看板が見えた。

文字が半分消えている。


――バロー異世界支店(仮)。


(……冗談だろ)

(ここ、俺の知ってるスーパーと繋がってんのか?)


九音が名札を咥えたまま、俺の袖を引いた。


「行く」

「どこに」

「店」

「店って……あれか?」


九音は当然みたいに頷く。


「せいや、店長」

「まだ何も――」

「店長」

「……やめろ。胃が痛くなる」


九音は狐火をちょっとだけ灯して、俺の前を歩き出した。

眩しいだけの火が、路地の暗がりを安全な明るさに変える。


レジの音が、頭の奥でまた鳴った気がした。


ピッ――。


(……帰ってこい)

(店が、そう言ってる)


俺は薄揚げの空袋を握りしめて、九音の後を追った。

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