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少年

その振袖を纏った娘は、みな十七で死ぬ。

 

 始まりは、明暦三年一月。

 江戸の空は、低く、重い雲に閉ざされていた。乾風が埃を巻き上げ、瓦や格子戸をガタガタと震わせる。正月の浮かれた空気は、その寒風に切り刻まれ、街全体がひび割れたような緊張感に包まれていた。

 上野・本妙寺の境内は、初詣の群衆で沸き立っていた。甘酒を売る湯気、火鉢で焼かれる餅の香ばしい匂い、参拝客の足音が、凍土を叩く硬い音を立てている。

 商家の娘・お菊は晴れ着の袖を合わせながら、人混みの向こう側に「それ」を見つけた。

 少年の姿をした、磁器のように白い幻。

 雑踏を割って歩くその少年は、周囲の喧騒を吸い込むような静謐を纏っていた。彼が通る道だけが、まるで音の途切れた暗い淵のように見える。

 お菊が瞬きをする間さえ惜しみ、その背中を追った時、不意に少年が足を止めた。

 ゆっくりと、首を回す。

 視線が交わった刹那、お菊の心臓が不自然に大きく、一打。肋骨を打ち砕くかのような衝撃が駆け抜けた。

 少年が、わずかに微笑む。

 救いのように冷たく、呪いのように美しい。

 何より彼女の視界を焼き切ったのは、彼が纏う紫だった。冬の枯れた景色の中で、その紫地は異様なほど鮮烈だった。天の川のような鹿の子絞りが流れ、裾には銀糸の波が躍っている。少年が動くたび、その波が陽光を弾き、まるで本物の水飛沫が舞うように蠢いて見えた。


 少年が消えた後、お菊はしばらく立ち尽くしていた。

 ふと足元を見れば、周囲の雪は硬く凍りついているのに、彼女の立っている場所だけが、泥水のように黒く溶け去っていた。

 その夜、お菊が家に戻った時から、彼女の世界からは徐々に色彩が剥げ落ちていった。

 お菊の家は、日本橋の端にある大店だった。普段なら、奉公人たちの威勢のいい声や、煮炊きの温かな匂いが溢れている。だが今、お菊の目には、それらすべてが灰を被った死骸のようにしか見えない。

 食事に箸をつけても、指先が不自然に震える。口に含んだ白米は、噛めば噛むほど味を失い、冷たい石を転がしているような異物感に変わる。

「お菊、また残したのかい。具合でも悪いのか」

 母の心配そうな声が、幕を隔てた向こう側から聞こえるように遠い。

 お菊は答えなかった。ただ、瞼の裏に残ったあの紫だけが、網膜を焦がし続けている。

 三日が過ぎる頃には、お菊は寝所に閉じこもるようになった。

 部屋の隅、暗がりに目を凝らすと、そこにあの少年の瞳が浮かんでいるような気がした。窓の外では風が荒れ狂っている。その風の音が、次第に別の音へと変わっていった。

 カチ、カチ、カチ……。

 闇の中で誰かが火打石を叩いているような、硬く、乾いた音。

 その音が鳴るたびに、お菊の胸の奥で小さな火種がパチパチとはぜる。恋、などという言葉ではあまりに生温い。それは彼女の肉体を燃料にして燃える、一種の怪異だった。

 お菊は、少年の歩いた跡を思い返した。

 あの雪が溶けた跡。あれは彼女の魂が、すでに向こう側に引きずり込まれ始めている証拠ではなかったか。

――同じ時。

 江戸城の奥深く、灯火ひとつない部屋で、将軍後見職・保科正之は巨大な地図を指でなぞっていた。

 彼の耳にも、今の江戸に吹く不気味な風の音が届いている。

 保科は、地図上の密集した木造家屋と入り組んだ路地を、無感情な目で見つめていた。

 ふと、地図の端を、一匹の小さな黒蟻が這っているのが目に入った。どこから紛れ込んだのか、命の象徴のようなその一点が、保科が描いた焦土の座標の上を心細げに彷徨っている。

 保科は指を止めた。

 そして、その小さな命を指先で潰す代わりに、懐から懐紙を一枚取り出し、蟻の進行方向にそっと差し出した。蟻が迷いながらも紙の上に乗るのを見届けると、彼は立ち上がり、窓を開けた。

 吹き込んできた冬の凍てつく風が、保科の頬を刺す。

 彼は懐紙を外へ向け、蟻を庭の茂みへと優しく放った。

「……そこにおれば、お前まで灰になるぞ」

 呟いた声は、驚くほど穏やかだった。

 保科は江戸を愛していた。路地に咲く名もなき花も、汗を流して働く民の営みも、すべてを愛おしんでいた。だが、それ以上に、この脆弱な構造のまま腐り落ちていく都の未来を憎んでいた。

 窓を閉め、再び地図の前に座った保科の瞳から、先ほどの慈悲は消えていた。

 彼は、かつて蟻がいた場所――本妙寺の位置を、今度は冷徹な指先で強く叩いた。

 窓の外ではカチ、カチ、という乾いた音が夜の江戸を撫でていった。

 

 

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